1-3 森を歩こう
「オオオォォンッ!!」
「ーーーーーッ」
一転して開けた視界の先で、例の熊もどきが周囲の木を薙ぎ倒していく姿があった。
やはり、熊もどきの奴は相当に苛立っているようだ。唾液と血液が混合した液体を振り撒きながら、行動の邪魔をする木々をへし折っている。
その姿に刹那だけ動揺するが、より一層の殺意で塗り替える。
好きなだけ暴れてくれ。それがお前の最期の憂さ晴らしだ。それだけ暴れられれば、後顧の憂いも無いだろう?
「……脳筋が憂うのかも分からんけどな」
右手に握る『グロック』を、腕をだらりと下げたまま両手で構える。狙い撃つ的が難しいのだから、より安定させて撃つ必要がある。
下げていた銃を上げて、銃口を奴に向ける。右目を射線上に置くべく、より半身になって左目を瞑った。
……さぁ、俺はここだぞ。
そんなに俺を殺したいならーーー
「ーーーかかってこい」
漏れかけた不安を、目の前の存在に対する殺意でもって抑え込む。
不意にこちらを捉えた視線を、真っ向から睨み返した。
人を殺す奴は、まず先に己が殺される未来を想定しなければならない。
攻勢に立てば守勢に立てない。攻撃を行えば防御が甘くなるように、返り討ちに遭うことだって可笑しくはないのだ。
殺意を持って屠ろうものなら、自身にそれが帰ってくることがあるのを教えてやる。
駄賃はお前の命で勘弁してやるよ。
「………」
勝負といこうじゃないか。もし、その覚悟があるなら、お前の勝ち。
無いのなら、俺の勝ちだ。
「ーーーオオオオオォォォォォンッッ!!」
咆哮は、空気の地震を起こしてこちらまで届いた。
そして、先ほどまで折り砕いていた木は、既に奴との間には一本も存在しない。
彼我の距離は十数メートルといったところ。いくらもどきであっても、数秒とかからずこちらまで届くだろう。
「ーーーーーー」
故に、こちらも足を前に進める。摺り足に近い足運びで、姿勢も手の位置も変えず、視線も射線上から離さない。
向こうと俺の速度は天地の差があるが、それでも俺達はお互いに距離を詰め合った。
チャンスは一度、たった一回でいい。
決定的な瞬間があれば、それを躊躇いなく手繰り寄せると約束出来る。
一撃必殺。
俺が狙うのはそれだけでいい。
どれほど奴と俺の間に力の差があっても、
速さや腕力で俺が劣っていても、
最終的に、殺せば勝ちなんだ。
「ーーーオオオオオオォォォォォン!!」
「………」
もどきは未だ走り、俺は動きを止める。
ほんの僅かのズレも許さぬ状況。僅かな失敗も死を招くというのに、俺はこの上なく集中していた。
爆発しそうになる心臓と、それを客観的に見ている自分がいるという矛盾。視線と右指以外、意識したって動かせる気がしない。
「ーーーあぁ、そうだ」
最期に、言っておこうか。
「ーーーお前さ、よく見たら中途半端なんだよな」
鰐口に熊とか気持ち悪いだけだろう。何だその組み合わせは。全く想像したことがないぞ。
バランスも取れているかも疑うところだ。
おまけに足は鈍いし、頭だって働かない。力があっても鈍足じゃ使えないだろ。
が、初陣の相手としては、これくらいの奴がちょうどいいだろう。戦闘と呼べるかは少し考えることになるけどな。
……まぁ、何が言いたいかっていうと。
「もどきがーーー」
お前みたいな中途半端野郎が、
「ーーー粋がってんじゃねェ!!」
引き金を引く。
吠えた声は、不思議と奴の物よりも大きかった気がした。それは単に、俺がこの時奴以上の殺意孕んでいたということだろう。
仄かなマズルフラッシュが、俺の網膜に焼きついた。
俺の声に隠れて、銃弾は奴へ飛んだ。頭の足らないもどきは、ただ俺を殺すために走るだけ。相手の手の内を知らないまま、猛然と襲いかかることは、警戒を知らない幼子とそう変わりはない。
……音速に近い銃弾を受け入れるように、奴はそこへ走り込んだ。
◇◆◇◆◇
……俺の目に映ったのは、目から噴水の如く血を噴き出す姿だけ。まるで唐突にシャッターを降ろされたように、そこから視界は断絶している。
体温が奪われる感覚と共に、俺の意識は暗転していた。