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1-2 森を歩こう

少し残酷、というか気分を害するかもしれない表現がございます。お気をつけなすって。

「ーーーは……?」


 あまりに突然の出来事に声が出ない。口を開けたまま、間抜けな姿を晒していただろう。思考らしい思考は、この時完全に止まり、脳の動きが完全に停止した。


 驚愕に目を見開き、つい先ほどまで俺の目の前で食事をしていた小動物がいた場所を見つめる。


 消えた。

 毛の一本、跡形もなく。

 

 ……いや、そう錯覚しているだけだ。本当はそうではない(、、、、、、)

 目に入らない速度で、俺に視界から消えてしまっただけだ。


 視線を上へ向ければ、あの鹿らしき動物を、凶暴な(あぎと)が砕いていく姿があった。



「ーーーーーー」



 骨の軋み、折れる音。血が吹いて出る音。余りにリアルで、理解と吐き気が遅れてやってきた。



 口元を抑えながら見上げた先では、最期と言わんばかりに彼または彼女は抵抗する。

 しかし、それは蟻地獄に落ちた蟻のように無意味に見えた。


「ッーーーーー!!」


 ぐちゃり、と無慈悲に顎が動く。次第に抵抗が弱まっていくそれは、喉を潰されたのか断末魔を上げることなく力尽きた。



 こんな簡単に、生き物が死んで良いのか。

 その光景に息を呑み、願わずとも俺は悟ってしまっていた。


 ーーー暴虐かつ劣悪、弱き者はただ強者に捕食される運命を持って生まれる理不尽。


 この森は、そんな理不尽が当たり前の如く存在する。


 ーーーいつの時代の話だ、これは……この世界は。


 水がある。餌がある。それだけでそこは戦場となる。

 生きる為には虐げる他なく、それは紛れもない生存競争。不条理が常識の、弱肉強食の世界。


 初めて目前にした光景が衝撃的で、情けなくも硬直した。


「……ッ!」


 その顎の奥から覗く瞳が不意にこちらを捉えて、初めて俺は動き出した。同時に、奴も俺を捕食者の目で見定める。


「ッ、あ、ああぁぁァァァ……ッ!!」


 恥も外聞も捨て、悲鳴を上げて身を投げた。


 あの、骨を何ら苦もなく噛み砕く顎が、今度は俺に向けられる。


 そう思うと冷静じゃいられない。拙い受け身で背中を痛めながら即座に起き上がる。

 制服に泥が付いたが、服なんか気にしている余裕も時間も無い。


 踏み締めた感じ、かなり固い地面だった筈だが、その牙に抉り取られ、どころか俺の背中に小粒まで砕けた土の欠片が降ってきた。

 そんな、出鱈目な顎の持ち主は、空振りを悟ったか、茂みの中から全身を曝け出す。


「……熊?」


 率直に、そんな言葉が思い浮かぶ。顎はまるで鰐に近い物だが、その体型は熊のようだ。

 丸太の如き体躯、顔から滲む殺意。血の色をして開いた瞳孔は、一体どれだけ殺してきたらああなるのか。

 熊もどき(、、、)は、俺を敵と見定めたのか、あるいは食料としてか。

 いずれにせよ、四つ足に力が篭り、今まさに地面を蹴り出さんとしている。




 ……これは、流石に想像していなかった。





「オオオオオォォォォオオォォオッッ!!」





「ーーーーーッ!!」


 自然、俺はその場から走り出した。熊において(熊かどうかは疑問だが)、それが得策では無いと理解してはいるのだが、体は恐怖心には勝てない。


「オオオオォォォンン!!」


 向こうも相当に気が立っているのか、走り去ろうとする俺の背に、咆哮を叩きつけた。


「ッ!? うおおぉぉォォッ!?」


 悲鳴と雄叫びをない交ぜにした声を上げながら、俺は形振り構わず走り続ける。背後から聞こえる足音は、確実に奴の物だろう。

 しかし、恐怖と困惑と焦燥が混ざり合って混濁としていて、混乱していた俺は振り向くことが出来ないでいた。


 手持ちの銃で、対人間用の銃で熊を殺せるのか?

 否である。


 熊とか猛獣を殺すなら、精々《44マグナム弾》くらいを持ってこなければならないのだが……


「そんな(もん)、持ってる訳ねぇだろう……!!」


 そもそも、猟師でもない限り熊と戦う準備も意識も持たないのは当たり前だろう。

 本来、銃とは無縁な生活を送っている日本人、ましてや高校生である俺が手に入れられる訳がない。


 無い物ねだりは無意味だが、だからと言って手元にある武器を手放すのも馬鹿だろう。

 どんな棋士も、自ら駒を捨てるようなことはしない。命の危機(王手)が迫っている中で、自らの首を更に締めたいとも思わないからな。





「ーーーーッ!!」




 太い木々の間を駆け抜け、奴の動きを撹乱させる。足は縺れ、草や小さな石にすら足を取られそうになるが、あわやというところで走り続けていた。


「オオオォォォォ……」


 熊の足は車と同義だというが、どうやら奴の速度はそこまでではないようだ。こうして複雑に動いていれば、一定の距離は保てる。

 



「っ……!?」




 そして……都合何度目か分からない方向転換をした直後、踏み出した右足が宙を蹴った。


「な、ぁ……」


 張り詰めた緊張感の中、不意を打つように感じた、空を飛んでいる浮遊感。

 木の根と土塊(つちくれ)で出来た段差を踏み外したようで、俺は盛大に転がり落ちた。


「づ、ぁ……」


 受け身を取る暇すら無かったが、高さもなく地面が軟化していた為に大した傷は負わなかった。


 服どころか、頬や髪にも泥が擦り付いて離れない。俺の体重で圧力を掛けられた土から、泥水が漏れ出して俺の服に染み込んでいった。


「………?」


 異様に水を含んでいる、と視線を上げれば、流れ穏やかな川が流れていた。川の水が、僅かに地面へ影響を与えているのだろう。

 泥が制服に染み込むのも気にせずに、荒い息を吐いて寝転ぶ。普段よりも圧倒的な運動量のお陰で、指先を動かすことさえ苦痛を覚える。

 大流出したアドレナリンが、俺に先ほどまでの限界を超えた動きを可能にさせていた。その代償に筋繊維は千切れ、筋肉痛を遥かに超えた痛みが体を襲う。骨折したような脱力感の伴う痛みが、俺をまるで糸の切れた人形のようにさせていた。



「ーーーオオオオォォォッ!!」



「ッ……!」


 直後に聞こえた声から逃げるように歯を食いしばり、重い体を引き摺って段差の影に身を落とす。耳を澄ませば、俺の荒い息遣いの中に木々が倒れる音が聞こえる。


「ッ……なんて奴」


 動きを制限する木を、避けるのではなく倒して進んでいる。気づかなかったが、奴が走ると軽い地震が起きる。大型トラックが足踏みしているみたいだ。

 見た目熊っぽいが、熊どころではない力ではないか。体重もヘタすると像並みかもしれない。


 呼吸が不規則で収まらない。ようやく足を止めたから、もしくは今知った奴の剛力に震えているのかもしれない。


「っ…はぁ……はぁ…」


 ……制服はもう駄目か。袖や裾を引っ張ると、泥色の液体が垂れてくる。現実逃避かもしれないが、一着しかない制服を汚すのは誰だって嫌だろう。命には変えられないけどな。

 制服の泥を落としながら、《グロック》の残弾を確認する。弾も決して無限にある訳ではない。補充出来る保証もない。

 時間もあまり残されていない。今、何とかこの場を切り抜ける突破口を見つけ出す。

 


 ーーーしかし、果たして今の装備で打倒する可能性があるのか。


 足こそ劣るが、木を容易に押し倒すその力は熊以上。ここの木々が元の世界の倍近くあるだけに、その力は一目瞭然だ。力勝負などもってのほかだろう。


 ーーーでは、気が収まるまで何処かに身を潜めるか?


 身を潜めながら、目の前の景色をぐるりと見渡す。

 川が近くにあり、付近は薄い芝生になっている。木が一本も生えていない開けた場所だ。俺が今いる場所も木が疎らに生えているだけで、とてもじゃないが身を隠す場所なんて無い。

 走ろうにも、俺の体は限界だ。筋肉痛とかそういうレベルじゃなく、完全にガス欠。

 もしこの場で奴と追いかけっこ(、、、、、、)をすれば、川に辿り着く前に追いつかれるかもしれない。


「ーーーくそっ……」


 ーーー選択肢が無さすぎる……。

 段差に落ちた時にすぐ川へ飛び込んでいれば……そう思わずにいられない。


 逃げの可能性が悉く潰される以上、真っ向から立ち向かうしかないではないか。

 しかし、頭部は全く効かず、あの筋力では銃弾が体の中で止まってしまう。心臓で止まれば効果的かもしれないが、手持ちの銃ではそれも望めない。


「グオオオオォォォンッ!!」


 今も咆哮に混ざって、八つ当たり気味に辺りの木々を倒す音が聞こえる。

 何故そこまで気を立てるのか。それがそもそも理解できない。奴にとって俺は、取るに足らない小物でしか無い筈なのに。




「…………」




 そうだ……。


 何故、俺があんな理不尽な目に遭わなければならない?

 奴が気を立てる原因は、明らかに俺ではないだろう?

 何がそこまで追い立てる。




「…………」


 奴と遭遇した時を思い出す。

 口から除く鋸の歯、殺意に濁る赤い視線。圧倒的膂力による理不尽。

 普段ならば恐れたろうが、気が立っている(、、、、、、、)今の俺(、、、)ならば、むしろ冷静かつ克明に思い出せた。


「……待てよ?」


 木を倒す音は、既に大分近い距離まで近づいてきている。が、今の俺はそれどころではない。

 今は忙しいのだから、邪魔をするな。



「……目?」



 目か……。

 確か、目も急所の一部だったな。脳に繋がっているので、そのまま突き抜けば即死するとも聞く。


 そして、目だけは筋肉も(、、、)付きようが(、、、、、)無い(、、)……。


「…………」


 可能性は、ある。

 銃ならばむしろ好都合だ。そこに至るまでの危険が近接戦よりもずっと少ないだろう。



 ーーーしかし、外せば終わりだ。



「っ……」


 だが、たった一歩でゴールへ至れるというのに、その道を躊躇う自分も存在する。

 経過で見過ごしにしてきた危険が、失敗すれば一気に降りかかる。


 成功を得れば生き残る。

 そして、失敗とは即ち、死だ。これまでの抵抗虚しく、あの鹿もどき(、、、)のようになるだろう。

 明確に分かたれた、やり直しの効かない選択。


「オオオオォォォン!!」

「っ……」


 更に近づいてくる咆哮。同時に聞こえる木の破砕音が、俺の命のカウントダウンだ。


「くっ……!!」


 噛み締めた歯を剥き出しに、銃を握り直す。

 歯軋りを一つ立てて、それを己の鼓舞とした。


 ここが生死の分かれ目。俺にとっての境界線(、、、)


 追いつかれれば死ぬ。ならば、何を迷う必要があるだろうか。一度()ってしまえば、それ以降は(、、、、、)何も無い(、、、、)



 ーーー殺される前に……



「ーーー殺せ……!!」



 そうして、俺は背にしていた木の根を蹴り上げた。

比較対象が大きいのをいいことに、ちゃっかり自分を一般人扱いする飛鳥くん。だから銃持ち歩く時点でおかしいと(ry

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