25.第二章十三話
「あっつ……!」
熱さで手の力が緩んだのか銃を落としたマシューは、次の瞬間には首を片手で強く掴まれていた。「がぁ、かは……!」と声を上げて痛みと苦しみに悶える。手を包んでいた炎は消えていた。
マシューの首を大きな手で掴んでいる――いや、締めている張本人であるブラッドは、そのまま彼を片手で持ち上げる。マシューはブラッドの腕を掴み、浮いた足を力なく動かしてなんとか抵抗しようとしていた。
マシューは人間、ブラッドは獣人だ。純粋な力の差は歴然である。
「ぐっ、ぁぁぁ……!」
「お前は俺の主人に銃を向けた。このまま首を折っても、これは正当防衛だよな?」
マシューを見上げるブラッドの目は据わっている。声も普段より低い。
マシューの手を攻撃した炎の魔法も、使い手はブラッドだ。これはもう、そのままマシューの命を奪ってもおかしくないほどに憤慨している。
「ブラッドさん、やめてください! ダウエルさんが窒息してしまいます!」
ペネロピの制止の声には当然耳を貸さない。もう一度「ブラッドさん!」とペネロピが叫ぶと、ブラッドはペネロピを睨みつけた。
殺意に近い明確な敵意を向けられたペネロピはヒュッと息を吸い込むと、怯えた様子で縋るようにフェイビアンの服を掴む。フェイビアンもブラッドの異様な雰囲気に警戒態勢だ。
「――ブラッド」
ホールにオフィーリアの声が響く。決して大きくなくとも、冷静さを失っていようとも、ブラッドはその声を聞き逃さない。
「もういいわ。そんな汚いものを触っていたら、あなたの手が汚れてしまうじゃない」
「……」
「ブラッド」
再度名前を呼ぶと、ブラッドは渋々ながら手を広げた。床に落とされたマシューはよろけたものの足を踏ん張ってかろうじて立ち、涙目で「げほっ、げほ」と咳き込み、必死に息を吸い込む。――しかし、ブラッドはマシューの腹を殴った。
マシューは「ぐぁ!」と床に叩きつけられ、そのまま気を失う。襟元を正したブラッドは、しれっとした顔でオフィーリアを窺った。
「これくらいはいいですよね、主人」
「……まあ、そうね」
さすがに目撃者が多過ぎて誤魔化しようがないけれど、状況的に正当防衛で通すことは……まあ可能だろう。相手は銃を持っていた警官で、ブラッドは素手なのだから。……とっくに銃は床に転がっていたし、そもそもブラッドは魔法を使えるうえ、身体能力が高過ぎて弾丸を素手で受け止めたりすることもできるくらいなのだけれど。
ため息を吐いたオフィーリアは、マシューに近づいて彼を見下ろした。情けない顔で気絶している。手は火傷を負っている。
オフィーリアを貶めようとしてこれくらいで済んだのは幸運なほうだ。彼はまだ、他の冤罪事件の罪を償わなければならない。
「妹さんのことはお気の毒だけれど、恨む相手を間違うからこうなるのよ」
意識がない彼に届くわけでもないけれど、オフィーリアはそう呟いた。そんなオフィーリアをフェイビアンが見つめている。
「……さすがにやりすぎじゃないのか、女公」
「俺が勝手にやったことですけど、主人が命じたみたいな言い方ですね」
フェイビアンの意見にすかさず返したのはブラッドだ。そのように反論されるのは予想外だったのか、フェイビアンは目を丸くしている。
「こいつは主人に銃を向けて殺そうとしました。俺は護衛も兼ねてるので、あくまで正当な行動ですよ。――それとも、大人しく主人が撃たれておけばよかったとでも?」
「いや、そんなつもりは……」
自身の浅はかな言葉に気づいたフェイビアンは口を閉じた。
多少落ち着いただけで、ブラッドの怒りは消えていない。下手につつけば矛先が向くことを、関係性が低いフェイビアンには察することができないらしかった。
「捏造の証拠はすでに警察も掴んでいるから、そろそろ来るんじゃないかしら」
オフィーリアが出入り口を見てほどなく、ハズヴェイル公爵家の執事とともに警官たちが姿を現した。そして、ハズヴェイル公爵の元へ向かう。
「ハズヴェイル公爵、夜会の席にお邪魔してしまい申し訳ありません。ご協力感謝いたします」
「ああ、構わないよ。当然のことだからね」
オフィーリアと顔見知りである警部がハズヴェイル公爵に断りを入れると、警部を先頭に警官たちがこちらに来た。悲惨な状態のマシューに困惑を見せたものの、警官たちは警部の指示で手際よくマシューを連行――いや、運び出す。
「オフィーリア様!」
その光景を眺めていたオフィーリアのところへ、マーガレットが駆け寄ってくる。その後ろにはゆったり歩いているクリフォードもいた。
「ご無事でよかったです……! あの冤罪警察官、まさか銃を使おうとするなんて……!」
「あれくらいでわたくしに傷がつくわけないわ。優秀で主人思いな虎がついているもの」
ブラッドがいなくとも、オフィーリアならあの程度の人間を無力化するのは容易い。そのことがわかっていても、マーガレットは肝が冷えたようだった。
「ブラッド、さすがだったね」
「……まあ」
オフィーリアたちと普通に接している兄妹に、フェイビアンは戸惑いを隠せないでいた。
「ハズヴェイル公爵令嬢、あなたは……」
「殿下。わたくし、お二人に協力するなんて一言も申し上げておりませんのよ? お父様たちだって、『お好きになさってください』としか仰っていませんわ」
ハズヴェイルが今回の件に理解を示してくれた。それが勘違いであったと、フェイビアンもペネロピもやっと気づいたのだ。
「それで、あなたたちもダウエル巡査部長と一緒に逮捕されたほうがいいのかしら。捏造した証拠でわたくしを逮捕させようとしていたものね?」
「王太子殿下、ペネロピ・ラウントリー伯爵令嬢。ご事情をお伺いしたいのでご同行願えますか?」
警部が王族を相手に緊張しながらもそう告げると、フェイビアンは唇を噛み締めた。ペネロピは「ま、待ってください!」と狼狽えている。
「私たちはダウエルさんが証拠を捏造していたと知らなかったんです!」
「そのあたりのご事情を伺いたいので、ご同行を」
立派な醜聞であると理解しているからか、ペネロピはどうにか警察へ行くことは回避したいようで、切実に訴えた。警察への連行以前に、もう色々と手遅れだというのに。
「このような騒動を起こしておきながら、ラウントリーの娘は何を言っているんだ」
「捏造について知らなかったのが本当だとしても、女公への侮辱は事実じゃないか」
「ハズヴェイルの夜会にあんな危険人物を連れてきたことも大問題よ。どう責任を取るつもりなのかしら」
「――これは、王太子殿下もどうなるかわからんな」