もう限界
彼の話を聞きながら、私は自分の異常を実感しつつあった。マイクは相変わらずに遠くに目を向けながら私達の思い出話をしている。時折無理に相槌を打って笑って、本当は気付いてた。
私、本当はどこかおかしいんでしょ?
何度声に出して聞こうとしたことか。しかしその試みは毎度、ギリギリの所で止められた。もし本当にそうだとしたら、何が本当なのか分からなくなりそうで怖かった。それで毎回、中途半端に開く口からは、声が出てこない。
ふいに話が途切れて沈黙が続いた。マイクは大きく息を吐いて、私の方に向き直った。そうして悲しい目をして、私に向き直ってからそっと髪を撫でながら話し出した。
「……有希子、本当はもっと早く言うべきだった。君の体が異常を起こす前に。君はここにいるべき存在じゃない。いや、君はここにいてはいけないんだ」
その言葉に私は静かに頷いた。マイクが言おうとしていることはまだ分からない。だけどもう、私の体も心も誤魔化しが効かない。
自分の異常に気付いてしまったから。ただ、いつもいつでも私に優しく笑いかけてくれたマイクを信じることにした。
「君と僕が恋人同士で、僕が二年前の六月十三日にしたという話はしたね?」
「ええ。私とデートに行く途中だったって。スリップした乗用車に撥ねられたことも。私達、命日も死因も同じなんてとても仲の良いカップルだったのね。手を繋いで一緒にはねられたのかしら?」
冗談を言って微笑んでみせた。マイクをリラックスさせようと思って。多分、私は確実に記憶喪失に陥っている。だけど大丈夫よ。全て受け入れられるってことを、伝えたくて。
マイクは明るく振舞う私を髪を撫でる手を止めないまま静かに笑った。その顔がとても、悲しそうで涙がこぼれそうになった。
「確かに僕達は中の良いカップルだったけど……その場ではねられたのは僕だけだった。君は車にはねられて、飛ばされていく僕の姿をとても近くで見ていた」
マイクは黙って優しい瞳のまま私を見つめた。それが何を意味するのか分からなくて、私はマイクを見つめたまま黙っていた。
「有希子、君は死んでいないんだ。君の魂は今誤ってここにあるけれど、現世にはちゃんと君の戻るべき体が存在している。つまり君は、生きているんだよ」
言葉が出てこなかった。その言葉を聞いた途端、全ての思考回路が止まってしまったように頭が真っ白になった。
「君はきっと、すでに自分の異常に気付いているだろう。君の脳はおそらく、目の前で死んでいくボクを見たショックで、記憶を喪失している。そうしてそれを思い出したくないと思うあまり、君は自分が死んだのだと思い込み、君を待つ友人達の姿まで想像で作り上げているんだ」
「……待ってよマイク。いきなり言われても、分からないわ」
頭を抱え込んでうずくまった私は本当に混乱していた。その言葉を聞いた瞬間に今まで収まっていたはずの頭痛に吐き気。めまいがいっきに出てきて、そうしてまた、あの声が響いた。
「有希姉、戻ってきてよ」
「ユキ、いつまでそっちにいるの?」
「有希子さん、お願いします。帰ってきて」
「……おねえちゃんを、返してよ」
「有希先生、早くこっちに来て」
訳の分からない苦しさに胸が締め付けられた。彼等の乱れ、かすれた声に涙を流しながら私の体は悲鳴をあげていた。
「……君の胸に、声が届いただろう?あれが本当の彼らの姿だ。さぁ神様の所に行こう。君の魂が戻りたがっている」
マイクはそう言うと私の目をさけるようにしながら私の体を抱き上げた。淡々とした事務的な口調とは裏腹にまるで壊れ物を扱うように優しく私を抱き上げた。神様がいるという門の前まで少しの距離、マイクは搾り出すような声でたった一言、私に「ごめん」と告げた。
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