第三王子ルシアンとの邂逅 ― “優しき虚構”
断罪の夜を越えたクラリッサが、雪解けの離宮で出会うのは――
優しすぎる第三王子、ルシアン。
“優しき虚構”の狭間で揺れる邂逅の物語。
雪原に春の気配が差し始めた。
凍てついた風が、わずかに湿り気を帯びている。
クラリッサは、まだ見ぬ“芽吹き”を胸に抱きながら、
静かな離宮で日々を過ごしていた。
理紋の解析の傍ら、
エルネストの助手として文献を整理する日々。
静かで穏やかだが、
どこか張り詰めた時間。
そんなある朝、
門の前に一人の青年が立っていた。
青年は、まるで陽だまりの幻のようだった。
雪の世界には似つかわしくないほど、
柔らかな気配をまとっていた。
だが、微笑はあまりに穏やかすぎ――
まるで現実を拒むようだった。
深い緑の瞳は、優しさと翳りが同居している。
「――久しいね、兄上。」
その声に、エルネストが顔を上げる。
クラリッサは驚いて立ち上がった。
「第三王子、ルシアン・ディ・アステリオスです。」
彼は優雅に礼をし、
微笑をたたえたままクラリッサに視線を向けた。
その目は、ただ静かに優しい。
疑いも見下しもなく、
まるで「そっと触れる手」のような眼差しだった。
「貴女が……クラリッサ・アルベリオン嬢ですね。
兄上から聞きました。理紋の異常を感じ取った方だと。」
クラリッサは戸惑いながら頷き、
一瞬息を呑んだ。
これまで公爵令嬢として敬意や崇拝はあっても、
こんなまなざしを向けられたことはほとんどなかったから。
ルシアンは彼女の前に膝をつき、
手を差し出す。
「怖かったでしょう。あの夜。
王家の光は、誰かを照らすために、誰かを焼く。
……僕は、その焼け跡を見てきたんです。」
その声は静かで、どこか遠くを見ていた。
その言葉に、エルネストの眉がわずかに動く。
「ルシアン、軽々しく王家の理紋を――」
「軽々しくなんて言っていませんよ、兄上。」
ルシアンは静かに笑う。
「僕はただ、王家の光がいつから“選ばない”ようになったのか、
知りたいだけです。」
彼の指先が淡い光を生む。
やわらかく、心に触れる光。
「……これは?」
クラリッサの瞳が引き寄せられる。
ルシアンはその光をそっと彼女の肩に触れさせた。
温かい。
傷ついた心の底を撫でるような感触。
瞬間、《プリムローズ・メモリア》が囁く。
【残響検知: 失われた記録、30%復元。共鳴活性化】。
「理紋の残響です。
理の記録が誰かを“切り捨てた”とき、
断たれた感情の糸だけが、世界に残ることがある。」
「殿下は、それを感じ取れるのですか?」
「ええ。ただ、それは祝福ではありません。
――呪いに近い。」
その一言に、エルネストが目を細めた。
「やはり、まだそれを抑えきれていないのか。」
「兄上、それは今は関係ありません。」
ルシアンは軽く受け流し、
再びクラリッサを見る。
「僕はね、クラリッサ。
貴女の中の“欠けた記録”を見たいんです。
世界が貴女を切り離したなら、
そこに必ず“失われた理”がある。」
クラリッサは息を呑む。
「でも、どうして私を助けてくださるのです?」
ルシアンは穏やかに微笑んだ。
この人の“優しさ”は、痛みの上に咲いている。
――私と同じ場所で、凍えてきた人のぬくもり。
「兄上の理は澄みすぎていて、触れる者を凍らせてしまう。
だから僕は、人の温度でそれを溶かしたい。」
クラリッサは言葉を失った。
彼の優しさの中に、説明できない寂しさがあった。
そしてその光の奥に、確かに見えた――
理紋の“影”。
彼の胸元に刻まれていた。
王家の紋章に似て非なる、もうひとつの印。
それは王家の印とは異なる、
『誰にも語られなかった系譜』を示す紋だった。
可哀想に。
誰もこの子を抱きしめてあげられなかったのね。
「ここでは風が冷たいね。
……けれど、君の手はまだ温かい。」
ルシアンは彼女の指を取ると、
掌を包み込むように温めた。
その温もりに、クラリッサは一瞬息を呑む。
誰かの痛みを知る者の手だった。
「兄上は信頼の証に秘匿した力を見せたのだろう?
ならば、僕も君を信頼しよう。
《共振律》。」
光の糸がクラリッサを包み込む。
「君も僕を信頼してくれるなら、
この糸を受け入れて欲しい。
そして、僕と兄上に因果のすべてを“共振”させ、
全てを見せてくれないか?」
「今となっては思い出したくもない過去ですが……
それが信頼の証と言うのであれば、どうぞご覧ください。」
「君の理紋が反応している。」
クラリッサの胸元に淡い光が走る。
それに呼応するように、
ルシアンの理紋も黄金に輝いた。
「共振が始まっている……」
光の糸が絡み合い、
クラリッサの胸元に淡い波紋が広がる。
ルシアンの理紋が応えるように輝き、
記録が重なり始めた。
――世界が、静かに反転する。
その中心にいたのは、他でもない“私”だった。
忘れられた日々が、
黄金の糸となって浮かび上がる。
二人の王子が象徴する“理”と“情”。
クラリッサがどちらの光に手を伸ばすのか――
次回11/18更新。その後は隔日更新いたします。




