すれ違う理想 ― 王子と悪役令嬢の狭間で
王立学院を舞台に、
“祈りで真実を修正する少女”マリアと、
それを見抜こうとするクラリッサの静かな対決が始まる。
春の終わり。
王立学院の中庭には柔らかな陽光が差し、
白いバラのアーチが揺れていた。
学期初めの儀礼式が終わり、
王族と貴族の生徒たちが談笑するなか――
その中心からやや離れた場所に、
一人の生徒が立っていた。
淡い銀の髪。
簡素な白いドレス。
胸に抱えた一冊の古びた本。
貴族ばかりの学院にあって、彼女だけが異質だった。
クラリッサは歩み寄り、静かに声を掛ける。
「……あなた、入学者名簿に載っていないのだけれど?」
完璧な礼を崩さず、視線だけで少女を測る。
少女は小首を傾げ、ほんの少し遅れてふわりと微笑んだ。
「あ……私は臨時の聴講生でして。
王立神学校から派遣されました」
「神学校? 学院課程外のはずよ。どなたの紹介?」
答えが返る前に、柔らかな声が割って入る。
「私だ」
白い庭園の奥から姿を現したのは、
第一王子アルトリウス。
銀糸を織り込んだ制服をまとい、
陽光を受けて髪が淡く輝く。
「彼女は王都教会の特別推薦生だ。
奇跡的な記録解読能力を持つと聞いている」
クラリッサは即座に一礼する。
「殿下のご推薦であれば異議はございません」
ただ、去り際に――
少女の瞳の底に宿った小さな棘を見て、
胸がざわめいた。
静かすぎる。
無垢というより “形を選ぶ者の目” だった。
アルトリウスは少女――マリアに手を差し出す。
「学院では肩書より、学びの意志が尊ばれる。
君の力が、王国の記録を正す助けになることを願っている」
「はい……私は、ただ“真実を正しい形”に戻したいだけです」
その言葉を聞いた瞬間、アルトリウスは微かな既視感に襲われた。
――昔、同じ願いを語った誰かがいたような。
彼の《真視の瞳》がきらりと光る。
だが、そこに映ったマリアは“完全な無垢”。
どんな歪みも見つからなかった。
それが最初の錯覚だった。
彼は“見る力”で無垢を信じ、
彼女は“固定の力”でその信頼を封じた。
美しい偽りは、真実よりも強く人を縛る。
すぐに噂が広まった。
マリアは“神に選ばれた奇跡の少女”――と。
◇ ◇
学術祭の準備期間が始まり、
王立学院は一年で最も騒がしい季節を迎えていた。
歴史学部の回廊には山のような古文書が積まれ、
どの生徒も自分の発見を論文にまとめようと
必死になっている。
その中で、ひときわ焦燥を漂わせていた少年がいた。
――エリック・ヴァレンス。
辺境の男爵家の次男にして、
遺跡調査で数度の功績を挙げた努力家だ。
だがその朝。
「どうして……何も残っていない……?」
彼の机の上にあるはずの、
半年分の研究記録は“白紙”へと変わっていた。
ページをめくってもめくっても、真っ白。
ペン跡ひとつすら残されていない。
講義室の空気が凍り、周囲の生徒たちがざわめく。
「破損? いや、そんな……
これ、魔術的に消されてる……?」
エリックの声は震え、指先は青ざめていた。
家門の存続を左右する研究。
それが“なかったこと”になれば、彼の未来は失われる。
そのとき、白い衣を翻しながら誰かが歩み出た。
マリア・ルヴィエール――教会派遣の聴講生。
「エリックさん……お辛いですね。
その記録、きっと大切なものだったでしょう?」
マリアの声は、蝉の鳴き声さえ優しく溶かすようだった。
「大切なものだと? 僕の未来そのものだった!」
エリックは涙目で立ち上がった拍子にノートを床に落とした。
マリアはしゃがみ込み、ノートをそっと拾い上げると
胸元の聖紋に指を翳した。
淡い光がノートに染み込み、ページが微かに震える。
だが、光が生まれる瞬間、
マリアの影だけが揺れなかった。
「神よ、真実を正しい形へ導きたまえ……」
彼女の祈りは、静かな歌のように響いく。
瞬間、空白のページに文字が浮かび上がっていく。
スケッチの遺跡図、詳細な記述――
すべてが「復活」した。
いや、それ以上だ。
記述には新たな注釈が加わり、
エリックの功績が「王国史に残る発見」として強調されていた。
生徒たちが歓声を上げ、
エリックはマリアの手を取り、感謝の言葉を繰り返す。
「ありがとうございます!
これで……これで僕の家は救われます!」
マリアはエリックではなく、
ざわめく生徒たちに目線を移した。
「真実は、信じる者が形にするもの。
あなたの努力が、歪んだ物語を正しましたわ。」
「まるで奇跡みたいよ!」
生徒たちが歓声をあげマリアの周りに群がり、
申し訳なさそうな視線と共に
クラリッサの席は静かに空いていく。
彼女は昨夜、文書局で見たものを思い出す。
――エリックのオリジナル記録は、
確かに存在していた。
(あの光……祈りで記録を“修正”した?
でも、エリックのノートにあったはずの、
遺跡の座標が違う……)
クラリッサはそっと文書局へ戻り、古い王国史を広げる。
エリックの調査が正しければ北の森は古代遺産――
だが、マリアの『修正』後、
公式記録は南の魔物の森に置き換わっていた。
(何故、こんな意味のない嫌がらせを……?)
さらにページをめくると、微かな筆跡の痕跡。
マリアのものに似た、流麗な曲線。
「ファタリス・シールの応用
……発言で真実を固定する、禁断の術。」
クラリッサの指先が震える。
マリアの祈りは、復活ではなく――捏造。
エリックの家門を救う代わりに、
王家の「古代歴史」を封印し、
辺境の調査を魔物の森に変えたのだ。
その夜、アルトリウスがクラリッサの部屋を訪れた。
紅茶を片手に入室したアルトリウスは、
今日の出来事を楽しげに語った。
「マリアの祈りを見ただろう? あれは本物だ。
王国の未来を救う力だ……!」
クラリッサはゆっくりと、しかし確かな声で答える。
「殿下……その“復活した”記録、
本当に確認されましたか?」
紅茶の蒸気が揺れる。
だがアルトリウスは、優しすぎる笑みを崩さない。
「些細な違いはあったとしても、彼女の祈りは純粋だ。
君も感じるはずだ、あの希望を。」
クラリッサは胸の奥が冷たくなるのを感じた。
殿下の瞳――《真視》が微かに光っている。
だが、その光は安堵と期待で曇っていた。
彼はマリアを“善意の奇跡の象徴”として見ている。
そして、その善意を疑うことを拒んでいた。
窓辺の夏月が、マリアの棘を思い起こさせる。
――美しい偽り。
その光はエリックを救った。
だが、これで誰もノートが白紙になった謎に触れなくなった。
月が底知れぬ闇を湛え、アルトリウスを照らす。
(殿下の“正義”を疑いたくはない)
クラリッサは息を吐き、決意を固めた。
次回、マリアとの最初の対決が始まります。




