07.第一章五話
夜の舞台までまだ時間がある夕方、オフィーリアはブラッドを連れて首都内にあるアシュト劇場に向かっていた。初代アシュクロフト公爵が発案し、二代目アシュクロフト公爵が建設させた、首都で最も大きく豪華絢爛な劇場だ。現在の所有者はもちろんオフィーリアである。
この時間帯でも劇場のロビーや休憩スペース、喫煙スペースでの交流目的で早めに来ている客は多く、劇場の周辺には貴族の姿があった。
劇場の前の通りでオフィーリアとブラッドが馬車から降りると、その姿は一際目立った。一気に視線が集まる。
「アシュクロフト女公よ。なんて綺麗なのかしら」
「確か縁談はまだまとまっていないはずだよな。隣の男は誰だ?」
「噂の従者でしょう? とっても美しいわね……」
「所詮は獣人だろう」
「ちょっと、やめなさいよ」
「女公のお気に入りだそうじゃない。下手なことを言って機嫌を損ねたら大変だわ」
ひそひそと話す声が耳に届く。オフィーリアが気にせずブラッドと腕を組んだところで、「オフィーリア様」と声がかかった。
ピンクブロンドの髪を靡かせた綺麗な女性が、侍女を連れてにこやかにこちらに歩み寄ってきた。
「ご機嫌よう」
「マーガレット嬢。久しぶりね」
ハズヴェイル公爵の娘マーガレット。オフィーリアの二歳年下の友人で、親戚でもある。彼女も舞台を観にきたのだろう。
オフィーリアと挨拶を済ませたマーガレットは、ブラッドのほうへと顔を向けた。
「ブラッドさんもご機嫌よう。チケット、贈っていただいてありがとうございます」
「いえ」
「……チケット?」
オフィーリアが首を傾げると、マーガレットはぱちりと目を瞬かせる。
「余ったからと邸に届いたのですが……オフィーリア様はご存じではなかったのですか?」
「知らなかったわ」
確認の意味を込めて視線を向けると、ブラッドはこちらと目を合わせずに前を見据えている。説明する気はないらしい。
「わたくしの虎は本当に可愛いわね」
オフィーリアが笑みを零すと、今度はマーガレットが首を傾げた。そして、周りでこちらを窺っている者たち、特に男性陣を見渡して、「ああ、なるほど」と両手を合わせる。
「デートのお邪魔になってしまうのでご挨拶だけと思っていたのですが、開演までご一緒してもよろしいですか?」
マーガレットはブラッドの思惑にのってくれるようだ。相変わらず察しがいい。
「『彼』は一緒じゃないのね」
「はい。スティーヴン様は元々お仕事がありまして」
彼女の恋人の名前である。オフィーリアとも昔から交流がある人物だ。
「兄と来る予定だったのですが、急なお仕事が入ってしまって……。ですが、せっかくチケットをいただきましたし、オフィーリア様にも久しぶりにお会いしたかったので来ちゃいました。気になっていた舞台ですし、アルマも実は興味があると言うので」
アルマはマーガレットが連れている侍女である。
「そうね。色々と話もしたいし、どうせならそのまま同じ席で観る?」
「そこまでお邪魔するつもりはありませんわ」
「邪魔だなんて、そんなことないけれど……侍女が萎縮して舞台に集中できないのは可哀想だから、確かにやめてあげたほうがよさそうね」
オフィーリアの視線が向けられたマーガレットの侍女アルマは、ビクッとしたあとにぶんぶん首を振る。
「い、いえ! そのようなことはっ」
「ふふ。いいのよ、慣れてるから」
鷹揚に笑いかけ、オフィーリアはマーガレットに「行きましょう」と促した。オフィーリアとマーガレットが並んで歩き、後ろにブラッドとアルマがつく。
「そういえば、オフィーリア様はしばらくご結婚はされないのですよね?」
マーガレットはすぐにその話題を出した。とことんブラッドに協力する姿勢のようだ。ブラッドの人選は正解だった。
「ええ。周知しているはずなのに縁談が多くて困ってるの。しつこいところは本当にしつこくて」
「まあ。ご多忙なオフィーリア様のお時間をいたずらに奪うなんて、傲慢にもほどがある方たちですわね」
「わたくしの一分一秒がどれほどの利益を生むのか理解していないのよ。損失分の補填を請求して、ついでにどう黙らせるか検討しようかしら」
「それがよろしいと思いますわ」
近くにいる者たちに聞こえるように、あくまで二人で会話を楽しんでいる程度の声量で話していれば、周りの者たちの顔がさっと青くなる。
これで縁談は減るだろう。ブラッドが満足そうなのは、わざわざ顔を確認せずとも察せた。
「ところでオフィーリア様」
「何かしら」
「不躾な質問で申し訳ないのですが……首のそれ、わざとなのですよね?」
声をひそめたマーガレットがちらりとオフィーリアの首を見る。
オフィーリアは痕が完全には隠れない首飾りをつけているので、マーガレットはそのことを聞いているのだ。
「ええ。ブラッドのご機嫌取りと、あとは話しかけて来る人たちへの牽制に使えるかもと思って。でも、あなたがいるなら必要なかったわね」
「相変わらず仲がよろしくて羨ましいです」
「それはあなたたちもじゃないの?」
「スティーヴン様はそのあたりは奥手と言いますか……」
マーガレットは悩ましげに、「キスをしてくださるようになったのも最近で」と吐露する。
「誠実と言うべきか度胸がないと言うべきか、どちらかしらね」
「そういう真面目なところも好きではあるのですけれど」
「まあ、あの男なりに大切にしているんでしょうね。色々と配慮しないといけない立場だし、昔ほど周りがうるさくないとはいえ、婚前は自重したほうが無難だもの。それに、あなたを溺愛しているお父様やお兄様の目が厳しいのもあると思うわ」
「確かにそうですね……」
久しぶりに会ったこともあり、女子トークに花が咲く。
マーガレットのおかげで長く引き留める者はおらず、周りの貴族とは軽く挨拶だけを済ませてオフィーリアたちが建物に近づくと、出入り口で何か揉めているのが見えた。
劇場のスタッフが数名、二人の人物の前に立ち塞がって建物に入れないようにしている。
「子爵様は出入り禁止になっているはずです」
「しばらく大人しくしてやっていたんだ、問題ないだろう!」
立ち入りを拒否されているのは小太りの中年男性ピアース子爵と連れの女性だ。チケットがあるのになぜ入れないのかと、やけに大きな声で怒鳴るように文句を言っていた。