27.第二章十五話
「女公爵様はブラッドさんを愛人として気に入っているだけです! 今は許していても、飽きたらそれまでのブラッドさんの態度を不敬だと言って酷い罰を与えるに決まってます!」
叫んで酸欠気味なのか、ペネロピは肩で息をする。オフィーリアはそんなペネロピに呆れた眼差しを向けた。
「あなた、本当にわたくしを侮辱するのが好きね。この状況で自分の立場を忘れるなんて、救いようがないわ」
「っ……あなたは、どれだけ人を馬鹿にすれば――」
「ペネロピ。やめろ」
フェイビアンに止められて、ペネロピは大きく目を見開いた。よほどショックだったのか瞳が揺れている。
「どうして……」
「ペネロピ・ラウントリー」
名前を呼ばれて、ペネロピはブラッドを視界に映す。
「それ以上オフィーリアを侮辱するなら、オフィーリアに危害を加える可能性を考慮して、俺はどんな手段を使ってでもお前を排除する」
「え……?」
「もう我慢してやる理由はない。弁えろ」
ブラッドに睥睨されて、ペネロピは恐怖に身を竦めた。その瞳からは恐怖だけでなく、疑問も垣間見える。
オフィーリアは嘆息した。
「ラウントリー嬢。獣人奴隷制度の廃止を実現したこと、とても素晴らしいと思うわ。ただ、あなたはアシュクロフトの獣人たちのことも救いたいなんてほざいているけれど、獣人も含め、アシュクロフトにはあなたに好意的な者は一人もいないの。迷惑な押しつけでしかないのよ」
「え……」
「奴隷制度が廃止される以前から、俺たちはすでに奴隷ではなかった。オフィーリアは俺たちに自由をくれた。今でも公爵家に残っている者たちは、皆それぞれが望んで働かせてもらっている。もちろん、俺もな」
そこまで聞いたペネロピはそんなはずはないと言いたげな顔をするけれど、それが事実である。ペネロピが信じたいかどうかで事実が変わることはない。
「それなのにお前たちは、差別や偏見をなくそうと宣っておきながら、偏見でオフィーリアが俺たちを力で縛りつけていると決めつけ、非難した。俺たちの恩人である人をだ。そんなやつに湧く感情は嫌悪感に決まってる。いや、嫌悪感という表現では生ぬるい」
憎悪すらある。
言葉にせずとも伝わったようで、ペネロピは「あ……」と一歩足を引いた。しかし後ろはソファーだ。バランスを崩してペネロピはソファーに座り込んでしまう。
フェイビアンはペネロピを支えて、ぐっと眉を寄せていた。こちらは存外冷静だ。
「先代の公爵夫妻は確かに獣人を性欲の捌け口として扱い、買い替えのきく労働力として重宝した。獣人の命はあいつらに握られていた。だが、オフィーリアは違う。俺たちを平等に扱ってくれる。オフィーリアは人間か獣人かで他者を測らない。――正直俺は、オフィーリアを侮辱し続けてきたお前たちを力の限り殴りたい衝動を抑えている」
マシューにそうしたように。それほど許しがたいことなのである。
「正義感はご立派だが、それで目が曇るなら元も子もない。無実の人間を犯罪者として扱い、執拗につけ回して楽しかったか? 自分たちの正しいこととやらにこだわって名声を高めるのは誇らしかったか?」
「……私、」
「オフィーリアに突っかかるお前たちを放置していたのは、こちらが忙しくしている間に動かす駒として使えたからだ。王太子も国王も、その肩書きにアシュクロフトを抑制する力はない」
王族相手だから手を出せなかったわけではないと、改めてそう告げる。――お前たちには、力などないのだと。
心がぐちゃぐちゃになって追い詰められたペネロピは、助けを求めるようにマーガレットを見た。目が合うとマーガレットがふわりと笑みを浮かべるので、ペネロピは少し安堵に表情を緩める。
けれど。
「ラウントリー伯爵令嬢。あなたはわたくしを名前で呼んでいらっしゃるけれど、許可したことは一度もないことをご理解なさっておられるのでしょうか」
「え……」
「オフィーリア様を侮辱するあなたたちのこと、わたくし大嫌いなのです」
マーガレットが口にしたのは、ペネロピが求めていた言葉ではなかった。さらに絶望に突き落とす、とどめの一撃となった。
「……女公爵様は本当に、獣人を差別していないんですか……?」
ペネロピが声を震わせながら問う。自分が信じていたものが根底から崩れて、ペネロピの頭は混乱でいっぱいだろう。
オフィーリアは考えて、少し違う形で答える。
「あなたたちのように、わたくしのありもしない罪を暴こうとする者が現れても、当然わたくしは無実。でも、周りは勝手に勘違いしてくれるの。『アシュクロフト女公爵は完璧に証拠を隠滅し、権力で正義をねじ伏せ、完全犯罪を達成した』とね。そして、獣人差別に限らず悪いことをしている人たちは、わたくしを仲間に引き入れれば、わたくしが罪を揉み消す過程で必然的に自分たちも守られることになるのでは、と考える。彼らのほうから安易に近づいてきてくれるの」
正しいことをしているなんて驕ってはいない。誇ってもいない。あくどい手段をとることだってある。正義の味方なんて似合わない。
アシュクロフトの名を持つ者として、その悪名を最大限に利用する。ただ好きなように、気に入らないものを排除する。
オフィーリアは、その道を選んだだけのこと。
「あなたには理解できないでしょうけれど、これがわたくしのやり方よ。このほうが性に合ってるの。だからわたくしたちは相容れない」
正しいことに固執して視界を狭める。そんな人たちは利用しやすいけれど、そばに置いて協力したいと思えるような人ではない。
「わたくしが悪であることは事実だわ。だからこうして、わたくしにとって不愉快な存在であるあなたたちを掃除しているの。あなたたちだって、わたくしのことが不愉快だからありもしない罪を暴こうとした。お互い様だわ」
「……」
「もっと現実を直視して慎重に動くべきだったわね。正義が必ず勝つとは限らないのよ。――まあ、あなたたちが真に『正義』と呼べるのかは甚だ疑問だけれど」
すうっと目を細めたオフィーリアは、穏やかな声で続ける。
「あなたたちはあなたたちが信じる正義感から正しいことをしようとした。それ自体に偽りはないでしょう。ただ、目的はそれだけではなかった」
ぴくりと、ペネロピは肩を揺らした。
「殿下は王太子として不安定な立場にあり、あなたは獣人の血を引いている。国王は貴族からの信用を失っている。あなたたちの婚姻は貴族たちの反対がとても多いわ。だからこそ功績を欲していたんでしょう? 貴族たちを黙らせるための功績を。わかりやすいのが、アシュクロフト女公爵という悪を成敗することだっただけ」
これが、二人が焦っていた理由だ。
図星を突かれて、フェイビアンは反論できずに俯いた。
「わたくしを裁いて王や王妃たる素質を示し、貴族たちに認めさせたかったんでしょう? そういう利己的な側面に目を瞑って、みんなのため、差別をなくすためなんて建前を使った」
「そんな、こと……」
「自覚があるくせに否定するの? 尚更卑怯な人間性ね」
ペネロピは認めたくないようだったけれど、卑怯という言葉が深く心を抉ったらしく、目を丸くしたままゆっくり顔を下に向けた。
獣人を迫害する人間を散々卑怯だと訴えてきたのだ、とても嫌いな言葉なのかもしれない。自分が言われるなんて、それこそ想像もしていなかったのだろう。
「みんなから慕われる国王と王妃――あなたたちのそんな理想は、絶対に実現しないのよ」
小さな子供を軽くあしらうようなオフィーリアの美しい微笑は、ペネロピやフェイビアンを脅威だとは欠片ほども思っていないと、オフィーリアの余裕を表していた。




