3 兇獣
遅れましてすみません……
◇◆◇◆◇
ーーーセントルブラを、空前絶後の戦火が包んだ。
聖勇暦1978年、魔と人の踊る『人魔戦争』は最終幕まで向かっていた。
花の都と呼び声が高いセントルブラの王都は、最早陥落寸前と言っても過言ではない。各国損耗激しく、『人』側の最終砦と言ってもいいセントルブラは、かつての栄華は見る影もなかった。
続く爆発と悲鳴と風切り音が絶え間無く、水の跳ねた音が嫌に辺りを支配して止まらない。
倒れ行く兵士達は捨て置かれ、閃光と高熱に晒し続け、路面に張り付いて嫌な臭いを出し続けるだけ。
凶相を浮かべる全員、残らず精神の箍が外れている。
土台戦争、狂わなければ生きてなどいられない。
限界など、とうの昔に超えている。顎は尋常じゃなく震え、自ら外す一歩手前まできているし、目は塵と熱と流れる涙で霞む一方だ。
ーーー目も眩むよう閃光が、紅蓮の空に瞬いた。
「ーーーぁァアッ!!」
次いで響く轟音と、遅れて吹いてくる爆風に吹かれる。
今の爆発でまた新たに数人、周囲に死体が積まれていく。少なくとも、辛うじて原型を留めて逝った兵士がいることは視界の端から理解できた。
「ーーーちッ……クソッタレがァ!!」
懐に伸ばした手が、拳大の何かを手に取った。
見た目手榴弾のソレは、言うなれば魔術的手榴弾。
「死ねェ!!」
最早正確に言えたかも分からない罵声と共に、前方へ投げ捨てた。
ピンが外れ、中の液体は空気に触れて四散する。
瞬間、小さな個体からは想像もつかない、鼓膜を破る破裂音を響かせた。
落雷。
いや、放電と言うべきか。青く澄んだ液体が空気に晒され、瞬いた刹那、半径三メートル程を雷電で包み込んだ。
街道が割れ、側にあった鉄製の壁もひしゃげていく。
人間ならば即死だが、しかし敵からすれば取るに足らない玩具であり、蚊に刺された程度の威力でしかない。
それを理解しながら男は舌打ちし、手にした剣で追撃に掛かる。援護に回る為、背後の数人がそれに続いた。
それは、ほんの些細な抵抗でしかない。
燃えゆく街並みと、原型など想像もできない程に大破した王都、秒間もなく連続して死んでいく兵士達。こうして駆け出している今も、どこか別の場所では兵士が死んでいく。
「クソ、化け物がッ……!!」
敵はたかが数人だというのに、万を越える兵士達の数が止まることなく減っていく。まるで兵士全員切り立った崖へ突撃していったかのようで、絶対値の減少は天井知らずだ。
攻撃三倍の法則という言葉がある。しかし、大局的な勝敗は向こうへ天秤が傾いて揺るがない。
「ッーーー突撃ぃ!!」
剣を握り、爆炎のトンネルをひたすら駆け抜ける。裂傷を負ったジャケットから覗く肌を焦がしていくが、脳から大量分泌されたアドレナリンが触覚へ届く邪魔をした。
ーーー確定した敗北に逃れられない死。
きっと何処か別の場所でも同じような悪夢が起きているのだろう。
逃走も勝利も得られず、どうしたところでこの場の全員敗北者の烙印が押されることは決定している。
「人間舐めるんじゃねぇえーーーッ!!」
脚は攣りかけ、何度も縺れた。指先さえ感触は無く、全身の激痛で今にも悶えそうだ。
しかし、それでも、止まらない。
止まれない。
戦え。戦え。戦え。
この、クソったれな戦争を終えるまで。
「ッーーー!!」
積み上がる死屍累々。爆炎のトンネル、その先を拝むことなく散っていく者がいる。しかし振り返り、止まることを赦されない。
そして爆炎の先、爆風に身を焦がしながら突き進み、抜けようとしていた。
出口を、剥き出しの街道を視界に収めたーーー
その時、
「ーーーnamaHsamanta vajraaNaaM haaM」
躱すことなど、剣を振り上げた彼には不可能だった。
先の爆風、爆炎などまるで問題にならないレベルの温度。
まるで地獄から直接持ってきた業火のようで、防具を纏った体がチョコレートのように溶けていく。
「ーーーーー」
あり得ない。
これほどまでの高熱、保持は言うまでもなく即興の魔法ではまず不可能だ。
人間業じゃない。
この熱の主は、一体人間なのだろうかーーー?
疑問を浮かべる暇もなく、その場にいた全員、不可視の大焦熱地獄に消えた。
◇◆◇◆◇
「ーーーはははは、あーははハハハハハハハッ!!」
そして同時刻。
血の池を作った凄惨のレグリッチ広場。王都の中心に座す大時計は見るも無惨な姿で陥落していた。
その瓦礫の上で、男が一人狂笑を上げていた。色の抜け落ちた白髪を振り乱し、真紅の瞳を愉悦に染めていた。
「足りねぇ足りねェ足りねぇェ!!
まだまだ、全然、食い足りねェぞォォ……ッ!!」
腹の底から爆笑したい。
念願を叶え、尚もそれを求めるように叫び、狂い笑う。
……よく見れば男の服も手も血で染まり、叫ぶ口からは唾液の代わりに血液が飛んでいた。
そしてその血の持ち主は、彼の周りで部品に別れて転がっていた。
腕や脚、また肩から膝にかけてのみを削られた死体。中には首から上を残して他を失くした者もいる。
山のように積まれた死体の上で男は一人、腰を掛けて笑っていた。
ーーー物言わぬ彼らが最期に浮かべている表情は、ただ恐怖。
得体の知れない、手に負えない、なす術なく蹂躙されていく者の断末魔の名残。
「ハハハ、ハーハハハハハハハハーーーッ!!」
狂笑が収まらない。
いや、抑える気がないのか。
ただ腹を抱えて爆笑し、気が収まるまで狂いたい。
その姿を目前にした者は、皆例外無く恐怖を禁じ得ない。
笑みの形で裂けた口やアルビノの特徴から、彼らは男の面影に鬼が見えた。
「ーーー化け物……」
化け物。
実に的を射た表現である。
数百の魔法と剣戟を傷一つなく受けた存在を、果たして人間と呼べるだろうか。
たかが他人の指の擦りで人は死なない。
高温の炎で人は原形を保てない。
深海数万メートル相当の高水圧の中、全身濡れただけなどあり得ないだろう。
徹頭徹尾人外の所業。
言うまでもなく、化け物である。
呟く指揮官の声も、既に恐怖に打たれて震えている。
「放てぇーーー!!」
冷静とはかけ離れた、己の視界から一刻も早く消し去りたいという恐怖からの指示。彼の掛け声に、駆けつけた兵士達が構築した魔法を行使する。
「ーーー『契約に従い 我が元へ来たれ風刃の抱擁 怨なる敵を微塵に刻み 忘却の彼方まで流し消しされ』」
使われたのは四大元素で最も殺傷力の高い風の切断系。加減の無い、魔力を枯渇寸前まで使った全身全霊。
中級切断魔法『旋風刃』が、アルビノの男へと津波の如く殺到した。
「ーーーあァ?」
塵を巻き上げ、火災旋風を起こす中、聞こえてきた訝り声。まさに、お楽しみの邪魔をされた肉食動物のそれだった。
腹の底から湧いたような憎悪を含んだそれが、先ほどまで狂喜していたと誰が気づくだろうか。
砂塵を舞う中、男の赤い瞳が怪しく光る。
「ーーーCibi condimentum《食物の》 fames est. Fames est optimus coquus.」
その言語の意味は分からず、正確に聞き取れたのかすらも不明瞭だ。
だがそれだけに、一つだけ分かるものがある。他が全て分からないだけに、たった一つの事実が浮き彫りになったのだ。
ーーーこれは違う。
祝詞という詩がある。神を祭り、また神に祈りを捧げる詩。
俗物交じりが多数だが、これは本物に足る格を持っていた。
しかし、果たしてこれが祝詞と称されるならば、その神とは得てして邪神の類だろう。
そして祈りに宿るのは慈愛でも何でもなく、およそ常人が持ち得る悪意を遥かに凌駕した魔の混沌。
膨大な悪意をもって謳われた不明言語を耳にして間も無く、彼は不思議な感覚を覚えた。
まるで空に浮いているかのような浮遊感。崖から体を投げ、そのまま宙に浮いているかのような……。
「ーーーーー」
視線を降ろす。何てことのない、ただの確認のつもりで。
ーーー足が見えた。
戦争直前に支給された軍服が血と煤で汚れている自分の足。
「…………」
見紛うことなく自分の足だ。これまで人生生きてきて、片時も離れない自分の足。
………筈、なのだが。
何故俺の足はーーー俺から離れているのだろう。
「ーーーーー」
あ。
と、口の形を変えた……筈である。元々、そう声を漏らす筈だったのだから。
……しかし、声も出したつもりだったが、声も呼気も出た気配がない。
それも当然だろう。
胴が無いのだから、息を吐く肺も消えているーーー
「ーーーーー……」
視線が落ちていく。しかし理解が追いつかない。刹那が無限に引き伸ばされたように、あまりにも自身の感覚が遅かった。
「ーーー…ーーー……」
胴がない。喉がない。まるで顔だけ残して食い破られたように上半身が空虚だった。
「ーーーーー」
視線が下を向いたまま、目蓋が閉じていく。ここに来て、ようやく彼は自身の結末を悟った。
線のように細まった視界が捉える。足元には、少しずつ血の池が出来ていた。
恐らく他の兵士も似たような結末を迎えているのだろう。理解及ばず、気づけばこうして食い千切られて……。
痛みもなく閉じていく視界の中、あっさりと繋がっていた意識が切れた。
苛立って舌を打ち、アルビノの男は徐に足元を蹴った。
赤い液体を飛ばしながら飛んでいくそれは、首の切り口から血を流し続ける兵士の顔。遠くでグチャリと嫌な音を聞きながら、彼はゆっくりと腰を上げた。
◇◆◇◆◇
炎上する大聖堂。
陥落する王城。
死にゆく兵士達。
圧倒的力の前に善戦するも、枯葉を飛ばすように呆気なかった王国の終焉。
「………」
彼方此方で爆発と阿鼻叫喚が起きる中、激動のドラマを俯瞰する影がそこにあった。
跳ね馬のような薄茶の長髪と顎に微かな髭を伸ばし、およそ戦場とは似つかわしくない凛々しい顔立ちをした壮年の男。
亡霊のような存在だ。そこにいるのに、気配が無い。
長身のそれは微動だにせず、屹立したまま。
表情は薄いどころか、無いに等しい。眼下の凄惨な光景を目にしても、微塵も表情筋が動かない。
「ーーー脆いな」
そして、背後に立つ誰かの声。
いつからそこにいたのだろうか。男とそう大差のない背の女が、音もなく背後に現れた。
「反吐が出る。所詮は蛮族、劣等の集まりか……」
見たことの無い服装をしている。煌びやかな布と布を掛け合わせたような。多分に余らせた袖が爆風の名残に揺れている。
色白の肌に、漆を塗ったような艶やかな黒髪を一本に括っている。
手には紫煙を履き続ける煙管が一本。
「ーーーしかし、貴様がこの場にいるのは意外だな」
言って、怜悧な美貌を持った顔が皮肉げに笑った。
そこに嘲りは無く、彼女はただ事実を口にしている。
「魔族にとって、人間とは怨敵。等しく滅殺対象だというのが私の見解だったのだが。
……貴様も、殺意が無いと言う訳ではあるまい?」
「………」
女の視線に、男が初めて視線を合わせた。
その視線は、生気が少ないどころか死んでいる。まるで既に終わりを迎えた騎士のような違和感があった。
「ーーー乱痴気騒ぎに興味は無い」
「ふん、だろうな。英雄殿がそう言うのならばそなのであろうよ。
……しかし、かと言って不動は不忠にならぬとは限らぬことを頭に置いておけ」
火災に舞う塵を払うように、女は袖を翻した。
「既に王都陥落は完了した。これを狼煙として、我が君への忠義を果たすとしよう」
紫煙を燻らせ、異国の衣が優雅に舞った。
「首領代行殿より召集命令だ。あの頭の湧いた連中と、今後の方針なんぞを決めたいんだろうよ。
ーーー貴様も来い。既に他の者も集まっている。後は貴様だけだ」
言うだけ言い、背を向ける。男に有無を言わさぬ態度は傲岸そのものだが、男は何も言わずに見送った。
「………」
男の視線が、再び眼下へ。
そこはもう誰もおらず、何もかも崩れ去った王国の亡骸だけ。
「……くだらん」
自然と口に出た言葉は、薄く、しかし確かな嘲りを含んでいた。
◇◆◇◆◇
……寒い。
「……ぅ」
下半身は浮遊感を、上半身は地面の感触を得ている奇妙な感覚。
そして何よりも、身震いするような寒さで俺の意識は覚醒した。
「ッ……っ、つぅ」
薄目を開いた途端、流れ込んでくる日光に思わず瞬きする。
覚醒した俺は、気づけば下半身を川に突っ込んだまま、川辺に突っ伏しているような姿勢だった。
……寒気と下半身の浮遊感はこれだったのか。確かに、ずっと水に漬けていれば体温が下がるか。
足を川から引き上げる。起き上がる際に、脇腹の辺りに痛みが伴った。
先ほどまで温暖に感じていた風でも、水浸しだと少し寒い。
……そういえば、あの熊はどうなっただろうか?
少なくとも、きっちり奴の目を狙ったのは確かだ。
生きているのか、死んでいるのか……。
……まぁ、俺が五体満足で生きているのだからこの際どうでもいいが、正直二度と会いたくない。
そして、あんなのがそこら中にいるのかと思うと……ゾッとする。
「………」
ふと思い至り、腰の辺りを触ってみる。そこに取り付けられたホルスターには、何も入っていなかった。
……考えてみたら当然だ。
そこに仕舞う暇もなく、川を流れていたのだから、きっと気絶している最中に手放してしまったんだろう。
「………」
別段、思い入れがあるというわけでもない。道具なんて物は所詮、消耗品な訳だし、家にあった内の一丁を持っていただけだ。
……しかし、だとすると少し参ったな。
武器が無い。そしてこの森はまるで映画みたいな奇怪な獣が出てくる可能性がある。
……できることなら、どこかに身を隠したい。
どうするか、と考えて、俺はここへ川を流れてきたのだと思い出す。
川が流れるのは上流から下流にかけて。
それがまだ続いているってことは、ここはまだ中流の辺りの筈だ。
「……行ってみるか」
ほんの些細な興味。今の状況から言えば悪手なんだろうが、好奇心には逆らえない。
よっこらせ、と立ち上がろうとして……
「ッ……!?」
腹に鈍い痛みを感じ、思わずその場で倒れこんだ。
「づ、ぅ……」
抑えた手に力を入れれば、それさえも体に痛みを与える。
何もしなければ平気なんだが、腹筋を使うと相当痛い。
……もしかしたら、あの熊もどきと激突したのかもしれない。
そうじゃないと、気づいたら川に身を投げていたなんて説明が付かないからな。
俺は川遊びが趣味でも自殺志願者でもない。
「ーーーッ」
とはいえ、このままここに留まってばかりというのも良くは無い。
もうこの場において、心が安らぐ場所はないと言っても過言では無いのだから。
……まったく、とんでもない所に飛ばされたな。
◇◆◇◆◇
……足を引きずりながら歩いて、三十分近くは経っただろうか。
目の前に広がるのは、荒い地面に岩肌を覗かせた洞窟。中から僅かに吹いてくる風が、低音で微かな湿り気を帯びている。
「おぉ……」
ただ感嘆の声しか出ない。
この洞窟は完全な天然物だ。元の世界で、修学旅行やらで行くような人の手が加えられた奴じゃない。
「………」
入り口から除く暗がりに好奇心に駆られ、そのまま歩を進める。
誰だって、見たことのない場所に来たら探索したくなるだろ?
そうして近づいていくと、意外と中は視界が効くことが分かった。
入口に立っただけで、風が冷たい。天井がやや青く光っているのは、川の水面が光を反射しているからだろうか。
「おぉー……」
……いかんな、ワクワクする。
森では危険な橋を渡っただけに感じることは無かったが、この洞窟は俺の冒険心を擽った。
……生物の気配は無いが、それは森でもそうだったな。
この世界の生物は気配を消すのが上手いのか……?
まぁ、見たところ大きな川でもなく、魚が住んでいる様子でも無い。気になるといえば足場と寒さだが、そんなものは冒険には付き物だ。
近場の岩を手で軽く握りながら、俺は洞窟へと足を踏み入れた。
……中は思ったよりも整っているな。
てっきりもっと岩肌が厳しくて歩きづらいかと思っていたが、思いの外平坦な場所が多い。
奥へ進むに連れて、水の反響音が目立ってくる。時折肌を刺す冷風が鳥肌を誘うが、立ち止まって肌を擦り合わせる程じゃない。
そうして、尖った岩が多くなってきた頃。
もう夜のように暗い洞窟内で、それを見た。
「…………お?」
……川が途中で途切れている。
一体どんな構造をしているのか。全てを把握は出来ないが、川の流れていた場所が、途中から道のようになっていることは分かった。
「………」
そこからは岩場というよりも砂場のようで、これまでより歩きやすそうではある。
所々石が転がっているが、躓く程じゃない。
……何だか、流石に少し不気味になってきたな。
暗がりが怖いとか、そういう訳じゃないが、そろそろ引き返すことも視野に入れる必要があるな。
奥の方まで行って閉じ込められた、なんて洒落にならん。
……まぁ行くんだけどな。
ここまで来て最後を確認しないのはバカだろう。
折角歩き易くなったのだ。行かなければ損である。
最後の岩垣を飛び越え、砂の道へ足を踏み入れた。
……思ったよりも砂が多いな。それに足が沈んで靴に入る。少し鬱陶しいが、過敏になるほどじゃない。
気には止めず、俺はそのまま歩き出した。
◇◆◇◆◇
「………」
……どのくらい歩いただろうか。
靴の中に入った砂が流石に鬱陶しいと思い始めた頃。
ふと、手を付いている壁に目を向けて、違和感を覚えた。
妙に視界が明るくなったような……。
砂に埋まる石、それに擬態するように生えた出っ張り。手をついている壁は、窪みの一つ一つ確認出来る。
ここまで、鮮明に見えていただろうか?
「っ……」
顔を上げる。石や出っ張りで足を引っかけないようにしていた為、今までずっと下を向いていたのだ。
「……おぉ」
その先にあったのは、光。
暗闇に慣れた目には少し眩しい出口からの光だった。
やっと出口か……。
足の砂はいい加減しんどいし、壁についていて擦れた掌も赤くなっていて、少し心が折れたくらいだ。
「はぁ……」
出口に近づくにつれて、次第に音も聞こえてくる。
まるで水が勢いよく流れるような……。
そしてようやく、辿り着いた出口に立って……
「ーーーーー!!」
目の前に広がる景色に、絶句した。
まず目に入ったのは、緑。
遠くの崖の頂上や、地面一帯が深緑の大森林。
崖に囲まれたように、地面が緑に溢れているのが見えた。
しかしそれも、随分と遠い。手を伸ばしても届かない先でその大自然が広がっているのだ。
「っ……」
近くを見渡して、ようやく俺は今どこにいるのか気づく。
崖だ。
崖の中間から切り取ったような空間に、俺は呆然としている。
洞窟内で聞こえた音はこれだろう。丁度俺の下では、轟音を響かせて大量の水が滝の如く噴射していた。
「……すげぇ」
まさに、雄大の一言。他の表現が俺には一切思いつかない。
言葉のボキャブラリーなど不要だ。ただこの言葉だけがこの景色には相応しい。
「人間とは何てちっぽけなんだろう」と、景色を見た人間が言うことがテレビであった。
その頃は馬鹿にしていたが、今では全くもってその通りだったと思う。
自分の人生観がまるっきり変わってしまいそうだ。
それだけ、俺は目の前の景色に心打たれていた。
◇◆◇◆◇
「ーーーん?」
その景色を目を奪われ、飛鳥はただその景色を目に焼き付けている。
その中を、ふと不自然に影が動いた気がした。
今……何かが、飛んでいたようなーーー
「………」
これだけ開けた視界だ。生物が飛んでいればはっきりと分かる筈。が、それが思ったより小さかったのか、目を凝らしていたにも拘らず見逃してしまった。
「………?」
……そのことに、飛鳥は首を捻ろうとしてーーー
天に光る太陽の光を、大きな影が遮った。
「ッ……!?」
不意打ちだった。
自然によるものではなく、何かが通り過ぎたような突発的強風。
「ッ……!」
出口付近に溜まった砂が巻き上がる。視界が悪い中、何かが通り過ぎた先を見た。
鳥だ。
カラスをそのまま巨大化して派手にしたような、巨大な鳥。
「ッ……熊もどきの次は鳥もどきかよーーーッ!?」
慌てて洞窟内へ戻っていく飛鳥。
旋回して向かってくる巨大な鳥。完全にマークされている。
「ちぃ……ッ!!」
踏ん張りの効かない地面を何とか走るが、飛んでくる鳥の嘴はとても長かった。あの入り口から差し込めば、今いる場所でも届きそうだ。
そして旋回、飛行してきた鳥が、入り口からその凶器を伸ばしーーー
「ッーーーづぉォ……ッ!!」
僅かな抵抗として、砂まみれの地面ではなく壁を思いっきり蹴りつけた。
「おおぉォーーーッ!!」」
空中へ舞い、あわやという所で奴の啄みを回避する。仕留め損なった、と認識した奴はその場から飛び立って再び突撃せんと旋回した。
「………?」
しかし、飛鳥はこの一瞬のやり取りで感じ取った違和感に駆られていた。
視線が……鳥ではなく先ほど蹴った壁へ向く。先ほどまで飛鳥が手をついていた、何の変哲もないただの岩壁だ。
「……軽い」
蹴った手応えが非常に軽い。
まるで、家の壁を蹴ったような軽さだ。
「………?」
違和感が拭えない。
まるで、大自然の中に一つだけ人工物が混ざっているような……。
そしてその違和感の正体を教えてくれたのは、意外にも再び突撃してきた鳥だった。
「ーーーな……ッ!?」
嘴が僅かに掠る位置が、奴のしつこい追撃で揺れている。他はそうでもないのだが、そこだけ不自然に揺れているのだ。
「ーーーーー!!」
甲高い声を上げ、鳥が壁を離れた隙をついてそこへ走り寄る。
また、奴が来る。
そう思うと手が震えて、調べる手際が遅くなる。
押しても引いても、スライドさせようとしてもビクともしない。
この先に何かがあるのは分かっているのに。
「クソッ……!!」
そして、彼我の距離が大幅に縮まり、
「ーーーッ! この、野郎……!!」
焦りがピークに達した飛鳥は、半ば焼け糞でその壁を下から持ち上げた。
あっさりと壁が持ち上がり、その先の空間が姿を見せる。
「ーーーーー!!」
……なぜ気づかなかったのだろう。押してもダメ、引いてもダメ、横もダメだったのだから、上げてみれば良かったのだ。
まるでシャッター。不自然に揺れていたのも頷ける。
しかし、それに驚きを感じているほど、今の飛鳥に時間も余裕も無い。反射的に、その空間へ身を投じる。
「ーーーーー!!」
音を立てて閉まるシャッターと、外から聞こえてくる鳥の鳴き声。
飛鳥は息を押し殺し、気配を最大限に断った。
「ーーー…………」
「……行ったか?」
揺れが収まり、あの甲高い鳴き声が遠ざかる。
「…………はぁぁ」
完全に聞こえなくなった頃を見計らって、飛鳥はようやく脱力した。
「や、ヤバかった……」
下手をすると熊もどき以上に危ない橋を渡っているかもしれない。
爆発しそうなほど暴れる心臓を抑えながら、飛鳥は改めてその空間を見回した。
全体的に、赤で統一されていると言っていい部屋。
レンガ作りのような壁に赤い絨毯。装飾は基本赤でされているし、奥の方には暖炉のような物もある。
その他にも、飛鳥が元の世界で見たような物が幾つか見えた。
「……」
生活感の溢れた部屋である。
前の持ち主は杜撰な性格だったのか、床や唯一の長机には道具が放置されていた。
「…………」
……飛鳥は無言でふらりとベッドへ歩き、そのまま倒れ込んだ。少し埃があるが、フワリと気持ちのいい感触が帰ってくる。
「………」
それに惹かれて、飛鳥はゆっくりと目を閉じた。見知らぬ土地だとか、他人の物であるとか、今はどうでも良かった。
突然の異世界。
逸れた幼馴染。
そして、凶暴な猛獣達。
ここはどこで、一体何が起きているのか。
疑問は考えれば考える程湧いてきてキリがない。
ーーー今は眠ろう。
目覚めた時、また立ち上がれるように。
また、前を向けるように。
……温かい闇が微睡みを誘う。
この世界にきて、飛鳥は初めて穏やかな眠りについた。
スマホのメモ帳にはこれと同じ量の文があと三つほど入ってました……。
時間掛けすぎですね、すいません。
因みにサブタイの方に3しかついてないのは3章の終わりを意味しています。
次回からまた愛美視点に戻るけど気にしなくていいよ!!