04.第一章二話
ペネロピは十七歳で、今は学園にも通っている。伯爵令嬢として生活している。正式に家族として迎えることができなかった頃でも、ペネロピの父である伯爵は彼女に愛情を注ぎ、不自由のない暮らしを送れるよう環境を整えていた。家庭教師もつけていた。獣人が差別されてきたこの世界で、彼女は獣人の血を引いていながら恵まれた環境にあったのだ。
だというのに、公爵位を持つ目上の人に対する態度がこれである。
恵まれた環境に置かれていても、ペネロピが周囲から差別の対象となっていたのは間違いない。オフィーリアに対する言動は、そのような生活で強固に芽生えた、彼女なりの理不尽に対する憤りと正義感ゆえだろう。
「ブラッドさん! 脅されてるんでしょう? 魔法で縛られてるんですか? 正直にお話ししてください。私たちは絶対にみなさんを助け出します」
ペネロピはオフィーリア相手だと埒があかないと判断したのか、ブラッドの説得を試みた。まるで悪人に虐げられている者に助けの手を差し出す正義のヒーローのような、聖女のような顔をして、自分たちは味方なのだと、安心して頼ってほしいと訴えている。
実際のところ、彼女に救われた獣人はとても多い。しかし、ブラッドは彼女から差し伸べられた手を躊躇なく振り払うように、冷たい声を放つ。
「そんな事実はないと何度も説明しているだろう。主人を侮辱するのも大概にしろ」
「ブラッド」
眉根を寄せて不快感を露わにするブラッドを声と視線で制止し、オフィーリアはペネロピを見据えた。
邪魔をしないでくださいと言わんばかりの表情を向けられるけれど、気にせずオフィーリアは口を開く。
「あなたが勝手にあれこれ思い込むのは自由だけれど、そんなにわたくしを糾弾したいのなら証拠を提示することね。正しいことをしているという自信があるのなら、正しい手順を踏むべきだわ。あなたの行動はわたくしに対するただの侮辱行為。警察に連行されていないのはわたくしが許容してあげているからよ」
「それは……っ」
「そもそもあなた、アシュクロフト女公爵の貴重な時間を奪うことで生まれる損失がどれほどのものかわかっているの? ラウントリー家で賄えるような金額ではないのよ?」
オフィーリアはあくまで穏やかな口調で続ける。
「それから、自分が目立つ立場であることをきちんと自覚したほうがいいわね」
ここは人目を遮るものなどない外だ。通りすがりの人たちがなんだなんだと遠巻きにこちらを見物している。オフィーリアもペネロピもこの国では相当な有名人なので、尚のこと人目を引いた。
「人目があるのはむしろ好都合です」
「そう。明日の新聞が楽しみね。『アシュクロフト邸の門前で女公爵を糾弾し侮辱する無礼極まりない伯爵令嬢。獣人奴隷制度の廃止に多大な貢献をした彼女だが、果たして王太子の恋人、未来の王妃として相応しいのか――』なんて内容かしら」
そこまで言われてようやく状況を理解したのか、ペネロピは不安に瞳を揺らして怯んだ。
ペネロピは獣人の血が混じっていながらも正式に貴族の娘となったことだけでなく、王太子と共に獣人奴隷制度の廃止を訴えて積極的に活動し、見事に廃止を実現させた恋人としても有名なのだ。新時代の立役者である。
獣人や平民たちにとっては希望の星。けれど、貴族からすれば目の上のたんこぶであり、排除したい相手でしかない。
ペネロピは自分たちに敵が多いということを正しく理解できていないように見える。生粋の伯爵令嬢とは呼べない環境で育った期間が長いせいか、自分が足を踏み入れたのがすぐに揚げ足を取られる世界だという認識が甘い。
ラウントリーは伯爵家の中でもあまり家格が高いほうではなく、加えてペネロピは獣人の混血。いずれ結婚を望んでいる王太子とペネロピにとって、奴隷制が廃止されたところで瞬時に獣人差別がきっぱり綺麗になくなるわけもないこの世の中では、ペネロピの出自はかなりの障害である。
国内一の規模を誇る新聞社にも出資しているオフィーリアには、その一声でペネロピの記事を一面にすることなど造作もない。悪印象を与える記事が広まってしまっては婚姻の更なる障害となるのだ。
さすがにそこは察せるようで、ペネロピにとっては効果絶大な脅しだった。
「王太子殿下の恋人よ」
「あれが?」
野次馬がやはりペネロピの正体に気づき始めた。
「あの女公に喧嘩を売るとは、なんて命知らずなんだ」
「通報したほうがいいんじゃないの?」
「でも、王族の恋人だぞ……」
「見て見ぬふりをしてアシュクロフト女公から目をつけられるほうが終わりだろ」
ペネロピの表情に焦燥が浮かぶ。
そう簡単に感情を顔に出していては、腹の探り合いの多い貴族社会では不利になるだけなのだけれど、彼女はまだ十七歳。思い描いていたとおりに事が運んでいないような状況では仕方のないことだろう。
オフィーリアが彼女の年齢の時にはとっくに随分な数の大人たちを言葉と権力と魔法による脅しでねじ伏せたものだけれど、同じことを彼女に期待するのは酷だ。
オフィーリアと彼女では、あまりにも立場が異なる。
「それじゃあ、今度こそお引き取りいただける?」
「……」
ペネロピが悔しそうに黙るので、オフィーリアは挨拶もいらないだろうとブラッドを連れて門をくぐる。
「セバスチャン」
「は」
そう声をかけただけで、セバスチャンと庭師もアシュクロフト邸の敷地内に戻り、門を閉めた。ペネロピはその場に佇んでいるけれど、オフィーリアは気にせず邸へと歩みを進める。
セバスチャンが「お引き取りを」と改めて彼女に告げているのが聞こえてきた。このままペネロピが居座り続けるようなら警察への通報も視野に入るので、ペネロピが大人しく消えるまでしっかり見届けるつもりだろう。
「あの女、どうにかならないのか」
オフィーリアに続いて少し後ろを歩くブラッドは相当ペネロピが嫌いらしく、基本的には「あの女」呼びである。
獣人保護に積極的な彼女から手を差し伸べられてここまで嫌悪感をはっきりと示す獣人は、アシュクロフト以外にはなかなかいないだろう。
「あれでも王太子の恋人だもの。使い道もまだあるし、一応は丁重に相手してあげないとね」
「だが、あんたは公爵で、あの女は王太子の恋人とはいえ、伯爵の娘だ」
もっともである。オフィーリアとペネロピに明確な地位の差があるのは事実でしかない。
「愚直なのよ。それに、獣人の権利が認められて奴隷制度が廃止になってからそれほど経っていないし、隠れて所有している者がいることは事実だわ」
オフィーリアが疑われるのは仕方ない。だって、オフィーリアはアシュクロフトの名を持っているのだから。