本当の私
マイクに導かれ、重い扉の中に入るとそこには待っていましたとばかりに人が立っていた。
「待っていましたよ。マイク、それから……有希子」
とても優しく、包み込むような温かい微笑みで私達を歓迎してくれたその人は「天使」だとマイクが教えてくけた。その天使は留学中に家に招待してくれたり、一緒に買い物に行ったり食事を作ったりと私を本当の娘のように可愛がってくれたマイクの母親にそっくりだった。
「有希子、怖がることはありません。神様は全てをご存知です。そしてあなたが一番良いと思う決断をしてくださいます」
不安になった私に天使が気付いたのか微笑んで私の手をギュッと握った。そういえば、マイクの母親も私が落ち込んだ時にはそうして微笑んでくれた。
「さぁ二人とも、進みなさい」
天使に促されて私達は前に進んだ。怖いわけじゃなく、一歩一歩確実に踏みしめるように歩いた。
「有希子、着いたよ。目の前にいるのが神様だ」
マイクに促されて顔を上げた。立っていたのは優しくて力強い人。「この人がいれば、何があっても大丈夫!」会ったばかりのはずなのにその思いには確信があった。だってその神様は優しくていつも豪快に笑っていてくれるクマのような体型のマイクの父親そっくりだったから。
「マイク、良く頑張りました。私は全て見ていました」
その神様はマイクに優しく微笑んでから私に体を向けた。そうしてまた、とびきり優しくて頼もしい顔で微笑んで見せた。
「有希子、あなたには苦しい思いをさせましたね。マイクから聞いたと思いますがもう一度、詳しい話をしましょう」
私は静かに頷くと、神様はニッコリ笑いながらその場にどっかり座り込み、手招きして私に傍にくるよう促した。隣にはマイクが来てくれて、そっと私の手を握ってくれたので、私は呼吸を整えることができた。その様子を見とめて神様と天使は顔を見合わせてふふっと笑った。
「六月の十三日。あなた達は有希子、あなたの家に挨拶に行く予定でした。待ち合わせの場所であなたを見つけたマイクは走り出した。そこへスリップした乗用車が突っ込み、マイクは死んだのです」
マイクから一度聞いた話でも、やっぱり少し怖かった。マイクの手が強く私の手を握った。きっとマイクも怖いんだろう。私も繋いだ手に力を込めた。
「あなたは恐ろしさのあまり、そこから動くことが出来なかった。それからずっと錯乱状態が続いたあなたは一度病院に運ばれたのです。その場所にあなたを心配した二人の少年が駆付けた」
なんだか少し何かを思い出した気がする。ざわめく声と、人だかり。真っ赤な鮮やかで強烈な色に雨の匂いが雨粒と一緒に混じる。
「マイクの葬式の日、あなたはそこに出席しました。少年達はとても心配したけれど、あなたは平気だと言って。最後の別れをするために、だいぶ無理をしたのでしょう」
そう、あの時……陽介君も冬真君も、私を心配したけれどけして「行くな」とは言わないでいてくれた。最愛の人と最後の別れをするために。二人はずっと静かに私の傍に付いていてくれたんだっけ。
「有希子、あなたは不運にも葬式の最中に再び倒れた。そうしてそれから、目を開けていないのです。少年達があなたを病院に連れて行った。背の高い少女が、あなたの分の線香もと、一緒に二つ分あげていました」
「それはきっと、美咲だね」
マイクが妙に楽しそうな顔をしていた。
ああそうだ。それもそのはず。だって美咲ちゃんはマイクの妹分で、マイクは彼女をとても可愛がっていたのだから。そんな美咲ちゃんはマイクのことが大好きで私にライバル意識を燃やしていたこと思い出した。
「あなたが眠りに付いてから、沢山の人があなたの前に現れています。大きな瞳の少女と、あなたを「先生」と呼ぶ少年も、暇を見つけてはあなたまの所に出向いています」
神様の話を聞きながら私の記憶はほとんど回復していた。どうやら五人が出会ったのは葬式ではなく、私の眠る病室だったらしい。
「彼等は五人は今、どうしていますか?」
少しの沈黙の後に神様に向かい、聞いた。マイクの言った通り、私の見ていた五人は現実のものでないとすると、本当の五人は今どうしているのだろうか。それが一番、気になった。
「……彼等は、あなたが眠りについてから、本当に笑ってはいません。一度たりとも」
なんと言うコトだろう。私はこの二年間もの間、のん気に好き勝手描いた彼等を見つめていたんだ。その間にも彼等は苦しみ、悲しんだというのに。その信号が、声が私の胸に届いていたというのに、私は苦しい現実を直視するのが嫌でそれを忘れようとしていたなんて。
気がつくと、私の目からは水がこぼれていた。私は泣いていたのか。
「神様、私……」
「神様、有希子を目覚めさせてあげて下さい!あなたは以前、僕に「ここは一人ひとりが成仏するためにあらゆる不安や不満を解決する場所」だと言いました。僕は不満があるから、ここに残っています。有希子を帰してください!そうしなければ僕は成仏しません。絶対に!」
私の言葉に覆いかぶさるように早口で言うマイクの横顔は真剣そのものだった。それで、私はとうとう最後の記憶を取り戻した。
私は確かに、この男を愛していた。そうだ、いつも穏やかに笑うこの弱くて強い人を、とても愛おしいと思い、信じていた。
「有希子、あなたは死んでいません。しかしあなたはここに来る必要があった。それが終われば、あなたの魂は自然と体に戻るでしょう」
神様はそれだけ言い残すといたずらっ子のような微笑みを浮かべて去っていった。「二十四時間後に、もう一度だけ会いましょう」という、意味深な言葉を残して。
神様がいなくなると私達はいつの間にか扉の外にいた。気が付くと天使もいなくて、分かっているのは私達に残された時間はあと二十四時間ということだけ。
「……有希子、お別れをしようか」
正面から私を見据えたマイクはここに来る前よりもどこかスッキリした顔をしていた。私は頷き、目の前で微笑む最愛の人の胸に飛び込み、強く抱きしめた。
「やっと、全てを思い出してくれたんだね。やっぱり思い出話を二人でするのは退屈だ」
さっきの神様とそっくりなイタズラっ子のような微笑みをするマイクに向って笑いながら、私達は沢山の話をした。お互いの存在を確認するように体を触れ合わせながら、手を握って時折唇を重ねて一つになりながら、数え切れないくらい、今までで一番沢山「愛してる」の言葉を囁きあった。
私の全てを、マイクに知って欲しかった。マイクの全てを私は知りたかった。好きな所も、嫌いな所も、とても弱い部分も一つ残らず、何もかも。たとえそれが、この時間が終わると同時に全て無くしてしまうとしても。そうして一番「あなたを愛している」ということをマイクに伝えたかった。
二十四時間後、私達は気付くと先程の場所に立っていて、そこには二十四時間前と全く同じ姿の神様がいた。
「さぁ有希子、現世に戻るときが来ました。今も彼等はあなたをとても心配しています」
そういう神様の前に、私はうなずきながら一歩前に出た。
「ねぇ神様、願いを叶えてくれますか?目が覚めたとき、一番最初に陽介君に会わせて下さい」
そう言った私に神様は微笑んで、静かに頷いた。
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