7-5 ギルド
◇◆◇◆◇
慌ただしいギルドの一角を支配して、飛鳥は手元の絵を見つめていた。
「これがシーオス、ねぇ」
人の足ほどに細い二本足に、さながら不必要で退化したような小さな手、裂けた口から覗く牙は忠実に鋭利さを表していた。
酷く見覚えのある体躯。太古に跋扈していたかのような姿は、飛鳥も既視感を覚える。
「……まんま恐竜じゃねぇか」
デッサンとも言えるシーオスの姿は、飛鳥の太古の時代にその辺を歩いていた恐竜そのものだった。
恐竜ーーー正確に言うならばラプトルの類だろうか。
「いかにも一狩り行きそうな見た目だな……」
「何言ってるかさっぱりだけど、とりあえずこんなところよ。特別注意すべきなのは容易く骨を噛み砕く牙」
「毒とか無いのはロマンがねぇなぁ……」
「無い方がいいに決まってるじゃない」
馬鹿じゃないの? と続きそうな冷めた視線に肩を竦める。同じ世界の同年代ならば同意も得られそうだが、やはり男女の価値観が違うのだろう。
しかし、ロマンの有無は関係なく、件の恐竜モドキなる魔物が眼前まで迫ってきている。
「それで? 何か対策の一つでも思いついたの?」
「……んにゃ、全然」
最終的には、そこに帰結するのである。飛鳥の苦々しい表情に、サラサも同様の顔を作って吐息が漏れる。
飛鳥達の今の状況は、決して芳しいとは言えない。
こちら目掛けて攻め入るは、およそ不特定多数の魔物。それも集団戦に長けた、という触れ込みだ。
対してこちらの戦力として数えることができるのは、飛鳥とサラサの二人のみ。その他戦力は飛鳥の足下で寝ているか、今頃遥か遠くだろう。
「単純に戦力不足なんだよな。群れ相手に二人で特攻したら、ただリンチされて終わりだろ」
「どこかの誰かが追い出しちゃったからね」
挟まれた言葉は茶々ではなく、本気で非難をしている声音だった。
それを飛鳥は太々しく無視し、
「籠城するにも相手が魔物畜生だからなぁ……。目的が見えないだけにそのまま無視される可能性がある」
元々砂漠から渡り歩く種ではないだけに、このアブノーマルな状況は少し不気味だった。
頭に浮かぶ幾つものたらればが否定できずに不安を残していく。
何もせず通り過ぎる、進路が突然変わる、あるいはこの町に到着後に自分達を全滅しにかかるかもしれない。
飛鳥は近辺を忠実に書き記した地図を睨みながら、妙案浮かばずに四苦八苦していた。
「……この林を抜けた先の草原。ある程度ここから離れていて、周りに何も無いのは奴らを迎えるのにはうってつけだろ」
「……けど」
「そこで最初の話題に戻るんだよなぁ……」
凝り固まった筋肉を伸ばすように身じろぐ飛鳥。手詰まりの中、張っている緊張の糸に疲労が蓄積していく。
飛鳥の指す草原は、ギルドより東に50メートル以上離れた場所に広がる。柔らかい質の草の海が僅かに流れる冷んやりとした海風で波を作る。湿気を伴う風は砂漠にはない環境の筈だが、シーオスの突然の大移動でその変化の影響は無いのだろうか。
戦の舞台としては上々と言った場所だが……味方陣営の人員不足に悩む飛鳥の懸念はここだった。
広いスペースでの集団戦闘とは、『数取り合戦』だと飛鳥は考えている。
進行、陣形、どれを取っても空間を使うことに他ならない。そしてそれは味方の絶対数が高ければ高いほど効率的に運ぶことができる。
やりようによっては個が軍を崩すこともあり得るが、それが可能な技術や力量など、飛鳥は持ち得てはいない。無論、本人もそこまで自惚れてはいないつもりだが。
「……考えれば考えるほどどツボだな。
この際、都合良く誰か魔法使いでも来てくれりゃ良いんだが……」
どんな系統であれ、今魔術師の参上は非常に助かる。それだけに、叶わずと分かっていても独白せずにはいられなかった。
さしものサラサも「流石にそれは……」と口ごもる。
……しかし、運命とは奇異なものでーーー
「ーーー待たせたな!!」
軋み音を立て、そろそろ本気で壊れそうな扉が開かれた。
漏れた陽射しを背に浴びながら、甘い青年の声が颯爽とギルドに響く。
まるで待っていたように風が駆け抜け、青みを帯びたローブと美しい金髪が靡いた。
風で舞い上がる髪を尚掻き上げ、微笑を浮かべる美青年がポーズを決めて高らかに叫んだ。
「アレックス=キルシュシュタイン、召集に応じ参上した!! 我が魔術の真髄、存分に利用してくれたまえ!!」
ーーーあぁ、こいつ馬鹿だな。
なんとなく、脈絡もなしにそう予感した飛鳥だが、そう間違いでもないと何故か確信していた。威勢ばかりが先回りしているようで、サラサも飛鳥の横で不審の念を抱いている。
一方、脳内で鳥頭と称された青年は名乗りの余韻に浸り、自身の世界に溶けていた。無駄にキラキラと輝いている分、眉目秀麗な顔がより一層輝いている気がする。
突然の登場に一同呆気にとられる中、我に帰った職員の人が慌てて歩み寄る。
「えーと、キルシュシュタインさん? はこちらの召集に応じて……?」
「無論だ! この僕が来たからにはーーーぉわッ!?」
纏ったローブを翻し、摺り足のように早足で足を運ぶ。故に足元が疎かだったのか、僅かな出っ張りに足を引っ掛けた。
僅かに体が浮遊し、慣性に従って上半身が前へ行き、頭部が放物線を描いて落ちていく。ビタン、と痛々しい音を立てて床と熱い接吻を交わした。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あ、あぁ、問題ない。
それよりも、僕の他に来ている冒険者諸君は何処に……?」
問題ないと言うも非常に辛そうな表情を作る青年に、職員は手振りで飛鳥達を示す。
一部始終を見ていた飛鳥達の許へ、まるで餌を与えられた子犬のような笑顔で歩み寄る。
「改めて、よろしく頼む」
痛々しく鼻を赤くさせながらも、それを感じさせない微笑を浮かべるアレックスに、飛鳥達は一抹の不安が過った。
◇◆◇◆◇
「んじゃま、改めて自己紹介といこうか」
と言っても、特別言うことなど何も無いが。
「異世界から来た」なんて自己紹介で言う電波には会ったことないし、それはこいつだって同じだろう。
「飛鳥、人探し中のしがない流浪人」
「サラサよ。あなたと同じく冒険者。グレードは『銀狼』」
「改めて、アレックス=キルシュシュタイン。グレードは『銅獅子』の冒険者だ。
……同業だったのか。よろしくお願いするよ、ミス・サラサ」
造形美とも言うべき貴族のような整った顔立ちである。ウィンクをしながらサラサに手を差し出す仕草も似合っていた。
が、先ほどの転倒の諸々があって今ひとつ格好がつかない。サラサ「今更カッコつけられても……」という微妙な表情で応じていた。
しかし、何だクラスっていうのは?
どうじし、だのとかぎんろう、だのという初耳な単語が飛び交う。
「そのグレードっていうのは……あーなんだ、冒険者の格みたいなもんか?」
「そんな感じ。彼のグレードは私のグレードの一個下よ」
「悔しいが、大抵の冒険者は銅獅子止りでね。銀狼まで上がった冒険者は最早ベテランの域なんだ。
ミス・サラサは僕とそう変わらない年齢の筈だが……僕も修行が足りないな」
「これでも剣も魔術もそれなりに齧ってきたからね。毎日必死にやってきたつもりよ。
……それでも、金烏になれる可能性はもうほぼ皆無なのよね」
惜しみない賞賛を受けたサラサは、喜ぶどころか肩を竦め、ある種諦観に似た苦笑を浮かべた。
どうじし、ぎんろうーーーきんう……なるほど、金烏か。
そうくるとどうじしは銅獅子、ぎんろうは銀狼、とくる訳か。
なるほど、中々洒落たことをする。
「金烏になれる奴は少ないのか?」
「少ないどころか、何十年に片手で足りる位しか現れない逸材揃いよ。
金烏になれるってだけでとんでもないのに、更にその上に二つもグレードがあるってんだから、労働意欲が下がるわ」
「仕方ないさ。龍王や神威は国や世界が傾くだけの有事の際にしか動かないと言われているからね。
彼らが参上するだけの事態となると……それこそ魔人や魔王の出現位のものだろう」
なるほど、金烏と銀狼の間には越えられない壁があるのか。
……しかし、りゅうおうやかむいは何となく冒険者のクラスとして理解できるが、まじんとまおうってのはそれとは別らしいな。
まじん、まおう……額面通りに受け取るならば『魔王』とその配下達『魔人』か。流れ的に確認するのが憚られるが、恐らく間違いは無いだろう。
魔王か……まるでお伽話のような存在だな。やはりこの世界にも存在するのだろうか。
ーーー物騒だな。
「……と、自己紹介だけでどんだけ時間使ってんだ」
話が脱線するどころか、まだ始まってすらいなかった。
「んじゃ、作戦会議といくか。
……あぁ、その前にアレックスは魔術師でいいのか?」
あんだけ声高々にして叫んでいたからな。
見たところ帯剣した様子もないし。
「あぁ。僕の魔術の真髄、存分に発揮してやろう」
「へぇ……因みにどんなの?」
不適に笑って自信ありな様子に、得意な魔術を聞いてみる。見たところ生粋の魔術師のようだし、遊撃に回ってもらうと非常に助かる人材だ。
ーーーしかし、俺が聞きたかったのは得意な魔術なのに、何故か奴は神妙な口調で語り始めた。
「ーーー僕の神秘は影の如く隠密で、時に滂沱の如く激しい二面性を持っている。
敵はただ道を歩いているだけのつもりだろうが……それは僕の魔術の術中に嵌められているに過ぎないーーー」
「…………」
つまり?
「つまり、何だ?」
「僕の得意とする神秘は古代魔術、ストックマジック! 網にかかりし哀れな仔羊を華麗に鮮やかに追い詰めーーー」
「罠じゃない」
一言一言ポージングを決めるアレックスに見兼ねたサラサが、呆れた表情でそう断じた。
「あらかじめ術者が作成しておいた陣を設置して発動する魔術。一回限りで効果が切れるし、需要もそんな無いからって人気の無いマイナーどころよ」
「なっ……古代魔術の応用たる神秘を侮辱するかミス・サラサ!」
「応用どころか、中途半端な恩恵しか得られてないけどね」
そうして、意味深な視線を俺の足と左手に向けてくる。そういえば、俺の靴とグローブはその古代魔術だったっけか。
………しかし、トラップと来たか。
どうせなら自然破壊なんて出来そうな豪快な魔術が良いが、無いよりは……というか是非必要だ。特に今回みたいな状況じゃむしろこちらの方がありがたいかもしれない。
サラサは気づいてないんだろうが、罠はあるのと無いのじゃ兵法に大きく影響が出てくるのだ。
「…………」
口論を続けている二人を尻目に、机上に広げられた地図を見る。今の戦力で立て得る作戦を思いつきでなるだけ考えて、地理に当てはめる。
………いけるか。
「……おいお二人さん、ケンカしてねぇで聞いてくれ」
止まない口論に見兼ね、声を掛ける。
不承不承と口を閉ざす二人に思いついた作戦を明かしながら、人知れず笑みを浮かべた。