15.第二章三話
ざわっと、一層どよめきが大きくなる。
『ひゃ、百億! 一番の方、百億です!』
オークショニアが戸惑いながらも興奮気味に復唱する。別の席から声が上がった。
「百十億!」
『百十億が出ました! 十三番の方、百――』
「二百億」
ブラッドが口にしたその金額に会場がどよめく。完全に、オフィーリアとブラッドに注目が集まる。
その中で、オフィーリアは目を細めた。
「手荒に行きましょ」
会場の上部に大きな魔法陣を出現させる。魔法陣から電光が漏れ、バチバチと音が鳴る。
皆が状況を把握するよりも早くオフィーリアが魔法名を唱えた瞬間、会場全体にいくつもの青白い雷が落ちた。激しく雷鳴が鳴り響き、悲鳴が上がる。次々と参加者たちが倒れ込んだ。
加減を誤ると命を奪ってしまうような魔法だけれど、そうならないように威力は調整している。皆気絶しているだけで、誰も息の根は止まっていない。
ここにいるのは、獣人に暴行を加え陵辱することを楽しむ性根の腐った者たちだ。ただ眠らせるのでは生温い。
ひと通り雷を落とし終え、魔法陣を消す。
意識があるのはオフィーリアとブラッド、舞台近くの席に座っていたものの今は立っており、衝撃を受けた顔でこちらを凝視しているベイノン侯爵。そして――。
「オフィーリア様の魔法はやっぱり綺麗ですねぇ!」
壇上で目を輝かせている、モモンガの獣人だけだ。
ベイノン侯爵が更に瞠目し、「何を言っているんだ?」という眼差しを獣人に向けた。
狼狽しているベイノン侯爵を尻目にオフィーリアはソファーから立つと、魔法でゆったりと一階に降り立ち、階段を降りて舞台に近づく。ブラッドもしっかり後ろに続いている。
「捕まっている子たちはちゃんと移動させたのね?」
「はい!」
訊かれたことに元気よく返事をした獣人に、オフィーリアは微笑んで労りの言葉をかける。
「お疲れさま。終わったらたくさんご褒美をあげるわ、エリン」
「はちみつ! ハニーホーネットのはちみつが食べたいですぅ!」
「ふふ。いいわよ」
蜂型の魔物、魔蟲ハニーホーネットのはちみつは、モモンガの獣人である彼女――エリンの大好物だ。流通している普通のはちみつと比較して、値段は五倍以上である。
「どういうことだ……」
二人の親しげな会話にベイノン侯爵が思わず呟くと、最下段、舞台の目の前についたオフィーリアは悠然と笑みを深める。
「簡単なことよ。その子はそもそもわたくしの元で働いている獣人で、あなたに借金をしている男にわざと捕まえさせたの。あなたがこの子を宣伝に使って参加者を多く集めると見越してね」
オフィーリアの元に駆け寄ってきた獣人の頭を優しく撫でると、獣人は破顔した。
このモモンガの獣人エリンは、アシュクロフト邸でメイドとして働いている。可愛らしい見た目とは裏腹に戦闘能力が高いので潜入させたのだ。
「目も……ほら、真っ黒。目の色が特殊に見えるよう、魔法で変えただけ」
オフィーリアがかけた魔法を解けば、エリンの目は本来の色である黒色に戻った。オフィーリアが直々にかけた魔法なのだから、そうそう見破られることはない。
「馬鹿な……魔法で変えていないと鑑定を……」
「その鑑定士もわたくしが手配したのよ」
オフィーリアはエリンの枷を魔法で外した。首輪――隷属の魔法が刻まれたそれも、魔法で壊して外す。
「この子の役目は見張りを制圧して捕まっている獣人たちを保護し、わたくしが避難場所として結界を張った部屋に移動させること。その部屋に置いた魔道具でスタッフに催眠をかけ、問題なくオークションを進行させて舞台に出て、獣人たちの保護が無事に完了したかどうかを手の形でわたくしたちに知らせること。『特別な商品』として客を惹きつけ、注目を集めること。わたくしが地下から上のレストランにかけて大規模な結界を張っても気づかれないよう、念のためにね」
枷と首輪がつけられていたエリンの肌は赤くなっていた。オフィーリアはかすかに眉根を寄せ、しかしすぐに落ち着いた笑顔に戻し、淡い青色の双眸でベイノン侯爵を捉える。
「結界は中から外に出ることができないものよ。もし捕らえ損ねた者がいても逃げられないように」
「馬鹿な! 登録外の魔力による魔法発動を感知し妨害する魔道具をいくつも置いているんだぞ!」
「それなら見物している間に壊させてもらったわ」
事前に獣人や出品物の見物をさせてもらったのは、その時間を稼ぐためだった。
「わたくしがここで落雷の魔法を使っても魔道具が何も反応しなかったのだから、確認なんてしなくてもわかるでしょう?」
「……見物には私が常についていた。そのような気配、微塵も……」
「魔道具が魔法を感知して発動するより早く、更にあなたたち如きにも気づかれることなく魔法を使う。案外簡単よ?」
魔道具の場所さえ探ることができれば、わざわざ近づかなくても破壊は可能だ。
オフィーリアはちらりとエリンを見据える。
「牢で対面した時に気が緩みそうになっていたのはまだまだね」
「久しぶりのオフィーリア様だったので嬉しくてぇ」
朗らかなエリンに対し、ブラッドは無表情である。
「他のやつに任せたほうがよかったんじゃないか」
「なんですか。私はちゃんと自分の役割を果たしましたよ。文句があるならブラッドさんが潜入すればよかったんじゃないですかぁ? その間私がオフィーリア様の身の回りのお世話も護衛も喜んで引き受けたのに」
先ほどまでのヘラヘラが嘘のように引っ込み、エリンはオフィーリアの腕に抱きついてムスッとブラッドに噛みつく。
「従者はお前には荷が重い。あと離れろ」
「私だってできます。成長しました! あとオフィーリア様の命令じゃないので聞きませんー!」
「精神年齢は成長してないだろ」
「成長してますー! 大体、ブラッドさんはオフィーリア様にべったりすぎなんですよ。たまには後輩たちに譲るくらいの度量を見せたらどうですかぁ? 嫉妬深い男はめんどくさくてそのうち嫌われちゃいますよぉ?」
「残念だったな。それはない」
「なんですかその自信に満ち溢れた顔はー! 独り占め反対! オフィーリア様はみんなのオフィーリア様なんですからね!」
エリンの煽りにブラッドの目が据わる。
「――二人とも」
オフィーリアが声をかけると、ピクッと反応した二人はオフィーリアの顔を窺う。
「喧嘩は帰ってから好きなだけしなさい?」
笑顔で告げれば、エリンは「ごめんなさいオフィーリア様」としゅんとなり、ブラッドも「……悪い」と素直に謝罪を口にした。
「ふふ。放置してしまってごめんなさいね、ベイノン侯爵。うちの子たちは仲がいいものだから」
オフィーリアが上品に笑う後ろで、ブラッドとエリンはお互いをちらりと見る。仲がいいわけではない、という反論を抱きながら。
気配でそれを察したもののまったく気にすることなく、オフィーリアはベイノン侯爵を見据えたままだ。
「えっと、どこまで話したかしら……あ、そうそう。エリンを潜入させてまでこの闇オークションに参加したのは最初から、獣人売買に関わっている連中を捕まえるためだったの」
ブルーダイヤモンドの首飾りをそっと触る。
「そもそもわたくし、中古品にはあまり興味がないのよね。歴史的価値があるとしても、所詮は誰かのお下がりなんだもの」
オフィーリアは「そうでしょう?」と、ベイノン侯爵に同意を求めた。




