后候補の性別事情
王宮の中にある、国の政治の中枢である執務室。
この国の、国王の第一子であるダキアンは、日中はだいたいそこに居る。彼は次期国王になることが決定している王太子である。どうやらこの王太子は、時々お茶目になる父王を反面教師としているらしく、地味で大人しい。だが、その政に関しての才能は受け継いでいるようだった。
「陛下、これはどうなさるのですか」
息子は父親に、たくさんの書類をまとめたものを見せながら問い掛ける。
「あー、お前に任せる」
最近はこんな会話が多い。
「陛下、ちゃんと考えてください」
「馬鹿いうな。もう考えるのは次世代のお前の役目だ」
「いいえ、まだ父上が国王なのですから、責任を持ってー」
「……わし、もう引退してもいいよな?。あとはダキアンに任せて」
国王の視線は宰相にむけられていた。
「まだだめです。はい、これもお願いします」
周りの文官達からもお茶目すぎる国王に待ったがかかり、国王はしぶしぶ書類に目を通す。
「孫が出来たら引退してやる!」
無理矢理机の前に座らされている国王は、ぶつぶつと文句を言いながらも仕事を片付け始める。
「ええ、私も早く身を固めたいです」
誰かを思い浮かべたようで、ほんのり頬を染めた王太子に、複雑な顔をする文官達。
この部屋の会話は、最近いつもこんな調子である。
この王宮には、ダークエルフの傭兵隊が王族の専属兵士として住んでいた。
スレヴィはそのダークエルフの中でも優秀な諜報員の女性で、王太子が幼い頃から専属の護衛として就いている。しかし、その実体はエルフの男性である。幼い頃よりある事情で、ダークエルフの女性として生きてきた。
その日もスレヴィは、執務室で仕事をする王太子の姿を部屋の隅で気配を消して見守っている。
(聞けるわけないわよね、本人に)
最近、王太子との間にある問題が起こっていた。スレヴィはつい溜め息を零してしまう。
「スレヴィ」
「は、はいっ」
声をかけてきたのは国王だった。スレヴィの気配を察知出来る者など限られている。傍に傭兵隊の長のイヴォンが立っていた。
「護衛の仕事は一休みして、いっしょにお茶でもどうだ」
本当にこの国王はお茶目な人だ。憎めないというか、でも決して頼りないというわけでもない。その人望で、国王の周りには切れ者が多く、しっかりと王と国を守っているからである。
「あ、あーはい」
ちらりと王太子を見ると、苦笑いをしながら頷いていた。
「少しだけでしたら」
イヴォンに護衛される国王と共に、スレヴィは別の部屋へ連れて行かれた。
「で、婚礼の話なんだがな」
「……はい」
スレヴィはどうせ「なかったことに」と言われると思い、憂鬱な顔になった。
「いつにしようか」
「えっ?」
何故、そんな話を自分にするのか。何故王太子にではなく、自分に直接。ああ、なんだこの人は。
スレヴィが混乱していると、イヴォンが口を挟む。
「陛下。駄目ですよ、そんな言い方」
「えー、なぜだ。婚礼の儀式というのは花嫁が主役だろう?」
だから女性側の要望を聞くものだと、誰かから聞いたらしい。
「いえ、そうではなく。スレヴィはまだ結婚の承諾をしていません」
「なんだ、そうだったのか。うちの馬鹿息子が先走って、すまんな。スレヴィ」
「あ、いえ」
スレヴィは混乱から立ち直れず、イヴォンと国王の顔を交互に見る。
「しかし、スレヴィ、何か不満があるのか?、なんだったらわしから馬鹿息子に」
「陛下」
相変わらず調子のいい国王を、イヴォンが窘める。その姿に思わず笑いがこみ上げる。くすくす笑っていると、国王がスレヴィを見て微笑みながら話しかける。
「何か気になることがあるのであろう?。この際だから、話てみるといい」
柔らかい言葉にスレヴィは思わず胸が熱くなった。こんな自分に、国の長である人族の王がやさしい声をかけてくれる。
「どんなにくだらないことでもかまわぬぞ」
ほんとにお茶目な人だ。こんな人が父親なら毎日楽しいだろうな。
ふいに眠ったままのエルフの男性の顔が浮かぶ。
「わ、私にはもったいないと」
「あーそれはないからな」
この国の王族は、結婚や恋愛については自由に考えさせている。
財産のためや、血のための婚姻を繰り返す、上流貴族達のようなやり方は気に入らないのだという。
「ま、それは建前だろうな。ただ自分が好き勝手やりたいからだ」
イヴォンはそんなことを言って国王を見る。
だが、それでも王太子が同性と結婚などありえないだろう。
「スレヴィ。それは今さらだ」
国王は笑顔のまま、かまわないと言ってくれる。
「大切なのは本人同士の気持ちだ」
たとえ、それが同性であったとしても、自分の子供達には好きな相手と幸せになってもらいたいのだ、そういって憚らない。子供など、優秀な養子をとれば済むことだ。
「あ、あの、それでも婚礼の儀式というのは」
スレヴィは顔を赤くして、俯いている。
「そなたに婚礼衣装は似合うと思うがなあ」
うんうん、と国王はひとり満足げに頷く。
「スレヴィ」
イヴォンは俯いたままのスレヴィに、首領として威厳のある声で話かける。
「自信を持て」
スレヴィは、はっとして顔を上げる。
イヴォンは幼馴染として、兄妹のように育ってきたスレヴィを見つめる。
体力的に劣るため、人一倍努力してきた姿。国のために、いや、王太子のために、力を尽くしている今の姿。妹を嫁に出すような、感慨深い想いがして、スレヴィに向かってゆっくりと頷いた。
その昔、スレヴィはシャルネ姫の母親に対するやりすぎた行為のため、一時的に自室に軟禁状態になった。
スレヴィは制裁の手から逃れるつもりはなかった。彼女は幼馴染であるイヴォンに近付く女性が嫌いだっただけだ。
しかし、何度か王宮内で彼女を見かけていた幼い王子は、その不思議な妖しさを持つ傭兵に興味を持っていたらしい。
その当時、王宮内はあまり良い雰囲気ではなかった。
第二王子ブラインの誕生で、母親である王妃は幼子に手がかかり、そのうち、国王の愛人が発覚して一時国王夫婦は冷え切った。王宮内でひとりになったダキアンは、同じように一人でいる女性のダークエルフを見つけた。そしてこっそりつけまわしている内に、彼女の本当の姿も知ってしまった。
それは実際には、スレヴィがつけまわされていることに腹を立て、脅かそうとしただけだったのだが。逆にダキアン王子はさらに興味を持ってしまったようだ。
そして、あの件でスレヴィが危ない立場になったと聞いたダキアンは、こっそりと彼女に会いにやって来た。
「ダキアン王子、なぜこんなところに」
「いいから、こっちこっち」
そのダキアン王子の小さな手に引かれ、王宮の、そのまた奥の、国王の家族だけしか入れない場所にまで連れていかれる。スレヴィの気配を隠す技術を使えば、兵士達の目を掻い潜ることは簡単だった。
「ここにいればだいじょぶだよ」
にっこり笑った幼い茶色の瞳に、スレヴィは戸惑いながらも「ありがとうございます」と返すしかなかった。
それは大戦のころに妖精王が匿われていた場所で、ダキアン以外にはあのお茶目な王とごく僅かな護衛しか知らない。そして、スレヴィはその場所で、王子ダキアン専属の教師として過ごすことになった。
約15年後、王太子となったダキアンの決定で、スレヴィは専属護衛となり、晴れて傭兵として復帰した。王族の決定に、ダークエルフの長も反対は出来なかった。
スレヴィはイヴォンの言葉に戸惑う。
「本当はどうしたいのか、ちゃんと考えろ」
理由ではなく、どうしたいのか。周りのことではなく、自分自身の幸せをちゃんと考えろ。国王はお茶を飲みながら、イヴォンはその後ろに立ったまま、ゆっくりとスレヴィの答えを待っている。
「わ、わたしは」
幼い王子だったダキアンを弟のように思っていた。
だから自分の両方の姿も見せてきた。
まさか女性として愛されているとは思ってもみなかった。
「女性として?」
イヴォンが首を傾げる。
「殿下がそうおっしゃったのか?」
スレヴィが目を見開き、息を飲む。
「ギードが言ってただろう。性別などたいした問題じゃないと」
ダキアンはスレヴィをひとりの身近な者として、ずっと見ていたはずだった。両方の性があって、ふたつの顔があっても、それはスレヴィという、自分の傍にいる唯一無二の者の姿。
「気にいらなければとっくに解雇されているはずだ」
「あ、は……い」
スレヴィの頬を一滴涙がこぼれた。
変装した姿ではなく、本来の姿でもいい。自分自身の好きにしていいのだと。
「国民や知らない者にわざわざ教えてやる必要もないしな」
国王は相変わらず笑みを浮かべている。
数日後、スレヴィは、イヴォンに頼まれ、エルフの商人のギードの所へ向かった。
ドラゴンの領域をまだ出ていないらしい。イヴォンの部下ということになっているガンコナーという妖精族が、ギードの所まで魔力で飛ばしてくれる。
「ほら、預かってきたわよ」
「王太子殿下に感謝をお伝えてして下さい」
にっこり笑う腹黒エルフに溜め息を吐く。
「もう、殿下にあんまり手間かけさせないでよね」
彼女の恋人は王太子である。このエルフがいろいろと面倒をかけるので、スレヴィはちょっぴりお怒りだ。
「お忙しいのにすいませんでした」
素直に頭を下げているが、このエルフは真意が読めないので胡散臭いことこの上ない。ま、スレヴィ自身が一番胡散臭いのでとりあえず黙っておく。
今回、スレヴィが王太子に頼まれて届けたのは、越境の許可証である。ドラゴンの領域に滞在していたギードは、この領域を囲む山脈の向こうへ行くと言い出した。
「あれえ?、あっちは違う国じゃなかったー?」
その妻のタミリアは人族の魔法剣士で、聖騎士団の遠征に参加して旅をした経験を持つ。夫の眷属である精霊を使い、イヴォンに連絡してきたのは彼女である。さすがに国の実力者がこっそり他の国へ入るのはまずいと思ったらしい。
「だって、エルフには国境とか関係ないし!」
スレヴィは言い訳をするギードに、イヴォン隊長の代理で拳骨を喰らわせておく。
「あ、そういえば」
腹黒エルフがスレヴィに声をかける。
「えっとですね。老舗服飾店のタミちゃんの実家にあなたの衣装を発注してあります」
思いがけない言葉にスレヴィが驚いていると、彼の妻であるタミリアも声をかけてくる。
「うちはみんな口が堅いから大丈夫。エルフの姿も採寸してきてねー」
「はあ?」
驚きながら威嚇してくるダークエルフに、腹黒エルフは顔を青くしながら話を続ける。
「国王の許可はとりましたし、王太子も了承済みです」
「ど、どういうこと?」
ギードは首を傾げる。
「え。聞いてないんですか?」
それから約一ヵ月後、国王から国民に向けて発表があった。
王太子ダキアンの婚約である。
相手は、先日保護された妖精王の『娘』であるスレヴィーナという『女性エルフ』。彼女は意識が戻らない父親に付き添い、王宮の奥深くにいる。その美しい女性エルフと王太子が恋に落ちても不思議はない。
エルフといっても、相手は『妖精王』の姫であり、母親は人族の王の血筋の者である。ブライン王子の時のように、異論を唱える貴族もあまりいなかった。
「エルフは元々中性的だから、絶対いけますって」
ギードはダキアン王太子にそう言った。
「だって、王太子妃を護衛に使うわけにはいかないじゃないですか」
スレヴィは普段は護衛のダークエルフ、妃が必要な時はエルフの姿になれば問題はない、と言う。
つまり、王太子の婚約者はエルフの女性スレヴィーナ。そして護衛はダークエルフの女性スレヴィ。このふたりが同じ者だということをわざわざ教える者はいない。
国の将来に少し不安は残る、かも知れないが、それは腹黒エルフには関係のない話である。
〜完〜