11.第一章九話
翌日、国王から謝罪の手紙が届いた。手紙は使者が届けに来たのだけれど、国王が直接謝罪する場を設けたいと言っているとのことだったので、お断りの返事を任せて送り返した。もちろん、慰謝料の請求書を持たせて。
フェイビアンはかなり叱られたことだろう。しかし、国王はフェイビアンをかなり溺愛しているので、きちんと効果があるかは疑問だ。オフィーリアとしては都合がいいので別に構わないのだけれど。
そして、ラウントリー伯爵夫妻との約束の日。伯爵夫妻が時間どおりに来て応接室で待っているということで、オフィーリアはブラッドとともに応接室を訪れた。
オフィーリアがソファーに腰掛けると、伯爵が頭を下げる。
「この度は私どもの教育不足により、娘が立て続けに大変な非礼をしてしまい、誠に申し訳ありません」
伯爵の謝罪に合わせて、隣の女性も同様に頭を下げた。伯爵の妻、ねずみの獣人だ。
ラウントリー伯爵は長いこと未婚だった。彼は親族の反対を押し切り、伯爵家の奴隷だったねずみの獣人との未来を選んだからだ。
伯爵家はどうにか二人を別れさせようと苦悩したらしい。それでも上手くいかず、そのうちペネロピが産まれた。
法的に結婚が許されていなかった時代でも、彼らは愛を貫いた。このラウントリー夫妻の純愛話は国内でも話題になり、夫妻を元にした小説や劇ができたほどである。
そして、数年前。獣人の差別問題に関心があった王太子が伯爵家を訪問した際にペネロピと出会い、あまり時間はかからずに二人は恋人関係になったため、伯爵家やその縁者は更に手を出しにくくなった。というより、手を引くことになった。未来の王妃を輩出できるかもしれないという欲が優ったのだろう。
そんな中で、おそらく夫妻は安堵と同時に大きな不安を抱いたはずだ。
まだまだ貴族社会に慣れていない、半分獣人の血を引く愛娘。ペネロピが王太子フェイビアンと交際し、婚約し、将来妃になれば、悪意を持って害そうとする保守派が暗躍する可能性は否定できないのだから。
反対されるだけならまだましで、王妃になる前に消される可能性が高いところが一番の気がかりだろう。
王家の後ろ盾があるとはいえ、王太子の母――王妃の生家は当時、伯爵に陞爵したばかりの元子爵家。近年は王族の伯爵家出身者との婚姻に寛容的ではあるものの、その伯爵家はぎりぎり及第点に届かない家格であった。それでも当時王太子だった国王は強引に父王や議会の承認を得て結婚にこぎつけたのだ。その際に貴族との軋轢が生じた。
王妃の出身だけが理由ではないけれど、とにかくフェイビアンの地盤は安定していない。オフィーリアと対立しているのも影響は大きい。
フェイビアンとペネロピは自らオフィーリアを敵に回している。賢い選択とは決して言えず、夫妻の気苦労は相当なものだろう。
「ご令嬢は確か、昔から教育自体は受けているのよね?」
「はい」
「ずいぶん正義感が強くて思い込みが激しいのねぇ。獣人のことに敏感になるのは理解できるけれど、犯罪者呼ばわりされてとても不愉快だわ」
夫妻はやつれているように見える。謝罪が決まってからの数日、ろくに食事や睡眠がとれていないのかもしれない。
オフィーリアの気分次第で、ラウントリー伯爵家は簡単に潰されてしまう。そのことを危惧しているのだ。
娘と違い、夫妻は自分たちが窮地に立たされていることをよく理解している。
「彼女、通っている学園でもわたくしのことを吹聴していると聞いたわ。本当に甘やかしすぎね、伯爵」
「返す言葉もございません」
正式に伯爵の娘となったペネロピが入学したのは、マーガレットも在籍している学園だ。おかげで情報はわんさか入ってくる。
今の若い世代は獣人の人権問題を憂いている者が多いようで、ペネロピは同年代からそれなりに好意的に受け入れられているらしい。ただ、保守的な考えの者からはやはり煙たがられているようだ。
「あれが王太子の恋人だなんて、おかしくて笑ってしまうわ。王妃としての資質があるのか疑問が尽きないわね」
黙り込む夫妻に、オフィーリアはブラッドがテーブルに置いた紅茶を一口飲んで笑いかける。
「まあ、謝罪はいただいたことだし、ご令嬢の再教育と慰謝料の支払いで手打ちにしてあげましょう。ただし、いくら寛容なわたくしでも見逃してあげられる限界はあるの。――次はないわ」
「はい……。寛大な御心に感謝いたします。娘には強く言い聞かせます」
夫妻は再び、深々と頭を下げた。
夫妻が去ったあと、オフィーリアは残りの紅茶に口をつけていた。
「あの子、本当に愛されてるわね」
カップを置いたオフィーリアが呟く。夫妻に出していたティーカップとソーサーを片付けていたブラッドは手を止めた。
「夫妻はわたくしを恐れていた。それでも、娘を守る強い覚悟があったわ」
ラウントリー夫妻はやつれている様子だったし、申し訳ないという気持ちが全面に表れていた。オフィーリアに対する恐怖も明らかにあった。けれど、ただ怯えていたのではなく、その声も所作も力強いもので誠意があった。
自分たちはいくら処罰されてもいい。けれど娘だけはどうか見逃してほしい。そんな言外の訴えをオフィーリアは感じた。
オフィーリアが慰謝料で終わらせるのではなくしっかり責任を取ってもらうと言ったならば、夫妻は咎は自分たちだけにと申し出たであろうことが容易に想像できる。
彼らの教育に間違いがあったというより、問題なのはあくまでペネロピの性質なのだろう。
「親に恵まれたことは当たり前のことではなく幸運なのに、こんなにも親不孝者に育ってしまうなんてね。潰そうとしているわたくしが言うのもどうかと思うけれど、夫妻には少しだけ同情するわ」
ペネロピは自身が獣人の血を引いていることを気にしすぎているようにも見える。オフィーリアに反感を抱くのは正義感だけが理由ではなく、血筋のコンプレックスもありそうだ。
貴族社会に足を踏み入れれば、身分による格差を実感する機会も増える。王族と交際していれば尚のこと。
「まともな親の子がまともに育つとは限らないし、人でなしの親の子が人でなしに育つとも限らない」
カップとソーサーをワゴンに置いたブラッドは、オフィーリアを見つめた。
「あんたの存在がその証明だ」
「……あら。わたくしは別に善人じゃないわよ」
「あんたが善人じゃないからこそ救われた連中がアシュクロフトには大勢いる。俺たちにとってはそれが事実だ、オフィーリア」
赤い瞳に射抜かれて、オフィーリアはふっと表情を和らげた。
「光栄ね、とっても」
◇◇◇