16
教室に戻ってきたタイミングでちらりと穂高さんの様子を見ると、彼女はご飯を食べ終えていた。
実は食べるのが早いのか、それとも食べる量が少ないからすぐに終わるのか。
イメージ的にも彼女の事情的にも後者の気がしてならなかった。
彼女はひとり本を読んでいて、何となく真っ白なスペースのようなものができていた。
声をかけようか迷ったものの、結局勇気を出せず園田君と向き合ってパンを食べた。
園田君は何回か話題を振ってくれたのだけど、だいたいがドラマかスポーツの話だった。
「野球は一応多少分かるよ。父さんが好きだし。でも他のスポーツはちょっと」
彼は申し訳なさそうに話す僕を気遣ってくれたのか、
「じゃあ野球の話をしようぜ」
と言ってくれた。
彼の話はもっぱらひいきチームの主力選手、フロントや監督采配に関する不満で、僕は黙って相槌を打っていた。
彼のいきいきとした表情はミステリー小説の話をしている時の穂高さんを連想させるものだった。
人間、好きなことを話している時の表情って似るものなのかなと思った。
予鈴が鳴って、黙って話を聞いているだけでも時間の流れは案外早いものだと知らされた。
穂高さん以外のクラスメートと、何分も話したのはずいぶんと久しぶりだった。
少なくとも進級してからは初めてだ。
それが彼女に対して罪悪感を感じてしまった。
普通に過ごたいというのが彼女の望みであるなら、あまり話しかけすぎないほうがいいとは思うのだけれど、感情のほうが上手く消化できなかった。
いったい僕はどうしたいのだろう。
そしてどうすればいいのだろうか。
自分に問いかけたところで答えが出てこないことくらい分かっていた。
誰に尋ねても同じ結果になるんじゃないかという恐怖もあった。
正解が分からないっていちいち気に留めたことなかったのだけど、恐ろしい場合もあるのだなと思い知らされた。
放課後になると、穂高さんは早々に教室を出て行った。
普段ならば図書館かなと思うところだけど、今日はまっすぐに家に帰るのだろうと予想はつく。
僕が本を持っていくと約束したからだ。
もしかするとラポールへメッセージを送ってくれるのかもしれないけど、少なくとも校門を出るまでは電源を入れることはできなかった。
今日は掃除当番ではないから僕もまっすぐ帰ることができる。
穂高さんを下駄箱の手前で追い抜いてしまったけど、あえて振り返らなかった。
僕はいったん家に帰らないといけないのだし、彼女はお母さんが車で迎えに来てくれているだろうから、待つ必要はないだろう。
下駄箱から校門が遠く感じたのはかつてないことだった。
どれだけ気にしているのだろうと我ながら苦笑してしまった。
まるで自分が自分でなくなってきたようなイメージだ。
……この時はまだ、苦笑だけですんでいた。
校門を通過して左に曲がって十歩ほど進んだところでいそいそとポケットに手を伸ばし、スマホの電源を入れた。
起動を待つ時間がいつもよりもずっと長く感じられた。
気持ちの持ちようひとつでこんなに感覚も違うのかと発見した気がした。
起動が終わってラポールのアイコンが表記されたけど、新着メッセージを通知するマークはなく、着信音も鳴らなかった。
どうやら彼女はメッセージを送らなかったようだ。
考えてみればこの後会うと分かっているのだから、いちいち連絡する必要を感じなかったのだろう。
体調が悪化したとかならともかく。
もっともらしい答えを見つけて納得したものの、がっかりした感は否めなかった。
ちょっとしたすれ違いにいつまでもくよくよしていられないと思いなおす。
きっと彼女は楽しみに待っていてくれるだろう。
そう思えば足どりは再び軽くなった。
家に帰ると、着替えようかどうか迷ったものの、私服を穂高さんに見られるのは何となく照れくさかったので、制服のままで行こうと決めた。
鞄の中身を一度全て出し、昨日のうちに選んでおいた二冊と、借りていた二冊を鞄に入れて素早く階段を降りた。
一応母さんに声をかけておいた。
今朝言っておいたんだけど、一度帰って出ていく時には一言言うのは家庭内ルールみたいなものだ。
いつ帰ってきたのか把握しておきたいという母さんの意見に父さんが賛成し、決定したのだ。
「行ってきます」
「はーい」
事情はすでに知られているので、説明は完全に省略してあいさつだけにした。
母さんも一言だけ返してきたあたり、僕らはやはり親子なんだろう。
穂高さんの家を目指して早歩きをしかけたところで、ふと立ち止まった。
これまでは全部学校から行っていたので、家からはどういう道順で行けばいいのか一瞬分からなくなってしまったのだ。
どうやって帰ってきたのかを思い出しながら、ゆっくりと目的に向かって歩き出した。
冷静になってみれば案外何とかなるものだと思った。
「お邪魔します」
出迎えてくれた彼女のお母さんに言うと、にっこりと笑ってくれた。
「あの子、ずいぶんと楽しみにしていたみたいよ。珍しくそわそわしていたから」
子どものことをお見通しなのは、どうやらうちの母親だけが持つ特殊能力というわけではないようだ。
母親という生き物の共通だとすれば、子どもとしてはかなり恐ろしい。
今日もキッチンに通されたのだけど、昨日までとは違って穂高さんは先に来ていた。
今日は水色の清楚な長袖シャツを着ていて、襟と袖の白いアクセントが可愛らしかった。
下はジーンズだけど、野暮には見えないのは彼女の魅力のせいだろうか。
「いらっしゃい」
と微笑みかけてくれた顔色は悪くなくて、天使のように可愛らしかった。
早めに本を返そうと思っていたのだけど、クッキーの袋の山がテーブルの上に置かれていることから、後回しにしたほうがよさそうだと判断した。
「今日はいつもと逆方向だからちょっと困ったよ」
話のきっかけとして持ちだしたのだけど、穂高さん母子には何のことか分からなかったらしく、きょとんとされてしまった。
もう少し詳しく説明したところで、ようやくふたりには伝わった。
「鈴成君って方向音痴なのね」
穂高さんはクスクスと笑った。
「けっこうしっかりしているように見えるから意外かな」
「方向感覚ってそういうのとは関係ないよ」
僕はちょっと恨めし気に言った。
それがおかしかったのか、彼女は腹を抱えて声を必死に殺し、全身を震わせていた。
そんなに笑うことだろうかと首をひねったものの、声には出さなかった。
「さ、クッキーだけどよかったらどうぞ」
オレンジジュースとともに彼女のお母さんに勧められたので、ありがたくクッキーを食べることにした。
彼女もクッキーを食べることはできるようだった。
こうして見ていると、ちょっと体の弱い普通の女の子なのに……。
「この子、学校ではどんな様子なの?」
不意にお母さんから問いかけられたので、どこかあわてているような彼女をよそに本当のところを打ち明けた。
「よく本を読んでいますよ。女子には時々話しかけられていますね」
「そうなの」
お母さんは安堵したようにほっと息を吐き出した。
「もう何回も休んでしまったし、大人しくてひかえめな性格だから、クラス内で孤立しちゃっているのじゃないかなと心配していたのよ」
「クラス委員の子がその辺配慮しているみたいですよ」
と知っているかぎりの情報を提供した。
体育は男女別だからどうなのかは分からないけれど、見ているかぎりではクラス委員の子がフォローを頑張っていて、さすがだなと感心していた。
「うん、よくしてもらっているのよ」
穂高さんがうれしそうに、そしてどこか申し訳なさそうな顔でつけ足した。
「あなたはお母さんに心配させまいとして、うそをつきそうだからね。鈴成君の話を聞いて安心できたわ」
お母さんはどんよりした空から太陽がのぞいたくらいの表情で言った。
僕がうそをついたり、彼女に口裏合わせを頼まれて応じた可能性をどれくらい考慮しているのだろうと思ったものの、言えばやぶ蛇になってしまうだろうなと考えた。




