21.第二章九話
首都のハズヴェイル公爵邸は、アシュクロフト公爵邸と同じく一等地区にある。馬車で十分もかからない程度の距離だ。
そのハズヴェイル公爵邸で開かれる夜会に参加する予定のオフィーリアは、うきうきの侍女たちの手によって美しく着飾られていた。黒と赤を基調としたマーメイドドレスを身に纏い、化粧や髪のセットを施され、ルビーのアクセサリーがつけられる。
「やっとあの女と王太子を退治されるのですね」
「この日を皆がどれほど待ち侘びていたことか」
ずいぶん気合が入っている侍女たちのおかげで、オフィーリアの美しさにいつもより磨きがかかっている。
「それにしても、オフィーリア様のご友人であるハズヴェイル公爵令嬢を本当に利用しようとするなんて、あの二人は頭が弱いのですね」
「ハズヴェイル公爵令嬢だけでなく、ハズヴェイル公爵家がオフィーリア様を裏切るわけがありませんのに」
親戚であるアシュクロフト公爵家とハズヴェイル公爵家は昔から仲がよかったけれど、両親のせいで一時期は距離を置かれていた。しかし、両親から仕事を押しつけられていたオフィーリアが共同の事業をハズヴェイル公爵家に持ちかけたことがきっかけで、オフィーリアだけは付き合いがあった。
出会って割とすぐの頃から、マーガレットはオフィーリアを姉のように慕ってくれている。マーガレットの兄も両親も優しく、オフィーリアのことをよく気にかけてくれた。血の繋がった両親よりも家族のような人たちなのだ。
「オフィーリア様たちの友情を疑うなんて」
「善人ぶってますけど、やっぱり性格が悪いですよね」
「まあ、余裕がないんでしょうね」
オフィーリアが立ち上がったところで、ノックの音が響いた。
「俺だ、オフィーリア」
「入っていいわよ」
許可を出せば、ブラッドが扉を開けて部屋に入ってきた。
ブラッドは今夜、オフィーリアの夜会でのパートナーを務める。そのため、オフィーリアとお揃いの色合いの服を着ていた。夜会用の華やかなもので、とても似合っている。
じっと見つめていると、ブラッドが「なんだ」と訊ねてきた。
「かっこいいから惚れ直していただけよ。気にしないで」
「そうか」
満足げに軽く笑みを零したブラッドは、身を屈めてオフィーリアと顔の距離を近づける。
「俺も惚れ直したよ、オフィーリア」
目を細めたブラッドが囁いた台詞に、オフィーリアではなく侍女たちが顔を赤くした。
その後、オフィーリアとブラッドはエントランスホールに降りた。手が空いている使用人たちが見送りのために集まっている。
「行ってらっしゃいませ」
セバスチャンが頭を下げた後ろで、他の使用人たちも頭を下げる。彼らに見送られて二人はエントランスホールを出た。
邸の前にはすでに馬車が用意されている。
「エリンが見送りにいなかったのは珍しいわね」
「子供は寝る時間だ」
「あら。何か盛ったの?」
「夕方まで訓練のスケジュールを入れて、そのあとは好きなだけ食わせたら寝ただけだ」
「眠気に勝てないよう、疲れさせてから満腹にさせたのね」
ハードな訓練を入れて、好物の料理をたくさん用意させたのだろう。エリンがまだ子供で単純なのもあるのか、ブラッドはエリンの扱い方を熟知している。
「あいつがいたらうるさいからな」
「なんだかんだ、仲がいいんじゃない?」
「よくない」
眉間にうっすらと皺を作って間髪入れずに否定したブラッドのエスコートで、オフィーリアは馬車に乗り込む。馬車はハズヴェイル公爵邸へと向かった。
ハズヴェイル公爵邸に到着したオフィーリアとブラッドが夜会の会場であるホールに姿を現すと、やはり参加者たちの視線を集めることになった。
「アシュクロフト女公じゃないか。美しいな……」
「パートナーの殿方も、なんて素敵なのかしら」
「獣人だよな。確かにあの容姿なら女公が気に入るのもわかる」
他の参加者たちはオフィーリアに近づこうとせず、道を開ける。オフィーリアがまず主催側であるハズヴェイル公爵たちに挨拶をするとわかっていて、邪魔をしないためだ。
今回の夜会は妙齢の令息令嬢と、その親の参加者が多い。元からこの夜会はハズヴェイル公爵家が協力してくれて、フェイビアンとペネロピを招くために開いたもの。しかし、参加者たちは招かれた層から、ハズヴェイル公爵の後継者である令息の婚約者を選定するための夜会だと勘違いしている。それを狙ってハズヴェイル公爵が招待客を選んだのだ。
ハズヴェイル公爵の息子クリフォードには、まだ婚約者がいない。オフィーリアの一つ上でブラッドやスティーヴンと同い年なのだけれど、男性は女性より初婚年齢が高い傾向にあるとはいえ、この年齢で婚約者や恋人がいないのは珍しいほうだ。
よって、そろそろ本腰を入れて婚約者を決める気になったのかと、周りは勝手に勘ぐってくれているというわけである。オフィーリアの時と似たような現象だ。
ただそうなると、クリフォードとオフィーリアの縁談が進むのではという邪推もされてしまうのが社交界というものである。アシュト劇場での出来事でオフィーリアがしばらく結婚しないということは広まっていても、そんなものは関係ないとばかりに。
しかし、クリフォードが婚約したい相手は決まっているらしく、あまり心配しなくてもいいそうだ。
「おじ様」
ホール内を進んだオフィーリアとブラッドは、ハズヴェイル公爵家の四人が揃っているところに声をかけた。
「久しぶりだね、オフィーリアさん」
「お久しぶりですわ、おじ様、おば様。クリフォードも」
ハズヴェイル公爵夫妻は、オフィーリアが敬意を表して敬語を使う数少ない相手でもある。その姿が珍しいのか、周りから「慣れないな……」「ハズヴェイルは特別なのね」と聞こえてきた。
なお、クリフォードからは年齢も近いし普通に接してほしいと言われているため、敬語は使っていない。
「この度はご招待いただきありがとうございます」
「いやいや、こちらこそ出席していただいてありがたいよ」
「マーガレットから聞いてはいるけれど、元気そうでよかったですわ。それにしても、また綺麗になりましたね」
「ふふ。ありがとうございます、おば様」
「オフィーリア様がお綺麗なのは常にですわ、お母様」
夫妻との会話にマーガレットも入る。
スティーヴンの姿はなく、今回はクリフォードがマーガレットのエスコートをしているようだ。
「スティーヴンはいないのね」
「巻き込まれたくないんだろうね」
そう予想を述べたのはクリフォードだった。
クリフォードもスティーヴンとは付き合いが長く、仲もいい。そもそも高等部までずっと同じ学園で過ごし、大学も同じところに入学しているのだ。
「薄情な友人だわ。あれに大事な妹を任せていいの?」
「面倒くさがりではあるけど、オフィーリアに関係しないことならむしろ頼もしいくらいだから、及第点かな」
「能力はあるものね」
「だからオフィーリアに振り回されてるわけだしね」
スティーヴンは色んな意味で使い勝手がいいので重宝している。本人にとってはとんだ災難だろう。
「ふふ。お手柔らかにお願いしますね、オフィーリア様」
「もちろんよ」
マーガレットはどちらかといえばオフィーリア寄りの立場なので、事前に恋人を借りると伝えれば「遠慮なくどうぞ」と快諾してくれる。お手柔らかにと言っているけれど、むしろ「こういうことをしたいならスティーヴン様を使ってはどうでしょう」と積極的に進言してくるくらいだ。恋人として慎重すぎるスティーヴンへの一種の意趣返しだとオフィーリアは見ている。
(マーガレットのそういうところ、わたくしの影響を受けている気がするわ……)
ほんの少しだけ、スティーヴンに申し訳ない気持ちになった。本当にわずかだけれど。