08.第一章六話
周りの者たちはひそひそと話して眺めているだけで、口を挟む者はいない。面倒ごとにわざわざ首を突っ込みたくないのは当然の心理だ。
「まさか、獣人の同伴者がいるから断っているのか?」
子爵の連れである若い女性には獣の耳と尻尾がある。狐の獣人だ。
獣人差別が人道に反すると定められたばかりのこの国で、差別に対する国民の関心は大きい。そちらに問題をすり替えて大事にしようとしている。
「マーガレット嬢、少しいいかしら」
「遠慮なくどうぞ、オフィーリア様」
やはり察しのいいマーガレットは、詳しい説明をするまでもなく快諾してくれた。
「ありがとう。少し時間をもらうわ」
オフィーリアは劇場の持ち主だ。普段は運営に携わっていないとはいえ、問題があれば対応する責任がある。
マーガレットと侍女を残し、オフィーリアはブラッドと共に出入り口へと足を進める。
「騒がしいわね」
オフィーリアの声が響くと、劇場のスタッフたちはオーナーであるオフィーリアに頭を下げた。スタッフたちの一番前に立っているのは支配人だ。
ピアース子爵はオフィーリアを視認すると、「これはこれは」と笑顔になる。
「アシュクロフト女公爵様ではありませんか」
「久しぶりね、ピアース子爵。確か、半年ほど前にこの劇場で会って以来かしら」
「覚えていただいているとは、恐悦至極でございますな」
「ええ。よく覚えているわ」
オフィーリアの言葉をどう捉えたのか、ピアース子爵は見るからに機嫌を良くした。
「それで、ずいぶん騒がしかったけれど?」
「ああ、それがですね、私たちはチケットを持っている客だというのに、この者たちが入場を拒否するのですよ」
頭を振って大袈裟に困ったものだと説明するピアース子爵に、スタッフやオフィーリアの目が冷ややかになっていく。すると、「――なるほど?」と後ろから声がかかった。
「どういうことか、私も詳しく聞きたいな」
周りがざわざわと騒がしい。振り返れば、琥珀色の髪に緑色の瞳を持つ美男子と、先日会ったばかりのペネロピがいた。相変わらずこちらへの視線が友好的とは真逆である。
「あら。ご機嫌よう、殿下、ラウントリー嬢」
美男子の正体はペネロピの恋人でもある王太子フェイビアン・エドワード・シアーノクスだ。年齢は二十歳で、現在は大学に在籍しながら公務に勤しんでいるらしい。オフィーリアはまだ十九歳だし学園に通ったことはないけれど、学年で言えば同学年にあたる。
そして、オフィーリアとフェイビアンはかつての国王夫妻――同じ高祖父母を持つ親戚でもある。
「久しぶりだな、アシュクロフト女公。……ハズヴェイル公爵令嬢も」
フェイビアンの視線が向けられ、マーガレットは「ご機嫌よう、王太子殿下、ラウントリー伯爵令嬢」と優雅にお辞儀で応える。
「殿下とラウントリー嬢がどうしてこちらに?」
「劇場に来る目的が観劇以外にあるのか?」
ラウントリー伯爵との約束は数日後だ。まだ謝罪前だというのに、オフィーリア所有の劇場に呑気にデートで訪れたとは。
「この劇場をお選びになるのは意外ですわ」
「劇は素晴らしいと評判だからな」
なんとも弱い嫌味だと、オフィーリアは余裕の微笑で対応する。
「先日の謝罪もないうちにラウントリー嬢がわたくしに関係がある場所に来るなんて、という意味なのですけれど、伝わらなかったようですね。殿下のお耳に入っていないはずがないと思っておりましたのに」
噂で知ったという理由ではなく、ペネロピ本人から聞いているはずだとオフィーリアは予想している。案の定、フェイビアンは「その件なら彼女から直接聞いている」と肯定した。
「確かに、証拠のない糾弾は褒められたものではない。しかし、権力で事実を捻じ曲げ、証拠を簡単に残さないような狡猾な者が相手であれば、痺れを切らしてしまうのも仕方ないだろう」
王太子という恵まれた立場に生まれたフェイビアンだけれど、貴人と平民の格差が少しずつ是正される流れにあるこの時代に合った先進的な思想を持っている。だからこそ彼は、ペネロピと共に獣人奴隷制度の廃止を成立させた。
そんなフェイビアンの目から見て、アシュクロフトは悪だ。ペネロピと見解が一致しているフェイビアンは、ペネロピの暴走に理解を示している。
「法が定められているこの国の未来を担う王太子殿下が、私刑を許容なさると?」
「今ここで、証拠が提示されそうだが?」
「あら。自信がとてもおありのようですね。せいぜい頑張っていただきたいですわ」
泰然としたオフィーリアにフェイビアンは敵意を含めて一瞬眉根を寄せ、真剣な顔つきでピアース子爵に視線をやった。
「ピアース子爵。劇場に入れないと揉めていたようだが、経緯を聞かせてくれないか」
フェイビアンの登場に驚いた様子だったピアース子爵は、フェイビアンの態度が自分寄りだと察して機嫌を良くする。
「いやはや、王太子殿下に気にかけていただけるとは幸甚でございます。実はこのとおり、こうしてチケットを購入しているというのに、劇場側が私たちの入場を許してくれないのです」
ピアース子爵が持っているのは、確かにこれから公演される舞台のチケットだった。
フェイビアンの目がスタッフの一人、支配人に向けられる。
「責任者はあなたか?」
「はい、殿下」
王太子から声をかけられても緊張等はなく、支配人は冷静に頭を下げて肯定する。普段から貴族の客が多く、劇場の持ち主は王家の血筋である女公爵のオフィーリアなので、貴人には慣れているのだ。
「ピアース子爵たちの入場を拒否する理由はなんだ? まさか、正当な理由がないわけではないよな?」
「はい。それは――」
「劇場は私の連れを入れたくないようなのです」
説明しようとした支配人の言葉をピアース子爵が遮った。
「彼女は妻も私も実の子のように可愛がっている娘でして、劇を観たいと言うのでこうして連れてきたのです」
ピアース子爵が一瞥した獣人は、子爵の実子と同世代だ。そんな彼女を実の子のように、と聞いて、ペネロピは好感を抱いたらしい。顔に出ている。
獣人を大切にする貴族がいる。そのことが嬉しいのだろう。
「楽しみにしていたのですが、このような対応をされてしまうとは非常に残念でなりません」
フェイビアンが味方についていることで自身の勝利でも確信しているのか、悲しそうなピアース子爵の振る舞いはどうも芝居がかっていて大袈裟だ。
「この劇場は女公爵様が所有しておられ、今回の劇団には支援もされていらっしゃるそうですが、手放すこともお考えになったほうがよろしいかと。時代の流れに逆行した思想を許しておられると、女公爵様の品位も疑われますよ」
「――あら」
オフィーリアは悠然と首を傾げた。
「あなた今、このわたくしを嘲笑したの?」