愛しい吾子 1
あけましておめでとうございます!更新遅くなってすみません。
今回はお母様視点になります。
長い長い説明回なので、適当に読み飛ばして大丈夫です。
私、アリアドネ・ミシュ・ルグラン……旧姓アリアドネ・リリーがあの人、アンドロス・デュイ・ルグランと初めて会ったのは私が16歳で彼が18歳の時。
私は旅芸人の一座の踊り子で、彼は辺境領子爵家の後継者だった。
私がいた一座はとっても古い歴史を持つ一座で、身寄りのない者を寄せ集めたと言うよりは一族がずっと旅暮らしをする遊牧民のような暮らしを続けているところだった。
その長い歴史のせいかいくつか古い習慣があって、その中の1つが定期的に大陸最古の国と言われるルシル国の王都に立ち寄らなければならないというものだった。
そしてお互いに仕事で立ち寄った王都で、王の御前で舞った私を彼が見初めてくれて私たちは恋人となった。
お付き合いを始める時もだったけれど、お互いにお互いしかいないと結婚を決めた時の周囲の反対はものすごいものだった。
彼は子爵家の後継者が旅芸人を妻にするなんてと言われたし、私は私で族長の孫娘で将来は一族を支える立場だったから、外にお嫁に出るなんてとんでもないとこぞって反対された。
でも私も彼も一緒に生きていくという決意は絶対に揺らがなかった。
そうして一緒になった彼の愛情を疑ったことはないし、後悔した事もない……今になっても。
彼と結婚してからの私はまぁそれなりに苦労もした。
もともと反対されていた結婚だったし、身分違いやそれに付随する生活習慣の違いもあった。
でもそうした困難を1つ1つ乗り越えるのは負けず嫌いなところがある私には楽しさもあったし、何よりも彼と一緒に生きていけるということが嬉しくて問題にもならなかった。
ただ1つだけ、彼との間にこどもが出来ないこと以外は。
元々、私の一族はなぜか子供ができにくい。私の母も私を生んだのはかなり年齢が上がってからだし、結局は私しかこどもは出来なかった。
そのことは結婚する前から伝えていて彼も私に催促したりすることはなかったし、私自身も小さい頃から分かっていたことだったのだけれど、現実に愛する人と結婚できてしまえば途端に欲が深くなる。
2人でいても幸せだけれど、ここに彼と私のこどもがいてくれたら……と。
結局5年経っても私達の所にこどもは授からず、ほとんど諦めかけていた時にようやく私のお腹に命が宿ったことを知った時の私と彼の喜びは言葉に出来ないほどのものだった。
そして彼と共にお腹に話し掛け、優しく彼が私のまだ膨らみもほとんどないお腹を撫でてくれる時の幸せは、満たされていたと思っていた今までを日々更新していくような気持ちにさせられた。
けれどその幸せは妊娠6ヶ月を過ぎた頃にもろく崩れさってしまった。
もともと私のつわりは重いようで、食べてもすぐに吐いてしまうことが多かった。
体重は落ちたしつわりは苦しかったけれど、私のお腹に宿った命を思えば頑張ろうという気持ちにさせられた。
けれど妊娠も6ヵ月を過ぎようとしていた頃、ふっと意識が遠のいたかと思うと私は廊下で倒れてしまっていた。
さすがにお医者様が呼ばれて診察を受けて判明したのは、私と彼の子供は高確率で魔素分離過剰蓄積症候群、通称魔素症に罹患しているということだった。
私たちの生きるこの世界には魔素と呼ばれる力が満ち溢れている。
これは場所によって濃淡はあれど普段どこにでも……大気や水、植物や動物などあらゆるものに含まれていて、触ることもできないし普段は意識することもないけれど、私達が生きていくために太陽の光のように必要な要素だ。
そして魔素はおおむね動物……自我を持ち思考するものには馴染みにくい。
私たちは普段、生きていく上で必要以上の魔素は取り込めないし、取り込んでも身体が自然に排出するように出来ている。
けれど魔素症のこどもは大抵が生まれつき、この調節機能に欠陥があるとお医者様は私たちに伝えた。
まず身体に必要な魔素を身体に馴染ませることが難しいのに、魔素を取り込む力は人一倍強い。
そして身体に馴染ませられず足りない魔素を補おうとするように過剰に魔素を取り込み続けようとする。
けれど人間の身体に馴染まず過剰に蓄積された魔素は凝縮されて何かの拍子に外に弾き出され、衝撃波となって周囲を破壊していく。
魔素症のこどもは小さな身体に火薬をたっぷり詰め込んだ爆弾のようなものなのだと告げられた。
そして私の体の不調は妊娠特有のためのものだけでなく、お腹の赤ちゃんが足りない魔素を補おうとするように私の身体から過剰に魔素を吸い取っているためもあるのだろうと。
「妊娠中で繊細なあなたにこれを告げることは苦しいが、そのお腹の子が無事に生まれる確率は極めて低いと言わざるを得ません。
このままだとあなたの身体の魔素が胎児に吸い取られてあなたと共に衰弱死するか、胎児のうちに身体に留め切れなくなった魔素が爆発して親子とも死ぬかというケースが一番多いということを、まず理解して下さい。
生まれてこれるとしてあなたの身体が耐え切れるギリギリまで育っても、まず早産であることは間違いありませんので健康体で生まれてこれるかどうか。
そして今は母体がフィルターの役割を果たしていてまだ魔素の吸収は抑えられていますが、生まれた時から赤子は世界の魔素と直接に触れ合い魔素を思うがままに吸収、蓄積し続けます。
溢れ出した凝縮された魔素は赤子自身をも傷つけますし、虚弱な身体でその衝撃に耐えられるかどうか。
……一般的に魔素症のこどもが5歳を超えることはめったにないと言われています」
私を出来るだけ刺激しないようにか、お医者様は淡々と私とお腹の子の状態について語っていく。
私はどこか上の空のようなぼんやりとした気持ちでそれを聞いて、そして半ば無意識のまま震える唇を開いた。
「――治療法は……」
掠れた様な私の声にお医者様は痛ましそうに目を細め、一瞬視線をそらしてからまた私をまっすぐに見据えてきっぱりと答えた。
「ありません。古くから魔素に関する研究はされてきましたが、そもそも魔素がどういったものか、生命と魔素の正確な因果関係はどうなのかなどは、未だほとんど解明されていないんです。
長年の観察と記録から恐らくこうだろうというくらいの推測しか立てられていないのです。
人間が魔素に触れる術はなく、それを意識的に操る術もなく、実は人体で明確にこれが魔素を調整していると分かっているものがあるわけでもないのです」
――私はまるで一夜にして天国から地獄に叩き落されたかのように目の前が真っ暗になるのを感じた。