指先王子
こちらはある方へのハピバプレゼントです。
テーマ『こたつ・みかん・ツンデレ』をベースに書かせていただいております。
『俺で手ぇ打っておけよ』
この言葉から始まって、1年が経った。
頭の中で過去に言われたフレーズを思い出しながら、目の前で剥かれていくみかんを見つめ、麻衣子はテーブルにぺたりと頬を引っ付ける。
ひんやりと冷たさが広がる肌にぷるっと一瞬震えた。けれど、毛布を少し持ち上げると足元から熱気がもあっと上がってきて、肩の辺りまで温かさが広がる。
この温もりも、昔から変わっていない――そう思いながら、麻衣子は目を閉じた。
こたつってどうしてこんなに眠気を誘うんだろう、などと考えても答えの出ない疑問を、微睡の中、頭の片隅で考える。
考えながらもその答えを纏める気持ちもなく、またうっすらと目を開けて目の前で剥かれたみかんを再び視界に捉えた。
四方に分断された皮はテーブルに置かれ、中身は大きな手の中に収められている。しかし、器用な手先がまだそれを離そうとせず、綺麗に薄皮についた筋まで取っていた。
全ての作業を終え、白みのない、橙の球体になったそれを満足気に見つめて啓太は尋ねた。
「お前食うか?」
手塩にかけて綺麗に剥いたそれを、スイと横から差し出して啓太は麻衣子の眼前へ置く。
けれどそれに何の反応も示そうとせずに、麻衣子は抑揚なく告げた。
「いらない」
「これ、美味かったぞ?」
「だったら食べれば?」
可愛げもなく、すげない返事を食らうけれど啓太はその程度では堪えない。少しだけ肩を竦めて見せてから、球体をぱかりと半分に割り、中心についた白い筋をまた綺麗に取っていった。
視線はお互いにその白い筋を辿るのに、二人の間にはコチコチと時計の音だけが響く。
時折、ブーンとこたつの電力が上がる音が交り、冬の寒さを感じさせた。
スンと鼻をすすると、鼻先が冷えるな……と麻衣子が思っていたら、再び啓太が同じ質問を繰り返した。
「お前食うか?」
「それ、はいらない」
こんな会話、何度もしてきたのに飽きないのか、と麻衣子は思う。けれどそれでへこたれる啓太ではない。
はぁ、と面倒くさそうにため息を吐くと、贅沢モノ、とボソと呟いた。
それに片眉を上げながらテーブルに乗せた顔を少し浮かせ、啓太のいる方と反対を麻衣子は見る。変わらないその態度は、何年も前から同じだ。
けれど反対を向いてテーブルに付いた左頬が、やけに冷たく感じるのは罪悪感のせいだろうか、などと思いながら麻衣子は再び瞼を閉じた。
「剥いてくれなんて、言ってないし」
「はいはい」
その会話も何十回として来ている。だから麻衣子は分かっているのだ、この後啓太がどうするかなど。
再び静寂が二人の空間を包んで、コチコチと時計の音だけが耳に入ってくる。その中でまた、ブーンとこたつが音を立てた。
背を向けつつも、背後で啓太のしていることを思えば自然と麻衣子の頬が緩んだ。
「麻衣子」
呼ばれて顔をまた反転させると、上を向いていた右頬に冷えを感じた。
またぺたりとテーブルにくっ付けながら、小さく唇を開く。
「食うぐらい自分でしろよ」
「やだ」
我儘にもそう返事をすると、麻衣子の口の中へ薄皮も剥かれた綺麗なみかんが押し入れられた。唇を閉じる一瞬、少しだけその指先が唇に触れる。
仕事の関係でパソコンばかり触っているせいか、指先だけが固くなっているそれを目だけで追いかけながら、麻衣子はあの手は嫌いじゃない、と改めて思う。
いつも、麻衣子のために尽くしてばかりの手だ。
噛みしめる度にみかんの粒がぷちぷちと潰れるのを口中に感じながら、甘みをしっかりと舌の上で感じ取って飲み込むと、やっぱり薄皮も無い方がいいなと我儘な感想を持った。
それもいつも変わらないことだ。ここまではいつもと変わらず、今日も同じように繰り返されて終わるはずだった。しかし――
「ねぇ、そんなにきれいに剥いたのに、人にあげて嫌じゃないの?」
昔から、そう……幼馴染のころから変わらない対応をする啓太を見つめ、麻衣子は初めてその疑問を口にした。
小さいころ薄皮を詰まらせてすぐ咽る彼女のため、両親の親友の娘だという麻衣子に、両親の実家から大量に送られてくるみかんを啓太は剥いてやっていた。
年に数回会うだけの女の子。
そこまでしてやるいわれはないはずなのに、気づけば喉に詰まらせる年頃で無くなってからも、会えば麻衣子にせっせとみかんを剥いてやっていた。
けれど啓太の中に、6つも下の彼女に何らかの感情を持ち合わせていなかった。いなかったはずなのに、いつの間にこの役目を――彼女にみかんを剝いてやるという至極面倒な役目を、取られたくないと思ったのだろうか。
「人に、じゃなくて、麻衣子にだろ?」
薄く笑いながら啓太が次のひと粒を剥いてまた差し出すと、麻衣子はそれをパクリと食べた。
ただただ甘いそのみかんに舌鼓を打ちながら、また指先が唇に触れた、と認識する。
「一緒だよ」
「違うよ」
「ふーん……」
納得がいったとは思えない、けれど興味の下がってきた麻衣子の相槌に啓太は苦笑する。いつだって彼女は自由だ。
けれど、おいし、と言いながら目を細める姿を見て啓太は満足していた。
「でもさ」
「何?」
首を傾げる麻衣子を横目に見ながら、新しいひと粒を摘んでまた薄皮を剥いでゆく。
剥いて出てくるのは、綺麗な橙の粒だ。それが頭上の光に照らされて光ったような気がした。
それにまた満足しながら、啓太は麻衣子にその粒を差し出して唇の前で止める。いつまでも中に押し込まれないソレを訝しく思いながらジッと啓太を見つめると、麻衣子にニヤリと企むような笑みが返された。
「どれだけ綺麗に剥いても、誰にもやらないのもあるよ」
「そうなの?」
そんなことがあるのか、と心底驚いた顔をみせる麻衣子に、啓太はフッと笑う。
彼女は、美しく剝かれた全てのものを、啓太から貰えるものと信じて疑っていないのだろう。こういう馬鹿みたいに素直なところは純粋に愛しいな、と思う。
付き合って2週間だかの彼氏に振られた、と泣いていた一年前。みかんを剥きながら口からついて出た『俺で手を打っておけ』の言葉は間違っていなかったと啓太は実感する。
そうしてグッと口の中に新しい粒を押し込んでやってから、じっと麻衣子を見つめて言った。
「お前だけは、誰にもやらねぇ」
そう言われるや否や、真顔の後、瞬時に湯がわいたように顔を赤らめる麻衣子。それに吹き出しそうになるのを我慢してすました顔を啓太が見せると、薄皮すらないみかんで麻衣子はむせた。
「ゴホッ、ゴホッ……っ、ばっか、ゴホッ、じゃない、のっ!?」
涙を浮かべながら文句を垂れる麻衣子の背を擦ると、びくりと震えられる。
けれどその震えを無視して優しく何度も擦りながら、落ち着いた頃に「これ以上は剥いてやれないぞ」と言うと、馬鹿と返され啓太はまた首を竦めた。
「そ、そういうのはねぇっ! 乙ゲーに出てくるキラキラ王子しか言わないんだからね!」
「あ、そ」
「けいちゃんは、指先だけなんだからっ」
「指先? 何が」
想定外の返事に首を傾げると、麻衣子はしまった、という顔をして啓太から目を逸らした。
しかしそこは逃がすはずもない啓太は、同じようにぺたりと頬をテーブルにつけ、ごちっと音を立てて額を合わせた。
「何が指先なの、麻衣子」
囁くように名前を呼んで、指先で冷えた鼻の頭を擦ってやると、麻衣子は慌てて鼻先を隠す。
次いで、冷えた左頬を擦るとひゃああっと叫んで離れた。
どれだけ悪態を吐いていようとも、6つの差を凌駕出来ない何かで麻衣子を転がす啓太。それを悔しく思いながら、指先は王子様だと思えるくらい好きなんだ、なんて言えるわけもないと心中で想いつつ、首をぶんぶん振った。
それほど長い間、麻衣子は啓太の指先を見つめて来ていた。何年も、自分のみかんを剥くために動く指先を。
だから、何か言わなければという呵責の念に苛まれたのは、こんなにまで尽くしてくれる啓太に何か言葉で伝えたくなったからかもしれない。
「あ、あのさ」
「何?」
「私……その。けいちゃんで、手を打ったわけじゃ、ないからね」
「何が」
「だから……けいちゃんだから。けいちゃんが、す、すき、だから。け、結婚、したんだから、ね?」
こたつから顔を上げて、なぜか正座までしながらも人を指差して何を言うかと思えば、そんなことを真剣な表情で訴える麻衣子。しどろもどろなその言い方も、堪らなくおかしい。
これが所謂ツンデレってやつか? なんてどうでもいいことを思いながら、耐え切れずにブハッと噴き出すように啓太は笑った。
「わ、笑うところじゃないでしょ!?」
またきりきりと怒ったような顔をしてそう言うけれど、啓太には微塵も堪えない。
突き出していた人差し指をパーに変えて、バシッと腕まで叩いてくる麻衣子に、1年前口をついて出た言葉は正解だったと確信して啓太はこたつから身体を出した。
手を伸ばすと目の前にいる彼女の手を引いて抱き寄せる。
けれどそこからは『きゃあ』なんて可愛い声はなくて、うわぁあっと色気も何もない叫び声が飛び出してきた。
「今から剥いてもいい?」
抱き寄せながら右手の指先で耳たぶを弄んでやると、少し温い耳たぶが色味を持ち始めて赤へと変化していく。
それに得心した啓太は、まだ半分残るみかんをこたつの上に放置して、その対象物を変更した。