学術祭の夜:王子の告白とクラリッサの孤立
王立学院で起きた“言葉による現実改変”の謎。
クラリッサは《理》を守るため、
第一王子の新たな寵愛者マリアの力に迫る。
秋の終わり、王立図書塔にて。
クラリッサはついに“確証”を手にする。
古代語の記録に記された一節――
《ファタリス・シール。
発言をもって真実を固定し、現実を再編する》
その名を見た瞬間、
クラリッサの胸に冷たいものが走った。
それは信仰ではなく、“支配”の力。
臨時の聴講生であるはずの彼女が、
今や公爵令嬢であるクラリッサよりも
取り巻きが多い。
アルトリウスは彼女の前でマリアの話しかしない。
風に散る秋の花弁が、
前髪に付いてまた流される。
「……それでも、私は“理”を守る。
どんなに殿下に嫌われようと。」
――王立学院の中庭は、光の庭園に変わっていた。
白と金の灯火が夜空を彩り、
歓声が満ちる。
アカデミー最大の催し――学術祭。
貴族と王族が集うその夜、
学生たちは学問と芸術の成果を披露し、
王国の未来を象徴する夜会として
毎年盛大に行われる。
クラリッサ・ド・アルベリオンもまた、例外ではなかった。
彼女の展示は
「古文書復元と魔法的記録保存の研究」。
整然と並ぶ古代書簡と、
再現された“光文字”の展示に、観覧者は息を呑む。
「これが、理を刻む術……。
まるで時間そのものを保存しているようだ。」
貴族たちの称賛の声が響く中、
クラリッサはほっと一息ついた。
――すぐに、その視線は別の方角に向けられる。
そこでは、第一王子アルトリウスと
マリア・ルヴィエールが並び立ち、
共に“信仰と言葉”の共同展示を行っていた。
テーマは《言葉による癒やしと真実の再生》。
白と金に飾られた展示台の前で、
マリアが祈るように詩文を朗読する。
その声が響くたび、
聴衆の胸の奥に穏やかな光が宿った。
――まるで、心の痛みそのものが溶かされるように。
クラリッサはその光景を見つめながら、
ふと胸に冷たい痛みを覚える。
それは嫉妬でも敗北感でもない。
ただ、彼女には見えてしまったのだ。
マリアの足元に淡く浮かぶ、封印文字の輪。
それが現実に干渉し、
観客たちの感情と記憶を
“書き換えている”ことを。
「……やはり、あれが《ファタリス・シール》。
発言が、現実を固定している。」
クラリッサは即座に動こうとしたが、
その瞬間、アルトリウスの視線が彼女を捉えた。
優しく、けれど決して揺るがない瞳。
「クラリッサ、話がある。」
学術祭の終盤。
人々が夜空の灯火に酔いしれる中、
王子は彼女を中庭の奥、
静かな噴水の前へと誘った。
風が冷たい。
月光が二人の姿を銀の影で包む。
「クラリッサ。私は……君の努力を、
忘れたわけじゃない。けれど……」
「けれど?」
「私はもう、君と同じ道を歩けない。」
クラリッサは一瞬、息を呑む。
その声音には憎しみも傲慢さもなかった。
ただ、真剣な“祈り”のような静けさがあった。
「マリアは私に、“信じる力”を思い出させてくれた。
君が理を守るために戦ってきたことは理解している。
だが、理は人を救わない。
救うのは、癒しだ。――彼女のような。」
「……殿下、それは夢想です。
癒しで国は治まりません。」
「彼女は実際に変えた。傷ついた学徒の心を、
ここにいる多くの聴衆を。
それを“見た”私が、どうして否定できようか。」
瞬間、《プリムローズ・メモリア》が微かに囁く。
――【偽りの糸検知:固定の光、警戒】。
クラリッサは唇を噛みしめた。
――それが“奇跡”ではなく“干渉”だと
気づいているのに。
「……わかりました。
殿下がそこまで仰るなら、
私は身を退きます。
けれど婚約は家同士のもの」
「何が言いたい?」
「“信仰”が生む癒しは、同時に“理”を壊す炎です。
その火を灯したとき、王国は均衡を失うでしょう。」
「君の融通の利かない頑迷さが、
時に息苦しくなる。」
アルトリウスは苦く微笑み、
夜風の中に去っていった。
残されたクラリッサの瞳に隠していた涙が滲んだ。
噴水の水面が映る。
その中で、揺らめくように
“記録の文字”が滲んでいた。
「……また、書き換えられている。」
「あら、クラリッサ様。
このようなところで、一人でお悩みですか?」
マリアが花のような笑顔を浮かべ、
静かに近寄ってくる。
クラリッサは、その笑顔の奥に――
冷たい無音を感じた。
学園祭の喧騒が遠くに聞こえる中、
その足音だけが異様に響く。
「あなたは王族でもないのに、
どうしてこれだけの力を……」
「ふふっ、もうおわかりでしょう?
《アナスタシス・コード》をお持ちの、
クラリッサ様なら。」
「どうして……そのことを?」
マリアは答えず、一歩ずつ距離を詰めてくる。
「教会孤児院出身として生まれ、
絶望いたしましたわ。
そこから辺境伯ルヴィエール家の庶子に引き取られ、
貴方には想像もつかない辛酸を舐めました。
でも、おかげで、
力に目覚めたのが少し早かった。」
マリアの胸から、光の粒が舞い始める。
淡い金色の粒子が、
クラリッサの周りを包むように広がる。
それは花の香りのように甘く、
だが空気を重く染めた。
クラリッサの周囲に広がるその光は、
祝福ではなく――支配の輪だった。
「ここで、《アナスタシス・コード》の力を
封じさせていただきます。
そして、《ファタリス・シール》にまつわる
全ての記憶を、消滅させるわ。」
クラリッサは後ずさろうとしたが、
マリアの指が公爵令嬢の肩を
意外な力強さで掴む。
冷たい吐息が、頰に触れる。
「理を書き換える力を持つのは、
私一人で十分ですもの。」
マリアの声が、甘く響く。
マリアの指先から放たれる淡い光が、
クラリッサの視界をじわりと侵食していく。
胸が冷たく、呼吸が浅くなる。
――私の記憶が……消える?
――《アナスタシス・コード》まで……?
クラリッサは咄嗟に意識を集中させ、
胸元の紋章に指を当てた。
微かな鼓動と共に、
薄桃色の光が脈打つ。
瞬間、《プリムローズ・メモリア》が激しく反応する。
――【危険度最大。強制固定、発生。
凍結モード移行】。
クラリッサはぎり、と歯を噛みしめた。
マリアの“甘い祈り”が、耳元で揺れる。
「苦しまなくていいのですよ、クラリッサ様。
あなたは――ただ、役目を終えるだけ。」
「……勝手に、終わらせないで。」
クラリッサの声は震えていたが、
芯は折れていなかった。
誰も気づかないうちに、
“第一王子の婚約者”の記録は、
王立文書局の帳簿から消え始めていた。
それが、“断罪の夜”へと続く
運命の改稿の第一章であった。
――だが、ピンクの花弁が、
霧のように舞い上がり、まだ消えぬ光を宿す。
秋の学術祭で起こった“最初の改稿”は、
やがて王国全土を巻き込む断罪の夜へと繋がります。
応援よろしくお願いします。




