22
今日もまたキッチンへと通され、摩耶ちゃんと微笑みを交わした。
前回会った時と比べて若干顔色が悪くなっているように気がした。
彼女の健康状態が気がかりだったけど、さすがに会ってすぐに切り出すのはためらわれた。
そこまで深い関係になれていないのだから、デリカシーを忘れないように気をつけたかった。
まずは先に他の話をいろいろとしてからにしようと考えた。
とっかかりが欲しくて最初に持ってきた国語のノートを鞄から取り出して、彼女の前に出してみせた。
「はい、どうぞ」
「わあ、ありがとう!」
彼女はまるで小さな子どものように無邪気に目を輝かせた。
この子は本当に勉強したかったのだということが嫌というほど伝わってきて、胸が苦しくなった。
残された時間が限られているのに勉強がしたいと僕が考えるなんてあり得るのだろうか。
思わずそんなことを考えてしまった。
だけどもすぐに思考を止めた。
彼女の貴重な時間を僕の自虐なんかですり減らすわけにはいかなかったからだ。
マイナス感情を振り払うように持ってきた本も差し出した。
ただ、すぐに手渡したりはせずに問いかけた。
「どうしよう? 部屋に持って行ったほうがいい?」
キッチンで勉強をしたり、本を置いたりというのはどうだろうと疑問に感じたからだ。
「そうね、そうしましょうか」
彼女はほとんど迷わずに応じて立ち上がった。
「あ、荷物は僕が持つよ」
そんな言葉が考えるよりも先に口から出ていた。
「ありがとう」
彼女は拒むことなく、こちらの申し出を受け入れてくれた。
荷物と言ってもノート数冊と僕が持ってきた本だけなのだけど、気持ちの問題だった。
彼女の部屋はいつも通りで、見慣れた景色にホッとさせられた。
そして最初に来た時はずいぶんと緊張したのになと苦笑交じりに振り返った。
いつの間にか、この部屋に入っても平常心を保てるようになっていたのだから驚きだった。
彼女はまず僕から本を受け取り、大切そうに抱えて机の上に置いた。
「後で読ませてもらうわね」
先にノートを見ようというのだろう。
確かに本は後でも読めるし、ひとりでじっくり読書を楽しむのは素敵なことだと共感できた。
「ノート、どうかな? 見にくかったら先生に相談してみるから、気軽に言ってほしい」
と不安そうに言い出した僕に彼女は微笑んだ。
「大丈夫よ。シンプルで見やすいわ」
そう言ったのは気休めばかりではないらしいとほどなくして分かった。
彼女は僕に質問することなく、ノートを書き写していた。
途中で一度手を止めて顔をあげたので何事かと思っていると、彼女は本棚に視線を移して言った。
「よかったら好きな本を読んでいてくれる? ずっと待っていてもらうのは申し訳ないから」
「うん、そうする」
彼女が作業に没頭している間ヒマなのは事実だったので、お言葉に甘えることにした。
彼女の本棚に揃っているものは、僕から見てもとても魅力的だった。
彼女に負けないくらいにと言って褒め言葉だと思ってくれるのは、たぶん彼女だけだろうけど。
それでも照れくさくてとてもじゃないけど言えなかった。
本棚にあるタイトルに目移りしながらも、頭では「彼女の気持ちに寄り添うたいといつ言おうか?」と考えていた。
いきなり言い出すのはよくないんじゃないかと思いつつも、じゃあどういう時どういう言い方をすればいいのか、さっぱり分からなかった。
しばらくすると彼女が「うーん」と声をあげて大きく背伸びをした。
「ノート、どうもありがとう」
笑顔で話しかけて来た彼女は、どう見ても勉強は終わったという空気だった。
「もういいのかい?」
僕が尋ねると小さくうなずいた。
「ええ。せっかく来てくれたのに、ずっと勉強ばかりしているわけにはいかないわ」
彼女は本気でそう言っているのだろうなと思わせる表情で話した。
勉強の邪魔をしてしまったのかなという考えが一瞬頭をよぎったけど、そう思うのは彼女にとっても不本意なんじゃないだろうか。
「そっか。じゃあハンバーガーショップのことについて聞いてもいいかな?」
そう判断した僕は話のとっかかりとして、気になっていた点を聞いた。
「ええ。お母さんが車で送迎できるところなら、いつでもいいって」
彼女は天気の話でもするかのように自然な態度で答えた。
「お母さんが送迎できる日っていつなんだい?」
肝心な点をたずねるとすぐに答えが返ってきた。
「今はいつでも大丈夫なの」
悲しそうに目を伏せる仕草が、彼女の心境を如実に表していると感じた。
それでも同情はしないほうがいいだろうから、ぐっと気持ちを押し殺して平静をよそおった。
「そっか。じゃあ急だけど、明日か明後日はどうだろう?」
彼女の時間にはリミットがあることを考えれば、できるだけ早いほうがいいと思った。
そうすれば「彼女のやってみたいこと」が少しでも多くできそうだからだ。
「明日か。お母さんに聞いてみるね。大丈夫だと思うけれど」
「うん。ラポールで知らせてくれるかい?」
「ええ」
というやりとりの後、ちょっとした沈黙が訪れた。
先に口を開いたのはやはりと言うか、摩耶ちゃんだった。
「ごめんね。迷惑じゃない?」
「迷惑じゃないよ!」
彼女の思いがけない言葉に、考えるよりも先に力いっぱい否定していた。
目を丸くして息をのむ彼女の姿に僕は我に返り、視線をカーペットに落とした。
「……僕のほうこそ、迷惑じゃないかなって思ったりすることがあるんだ。君のやりたいことを手伝いたいと思うのと同時にさ」
いったい自分は何を言い出したのだろうと、離れた場所からもうひとりの自分が呆れていた。
それでも口は止まらなかった。
「君のために何かをしたいと思うのと、迷惑だと言われたらどうしようという恐怖があるんだ」
「迷惑じゃないよ」
突然訳の分からないことを言い出されたのに、彼女は優しく言ってくれた。
「甘えてもいいのかな? 本当に大丈夫かなって思うけれど、迷惑じゃないよ」
ゆっくりと放たれる言葉はとても優しくて、僕の頭に甘く響いた。
「そうなんだ。それならいいんだけど」
ホッとしたのだけど、同時に内面を計算外のところでぶちまけてしまった恥ずかしさが一気にこみあげてきた。
まるで暖房がガンガン利いて半袖一枚で過ごせる部屋に放り込まれたんじゃないかと錯覚してしまうくらい、体温は上昇していた。




