16.第二章四話
「オークションに参加するのは基本的に投資のため。わたくしが購入したという実績による付加価値で、ひと月後には倍の価値がつくこともあるからありがたいわ」
あのアシュクロフト女公爵が興味を示したもの、手にしたもの。それだけで価値は何倍にもなるので、オフィーリアはこの投資に失敗したことがない。
「この前のオークションに関しては、あなたのお目当てのものを落札して接触の機会を作り、この闇オークションに招いてもらうために参加したの。侯爵夫人がこの首飾りに興味を示すように誘導したのも、わたくしの指示を受けた者よ」
そこまで言い終わったのと同時に、会場の扉が勢いよく開けられた。
「侯爵様!」
異変を感じたらしいスタッフ――ベイノン侯爵の手下が数人現れる。
「お前たち、女公を――」
ベイノン侯爵が命令しようとするも、手下たちの足下に魔法陣が浮かび、彼らは魔法陣からの放電で感電し、気を失った。
バッとこちらを見たベイノン侯爵に、オフィーリアは笑みを深める。
「クソッ!」
短く吐き捨てたベイノン侯爵の手元に魔法陣が出現する。魔法でオフィーリアたちを攻撃するつもりらしい。
しかし、ブラッドが瞬時に火の魔法を使ってベイノン侯爵の魔法陣を破壊し、その発動を防いだ。オフィーリアではなくブラッドの鮮やかな手際による妨害に、ベイノン侯爵は大きく目を見開く。
「なっ、獣人がこれほどの魔法を使えるなど……」
「わたくしの虎はとっても優秀なのよ」
床を蹴って一瞬でベイノン侯爵との距離を詰めたブラッドは、ベイノン侯爵を床に押さえつけた。
「貴様……ッ、私が集めた獣人を掻っ攫うためにこんなことをしたのか? いくらアシュクロフトだとしても、ただで済むと思わないことだ!」
「――あら」
オフィーリアは楽しそうに首を傾げる。
「あなた今、このわたくしを脅迫したの?」
睨んでくるベイノン侯爵に近づき、オフィーリアは彼を見下ろした。
「一つ教えてあげるわ、侯爵。獣人奴隷制度の廃止……あれは王太子とペネロピ・ラウントリー主導で実現したことだけれど、反対派の貴族が賛成せざるを得ないように手を回したのはわたくしなの」
「なんだと……?」
「あの二人は良くも悪くも実直で純粋だから詰めが甘いのよ。わたくしに誘導されているとも知らず、上手く働いてくれたわ。すべて自分たちの努力の結果だと愚かにも信じきっているでしょうね」
敷かれたレールの上を進んでいただけだというのに、ペネロピもフェイビアンも気づいていない。想定よりも時間をかけずに目的を成し遂げることができて、そこに疑問などないのだろう。
「なぜ、わざわざ獣人ごときのために……」
「そんなの決まってるでしょう? 不快だからよ」
隣にいるエリンの頭を、オフィーリアはもう一度撫でる。
「自分たちは誇り高く尊い存在、獣人は人の姿形を真似た穢れた獣でしかない。そう自信満々に断定して搾取する人間が嫌いなの。醜悪かどうかに種族なんて関係ないもの。このとおり、わたくしの目の前にはクズな人間が転がっていることだしね」
オフィーリアは美しい微笑を浮かべた。
「気に入らないから潰す、それだけだわ。わたくしはそういう人間だって、みんな知っているでしょう?」
これが悪女公爵と呼ばれているオフィーリア・アシュクロフト=シアーノクス。ノクシア王国だけでなく他国にまでその異名を轟かせている女の本質だ。
ベイノン侯爵とて確かに知っていた。周知の事実である。
しかし、悪女公爵のそれが獣人差別に対して向いているなんて、誰が想像できるというのか。
先代の頃、アシュクロフト公爵家は獣人奴隷を大勢買い、彼らをおもちゃのように扱い、数多の獣人の命を奪ってきた。先代夫妻が亡くなり、獣人奴隷制度が廃止されてからも、アシュクロフト公爵家から解放された獣人はたったの数人。今でも元奴隷の獣人がアシュクロフト公爵邸で何十人も、オフィーリア所有の商会や鉱山等では何百人も働いている。
奴隷でなくなったのは形ばかりで、奴隷だった頃とそれほど違いのない労働環境に置かれているのだろう。当たり前のように周りはそう認識していた。
「あなたの失敗はわたくしを引き入れようとしたことよ。すでに説明したように、それさえもわたくしの計画のうちだったのだけれど」
ベイノン侯爵の体から力が抜ける。ブラッドの拘束から逃れようとしても歯が立たず疲労が溜まったのと、オフィーリアの話に愕然としたためだ。
そして――ふと、ベイノン侯爵はある可能性に気づく。
「……まさか、先代夫妻が襲撃された事件は……」
先代アシュクロフト公爵夫妻、つまりオフィーリアの両親は、領地から王都に向かう途中で盗賊団に襲われて亡くなった。それはオフィーリアが十五歳になって間もない頃のことである。
この国では、正式に爵位を継ぐことが許される年齢が十五歳なのだ。獣人差別者である先代夫妻を快く思っていなかったのだとしたら、当時のオフィーリアはもしかすると、滞りなく爵位を継ぐ準備を進めて実の両親を――。
信じられない気持ちでベイノン侯爵がオフィーリアを見つめていると、オフィーリアは特に狼狽えることなく目を細めた。
「あれは本当に、わたくしも想定外の事件だったわ。でも……そうね。わたくしが最も嫌悪する人間があの二人だったことは事実よ」
嘘か実か。それを知る術は、ベイノン侯爵にはない。
「さあ。覚悟はできてる?」
そう問うたオフィーリアの手から青白い電光とバチバチという音が漏れる。けれど、魔法を使う前に舞台袖から壁を壊して魔獣が乱入してきた。熊の魔物だ。
大きさは四メートルほどだろうか。かなり荒ぶっている。
「グォォォ!!」
「――あら。あなた今、このわたくしに吠えたの?」
威嚇する熊の魔獣にも、オフィーリアたちが怯むことはない。
「躾が必要だわ」
それが合図かのように、エリンが魔獣の顔に飛び蹴りを入れて舞台の上に吹っ飛ばす。舞台の上を滑ってドォン! と後ろの壁にぶつかった魔獣を、ブラッドが燃え広がらない炎の檻で囲った。
「大人しくしてろ」
魔物は炎の檻の中で縮こまって「ウゥゥ……」と鳴く。ブラッドの足元でベイノン侯爵は気絶していた。
「いい連携ね」
「「……」」
ご満悦なオフィーリアとは異なり、ブラッドとエリンはやはり不満そうにお互いを見つめている。
オフィーリアは舞台に上がり、魔獣をまじまじと観察した。
出品物の見物の際についでに紹介された、侯爵のペットだという魔獣だ。使い魔契約の届け出を出していない、不法に使役している魔物である。
「言うことを聞かないから麻酔で眠らせているって話だったのに、効果が切れたのね」
「あんたが落雷の魔法を派手に使ったから、それで起きたんじゃないのか」
「確かに、ありえるわね」
オフィーリアが同意してすぐ、「警察だ!」と声が響いたので出入り口を振り返る。
「全員動っ……く、な……?」
勢いよく飛び込んできた警官たちは、会場の惨状に戸惑いを隠せないでいた。
気絶している大勢の客、舞台の上に魔獣を囲っている炎の檻、そしてオフィーリアたち。どうしてこうなっているのか、すぐに理解するのは難しいだろう。
「待ちくたびれたわ、警部」
オフィーリアは笑顔で彼らを歓迎した。
◇◇◇