鬼婆別伝
昔々、あるところに若い夫婦が住んでいた。
夫婦は仲がよく、お互いに愛し合っていた。
ところがある日、隣の国と戦になり、夫も兵として行くことになった。
「お前様、気をつけ行ってきてくだされ。」
「分った。愛しいお前を残していくのが気がかりじゃが、お前も体に気をつけてな。」
「あい。待っておりまするゆえ、必ず・・・・必ず戻ってきて下さいませ。」
「おお、戻るとも。必ず戻る。もしも戦で倒れるようなことがあっても、魂魄になりそなたの元に戻るぞ。」
そういい残して夫は戦に出て行った。
それから半年、一年、二年経っても夫は戻ってこなかった。
どこでどうなったという便りもないままに、女房は魂魄になっても戻るといった夫の言葉にすがり、ひたすら待ち続けた。
やがて年をとり、若い頃とは姿かたちも変わってきた。
女房は、戻ってきた夫が自分を見分けられないかもしれないと思い、旅を行く人が通りかかる度に、その生き胆を食らい若さを保ち続けた。
そして今日もまた、旅の僧が通りかかった。
「おお、こんなところに家があるわえ。助かった。」
旅の僧は戸をトントンと叩きながら言った。
「お頼み申す。お頼み申す。」
中から、はいと言う声がして女が出てきた。
「私は旅の僧じゃが、ひがくれに難儀しておったところに、こちらの家が目に入った。すまぬが、一夜の宿をお貸し願えまいか。」
女は、それは難儀な事でしょうと言い、快く中に招き入れた。
「こんなあばら家なので何もおもてなしは出来ませぬが、良ければ食べてくだされ。」
と、言われるままに空腹だった僧は出された粥に口をつけた。
家は女の一人住まいらしく、こんな場所でと不思議には思ったが、何も問わずに粥をご馳走になり、旅の疲れもあって、延べてもらった床に入って寝てしまった。
そして僧は、夜中にふと目が覚めた。
どこかで、ショリショリと音がしていた。
どうやら隣の部屋で、女が何かしているらしかった。
僧は厠に立とうと思い、起き上がろうとしたが、体が動かない。
見ると体は縄で縛られていた。
物音を聞きつけて隣の部屋との境の襖が開き、老婆が顔を覗かせた。
「目が覚めたかえ?」
「こ、これはなんとした事じゃ。」
「すぐ楽にしてやるゆえ、大人しくするがええ。」
そう言って老婆は又、包丁を研ぎだした。
「さては、そなたはこの辺りに住まうという鬼婆であったか。わしとした事が迂闊じゃったわ。」
「今更悔しがっても遅いわえ。どうで、にげられんでのぉ。」
「むぅ・・・・わしも仏に仕える身じゃ。わしを食らうことで人助けになるならあきらめもしようぞ。じゃがの、そなたはなぜにその様に人を襲っては食らうのじゃ?それを聞けばわしも納得しようぞ。」
「ふむ・・・・ならば語って聞かせようかの。」
包丁を研ぎ終わった老婆は、僧の寝ているそばに座り、話し出した。
「・・・・ということじゃ。わしは何としても、もう一度夫に会いたい・・・・。」
と、そこまで言った老婆であったが、なぜかその後言いよどむようにしばらく無言でいた。
「じゃが、今となってはもう、わしにも分らぬ。」
そう言って老婆はまた話し始めた。
「あれから、どれ程の時が経ったか、今ではもう夫に会える希望も薄れてしもうた。初めの頃は夫に会いたい一心で、悼む心を押し殺して人を食ろうておったが、それにも慣れてしもうた。今はただ、こうして生きておるだけじゃ。」
そう言い終わるやいなや、老婆の口が裂け、まなじりがつり上がり、鬼の形相となって包丁を振り下ろした。
心の臓を突かれた僧は、物も言わずに絶命した。
鬼の形相が消えた老婆はため息をひとつつき、やれやれといった様子で包丁を置き、僧の衣服をはぎだした。
そして、月明かりに透かして僧の顔を見てみると・・・・。
どこかで見た覚えのある顔だった。
それは、姿かたちは少し違ってはいるものの、待ちわびた夫に似ていた。
老婆は愕然とした。
なぜ今頃?それもこのような若い僧の姿で?いやいや、よもや夫ではあるまい、と思い直し服を剝ぎ続けたときに、背後で声がした。
それは、若い頃に夫が自分を呼んでいた名前だった。
老婆は、自分でさえも忘れてしまった名前を呼ばれて振り返った。
そこには月明かりの射さない場所に、ぼぉっと浮かんだ人影があった。
「わしは今思い出したのだ。」
影が言った。
「お、お前様はわしの夫なのかえ?」
「そうじゃ。お前に言わずばなるまい。」
「わしゃ、待っておった。ずっと・・・・ずっと待っておったんじゃ。」
老婆はすすり泣いた。
「すまぬ事をした。じゃがどうしようもなかったんじゃ。聞いてくれ。」
影は話し出した。
わしの隊は散々じゃった。
敵に攻め入られ、みんな散りじりになって逃げたんじゃ。
わしも逃げた。
遠く離れた場所まで逃げて、やれ一安心と思ったときに、不運にも野党に出会って殺されてしもうたんじゃ。
わしは、死ぬ間際にお前の顔を思い出し、魂になって戻ろうと思った。
だが、丁度通りかかった旅の僧がおってな。
わしを不憫に思うてか、墓を立ててお経を唱えて供養したんじゃ。
わしは嫌がおうにもあの世に行ってしもうた。
そして、そこの僧に生まれ変わったんじゃ。
小さい頃からわしは何かが物足りんかった。
いつも心に穴が開いたように、寂しい気持ちを抱いておった。
だからわしは出家したんじゃ。
そして、わしはずっと自分の心の寂しさは何なのかを考えておった。
しかし、僧になってもその答えは出んかった。
わしは旅に出た。
何かが見つかるかもしれんと思うての。
そして、ここに来たんじゃ。
だが、お前を見てもわしは思い出せなかった。
しかし死ぬ間際になって、お前の夫だった時の死ぬ時の事を思い出したんじゃ。
影が濃くなり、やがて一人の男の姿になった。
男は老婆のそばによって来た。
「すまなかった。仕方のないこととはいえ、お前をこのような姿にさせてしもうた。許してくれ・・・・許してくれ・・・・。」
男は泣きながら、老婆を抱きしめた。
老婆はいつの間にか若い女の姿に変わっていた。
「お前様・・・・お前様・・・・。」
若い頃の姿のまま、二人は抱き合い、愛し合った。
やがて、男が口を開いた。
「さ、お前も今まで重ねてきた罪を償うのじゃ。まず、二人の墓を立ててくれ。そうすればずっと一緒におれる。そして、わしが読経するゆえ、お前は自害するのじゃ。お前の罪が消えず、たとえ地獄に行こうと、わしも一緒について行くゆえ、安心するが良い。」
二人は寄り添って外に出た。
月明かりに二人の姿が浮かんだ。
女は家の前に穴を掘り、ありあわせの板で塔婆をたて、僧の遺骸を穴に入れ、自分も僧のそばに横になって並んだ。
男が読経を始めた。
女は持っていた包丁で自分の首をかき切った。
やがて男のそばに一つの影が浮かんで女の姿になっていった。
男と女の影はひっそりと寄り添い、二つの遺骸を長い間見つめていたが、ふっとかき消すように見えなくなった。
月が柔らかい光で、男と女の遺骸をいつまでも照らしていた。