18
「そうね、じゃあハンバーガーショップに行ってみたいな」
彼女はしばらく考えた末にそのようなことを言い出した。
僕はその意図が読めず、首をひねった。
「ハンバーガーショップに行ったことないのかい?」
一度くらいは行ったことある人は多そうだと思うのだけど、彼女の事情が事情だ。
「ううん。行ったことはあるのよ」
彼女は首を振って訂正した。
「ただ、家族と行っただけで、友達と行ったことは一度もなくて……」
彼女はうつむきながら細い声でその願いを口にした。
「一回くらいは行けたらいいなと思って」
その希望はあまりにもささやかで切なかった。
聞いていたこちらの胸が痛くなるほどだった。
「いいんじゃないか。それくらいなら僕でもできるし」
僕が請け合うと彼女の顔に輝きが戻った。
「本当?」
僕にはまぶしすぎる輝きをくもらせるのは忍びなかったけど、確認しておきたいことがあった。
「うん。ただ、許可をもらえたらね」
「ええ、もちろんよ」
親御さんや医者の許可がなければ当然できない話だ。
彼女も隠れてこっそりとは考えていなかったようで一安心だ。
「許可が出たらラポールで教えてくれる? 近くの店を調べておくから」
「分かったわ」
一つの約束が生まれて何だか一仕事をしたような気分になれた。
「他にはやりたいことってないの?」
せっかくだからとついでに聞いてみた。
「後は……そうね」
彼女は少し考えた後、うつむいてもじもじし始めた。
「な、名前で呼びあえる友達がいたらいいなって思っていて」
そこまで言うと顔をあげ、チラリチラリとこちらに視線を送ってきた。
「僕でよければいいよ」
と答えた。
恥ずかしさは消せなくて、ぎこちなくなってしまったけど、それでも何とか笑みを浮かべながら。
「ありがとう。えっと……?」
彼女は僕の下の名前を思い出せなかったようだ。
もっとも僕も同じだったから、お互い名乗りあうことにした。
「鈴成春人です」
「穂高摩耶です」
そして照れ笑いをかわした。
知り合いに改めて名乗るのってけっこう気恥ずかしいものなのだなと感じた。
「えっとじゃあ摩耶ちゃん、でいいのかな?」
女子を名前で呼ぶだなんていったいいつぶりなんだろうと思った。
他に益体もないことを考えておかないと、恥ずかしさに心が飲み込まれてしまいそうだった。
「ええ。私も春人君って呼ぶわね」
女子に名前で呼ばれるのは背中がむず痒くなるんだな。
当たり前だけど、母さんに呼ばれるのとはわけが違っていた。
「呼び捨てはいい? 友達なら呼び捨てもありだと思うんだけど」
自分でもとんでもないことを言っているという自覚はあった。
でも、話の展開的に確認しておかないといけない気がしたのだ。
「えっ? 呼び捨て?」
彼女は目を大きく見開いて、声が甲高くなった。
そうだろうなと納得できる反応だった。
「ちょ、ちょっと早いんじゃないかな……?」
彼女は及び腰な回答をしてきたけど、僕も残念ではなかった。
そうだよね。
いきなりはちょっと心理的ハードルが高すぎるよねと理解できた。
「うん、そうかもしれない」
だからあっさりと引き下がった。
承知してもらえなくて安堵したくらいだったけど、ここで会話は途切れてしまった。
話題、どうしようか……?
僕らの間で沈黙が訪れた時、たいてい彼女のほうから話を振ってくれていた。
毎回それだと申し訳ないので、たまにはこちらから振っておきたかった。
「摩耶ちゃん」
ちょっとたどたどしくなってしまったけど、許してもらいたかった。
「はい?」
彼女はやわらかく返事をしてくれて、少し幸せな気持ちになれた。
「図書館ではどんな本を読んでいたんだい?」
前から気になっていて、今なら教えてもらえそうなことを質問してみた。
ところが彼女は一瞬雪みたいに真っ白で、能面のような無表情になった。
しまった、地雷を踏んだかと思い切り後悔してしまったけれど、すでに時遅しだった。
彼女は怒りこそしなかったものの、切ない顔をして立ち上がり、本棚から数冊の本をとって僕に見せた。
「こういうタイプのものよ」
タイトルは余命宣告といったものだった。
僕が時々見かけたやつと同じようなものだったのだ。
彼女はいったいどんな心境でこれらを読んでいたのかと想像しただけで、胸が痛かった。
「ごめん……謝ることしかできないけど、本当にごめん」
僕は深々と頭を下げた。
間抜けでデリカシーがない上に、ただ謝ることしかできない自分自身への嫌悪に心を苛みながら。
「いいわよ。そんなつもりじゃないってくらいは分かるつもりだから」
彼女は許してくれたと思ったのは一瞬だけだった。
彼女はあきらめたような表情だった。
溶けた氷のような儚さに胸を打たれた。
さっきの自分が本当に許せなくて、肩を落とした。
そんなことをしても彼女を困らせるだけで、許してもらえるはずがないと頭では分かっていたものの、だからといって他の選択肢なんて考えられなかった。
「うん……でも挽回はさせてほしい」
ひたすら謝り続けるよりはまだマシなんじゃないかと、とっさに思いついたことを告げた。
「いいけれど」
彼女は拒否しなかったものの、表情からは困惑がにじみ出ていた。
「急には思いつかないわね」
「そっか」
誰かへの要求なんてポンポン出てこないのは、実に彼女らしいと感じられた。
けれども、そうあっさり引き下がる気にもなれなかった。
「じゃあ貸しを一つでどうだろう?」
「貸しを?」
彼女は目を丸くしたものの、すぐにこくりとうなずいてくれた。
「いいわよ。そうしましょう」
僕が許されたりしたわけじゃなくて、彼女の優しさによるものだとおぼろげにだけど理解できた。
でも、それを受け入れることしか僕にはできなかった。
その後は学校の勉強の話になった。
「一応、勉強はしているのよ。ついていけているのか不安だけれど」
いつ死ぬか分からなくても、それが勉強しない理由にはならないと彼女は強さを感じさせる瞳で話した。
正直、僕が彼女の境遇だったら勉強なんて放り出して、好きなミステリー小説を可能なかぎり読破するだろうなと思った。
そうせずに、勉強もするのはどうしてなのだろうと不思議だった。
しかし、ついさっき失敗してしまったばかりだから、とうてい聞こうとは思えなかった。
いつか、教えてもらえる日が来ればいいなと願うばかりだった。
「もしよかったらだけど、ノートを貸そうか?」
これであれば無難ではないかと考えたことを提案してみた。
勉強を人に教える自信はないのだけれども、ノートを見せることならばできることだ。
「え、いいの?」
彼女は本当にうれしそうな笑顔になった。
まじめに授業を聞いてノートをとっていたのが、まさかこんな形で役に立つだなんて……。
単純な僕は昨日までの自分に感謝したくなった。
「いいよ。今日は持ってきてないから、明日になってしまうけど」
「それでもうれしいわ」
彼女は胸の前で手を合わせて喜びを表現した。




