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生きる意味とは何なのだろうか。自分が確かにここにいるという証はあるのか。証を見つけられない人間はどうなってしまうのだろう。これは「証」を失った青年と「証」を探し続けている少女の物語である。


 もしあと一本早い電車に乗れていれば、もし本屋に寄り道をしなければ、もし電気屋のテレビに映った野球を見ていなければ。

 そんな「もし」が大野優二の頭の中を駆け巡る。現在優二は肌寒い夜空の下、子供をお姫様抱っこして警察に追われているという奇妙な状態で走っていた。

(くそっ、なんでこんなことになってんだよ!?)

 優二は心の中で悪態をつきながら今から数時間前のことを思い出していた。


 午後九時頃優二は妹に頼まれた雑誌を買いに本屋に来ていた。

 今優二は工事のバイト(中卒でも採用してくれたものである。相当人手不足なのだろう)をしていて本来ならばまだ働いている時間なのだが、今日は順調に進んだため早くあがることが出来たのだ。

 とは言っても電車のダイヤルをいつも乗る時間帯しか覚えてなくて電車を逃してしまい、三十分弱後の電車に乗らなきゃいけなくなったわけだが。

 目的を果たし本屋を後にした、その帰り道で優二は出会ったのだ。

 その瞬間優二は思わず見とれてしまった。公園の蛍光灯に照らされて一人立ち尽くしている子供に。優二はまるでその公園だけ世界から取り残されたような錯覚を覚える。そう他人に感じさせるほどの寂しさがその子供から漂っていたのだ。

優二はつい声をかけていた。

「おい、子供がこんな時間になにしてんだ?」

優二はあまり年下の子供と接したことがないのでこんな風にぶっきらぼうになってしまうのだが、優二はこれで正解だと思ってしまっているのでどうしようもない。

 近づいてみるとわかったが子供の身なりはものすごくみすぼらしかった。着ている服は汚れに汚れてもはやただの布のようだ。ボサボサの長い髪にニット帽らしきものもかぶっている。いずれにしても何か事情がありそうである。

 するとその子は一瞬優二の方を向いたように見えたが周りをキョロキョロしただけだった。優二はもう一度話しかける。

「お前だよ。つーかお前しかいないだろ」

すると今度は子供は目をパチクリさせた。髪が長いので優二からはかろうじて見えただけだったが、それで子供が少女だということがわかる。

「……わたしなんかに話しかけるなんてビックリした」

「そうか俺もなんで話しかけたのかビックリしてるとこだよ。で、お前家は? 送ってってやるよ」

「ないよ、帰る家なんて」

「ふーん。じゃ、交番につれてってやるよ」

 優二は少女の言い方に若干腹を立てた。少女の言い方はただ事実を伝えただけ。悲しみや辛さなど一欠けらも見せずにただそう言った。苛立ちの原因はまるで自分を見ているようだったからだが優二は気づけない。

「……そこは普通聞いてごめん、とかご愁傷様です、とか言うところじゃないの?」

「だってさ、なんかそーゆーのイライラしない?お前なんかに言われんでもとっくにそんなこと受け入れてるっつーのみたいな」

「あなたも、いないの?」

 優二は単に認めたくないだけなのだ。家族を亡くした、という事実をまるで当たり前のことのように話せる人間を。

 だからかひとつ気になることがあった。まだ幼いのに、まだまだ未来も希望もあるのに。少女の目は真っ黒だった。何もかもに絶望しているかのような目だった。優二と同じ目をしていた。

「おい! 何をやってる!」

 突然の大声に振り向くとおまわりさんがすごい形相で近づいてきている。

 途端に優二の中のトラウマが蘇る。

 冷たい部屋、優しいフリをしている弁護士、同じことばかり繰り返し聞いてくる検察官……

 ゾッという擬音語が聞こえてくるほどの寒気を感じ、少女の手を引いて走り出す。

「あっ、待て!」

 当然おまわりさんも追いかける。夜九時に背の高い男が子供といれば怪しまれないわけがない。

 もちろんちゃんと事情を話せば少女をおまわりさんに引き渡してことは済んだのかもしれない。

 だが優二は反射に近い感じで走ってしまった。一度逃げ出してしまった以上おまわりさんからの印象は最悪だろう。

「ねぇ、速い……」

 手を引かれている少女が訴える。

 青年と少女、体力に大きな差があるに決まっている。

 しかし追いつかれるわけにもいかない。

 優二はバイトで鍛えた筋肉を総動員して少女をひょいっと持ち上げる。

 その結果少女をお姫様抱っこしながらおまわりさんと鬼ごっこという今の状態になってしまったのだ。

 優二は細かな道を右に左に曲がってなんとか自宅にたどり着いた。おまわりさんは家の少し前で振り切ったため、これ以上の心配はない。

 とりあえず家の中に入り、少女を降ろす。

「ごめんな、急に走ったりして」

「別にいいよ。わたし途中から抱っこされてたし」

 少女はサイズが全然あっていない靴を脱ぎながら言う。少女の足はものすごく細かった。

 実は優二がおまわりさんから逃げ切れた理由は優二が火事場のバカ力を使っていたこと以外にもうひとつある。

 少女がものすごく軽かったのだ。いくら背が小さいといっても二十数キログラム、下手をすれば二十キログラム以下しか重さを感じられなかったのだ。

 ここで優二は大切なことを思い出す。

「そういやお前、名前はなんていうんだ?」

「明石、」

 優二は名前を聞いて何かひっかかりを感じた。どこかで同じ名前を聞いたような気がしたのだ。

 「明石」という苗字はそんなに珍しくないのだが「瑞志」はそうはいないだろう。

 しかし頭の中はこれからどうするかということでいっぱいだったため、その違和感はすぐにかき消されてしまった。

「とりあえず何か食べるか? つってもカップ麺ぐらいしかないけどな」

「ありがと。あっ、でも家の人とか大丈夫なの?」

「あぁ、どうせ誰もいないしな。妹は友達の家に泊まりだし、俺が中学生のころ父親も母親も殺されちゃったからな。だから気にすんな」

「そっか。ありがと」

「普通ごめんなさい、とかないのか?」

「あなたが嫌だって言ったんだよ」

 少し皮肉を込めていったのだが即座に返されてしまった。

 優二はおもしろくないと思いつつカップ麺にお湯を注ぐ。

 両親の死は優二にとってはもう六年も前のことであり、悲しくはあってもとっくに受け入れている。

「お待たせ。熱いから気をつけろよ」

 かといって瑞志にきつくあたるなんてマネはしないが。

「ありがと」

 瑞志はそれだけ言うと少し遠慮がちに、しかしすごくおいしそうに食べ始めた。

 優二は瑞志が喜びそうな番組でもやってないかとテレビをつける。

 最初に映ったのはニュースだった。

 画面の中では男性アナウンサーが深刻そうな面持ちでニュースを告げていた。

 夜遅いからか物騒な内容で、通り魔の被害が増えている、というものだった。何人か死人も出ているそうで、警察は無差別殺人事件として捜査を進めているらしい。

 「殺人事件」というと優二は否が応でも六年前のことを思い出してしまう。

 

 優二がまだ中学二年生だったある日のことだった。

 休日友達と遊んで帰宅すると妹が血まみれで倒れていた。

 すぐに父親と母親を探したがどこにもおらず、パニックに陥りつつも優二は救急車を呼んだ。

 妹の香織は意識不明の重体だった。

 そして優二は被疑者として連れて行かれた。もちろん優二が犯人のわけがないのだが、よくわからないまま捕まってしまった。

 それからのことは優二はよくは覚えていない。ただ毎日尋問を繰り返され、心身共に疲弊していったことだけはなんとなく覚えてる。

 結局香織が目覚め、犯人が中年の痩身の男だったことが証言されてようやく解放された。しかし優二は「妹が起きた」ということにしか喜べなかった。もはや自分の不幸などどうでもよかったのだ。

 たった十日間のことだったが齢十四の少年にトラウマを与えて心を閉ざさせるには十分過ぎる時間だった。


 ふと横を見ると瑞志が気持ちよさそうに寝息を立てていた。もう少しで十時になるので当然と言えば当然だろう。

 瑞志をベッドまで運ぼうと立ち上がったときに鋭い痛みが優二の胸を襲った。優二は思わず片膝をついてしまう。

(やっぱり急に激しい運動をするのはだめだな)

 反省するが今更後の祭りである。

 息を整えようとするがうまくいかない。

 優二はそのまま倒れ、床で眠りに落ちていった……

「……さむっ」

 翌朝秋の肌寒い空気に優二は起こされた。胸の痛みはさすがに引いている。

 机を見ると瑞志はまだ寝ていた。

「おい、起きろ」

「ん……」

 ユサユサ揺さぶられて瑞志は起きる。

「さて、これからどうする?」

 そう優二が言おうとしたときだった。

「ただいま〜」

 香織が帰ってきてしまった。優二が慌てて時計を見るともう七時半だった。香織が帰ってくる前に瑞志をなんとかしようと優二は考えていたので焦ってしまう。

「瑞志、起きろ! 逃げるぞ」

「んー」

 優二はまだ寝ぼけている瑞志の手を引き急いで台所の窓を開ける。そして瑞志はわけもわからず抱きかかえられ外に出される。

「お兄ちゃん? ただいま〜?」

 香織がだんだん近づいてくるのがわかる。瑞志を外に出したため優二が香織に変な誤解をされることはない。しかし瑞志をどうにかしないといずれまた家の中に戻ってきてしまうだろう。そう考えた優二も窓から台所のスリッパを履いて逃げ出す。

「あれ? ここだと思ったんだけどな。あっ、電気点けっ放しにしてる! お兄ちゃん!」

 優二が窓を閉めてすぐに香織は台所に入ってきた。間一髪である。

 優二は一息ついてから横でまだ寝ぼけている瑞志に声をかける。

「ごめんな瑞志。ちょっといろいろ面倒だからさ」

「んー、おにいちゃん、お腹すいた」

 目をこすりながら瑞志は訴える。

 幸い昨日出かけたままの服装だったため財布にはいくらかお金がある。そして家には帰れない。さらに現在時刻七時四十三分である。行ける場所は限られている。

「瑞志、どっかに食べに行くか」

 優二は滅多に行かない外食をすることにした。


「ほら、瑞志の分。冷めないうちに食えよ」

「ありがと。……いただきます」

 優二と瑞志は朝の公園で先ほど買ったばかりのハンバーガーを朝食として食べていた。

 本当ならば優二は店内で食べたかったのだが瑞志のカッコウのせいか店にいる人全員に凝視されてしまい、仕方なくお持ち帰りにしたのだ。警察を呼ばれたら昨日の二の舞である。

 あつあつのハンバーガーをほおばりながら瑞志の身なりをそうにかしなければならないと優二は考える。

 家に帰ろうにも香織に事情を説明しなくてはならない。絶対に香織は優二のことを誤解してしまうだろう。兄妹として優二はそんな予感があった。

 瑞志は女の子だから男に頼るわけにもいかない。優二の頭の中には一人の幼馴染の女性のことを思い出す。

 登録数が少ない電話帳の中から「柚子葉」を探し電話をかける。

Prr……

『は、はいもしもし柚子葉ですっ!』

 わずかワンコールで柚子葉は電話に出た。

「あ、悪いな柚子葉。起こしちゃったか?」

『いやいやぜんぜん。気にしないで。……で、どうしたの』

 優二は久しぶりに柚子葉の声を聞くが柚子葉の優二に対する慌てっぷりは相変わらずだった。

「朝っぱらからで悪いんだけどさ、ちょっと頼みがあるんだよ」

『な、何かな!なんでも引き受けちゃうよ!』

「今子供を保護してるんだけどさ、ちょっと風呂場と服を貸してほしいんだ。俺今家に帰れなくてさ、それにこの子女の子だからお前にしか頼めないんだよ」

『お前にしか……いいよ!全然OKだよっ! 今すぐ、だよね。ちょっと待っててね』

「ねぇ優二」

 電話の途中にもかかわらず瑞志は優二の服を引っ張って優二を呼ぶ。

「あ?どうした瑞志」

『えっ?何?』

 柚子葉は優二の言葉が自分にかかったものだと勘違いしてしまう。

「あぁ、ごめん。じゃあ今からそっち行くな。ありがとう、柚子葉」

『全然構わないよ。じゃあね』

 電話を切り瑞志を一言叱ろうと振り返ってとき瑞志が不安そうな顔で優二に迫った。

「早くここから出よう」

 優二にはなぜ瑞志がそんな顔をするのか当然わからない。

「どうしたんだ急に」

「いいから行こう。……早くお風呂に入りたい」

「あーはいはい。こっちだぞ」

 優二は瑞志が思いついたようにそう言ったのが少し気になったが、瑞志があまりにも早く行きたがるので気にしないことにした。

 瑞志は一刻も早く公園を離れたかった。瑞志にはわかっていたから。「危険」が公園に近づいてくることが……


「相変わらずでかいよな〜」

 優二は目的地までたどり着いて思わず感想を漏らしてしまう。

 そこにははまるで学校の校舎のような大きさの家があった。いや、少し言いすぎかもしれないがおそらく初めてこの家を見るたいていの人間はそのくらいに感じるに違いない。

 柚子葉の父親はIT企業の社長でかなりの大金持ちである。

 優二も小さい頃数十万もお年玉を受け取りそうになり、優二の母が必死に断ったという記憶がある。それほどお金持ちなのだ。

「は、は〜い」

 優二がインターホンを押すと元気な声とともにドアが開けられて柚子葉が顔を出した。実は柚子葉は優二が来るのが待ち遠しくてドアの前で待機していたのだ。優二はそのことには気づいたが気にしないことにした。

「優二、その子がさっき言ってた子?」

「あぁ。悪いけどちょっと頼む」

「任せといて。すっごくかわいくするから!」

 両手を合わせ頼む優二に柚子葉は自信満々に胸をたたく。

 外は冷えるからという柚子葉の好意で優二も家にあがる。

 今まで電話やメールはしていたものの家に入るのは実に六年ぶり


である。優二にとっては感慨深いものがある。

 優二はあの事件があってから極力知り合いには会わないようにしていた。結果冤罪であったが、優二は一度凶悪殺人犯として捕まってしまった。それが当時の知り合いに恐怖を抱かせてしまい、一人を除いてみな優二に近寄らなくなってしまった。

 そのとき唯一優二の味方でいたのが幼馴染の柚子葉だ。柚子葉は毎日面会に来て励ましてくれさえもした、優二が香織以外に心を許した唯一の人間である。

 そんなことを考えながら優二が待つこと約一時間。柚子葉に連れられた瑞志が帰ってきた。しかし先ほどとは違う点がいくつか。

 上はかわいいニコちゃんマークのTシャツにみかん色のパーカー、下はベージュのかぼちゃパンツにリボンのついた靴下、赤黒チェックのスニーカーといった具合である。

 さらにボサボサだった髪はきれいにまっすぐなストレートになっており、年相応な格好になっていた。

 瑞志の横では柚子葉がニコニコと笑顔で自慢げに立っている。瑞志はさっきとはまるで別人のようである。

「よかったな。だいぶかわいくなったぞ」

「ありがと」

 瑞志は少しはにかみながら答えた。瑞志もこんな女の子らしい格好をしたのはいつ以来かわからないくらい久しぶりなので少し嬉しく思う。

「じゃあありがとな。助かったよ。じゃあ瑞志、行こうか」

 瑞志は二度うなづいて優二についていく。

「ゆ、優二、待って!」

 急に柚子葉が呼び止める。柚子葉は少し緊張しながら優二と瑞志に提案する。

「今日さ、わたしの母校で文化祭があるんだけど一緒に行かない?」

「え、母校って……」

「あっ、違うよ! わたしが行ってた高校のほう。妹も通ってるの。だから、大丈夫だよ」

 優二は中学校のほうだと思っていたため、フッと息が抜けてしまった。それならば話は別である。

 携帯を開きスカスカのスケジュールを開くと幸い今日はバイトは入っていない。優二は完全にオフの日である。当然ほかにやることもないため瑞志がいいなら優二はオッケーである。瑞志には身よりもいないようだし一日ぐらい遊んでもいいだろうと優二が思ったのも理由である。

「ブンカサイって何?」

 当の瑞志もそう発言したため優二たちは文化祭に行くことになったのだった。


 少し時間は戻って、約一時間前優二たちがいた公園。そこにはいらだちを隠し切れない男がいた。

 少しふらつきながら男は公園に入る。しかしそこには誰もいない。

 男は小さく舌打ちしながら近くにあったゴミ箱を蹴る。が、男の蹴った位置が悪かったのか、男の足がゴミ箱にひっかかり男は転んでしまう。

「バカにしやがって! くそくそくそっ!」

 男は急に叫んで暴れだす。周囲には痛々しい目で見られているが男はそんなことは気にしない。

 そのとき楽しげな声が公園の横を通り抜ける。

 数人の高校生たちが楽しくおしゃべりしながら登校している。会話からすると今日は高校の文化祭のようだ。

(なんで俺はこんなに苦しんでるのに楽しんでるやつがいるんだよぉ。俺はなんも悪くないのに。そうだよ、この世界が悪者なんだよ……)

 男はゆっくりと立ち上がってぶつぶつ独り言を言いながら公園を後にした。

 男の目はもう、常人のそれではない。


 優二たちが高校につく頃にはもう文化祭は盛り上がっていた。食べ物のにおいや楽器の音、活気ある生徒たちによってお祭りムード満載である。

 柚子葉が受付を済ませている間瑞志は目を輝かせていた。瑞志にとっては見るものすべてが新鮮であり、驚くべきことばかりである。

「瑞志ちゃん、あなた何歳なの?」

「えと……十四歳」

 優二は密かにそのことに驚く。もっと幼いだろうと考えていたからだ。

 優二のその考えは瑞志がいかに普通でない生活を送ってきたかということを物語っている。

「じゃあ行こっか」

 手続きを終わらせた柚子葉が言う。

「そうだな。瑞志がもう限界みたいだし」

 優二が苦笑しながらそう言うと瑞志は少し頬を赤らめながら笑った。

 その目は優二が昨日出会ったときと比べれると少し、ほんの少しではあるが、輝きが戻っていた。

 その後は瑞志だけでなく優二や柚子葉も大いに楽しんだ。

 優二は所詮高校の文化祭だろう、と少しバカにしていたが生徒は誰もがお客さんを笑顔にしようと真剣で、だからこそ楽しかった。

 バンドの発表や出店、特別ゲストの舞台などを一通り楽しんだ優二たちは今休憩所で休んでいた。

 瑞志が控えめではあるがはしゃいでいたので、優二も柚子葉も少し疲れてしまったのだ。

「柚子葉、今日は誘ってくれてありがと。すげー楽しいよ」

「どういたしまして。楽しんでくれたならわたしも嬉しいよ」

 二人して笑顔になり、ちょっと照れくさくなる。瑞志はそのいい感じの雰囲気を察して少し黙ることにした。

「あっ、お姉ちゃん」

 しかしそんな瑞志の心遣いも一人の女子生徒のせいでぶち壊れてしまった。

「あっ、加奈。シフトはもう終わったの?」

「んーん、これから。入り口で受付交代。って言ってももう午後だしあんまり人来ないからラッキーなんだよね」

 加奈はへへっ、と笑顔を見せる。ふんわりした感じの柚子葉と違い、ボーイッシュで活発な印象を受ける妹である。

「あっ、もしかして優二さん?」

「覚えててくれたのか。ひさしぶり」

「あはは、忘れるわけないじゃないッスか〜。……で、お姉ちゃん、そっちの子は?」

 瑞志が先ほどから自分をにらんでいることに加奈が気づく。瑞志の恨みなど加奈が知りえるはずもないが。

「瑞志ちゃんっていってね、一緒に文化祭を回ってるの」

「へ〜。瑞志ちゃん、わたし加奈っていうんだ。よろしくね」

 加奈は友好的に右手を差し出すが瑞志はそっぽを向いてしまう。

「ありゃりゃ、なんか嫌われてるねぇ、わたし。あっ、そろそろ行かないと。じゃ、お姉ちゃんがんばってね」

 最後のは柚子葉にだけ聞こえるように声援を送る。瑞志ににらまれながら加奈は入り口へと向かっていった。

「加奈ちゃんも楽しんでるみたいだな」

「そうだよ。こういうのはお客さんだけじゃなくて生徒も楽しいものなの」

「……こんなに楽しいなら俺も高校行けばよかったかなぁ」

 優二は少し上を見ながら考える。

 柚子葉や新しい友達と一緒に笑いながら汗を流し、クラス一丸となってひとつの物を作り上げ、それでお客さんを満足させる。そんな二度とこない妄想を。

 柚子葉はそんな優二を見て少し哀しそうに微笑む。どうにかしてあげたくても柚子葉にはどうすることも出来ないのだ。

 優二は既に大人であり、自分ももう高校生ではない。いくら金があっても優二の幻想を現実にしてあげることは出来ないのだ。

 優二はなにやら入り口の方が騒がしいことに気がついた。何かトラブルが起きたらしい。

 さらに瑞志も再び「危険」を感じ取る。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん、逃げよう。ここも危ない」

「えっ、どういうこと?」

 柚子葉の問いにも答えず瑞志はその場を離れようとする。

 すると何人もの生徒が走ってきた。

「おい、何があった?」

 優二は適当に生徒を捕まえ質問する。

「は、はやく逃げてください! 無差別殺人の通り魔がっ!」

 さすがにその非現実には優二も一瞬目を見開く。

(もしかして瑞志はこれがわかっていたのか?)

 少し焦っている瑞志を見て優二はそんな考えを抱く。だがそれを確かめている時間などない。

 優二は校舎側に逃げようと、二人の手をつかむ。しかし柚子葉は動かなかった。

「柚子葉?」

「加奈……加奈が受付に、行くって。どうしよう、加奈が……」

 柚子葉は力なくその場に座り込んでしまう。もし加奈が逃げてきたならば必ず柚子葉に伝えるはずだ。しかし加奈が来ていないということは逃げ遅れたか、もしくは最悪の事態が起こっている、ということである。

「加奈ちゃんは俺が絶対連れてきてやる。だから柚子葉は瑞志と一緒に逃げていてくれ」

 優二もしゃがみこんでそう柚子葉に言い聞かせる。柚子葉は泣きながらうなづいた。

 逃げてきた生徒の一人に柚子葉を任せ、入り口に向かって走り出す。

 このとき優二を動かしていたものは、加奈を助けなければという思いこそあれ、勇気の類などではなかった。

 優二は自分の命を本当に軽く見ているのだ。死にたいわけではないがいつ死んでもいいといった感じだ。優二は「大野優二」という存在の意義を失ってしまったから。この世界で生きていたいという欲望が、心の中から枯渇してしまったから。

 優二が入り口にたどり着くと男がサバイバルナイフを振り回していた。逃げ遅れている生徒はいるものの幸いまだ怪我人はいないようだ。

 優二は急いで加奈の姿を探す。

 すると加奈は無謀にも受付の生徒が座るためのパイプイスで男に立ち向かおうとしていた。

(あのバカッ!)

 全力で走って加奈のもとへ行く。

「なんだぁ、お前も俺をバカにするのかぁ?」

 男は優二の存在に気づき近づいてくる。

「加奈ちゃん、ここは俺に任せて早く逃げて!」

 加奈は一瞬驚いたがすぐに張っていた虚勢が崩れ、恐怖で顔を歪ませながら走り去っていった。

 男は奇声を上げながら突進してきた。優二が持っている武器は加奈が置いていったパイプイスだけである。

 優二には戦闘経験なんてものもない。優二は大怪我覚悟で男を倒そうと思った。

「お兄ちゃん! 左に避けて!」

 急に後ろから聞こえた声に従い、とっさに体をよじらせる。すると男は優二の右を勢いよく通り過ぎていった。

 優二が後ろを振り向くとそこにいたのは瑞志だった。

「瑞志! お前なんで来た!」

「いいからお兄ちゃん、次が来るよ!」

 男は既に体制を建て直し再び突進してきている。しかも今度はサバイバルナイフを振り回しながらである。先ほどは単純な突きだったからかわせたが、これではどこに切っ先が飛んでくるかわからない。

「両手を振り上げて上半身を後ろにそらせて!」

 優二は再び瑞志の言うとおりにする。男はサバイバルナイフを左下から右上に切り上げるがそこに優二の体はなく、ナイフは空を斬るばかりである。優二はパイプイスを縦にし、渾身の力を込め一気に振り下ろした。

 ゴツッという鈍い音がしたあと男は倒れた。目が白目を剥いているが痙攣を起こしているので死んではいない。

 すぐに先生や警察が駆けつけて男は現行犯逮捕され、優二は保護された。

 そのあとは優二は一緒についてきた瑞志に励まされ、トラウマと戦いながらなんとか事件の全容を話し終えた。解放されたときには既に空は暗かった。

 柚子葉とは電話で少し話して無事を伝えたので問題はない。

 

「……何も聞かないの?」

 瑞志がそう優二に問いかけたのは帰りのことだ。優二がいつまでも瑞志に質問を投げかけないからついに瑞志がしびれを切らしたのである。

「言いたくないなら何も聞かない。でも言いたいんだったらちゃんと聞いてやるよ」

 しかし優二も問いただそうとなんてしていなかった。瑞志に何かがあるのは気にはなっていたが、無理に聞き出すつもりもない。故に先のような返答をしたのだ。

 瑞志はちょっとすねたみたいだったがおもむろに話し出した。

「わたしね、危険がわかるの。危険が迫るとなんとなくわかるんだ。わたし、怪物なんだ」


 今から六年ほど前、瑞志の家は貧しかった。その三年前に父がリストラを受け、二年前に母が逃げ、一年と半年前に家を追い出された。

 橋の下に作ったダンボールの家で暮らす毎日。しかし瑞志には父がいるだけで十分幸せだった。瑞志の父はしっかりと娘を愛していたから。

 ある日、瑞志が高熱を出した。だが病院にかかる金などあるはずもなく父は回復を祈ったが瑞志の熱は一向に下がらなかった。

 次の日、父は血まみれで何かが入った大きな袋を担ぎながら片手に何枚も札束をもっていた。そのお金で父は薬を買うことができ、瑞志の熱は下がった。

 さらに父は山で狩ってきたというイノシシの肉を食べさせてくれた。正直すごく臭くてあまりおいしくなかったが、瑞志は笑顔だった。父が自分のためにがんばってくれた。それだけで瑞志は満腹だった。

 しかし二週間後、悲劇が起こった。

 父が強盗殺人、死体遺棄の容疑で逮捕されたのだ。だが瑞志も予想してなかったわけではない。今までバイトすら雇ってもらえなかった父が何の罪も犯さず手に入れられるわけがない。悲しかったが仕方ないと割り切れた。

 逮捕後、ここからが悲劇だ。



 遺体はどこに隠した?山に埋めました。


 たったこれだけの会話。

 しかし瑞志は最悪の連想をしてしまった。

 大きな袋に何かが入っていた。父は山にイノシシを狩りに行った。突然食卓に肉が出た。おいしくなかった。イタイハドコニカクシタ?ヤマニウメマシタ。


 ワタシガタベタノハイッタイナニ?


 そんなことを思ってからは毎日が怖くなった。もちろんそんなのは瑞志の妄想だ。しかしまだ八歳。思い込みがまだ激しい年頃だったからか決して頭から離れることはなかった。

 ある日瑞志は家の近くに腹をすかせて凶暴になった野良犬が来ることがなんとなくわかって他のホームレスたちに知らせた。

 みんなは半信半疑だったが様子を見に行った一人が犬がいたと証言したことによりみんなに驚かれ、畏れられた。それからは瑞志は神として崇められるようになってしまった。瑞志はそんな扱いが辛くて、家を捨てた。大好きだった父との思い出とともに。


「わたし、よくなんでこの力が生まれたのか考えちゃうんだ。そしたらいつもひとつの答えにたどり着くの。わたしが、食べたのは、やっぱり……」

 そこで瑞志は優二に抱きしめられた。

「もういい。もういいよ」

 瑞志は優二の腕の中で静かに泣いた。


今までどんなに辛かったことだろう。愛する人とは離れ離れになり仲間には仲間として扱ってもらえず、たった一人で何年も生きてきた。力だけを見られ、瑞志自身は誰にも見てもらえずに何のために生きているのかわからなくなった。幼い瑞志がそんな不幸に耐えるには心を堅く閉ざす以外手段がなかったのだ。

 だが今は優二がいる。自分と少なからず似たような存在に頼り、甘えることで瑞志は楽になれることができたのだ。

「なぁ、瑞志。もしお前がよかったらさ、お前俺の妹にならないか?」

 優二の急な提案により瑞志は驚き泣き止む。

「行くとこないんだろ? だったら俺が家族になってやる。一緒に暮らそう。それとも、嫌か?」

 優二が少しいじわるっぽく言うと瑞志は首を大きく左右に振った。

「ありがとう……」

 今までで一番大きなありがとうだった。

 これでハッピーエンド――のはずだった。

 ここで終われば優二と瑞志、二人ともどんなに幸せだったことか。だが運命は彼らを許さなかった。運命は幸せな物語が大好きだ。しかしそれと同じくらい不幸な物語も愛してる。まるでつり合わせるかのように。


「お兄ちゃん! 大丈夫だった!?」

 優二が家に帰ると香織が勢いよく飛び出してきた。香織はいっこうに帰ってこない優二をずっと心配していたのだ。

 香織は警察は大丈夫だったか、怪我はないか、胸は痛んでないかと立て続けに聞いてくる。

 それらを優二は大丈夫の一言で返答する。

 香織がホッと息をつくとやっと瑞志の存在に気づいた。

「お兄ちゃん、その子誰? もしかしてロリコンに……」

「違うわ」

 優二は鋭く否定して香織に瑞志を紹介する。

「こいつ、明石瑞志って言うんだけどうちが引き取ることにしたんだ。ほら、瑞志、自己紹介ぐらいしとけ」

「明石しる……大野瑞志です。よろしくお願いします」

 瑞志は少しだけ挑戦して苗字を変えてみた。自分は優二の家族になったんだと確認するかのように。

「あぁそうだな。名前も変えなきゃいけないな。あれ、確か香織も今十四だよな。じゃあ瑞志と香織、どっちが姉なんだ?」

「わたし、妹がいい」

「そうか、じゃあそうしよう」

 優二と瑞志は笑いながらそんな会話をしていた。しかし香織は目を見開いて呆然としている。

 瑞志は急に危険を感じ取った。今までなかったのに突然生まれた感じだ。発生源は――香織だった。

「明石、瑞志……十四歳。六年前。パパ、ママ……明石!」

 香織はそう叫ぶと急に瑞志の首を絞めた。

「――――!」

 相当力を入れられて、瑞志は息をすることが出来ない。

「おい、香織! 何やってんだ!」

 優二は香織の突然の奇行に戸惑いながらも瑞志を救おうとする。

「離して! その子は仇なんだ。明石瑞志、あの子の父親がパパとママを殺したんだ! 忘れるはずがない、あいつは娘の瑞志のために殺したなんて言ったんだ! あいつも、その娘も! 絶対に許さない!」

 優二もそこで、瑞志に会ったときに感じた違和感の正体に気づく。

 優二は六年前、瑞志に会っていたのだ。

 優二たちに父親の代わりとして謝りに来た、香織と同い年の女の子。その子の名前が明石瑞志だったのだ。

 しかし瑞志を恨むのはお門違いだ。犯罪を犯したのは瑞志の父であって瑞志ではない。香織は恨む相手を間違えている。

「やめろって!」

 やっとのことで香織の手が瑞志から離れる。

「瑞志は何も悪くないだろ。お前のそれは逆恨みだ。香織、一度落ち着こう。な?」

「うるさいうるさいうるさい!」

 優二の説得も香織の耳には届いていない。香織は玄関にあったバットを手に取る。昔優二が父親に買ってもらった金属製のものだ。

 香織は泣き叫びならがバットを振り上げ瑞志目掛けて振り下ろす。

 いつもの瑞志なら力を使って避けることも出来ただろう。だが瑞志はまだむせていて反応することが出来なかった。

 ガンッ!

 鈍い金属音が部屋中に響き渡る。

 バットの下にいたのは……優二だった。瑞志をかばい、背中の左側が殴られた。

「香織、いい子だから落ち着け」

 優二は痛みを我慢しながらバットを下に下ろす。香織は何も言わず従い、大声で泣き出した。

 香織を安心させようと笑顔をつくったそのとき、優二に異変が起こった。

 優二の胸の真ん中が今までにないぐらい激しい痛みに襲われたのだ。

「――――!」

 胸が圧迫されるようで苦しくなる。まともに声を発することも出来ない。先日倒れたときとは比べ物にならない痛みだ。

 優二はそのまま静かに倒れ、動かなくなった。

「……お兄ちゃん?」

 ようやく息を整えた瑞志が呼びかけるも反応はない。我に返った香織も兄の名を呼び続けるが動かない。

「救急車っ!」

 香織は急いで電話に向かい、瑞志はずっと優二を呼び続けていた。その声は優二には届かない。


 現在待合室には香織と瑞志の二人だけである。先ほどまでは柚子葉もいたのだが今は席をはずしている。

 気まずい雰囲気を打破したのは香織だった。

「さっきはごめんなさい。あなたは悪くないのに、我を忘れちゃって」

「いいよ、気にしてない」

 それより、と瑞志は続ける。

「お兄ちゃんは何かの病気にかかってるの?」

「……特定疾患指定の拘束型心筋症。要するに下手をすると死んじゃう心臓病なの」

 香織は迷いながらも答えた。

 優二は生まれつき心臓が弱いのだ。だから激しい運動は医者から禁止されているし、香織も気をつけていた。肉体労働のバイトをやることにも反対だったが、優二が高収入だからと言ってどうしても譲らなかったのだ。だが今回優二が倒れたのは香織のせいであるといっても過言ではない。優二はそんなことはないと言うだろうが、香織は強い責任を感じていた。

 また瑞志も自分を責めていた。自分さえいなければ優二は倒れなかった。そう思えてしまうのだ。

「大丈夫だから。二人ともそんな顔しちゃだめよ」

「そうそ。優二さん絶対自分のせいだーなんて思ってほしくないと思うんだけどな」

 いつのまにか帰ってきていた柚子葉と加奈にそう声をかけられる。

 気づくことが出来ないほど瑞志と香織は落ち込んでいた。

 柚子葉が瑞志に、加奈が香織にそれぞれ自販機で買ってきた飲み物を手渡す。

「瑞志ちゃん、わたしね、優二にもっとちゃんと生きてほしかったの。毎日、とまではいかなくても笑って過ごしてほしかったの。だって優二の目、死んでるもん。優二の笑顔も心のそこからのものだとはいつも思えなかった」

 瑞志が話を聞いてくれているのを確認して、柚子葉は続ける。

「でもね、今日優二に会ったときは少しだけだけど変わってた。表情が柔らかくなってた。きっと瑞志ちゃんのおかげ、なんだよね。その瑞志ちゃんがさ、自分を責めて泣いてたら優二の目、また死んじゃうと思うの。だから、泣かないで。あなたは何も悪くないんだから」

 瑞志は涙を必死に堪えながらうなづいた。そんな瑞志の頭を柚子葉が撫でてあげる。

 しばらく待つと医者が出てきて保護者を呼ばれる。柚子葉が代表として、その場にいた全員で話を聞いた。

 内容は絶望的だった。

 優二はいまだ目覚める気配がないこと、病気が進み心臓移植をしないといつ死んでもおかしくないこと、ドナーを探してみたが現在心臓を提供できる患者がいないことを告げられた。

 帰り道、誰も何も言えなかった。柚子葉がさっき医者に金なら出せるからとドナーを探してもらうよう頼んでいたが望みは薄い。優二の死が確定したようなものである。

 全員が暗い顔で帰っていく中、ただ一人、誰にも気づかれなかったが希望を見出した人間がいた。それはちゃちな考えでうまくいくとも限らない。しかし少女は成功を信じて、自分を信じてそれを実行する。


 今少女は車が飛び交う国道の前にいる。少女が抱く希望はあまりにも幼稚だ。少女は遺書なんて書くつもりはなかった。そんなことをしても大好きな優二を苦しめるだけである。少女は自分の死が無駄にならないようにと願いながらわずかな可能性にすがる。

 そして少女は大きなトラックが近づいてきたとき車道に出た。

「お兄ちゃん、たった一日の付き合いだったけど、楽しかったよ」

 そしてライトが少女を照らし、大きなクラクションが鳴る。そのあとに聞こえた音は―――


「優二元気してる?」

「柚子葉、また来てくれたのか。今日雨なのに。なんか悪いな」

 優二は申し訳なさそうに言う。手術が無事終わって七日目、今日も柚子葉が見舞いに来てくれた。

 休日には加奈や香織も来るが、毎日来れるのは社会人の柚子葉ぐらいのものである。

「わたしが勝手に来てるだけだから気にしないで」

「ありがとな」

 優二は小さく微笑む。柚子葉がテレビをつけて天気を確認すると、雨は明日の昼までは止まない予報だった。

「なんで瑞志はあんなことしちゃったんだ」

 柚子葉が花瓶の花を変えているとき優二が独り言のようにつぶやく。

「きっと瑞志ちゃんは優二のことが大好きだったんだよ。優二に絶対、生きてほしかったんだと思う。気づいてあげられなかったわたしが悪いの。優二は悪くないよ」

 それから優二は一言もしゃべらなかった。柚子葉も同じく無言で優二の世話をし、帰るときに一言挨拶を交わしただけで終わった。

「なんで、瑞志はあんなことしちゃったんだ……」

 優二は頭を抱え、そのまま夜を迎えた。

 雨は勢いを増していくばかりで止む気配はなかった。


 気がつくと優二は何もないところにいた。

 優二はすぐに夢だと気づく。夢だと気づける夢を見るのは体が疲れている証拠である。

「お兄ちゃん」

 二度と聞くことが出来ないと思ってた声に優二は思わず振り向く。

 そこには瑞志がいた。出会ったときのボロボロの格好である。

「瑞志っ!? ……おまえどうして死んだ!」

 優二は夢だとわかっていても聞いてしまう。いや、もしかしたら夢ではなく本当に瑞志なのではないかという期待があったのかもしれない。

「わたしさ、今まで自分は何のために生きてるんだろうってずっと考えてた。自分が確かにここにいて誰かの役に立ってるっていう証を探し続けてきたの」

「だったらなんで自殺に行き着くんだよ!」

「あなたに出会えたから」

 瑞志は優二の心からの叱責に心からの笑顔で返す。

「わたしはあなたを助けることがわたしの証だと思ったの。わたしは死んじゃったけど後悔はしていないよ。あなたの中で、心臓としてわたしはこの世界に在り続けることができる。怪物が人間の役に立てたよって胸を張って言うことが出来るの。だから、わたしは死んでないんだよ。あなたが生きている限りは、ね」

 優二は瑞志の歪んだ考えを理解できなかった。が、受け入れ認めることは出来た。

「お前はそれで満足してるんだな?」

 優二の問いに一瞬驚いた瑞志だったが大きな笑顔で、自信をもってこう答えた。

「うん。だって大好きなあなたとずっと一緒にいられるんだから――」


 優二はゆっくりと目を開ける。そこはもう夢ではなく朝の病室だった。朝日が少しまぶしい。予報ははずれ、雲ひとつない青空となっている。

 優二はもう二度と自分の命を軽視したりしないだろう。自分の命を軽んじるということは瑞志の想いをなかったことにするということだ。優二には瑞志の証を否定することなどできやしない。

 今現在優二の証は「瑞志の分まで、一秒でも長く生きる」だ。自分が長く生きれば生きるほど、瑞志の証は正しかったと思える。瑞志の分まで楽しみ、瑞志と一緒に笑いあう。そう優二は決めたのだ。

 これから青年は少女の証を引き継いで生きていく――


 瑞志は気づくと山にいた。最後に奇跡が起き、優二と話が出来た後である。まさかこんなところが天国ではあるまい。

 瑞志があたりを見回すと人影が近づいてきた。なにやら大きな袋とシャベルを担いでいる。そしてその人物に瑞志は見覚えがあった。

「……お父さん?」

 しかし父は瑞志の横を通り過ぎていってしまう。どうやら父からは瑞志は見えないらしい。

 瑞志にはなぜ今父が出てくるのかわからなかったが、ひさしぶりに父を見てもうしばらくここにいたいと考えた。

 父はシャベルで穴を掘り出し、ある程度の深さになると袋から遺体を取り出した。大人の男と女のものである。

「これってもしかして……あの日の出来事?」

 父が山でイノシシを狩ってきたというあの日。同時に父が罪を犯した日でもある。

 とするとあの遺体は優二の父母なのだろう。瑞志はいたたまれない気持ちになるがなぜか目をそらすことは出来なかった。

 父が遺体を投げ入れ埋めようとしたそのとき、山の奥のほうから少しだけ大きいイノシシが現れた。まだ若いイノシシである。

 すると父は小石を投げイノシシを挑発しだした。それはイノシシの目に当たり、イノシシが父をにらむ。イノシシは父に向かって突進してきた。父の前には先ほど掘った穴があるためそこに落として仕留める気なのだろう。

 しかし穴の前でイノシシは軽くジャンプし、父は腹に直接突進を食らった。

「――っ!」

 だが父もイノシシを押し返し穴に突き落とす。痩身の父がそんなことが出来たのはまさに火事場のバカ力だろう。

 そのまま勢いよく飛び降り、シャベルでイノシシの頭を刺す。それが致命傷になってイノシシは絶命した。

 父の服は血まみれになってしまった。

「やった……瑞志、今日は肉を食べさせてやるからな……!」

 そのセリフに瑞志は体に雷でも走ったかのような衝撃を受ける。

 瑞志が食べたのは本当にイノシシだったのだ。父は瑞志のために命を懸けてがんばっていたのだ。瑞志は怪物などではなかった。

「神様、本当にありがとうございます……二度も奇跡を起こしてもらって……あぁ、わたしもちゃんと神様に愛されてたんだね……」

 瑞志の体がどんどん光となっていき、ゆっくり消えていった。その魂はまっとうな人間が行く天国にたどり着けるだろう――


 誰もが一度は思うだろう。

「自分は何のために生きているのか」

 その答えはゆっくり探していけばいい。急ぐ必要などまったくないのだ。

 だってあなたも神様に愛されていて、あなたを必要とする人間が必ずいるのだから――――


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