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犯罪者被害者Aの遺族の肖像

作者: 嵩夜ゆう

「あっ! あー……また、やっちゃったか……はぁ……」


 深いため息をつく私。

 それもそのはずである。

 今は11月。

 暖かいコーヒーが飲めない私は、冷たいココアを買うつもりで自販機のボタンを押した――――が、それで出てきたのは、暖かいコーヒー……最悪である。


「まぎらわしい缶の形でコーヒー売るなよぉ……少しはパッケージにプライド持ってくれぇ……」


 そんな独り言も言いたくなる。

 私にとって字はほとんど意味をなさない。

 同じような形と色の商品を何度買い間違えたか。

 それも、数えられないほど意味のないものを……


「はぁ……教習所の人に言って変えてもらうのも恥ずかしいし……仕方ないか」


 ガタン


 寒空の中、普通二輪の教習。

 それは別に苦ではない。

 問題は、次の交通法規の教習……

 憂鬱な気分になっていると、ベンチに一人、膝をかかえて落ち込んでいる、私よりも少し年上に見える人がいた。


「あの、これ、よかったらどうぞ」


 私は、その白い手に缶コーヒーを手渡した。


「えっ? でも……」

「あー、そういうの気にしなくていいから。単に間違えて買った物を、少し見知った顔の人に押し付けただけ」

「そうなんですか……? えっと……じゃあ、ありがたくいただきますね」

「どうぞ」


 人と人とは不思議なものだ。

 こんなコーヒーだけで会話が出来るのに、ほとんど知らない人間を平気でリンチして殺して川原に置き去りにする奴もいる……


「どうかしましたか?」

「え? あ……なんでもない。教習で少し疲れたのかな? そう言えば、お姉さんも二輪教習にいたよね」


 私は、とっさに話を逸らした。


「ええ。でもなかなか上手くいかなくて……」

「そうなの? よかったら教えるけど」

「えっ? いいんですか? なら、お言葉に甘えて……あの、一度スピードを出してから、急ブレーキで止まるのがすごく怖くて……」

「ああ、緊急停車ね。そりゃあ、バイクなんだから怖いのは当たり前だと思うけど」

「でも、えっと……貴女は、普通に止まれてましたよね?」

「ああ、まあ……ちょっとコツがあって」

「コツですか?」

「ハンドルをまっすぐにする。ブレーキは、5対5って教本には書いてあるけど、リア6、フロント4くらいのイメージで、ロックさせないように上手くディスクを滑らせる感じで……って、何してるの!?」

「えっと、メモしておこうと思いまして。変でしょうか?」

「いや、変じゃないけど……その、感覚的なものだから、そんなに細かくメモする必要はないと思うけど」


 そんな話から、当然話は、何故? というお決まりの話題になる。


「なんで二輪とろうって思ったんですか?」


 この質問には答えたくないな……


「小説家を目指してて、それで適当なこと書けないから、それで……」


 嘘では無い。

 でも、本当でもない。

 後ろめたい気持ちもあった。

 でも、そう答えるしか無かった。


「そうなんですか? すごいですね」

「そっちは、なんで?」

「私は、大切な人が見たかった風景が見たくって。だから、バイクのことはその人から聞いたことしか知らないんです」


 自嘲気味に笑う。

 その人の瞳には、涙があふれていた。




 実技試験の日。

 といっても、私の実技試験ではない。


「あのお姉さん、しっかりやれるかな……? この前も落ちてたし……」


 見ていることを悟られないよう、室内から試験の風景を眺める。

 あの時のお姉さんは、おぼつかないながらもギリギリ、スラロームや一本橋をクリアし、何とか最後の緊急停車まで、辿りついたようだった――――――――が、

 な、なに考えてる!?

 甲高いフォアのエンジン音が、室内にいても聞こえた。

 明らかにアクセルを開け過ぎてる。

 その音が二回、三回……え?


 ――――私は肩を撫でおろす。

 お姉さんは、ニュートラルのまま、アクセルを空ぶかししていただけだった。

 その後、問題なくスピードを上げていく――――――――弱い! 

 ブレーキラインでのブレーキングが明らかに弱かった。

 これじゃあ、停止線で止まらない――――――――!


「あれだけ頑張っていたのに、あのお姉さん、また、駄目なの……? そんな……」


 自分でも不思議だった。

 自分のことのように悔しがっている自分がそこにいたことが、とても奇妙で、不思議だった。


「――――あれ?」


 停止線からはオバーランして停車している。

 当然、落験したはずなのに、何故かお姉さんは飛び上がって喜んでいた。


「ど、どういうこと?」


 私は思わず外に出て、実技試験が終わったお姉さんに話しかけた。


「あれ? いらしてたんですか?」

「あ、えっと、その、今日、試験日だって知ってたから心配で……」

「ありがとうございます! お陰様で、受かりました!」

「え!? なんで!?」


 教習所で、おまけでとか、頑張ってるからなどという理由で受からせてもらえるわけはないのに、何故?

 困惑している私を前に、彼女は物凄く嬉しそうにテンション高めに話し出す。


「今日、小雨が途中から降り始めて、停止線の位置が雨の日の位置に伸びてたんです!」

「え……!? 雨なんて……」


 空を見上げると、小雨が本降りになり始めたようだった。


「……あの日と同じ空だ……」

「あの、何か?」

「えっ……なんでもない。独り言」


 葬式の時。

 ……最後に遺体を焼いた瞬間、小雨が本降りに変わったことを私は不意に思い出す。


 ――――お前、美人なら、誰にでも優しくするのか!?


 心の中で弟につっこんでみるが、返事は帰ってこない。




 あの日から数週間。


「流石に早朝にこんな道、走る奴なんかいないか」


 真っ赤な車体。

 少し時代遅れの、いや、かなり時代遅れのγ250の甲高いチャンバー音だけが、峠にこだまする。


「私……今、お前がやりたかったことやってるよ。羨ましい? だったら戻ってこいよ!」


 エンジン音にかき消されることを良いことに、私はあいつへの不満を遠慮なくぶつける。


「バイクって、ホント気持ちいい。弟が言っていたとおりだ……」


 『世界がこの瞬間だけ、自分の為だけに存在している』

 そんな気さえしてくるのは、私が中二病だからだろうか……?


「此処がそうなんだ……」


 辿りついたのは、この辺のライダーには有名な展望エリア。

 山の頂上にあって、街全部が見渡せる。

 朝霧で少し景色は見えないけど、それでもあいつが来たかった理由が解った気がした。


「ここ、EVAのあのシーンに出てくる場所によく似てる……あいつ隠れオタクだったからな……ん? さては……」


 西を向いた展望エリア。

 腰より少し高めの柵があって街が見渡せる。

 ここに父親と、仲が悪い15歳の少年と、快活なロングヘアの赤いジャケットの女性。

 その横に青いスーパーカーが止まっていれば、完璧にあのシーンの再現になってしまう。


「あれ……?」


 霧がかっていて見落としていたけど、フルフェイスの黄色いヘルメットを脱ぎ、視界が初めて広くなった時、私は変な光景を見た。

 古いγ。

 その横には、しっかりヘルメットホルダーに固定された黄色いフルフェイスのヘルメット。

 本当に戻ってきたの!?

 幽霊でも、怨霊でも、吸血鬼でも構わない!

 もし、もう一度弟に会えるなら……あいつどんな姿だっていい!

 私は、バイクの奥の人影に走り寄った。


「……え!? なんで!?」

「あれ? やっぱりそうだったんですね」


 その言葉が何を言わんとしているのか。

 私には全て理解出来た。


「隠していて、ごめん……っていうか、あんな状況で話せる話じゃない!」

「それもそうですよね。これが、私が見たかった景色なんです。そして、彼が私に見せたかった景色……」

「違う」

「え?」

「今日の夕方、時間ある?」

「ええ、あります」

「じゃあ、下のコンビニで待ち合わせ。で、どう?」

「それは構いませんけど……」

「本当にあいつが貴女に見せたかったのは、こんな霧がかったさみしい景色じゃない」

「どういうことでしょうか……?」

「それは見てのお楽しみかな?」




 その日の夕方。

 彼女と私は、夕日を眺めていた。

 二台の真っ赤なバイク。

 同じ柄のヘルメット。

 でも、一人足りない


 本来、彼女と私に何の接点も無い。

 おそらく趣味も合わないだろうし、友達になるにはあまりにも性格が違いすぎる。

 そんな二人を出会わせた馬鹿な奴が、此処にはいないのだ。


「綺麗、ですね……」

「本当に、そうだな……」


 私も、彼女も、お互いを見ないのはお互いがどんな顔をしているか解っているからだ。

 声が震え、少し顔を上げながら話す私たち。


「そうだ。渡すものがあったんだった」

「え?」


 私は大切に持ち歩いていたカードケースを取り出した。

 おそらく、この先、この人は素敵な人に巡り合って結婚して、苦労しながらも幸せになるんだろう。

 でも、それでも、忘れないで欲しいから、私は、私以外に絶対に触らせなかった物を渡すことにした。


「これは……免許!?」

「ああ、そうだ。たぶんあいつが、あんたとここに来たくてバイトして、背いっぱい背伸びしてとった自動二輪の免許。あげるよ」

「えっ!」


 彼女には重すぎる形見かな?

 でも、この人以外に持っている資格がある人なんか居ない。

 だってあいつは、この人の為に免許を取ったんだから。


「本当に、いいんですか……?」

「ああ。弟が誰に持っていてほしいかって考えたら、私じゃないって思ったから」

「あ、ありがとう、ございます……!」

「そんな……お礼なんか言わなくていいよ」


 彼女はこらえていた涙をこぼして泣いた。

 その涙や、声にならない声にどんな思いが込めれれているのか、私には解らない。

 でも、解ったことは一つだけあった。


 それは、あいつはどこかでこれを必ず見ているはずだと言うこと

 こんな奇跡を起こしてまで、この人と私とを出会わせたのだから……


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