12.第一章十話
「……おかえりなさい」
「ああ……ただいま、ペネロピ」
帰宅したラウントリー夫妻を、ペネロピは玄関で出迎えた。ラウントリー伯爵は心配そうな面持ちのペネロピの頭を撫でる。
「結論からいえば、とりあえず許してくださるそうだ。ただ、次はもうないと忠告を受けた」
「……」
「ペネロピ。私たちはお前を愛している。どんなことがあっても味方だ。だが、間違っていることを正すのも親の役割だと思っている」
子供のすべてを肯定するだけが親ではない。
「お前と殿下のやっていることはとても褒められたものではないし、謗りを受けて然るべき所業だ。幸いにもアシュクロフト女公が寛大な対応をしてくださっているおかげで今のところ大事にはなっていないが、今頃私たちが路頭に迷っていてもおかしくないことをしているんだぞ」
「でも、あの人……女公爵様が悪いことをしているのは事実でしょ? 巧妙に証拠が隠されてるだけで、私もフェイビアン様も彼女にちゃんと罪を償ってほしいだけなの。犠牲になってる獣人たちを早く助けたいのよ!」
ラウントリー夫妻は娘の活動を誇りに思っているし、できる限り協力したいのは本心だ。けれどアシュクロフトに関しては、ペネロピもフェイビアンも盲目になっているように見えてならない。
ラウントリー伯爵の妻コリンナは、二人の最近の浅はかな言動が心配で仕方ないのだ。焦燥感に駆られ、冷静な判断力を失っていると感じる。
「証拠が隠されているだけと言うけれど、根拠はあるの?」
「根拠? あの人の悪い噂ならたくさんあるわ」
「それはあくまで噂でしょう。アシュクロフト女公爵様が獣人を虐げているのが事実だと、本当にそう思うの?」
アシュクロフトを相手にするなら慎重に動く必要がある。噂は証拠にならない。それはペネロピも理解しているはずなのに、なぜか噂だけでも充分だと決めつけている。
「ただの噂じゃなくて、事実に基づいた噂だもの。アシュクロフト公爵家がどういうところかはみんな知ってるわ。あの人の振る舞いだって、自分以外の人たちを物凄く見下してるのは確かだし」
「それは……」
「あの家で亡くなった獣人がどれほどいるか。それなのに、奴隷制度が廃止になってあの家から出て行った獣人はたった三人なのよ」
これは警察の調査で判明したことでオフィーリアも認めているので、紛うことなき事実だ。
「苦しい思いをした家に残りたいと思っているはずがないわ。それでも残ってるんだから、みんな脅されてるに決まってるじゃない」
その言葉で、コリンナの頭には従者の顔が浮かんだ。
黒髪交じりの淡い金髪を持ち、赤い瞳が印象的だった、とても美しい容貌の青年。
「……女公爵様と従者の方にお会いしているのなら、あのお二人のご関係がわかるでしょう。女公爵様からは従者の方のとても濃い『匂い』がしたわ」
獣人の愛情表現の一つに相手にフェロモンをつけるというものがあり、もちろん常識的な程度というものが存在する。
家の外や人目のある場所でパートナーに濃くフェロモンを纏わせ、パートナーがそれを受け入れている状態とは、人間で言えばキスマークを大量につけて一切隠していないようなものだろうか。今日のオフィーリアはコリンナから見てまさにそうだったので、正直なところこちらのほうが恥ずかしくて居心地が悪い思いをした。
しかし、オフィーリアは人間だ。フェロモンは獣人同士であれば当然気づくことができる愛情表現だけれど、獣人のフェロモンは魔力由来の成分とはいえ、人間の感覚だとほとんど感じ取ることはできないらしい。
つまりブラッドのあれは、オフィーリアに愛情を伝えているというよりは独占欲を表していたという表現が正しい。二人の雰囲気から察するに、おそらくオフィーリアも同意の上。
普段からあの状態であれば国中の獣人の間で噂になっているはずなので、今日はあえてだったのだろう。
対面したのはコリンナと夫。ブラッドの目的は「オフィーリアは自分のパートナーである」という、恋敵への牽制のようなものではない。その意思は明白だ。
こんなにもオフィーリアを愛しているのに愛情を疑われて非常に不愉快だという表明。ラウントリー、要するにペネロピへの無言の非難である。
「少なくとも従者の方はご自分の意志でアシュクロフトにいるわ。特別なご関係なのよ」
「……それは、無理やりに違いないわ。あの人はたくさん恋人を抱えているそうだもの」
「従者の方が本心では女公爵様を拒絶していらっしゃるのなら匂いでわかるものよ。それに、女公爵様が本当に恋多き方であることを証明できるの? 実際に見たの?」
確かにそのような噂はある。オフィーリアは芸術家のパトロンもしており、彼らとはただならぬ仲だともっぱらの噂だ。
数々の悪評を持つ先代夫妻、その血を濃く受け継いでいるとされる悪女公爵オフィーリア。彼女の振る舞いは高圧的で、「悪女」と称されるのは何も不思議なことではない。
けれど、コリンナは実際にオフィーリアと会って、アシュクロフト邸の使用人たちを目の当たりにして、オフィーリアに関する噂は事実ばかりではないのだと確信を得た。
「ペネロピ。あなたは正式にラウントリー伯爵家の娘になったの。そうでなくとも、もう十七歳なのよ。言動に責任が伴うことをもっとよく考えて。あなたの言動で伯爵家が危機に陥ったり、王太子殿下のお立場が悪くなったりすることだってあるのよ」
「……わかってるわ」
そう言ったペネロピが納得していないのは顔を見ればわかった。コリンナが眉尻を下げると、ラウントリー伯爵が娘の両肩を掴んで目線を合わせる。
「アシュクロフト女公が裁かれるべきだと言うのなら、確実な証拠を掴んで、正しい手順でやりなさい。それができないなら、お前はお前が嫌悪する悪い人たちと同じだ」
「っ……女公爵様が証拠を残さないような人だからこんなに苦労してるのよ!」
証拠がないなら断罪もしてはならない。そもそもできるはずがない。それがなぜわからないのか。
「野放しにしろって言うの!? あの人のせいでどんどん犠牲者が増えるってわかってるのに!?」
「だから、それが事実であると示す根拠が――」
「お父様もお母様もあの人のことが怖いだけでしょ!?」
「ペネロピ!」
ペネロピは父の手を振り払って駆け出し、自分の部屋に飛び込んだ。閉じたドアに背中を預けて、ぎゅっとスカートを握りしめる。
「あの人の悪行は、私たちが必ず暴いてやるんだから……!」
悪いことをした悪い人は然るべき罰を受ける。それが正しい世の中のはずだ。
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