第四章
スーパーをあとにした三人は再び公園へと戻り、周辺の捜索に取り掛かったが、なんの成果も得られぬままだった。目立つ格好をしているのにもかかわらず目撃情報の一つもないということは、もう街中には居ないのかもしれない。そう思った浜崎は念のため、付近の住人や交番の警察官に目撃した際の連絡を依頼し、二人を乗せて車で市外の方へと向かった。
「道路の方、歩いてくれてることを祈るっスねー。山の中だとさすがに……。お、コンビニだ」
公園から車で十数分のところにある小さなコンビニ。駐車場へと入り、車が停まる。
「飲み物でも買いに行きましょー」
一足先に降りた浜崎に続き、詩織は車のドアを開けて外へ出る。相変わらずの暑さにうんざりしながら、急いで入り口へ向かう。
「ぐおっ!! な、なんだ!?」
後ろからブライの叫び声が聞こえ、慌てて振り返る。アスファルトの上に仰向けに倒れ込んでいるブライの上、そこだけ景色が歪んで見えた。
『ふっ……! ぐっ……! うぅ……ブライ……! よかったぁ……!!』
ブライの上にいる何かが姿を現す。青いローブに緑色の髪。背中に背負った杖の先端は金色に輝いている。
「る、ルシエラ!? どこから現れたんだ!?」
「ルシエラ、さん……!?」
「どうしたんス……か!?」
突如として現れたルシエラに、困惑を隠せない様子の詩織。駆けつけた浜崎も目を丸くして驚いている。
『ブライ……! どうしよう……! ぐすっ……。マシャドが、マシャドがぁ……!』
『な、なんで泣いてるの!?』
「し、詩織ちゃん、この人って……!?」
「あ、えと、たぶん、ですけど、そう、です……?」
『マシャドが連れてかれちゃったぁ!!』
『お、落ち着いて! マシャドなら大丈夫だよ! 保護されて、治療を受けてるところだから!』
「……あー、えと、これ、何語っスかね……?」
「わ、わかんない、です……」
ブライの喋る言葉が、二人には突然聞き取れなくなった。詩織も浜崎も外国語には詳しくないため、何語を話しているのかすら判別できなかった。
『治療……? ひぐっ……本当……?』
『ああ、本当だよ。意識はまだ戻ってないみたいだけど……』
『そうなのね……。じゃあ早く魔力を回復させてあげないと……。あれ? なんでブライは平気なの……?』
『魔力……? 僕は空っぽのままだけど……』
「あのー、すいませんブライさん、取り込み中のとこ悪いんスけど……」
浜崎の後ろに、めんどくさそうな顔をしたコンビニの店員が立っていた。
「お店の迷惑になるとアレなんで、一旦車に乗ってもらってもいいっスか……?」
ひとりでに開いた車のドアを見て、ルシエラさんは少し怯えた様子でブライさんの腕にしがみつく。見かねたブライさんは彼女の手を取って、一言二言声をかける。彼の顔をじっと見つめたあと、手を引かれながら後部座席へと乗り込んだルシエラさんは、シートにちょこんと腰掛けた。
私は助手席に乗り込んで、運転席に座る浜崎さんからレジ袋を受け取る。中には水の入ったペットボトルが三本。そのうち一つを手に取って、ブライさんへと手渡す。疑いの眼差しを向けるルシエラさんに彼はまた声をかけて、キャップを取って渡してあげた。よほど喉が渇いていたのか受け取るとほぼ同時に口をつけて、すごい勢いで飲み始めた。ごくっごくっという音とともにみるみるうちに中身が減っていく。三分の一ぐらいまで減ったころ、ルシエラさんはようやく飲み口から口を離して、大きく息を吐いた。
「一応確認なんスけど、その人がルシエラさん、で間違いないっスよね?」
水の入ったペットボトルを手に、ルームミラー越しに浜崎さんが問いかける。
「ああ、間違いないよ」
ブライさんの声色が、少しだけ柔らかくなった気がする。無事にルシエラさんと会えてホッとしたのかな。
「大した怪我もなさそうでよかったっス」
席の隙間から後ろを振り返ってみると、後部座席にはまだ少し怯えた様子のルシエラさん。ブライさんは彼女を気遣うように、隣に寄り添って声をかけ続けている。
「……あー、お話し中のところ申し訳ないんスけど、それってもしかして、そっちの世界の言語っスか?」
「ん? あぁ、そう……だね。うちの国の言葉だよ」
少し言葉に詰まりながら返事をするブライさん。そして何かを考えこむかのように、顎に手を当て顔を伏せた。
「んじゃ日本語……ウチらの言葉って、そっちの世界でも使われてたりするんスか?」
「……いや、そんなことは……」
「……じゃあ、なんでブライさんは日本語を……?」
浜崎さんの問いかけに、眉間にしわを寄せたまま、ブライさんは黙り込む。エアコンの吹き出し口から出る、冷たい風の音だけが車内に鳴り響いている。少しの沈黙のあと、ブライさんが口を開いた。
「……自分でも戸惑ってるんだ。悪いけど、少しだけ時間をもらえないかな。僕の中で、きちんと答えを出したくて……」
「答え、っスか……? いいっスけど……」
そう言って浜崎さんは、ペットボトルのキャップを開けて、口を付けた。
「ハマサキ、マシャドのところへ向かってほしい。様子が気になると、ルシエラが……」
「ん、了解っス。んじゃ、車動かすんで、ルシエラさんがびっくりしないよう、声かけてあげてくださいっス」
浜崎さんは座席に座り直し、シートベルトを着けてハンドルに手をかけた。
「わかった、ありがとう」
お礼を言ったあと、ブライさんはまたルシエラさんの方を向いて何かを話し始めた。ピンポーンという、車がバックすることを知らせる音が車内に鳴り響く。ビクッと、ルシエラさんの体が跳ねるのを見て、ブライさんは吹き出した。彼女に思いっきり肩を叩かれ、微笑みながらペコペコと頭を下げている。
「……ルシエラさん、無事に見つかってよかったっス」
ハンドルを握る浜崎さんが、目線をまっすぐ前に向けたまま呟く。
「あっ、はい、そうですね……!」
「おかげで、ブライさんも元気になったみたいっスね。何喋ってるかまったくわかんないけど、楽しそうなのはわかるっス」
後部座席から聞こえてくるのは、意味のわからない言葉ばかり。
「……そう、ですね……」
「どうかしたっスか?」
「えっ……? あっ、いや、なんでもない、です……」
席の隙間から見える、二人の姿。ルシエラさんは窓の外をじっと眺め、不機嫌そうな表情をしている。そんな彼女とは対象的に、ブライさんはルシエラさんの方をずっと見たまま、笑顔で話し続けている。親友との気兼ねない会話を楽しむような、家族と他愛のない話をしているときのような、優しい微笑みで。そんな楽しそうな様子を見て私は、ほっとするとともに、なぜだか少し焦りを感じていた。何を話しているんだろう、私もあんなふうに話してみたいな……。そう思いながら眺めていると、ブライさんがルシエラさんの頭の上へと手を伸ばした。そのままポンポンと、彼女の頭を優しく叩く。ルシエラさんはほんの一瞬、目を丸くして驚いた表情を見せたあと、頬を赤らめながらキッとブライさんをにらみつける。また窓の外へと視線を戻したときには、彼女の表情はまるで雪が溶けたかのように、柔らかくなっていた。
不意に、胸の奥に何かが刺さったような痛みを感じて、わけもわからないまま目を逸らし、シートに座り直した。窓に映りこんだ自分の顔は、なぜか泣いているようにも見えた。
病室の扉が開くと、奥には一台のベッドがあった。その上には依然、意識を失ったままのマシャドが横たわっている。
「医者によると、熱中症や脱水症状によるものじゃないかっていうんで、一応点滴を打ってもらってるんだが……」
三人が部屋の中に入ったことを確認し、松島は扉を閉めた。ベッドの傍らに立ったルシエラは、マシャドの胸に手を置き目を閉じた。
「……あの子が、ルシエラさん?」
松島は扉の前に立ったままの詩織に問いかけた。
「あっ、はい。そう、です」
「そっか。無事に見つかったようでなによりだね」
ルシエラの隣で心配そうな顔をしたまま立ち尽くしていたブライだったが、目を閉じたままのルシエラが何かを呟くと、くるりと後ろを振り返り、入り口付近にいる二人に声をかける。
「飲み水が欲しいんだけど……」
「お水……ですか?」
「はいはい。すぐに買ってきますんで少々お待ちを」
そう言って松島は病室をあとにする。
『……気絶したおかげで、消費魔力が減ったのが幸いしたわね。これなら十分間に合う』
『そっか、よかった……』
ほっと一息ついたブライは辺りを見渡し、部屋の隅にあった椅子を手に取る。
「シオリ! 足、痛めてるんでしょ? これに……」
「はっ!? えっ!? な、なんでわかったんですか!?」
「重心の掛かり方でわかるよ」
目を丸くして驚く詩織。先ほどの捜索で歩き過ぎた結果、足を痛めてしまったようだ。
「す、すみません……! あ、あり、ありがとうござい、ます……!」
顔を真っ赤に染めながら、置かれた椅子に腰掛ける詩織。その様子をじっと見ていたルシエラが、ブライを睨みつけながら吐き捨てるように言う。
『あたしだって、あんたを探すためにそこら中歩き回って疲れてるんですけど?』
『ああ、いや、ごめん。彼女は足を怪我してるみたいで』
そう言いながらも、もう一つの椅子を取りに行くブライ。
『はー疲れた疲れた。足の骨が折れそうだわー』
『わかったわかった、これでいい?』
半ば呆れ気味に、苦笑を交えつつ返すブライ。隣に置かれた椅子に、ルシエラがどかっと座り込む。
「お待たせしましたよっと」
病室の扉が開き、松島が入ってくる。
「一本でよかったですかね?」
「大丈夫です、ありがとうございます」
松島から受け取った水の入ったペットボトルを持ち、ルシエラの隣へ戻るブライ。
『ルシエラ、水をもらえたよ。どうすればいい?』
『ここへ注いで』
座ったまま、ルシエラは両手を重ねて器のような形を作り、待ち構えている。
『……ここ?』
『ここ』
頭をくいっと動かし、ルシエラは顎で指し示す。
『こぼれるから何か器に入れたほうが――』
『いいから』
困惑した表情のまま、ブライは水を恐る恐る、ルシエラの手の中を目掛けて注ぎ込む。
「なーにやってんだぁ?」
「こ、こぼれちゃいますよ……!?」
二人が見守る中、ルシエラの手の中へ、水が少しずつ注がれていく。
『ど、どれくらい入れればいい?』
『全部』
『全部!? わ、わかった……』
意を決したブライが、思い切ってペットボトルを逆さまにする。水かさが一気に増していく。ついに溢れる、そう思った瞬間、ルシエラの手の中にあったはずの水の塊が宙に浮いていた。
「うえぇ!? す、すごい!」
「う、浮いてやがる……!」
『お、おお……。これは、なんの魔法……?』
『水を魔力で覆って浮かせてるだけよ』
ふよふよと宙に浮く水の塊。ペットボトルは既に空っぽになっている。
『連れ去られたマシャドを追いかけながら、ずっと考えてたの。このまま、どこに行っても魔素を見つけられなかったとしたら……』
ルシエラは立ち上がり、水の塊へ右手を伸ばす。ぽうっと、彼女の手が白く光り始めた。
『マシャドやあなたを無事に見つけられたとしても、魔素がないんじゃ元の世界に戻る前に冥界行きよ。そんなのごめんだわ』
彼女の手のひらから光が伝播していくように、水の塊も淡く光りだす。
『他から魔素を補給できない以上、使えるのはあたしの魔力だけ。でも他人に直接、魔力を分け与えるのは根本的に不可能なの』
ルシエラは手をかざしたまま、ゆっくりとマシャドの枕元へと移動する。水の塊もそれに追従し、彼の真上でぴたりと止まった。
『でもこうやって、水に魔力を溶け込ませれば……』
今度は左手を水の塊の底部に添え、くるりと回転させた。するとそこから水流が生まれ、ゆっくりと渦を巻きながら下へ落ちていく。細くなった先端がマシャドの口へと入っていった。
『これでマシャドは助かるの……?』
『……理論上は、ね。水の中で魔法を発動させれば、発散された魔力は魔素となって水に溶け込む、はず……』
ルシエラは再び椅子に腰掛けた。ゆっくりと、少しずつ水の塊が小さくなっていく。
『それで、あなたはどうしてなんともないわけ?』
『ん? 僕?』
『マシャドは魔力不足で意識不明にまで追い込まれてるってのに、あたしたちより長い間こっちにいるあなたがピンピンしてるのは、どう考えても異常よ。あたしから見ても魔力が残ってるようには見えないし……どうなってるの?』
『……と、言われても……』
不穏な空気を感じ取ってか、詩織は恐る恐る口を開く。
「あっ、あの……ど、どうかしたん、ですか……?」
「ああ、いや、それが……」
コンコンコンと、ノックの音が室内に響く。
「失礼するっスー」
扉の向こうからひょっこりと、浜崎が顔を出す。
「あ、浜崎さん!」
「さっきぶりっスねー。マシャドさんの容体はどうっスかー?」
「ルシエラに治療してもらったところだよ」
「残念だったなぁ。今さっきまですげえ光景だったんだが」
マシャドの上にあった水の塊は、すっかり姿を消していた。
「魔法で水が浮いてたんですよ!」
「うえぇ、マジっスか? もっと急げばよかった……」
詩織の椅子の後ろに立った浜崎は、背もたれに腕をかけ寄りかかるように体を預けた。
『……ゲホッゲホッ!』
『うおっ! マシャド! 大丈夫か!?』
『あら、気管はなるべく避けたつもりだったけど』
咳き込みながら、ゆっくりと体を起こすマシャド。ブライは慌てて介抱に向かう。
「よかった……。目を覚ましたみたいですね……」
「あちこち探し回った甲斐があったみたいでよかったっス。ルシエラさんがいなきゃまた……」
「ホントホント。これで私らもようやくちゃんとした仕事ができそうだ」
ほんの少しだけ暗い表情を見せた浜崎だが、松島に背中を叩かれ、はっとしたあとすぐに元の表情に戻った。不思議そうに見上げる詩織に対し、浜崎はニコッと笑って見せた。
『ゲホッ、あー……。ん? ブライじゃねえか、無事だったんだな』
『ああ、なんとかね』
『ふー……まずは一安心ね』
『おお、ルシエラ、すまねえな。結局、途中で倒れちまったみたいだ』
『まったく。知らない土地で一人きりにされる心細さといったらないわよ……。それで、体に異常は?』
マシャドは座ったまま、首や肩をぐるりと回したり、力こぶを作ったりと、体の調子を確かめている。
『まだ少しぼーっとしちゃいるが、大丈夫そうだ』
『ならいいわ、気怠さもそのうち消えるでしょ』
「失礼。お三方、ちょっといいかな」
壁に体を預けていた松島が、ブライの方へと歩みだす。眠そうな目で見つめるマシャドとは対照的に、眉をひそめ不審がるルシエラ。ブライは彼女の肩に手を置き、松島の前に出る。
「無事目覚めたようでなにより。それで、今後のことについていくつかお話ししたいことがあるんですがね」
「わかりました。二人に説明したあとでも?」
「もちろん大丈夫ですよ」
体を起こし、ベッドの上で背中を丸めたままのマシャド。その縁にはブライが腰を掛けている。隣に置かれた椅子の上、ルシエラが腕組みをしたまま髪留めを指でいじっている。
「なるほど。やっとの思いで魔王を倒したってのに、悪あがきの自爆に巻き込まれたと思ったら、知らない世界に飛ばされてたってわけか」
三人の前に立つ松島が、左手で自らの顎をさすりながら話す。椅子に座る詩織の後ろでは、浜崎が立ったままメモを取り続けている。
「ルシエラの話では、爆発の衝撃で空間に亀裂が入り、別の世界への穴が開いてしまった……ということみたいです」
「亀裂、ねぇ……」
松島は眉間に皺を寄せながら、側頭部を指でポリポリと掻く。
「いやね? その、空間に開いた穴ってやつは、実は私らも何度か見てはいるんだよ。ただ……」
そう言って松島は振り返り、浜崎とアイコンタクトを交わす。彼女は手元の手帳の、別のページから何枚かの写真を取り出し、ブライへ手渡した。
「それは我々の組織が今までに観測した穴……。昔は『風穴』と呼ばれていたもんでね」
受け取った写真を見つめるブライ。横から覗き込むルシエラ。眉をひそめて疑うような二人の表情が、見事に一致する。
「あんたらの言う穴ってのは、これのことじゃないのかい?」
写真に写るのは、木々の生い茂る森の中、地面とは垂直に浮かぶ巨大な渦。中心部は漆黒に染まり、吸い込まれそうなほど暗い。直径二メートルはあろうかというそれは異様な威圧感を放ち、それでいてどこか神々しさも感じる、不思議な光景だった。
「……少し違いますね。僕が見たのは一瞬ですが、もっとこう、真ん中から外側に向かってヒビ割れていく感じの……。ん?」
両手を広げて表現しようと試みるブライだが、隣で囁くルシエラに気付き、耳を傾ける。
「亀裂が放射状に広がっているような……と」
詩織の頭をテーブル代わりに、浜崎はメモを取る。詩織は背筋をピンと伸ばし、照れくさそうな表情を浮かべている。
「二人が見たのも俺と同じ、ヒビが入ったタイプの穴だと」
「ふーむ……。となると、皆さんが通ってきた穴は、我々が管理しているものとはまた別ということになっちゃうねぇ……」
「管理……してるんですか……?」
「そっスよ。といっても、場所の把握と監視、周辺を立入禁止にしておくーとか、その程度っスけど」
「不意に現れた外異獣に襲われたり、逆にこっちから向こうへ飛ばされちゃったりしないようにね」
「そっか……。気付かないまま異世界に飛ばされちゃったら最悪、戻って来れずに……」
「行方不明者リスト入りっスねぇ。大昔から『神隠し』って言って、人がふらっといなくなる現象があるっスけど、ほとんどがこれのせいじゃないかって言われてるっス」
「ま、ここ数十年の調査で穴が開く周期も大体わかったし、その間は周辺も封鎖するから、被害に遭うことももう無いけどね」
「穴が開くタイミングが分かるんですか!?」
「え、えぇ……わかりますよ」
前のめりになりながら問い詰めるブライ。その勢いに、松島は思わずたじろぐ。
「あっ、いや、すみません……。実は……」
そこまで言うとブライは、ふと隣のルシエラに目をやり、声をかけた。いくつかのやり取りのあと、訝しむような視線を向けるルシエラをよそに、ブライは再び口を開いた。
「ルシエラの話では、マシャドが倒れたのは魔力切れが原因らしいんです」
「魔力切れ……? それは一体、どういう……」
「詳しくは僕も……。人体にとって魔力が、水や空気と同じくらい大事な物だと教わってはいるんですが……。とにかく、僕たちは生きているだけで少しずつ魔力を消費するし、それが無くなれば彼のように意識を失ったり、最悪の場合は……」
神妙な面持ちで話すブライ。重苦しい雰囲気が辺りに立ち込めている。
「そもそも僕たちの世界では、魔力の素となる物質がそこら中に溢れていました。それを呼吸や、食事によって体に取り込むことで、自らの魔力へと変換することができたんです」
「『魔力の素となる物質』……なるほど、そんなものが……」
「そ、それがあればウチらも魔法を……!?」
「そんな簡単な話じゃないよ。それにルシエラの話では、こっちの世界に来てからそれが全く見当たらないと」
「……あっ、だからブライさん、あの時魔力が回復していかないって……」
「あの時感じた違和感は、それだったんだ。……魔王との戦いで消耗した状態で、魔力の補給も満足にできないまま、マシャドは限界を迎えた……」
ちらりとマシャドの方を見るブライ。ベッドの上、気怠そうな顔でマシャドはどこかを見つめている
「さっきはルシエラが、自分の魔力を溶け込ませた水をマシャドに飲ませることで、とりあえずはなんとかなったんですが……」
「さ、さっきの魔法はそういうことだったんですね……」
「うん。でも、ルシエラの魔力にも限りがある。彼女の見立てでは、長く見積もっても二週間ほど……。消耗が激しければ十日ほどで彼女の魔力も底を尽きてしまうだろうと……」
「そ、そんな……!」
俯き、顔を伏せるブライ。詩織は驚き、青ざめている。沈黙が場を満たす。
「……なるほど、事情はわかりました。つまりその『魔力の素となる物質』……長いので便宜上、略して『魔素』と呼ばせてもらいますが……。それがこちらの世界には存在していない可能性が高く、皆さんにとって非常に危険な環境であるため、早急に元の世界へ戻る算段をつけなければならない、と」
「ええ。魔力が十分にあれば、元の世界へ戻るのも魔法でなんとかできたかもしれませんが、今の状況では……」
「こりゃまたなんとも……不幸中の幸いとはよく言ったもので」
そう言って松島はまた、浜崎の方を見る。アイコンタクトを受けた彼女は、松島の隣まで歩み出ると、手帳を見ながら話し始めた。
「現在、我々の組織が観測、管理している穴は全部で五つ。数十年間の調査で穴にはそれぞれ、開くまでに一定の周期があることがわかってるっス。次に開くまでに、長いものでは二十年近くもかかったり……。で、ちょうど今ブライさんが持ってる写真の場所、『平坂夜見川付近』の穴が、次に開くまでの期間が一番短い場所っス」
「これが……」
手元の写真をじっと見つめるブライ。
「その穴は比較的最近見つかった物っス。今から十八年前に発見、観察開始。現在までに三度、この場所での渦の発生を観測……」
ページをめくり、浜崎は手帳に顔を近づける。
「およそ六年ごとに開くことがわかってるっス。誤差は数分程度に収まっていて、前回は前々回より十二分遅い、午後四時四十二分に発生――」
「そ、それで、その穴は次いつ開くの?」
浜崎の話を遮り、前のめりの姿勢でブライは問いかける。
「三日後かな」
「三日後っす」
松島と浜崎、二人の言葉が重なる。それを聞いたブライは、ベッドの縁に深く腰を掛け、安堵したように天井を見上げた。詩織は目を丸くして驚いている。
「みっかご……。え? 三日後!?」
「そっ……か、よかった……。なんとかなりそうだ……」
パタンと、手帳を閉じる音。ほっと一息をつき、詩織は胸をなでおろす。ブライはこれまでの会話を伝えるため、ルシエラとマシャドの方を向き、別の言語で話し始めた。
「ちょうど我々も監視、観測のために現地入りする予定なんで、当日もご案内させていただきますよ」
「これを逃すと、次に開くまで六年以上待つことになってたっスから、危機一髪って感じっスねー」
「よかった……。なんとか無事に戻れそうですね……」
「……いや、それが、もう一つだけ問題が……。ルシエラが言うには、その穴が本当に僕たちの世界に繋がってるかわからない以上、まだ安心はできないと……」
「そ、そっか……。穴の形も違うって言ってましたし、もしかしたらまた別の世界に飛ばされちゃう可能性も……」
再び、浜崎の方へと向き直るブライ。依然眠そうな顔をしたマシャドとは違い、眉をひそめ、疑いの眼差しを向けたままのルシエラ。
「その点に関してもまあ問題はないと思いますよ。その穴から外異獣の出現も確認されてますんで」
「人型で背が低くて、肌が緑色だったんで、ゲームでいうとゴブリンとかそんな種族のモンスターだと思うっス」
「ゴブリン……!? うちの世界でもたくさん生息してるよ! それなら元の世界に戻れる可能性も高いか……!」
そう言うとブライは、すぐさまルシエラへ伝える。黙ってブライの話を聞いていたルシエラだったが、やがて小さくため息をつくと、目を閉じ何度か頷いた。
「……ありがとう。正直、絶望的な状況だと思ってたけど、希望が持てたよ」
「いえいえ、ウチらもお役に立ててなによりっスよ!」
憑き物が落ちたような笑顔を見せるブライに、浜崎は満面の笑みで答える。
「んじゃ、今後の予定についてもう少しだけ。まず、この世界にいる間のお三方の生活面においてですが……」
マシャドさんが目覚めたあと、ルシエラさんと会話をしてから、ブライさんはずっと眉間にしわを寄せ難しい顔をしていた。きっと、ルシエラさんの魔力が尽きるまでのタイムリミットを知って、気が気じゃなかったんだろう。私もそれを聞いた瞬間、あまりのショックに頭がくらっとして、辺りが暗くなったような、そんな感覚だった。あと数日で大切な仲間を二人も失って、自分は知らない世界で一人きり……。考えただけでもぞっとする。
「引き続き我々の組織から監視の人間を付けさせていただきます。少々うっとおしいかもしれませんが、その分いろいろとお手伝いもさせていただきますんで、ご了承いただければと」
元の世界に戻れるかもしれない。それがわかった瞬間、ブライさんはベッドに深く腰を掛け、大きく息を吐いて天井を見上げていた。『よかった』と、小さく呟いたその目元には、薄っすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。本当に仲間思いな人なんだなと、そう思った。
「大丈夫です。むしろこちらからお願いしたいくらいです。こっちの世界のことはまだ全然わかってませんから」
さっきまでの不安そうな、焦ったような声色とはうってかわって、しっかりとした口調でブライさんは答える。眉がキリッとしていて、口元には笑みを浮かべていた。
「わかりました。んじゃ、適当な人員をこちらで見繕って――」
「それ、ウチじゃダメっスか?」
松島さんの言葉を遮るように、浜崎さんが問いかける。
「ダメってことはないが、三日間付きっきりってわけにも――」
「大丈夫っス! 特に予定もないし……。皆さんも、毎日知らない人間に付きまとわれるよりは、ウチのほうが話しやすくていいんじゃないっスか?」
松島さんの隣で、ブライさんに向かって話す浜崎さんの姿は、なんだかソワソワしているように見えた。
「そう、ですね。そうしてもらえると嬉しいですが……」
「じゃ、監視役はウチが担当ってことで!」
胸を張って仁王立ちの浜崎さん。なんだか嬉しそう。
「……まあ、誰でもいいんだが。続いて、宿に関してですが、これに関しても心配はいりません。我々の方で宿舎の方を用意させていただきます。ただ……」
松島さんの顔が曇る。首筋をさすりながら、さらに続ける。
「申し訳ないんですがね、こちらにいる間は外出の方、禁止させていただきたいんですよ」
「あー……。三日間、どこかにこもりきりということですか」
「すみませんねぇ、これも一応、規則で決まってる部分でして……。できるだけ広い部屋を用意しますんで、なんとか我慢いただければと……」
三日間の引きこもり生活か、と考えてみたけど、インターネットが使えるなら楽勝だな……と思ってしまう。
「……まあ、仕方ないですね。万が一トラブルを起こして、こちらの世界に迷惑をかける訳にもいきませんから」
「現状、外異人さんの情報は完全秘匿情報なんでね。宿で生活していただいている間は、こいつ以外は誰も近寄ることはないでしょう」
そう言って松島さんは、隣に立つ浜崎さんを……誰も……?
「あっ、えっと、それって……私もってこと、ですか……?」
「……ごめんね、規則なんだ。間中さんにはこのあと、今まであったこと全部を秘密にするっていう文書にサインしてもらって、そこで彼らとはお別れってことになるかなぁ」
確かに、ブライさんの仲間は二人とも無事に合流できたし、向こうの世界へと帰る目処もたった。あとのことは、専門家である公安のお二人に任せておけば、なんの心配もない。そもそも私は、ただ偶然あそこに居合わせただけ。ブライさんの仲間でもなんでもない、ただの一般人の私がこれ以上関わる必要は、もう無い。
「そっか……。そう、ですよね……。私、部外者、ですもんね……」
「詩織ちゃん……」
「シオリ……」
頭の中で、今日あった出来事が次々と、浮かんでは消えていく。水の塊が宙に浮かぶ不思議な光景や、真っ二つに切断された大きな岩。完璧な姿勢で凛々しい敬礼を見せてくれたかと思ったら、まるでいたずらっ子みたいな表情で笑ったりもする、とってもフレンドリーな浜崎さん。足を痛めた私にいち早く気付いて椅子を用意してくれた、優しいブライさん。一緒に食べたそうめんの味や、木漏れ日の中二人並んで歩いた帰り道の心地よさ。私の頭を優しく叩く、彼の笑顔……。思い返せば、ほんの数時間の間の出来事だったけど、とても刺激的で、とっても大切な思い出。
「……あ、あはは、大丈夫ですよ……! えと、ちょっとだけ……その、寂しいなって、思って……」
浜崎さんと、ブライさん。心配そうにこちらを見つめる二人に、私は精一杯の作り笑いを見せ、小さく両手を振った。胸の内側で、何かが引きちぎれそうな痛みを感じて、顔を伏せた。膝の上、拳を握りしめて、震えそうになる体を必死に抑える。……これでお別れなんてやだ、もっと一緒にいたいよ……。
「……松さん。一つだけ、報告しなきゃならないことがあるんスけど」
ポンっと、肩に何かが乗った。涙でぐしゃぐしゃになった顔を少しだけ上げる。いつの間にか私の前に立っていた、浜崎さんの手がこっちへ向かって伸びている。その場にしゃがみ、私の顔を覗き込むと、指で私の涙をそっと拭い、小さな声で『大丈夫』と呟いた。すっくと立ち上がり、松島さんの方へくるりと向き直る。
「ブライさんと詩織ちゃんの出会いについてなんスけど、まだ伝えてなかったスよね?」
「出会い……そうだったか? ……そういやバタバタしてて、詳しくは聞いてなかったか」
「ウチはさっき聞きました。詳細はまた追って説明するっスけど、とりあえずお伝えしたいのは一点。ブライさんはどうやら、意識を失った状態で倒れていたそうで、それを発見したのが詩織ちゃんっス。その際、一人では対処が難しいと考えた彼女は、ご家族に助けを求めました」
「ご家族……か。……つまり、接触者は間中さんだけじゃない、と。んじゃ、そのご家族にも念書を――」
「そこで、提案があるっス。詩織ちゃんは現在、訳あってそのご家族……おじい様おばあ様のお家に滞在しているらしいっス。そしてお二人とも、ブライさんとはすでに接触してしまっている……。であれば、今更もう二人、接触者が増えたところで変わりはない、そう考えられるっス。つまり! 我々がその辺のビジネスホテルなんかにわざわざ許可を取りに行くよりも、詩織ちゃんのご実家でみなさんを預かってもらったほうが手短に済むんじゃないかと、ウチはそう思うっス!」
「間中さんとこだって許可取らなきゃならんだろうが」
松島さんからの鋭い指摘に、浜崎さんは一瞬固まるが、すぐさま追撃する。
「……それから! ビジネスホテルだと手狭で窮屈っス! そんな環境にみなさんを閉じ込めるよりは、詩織ちゃんのご実家で広々と過ごしてもらったほうが、みなさんへの負担を少しでも減らせるっス!」
「なんで間中さんとこの広さをお前が知ってんだ」
「広いっすよね!? 詩織ちゃん!」
突然、こちらを振り返った浜崎さんから、真剣な眼差しを向けられる。
「……えっ!? あっ、ひろ、いやっ、そんなに、えと……ま、まあまあ、かと……」
「……ていうか、ビジネスホテルで済ますつもりはねえよ。なるべくストレスにならないよう、それなりのホテルにする予定だ」
またもや固まってしまった浜崎さん。今度は硬直したまま、目だけが泳いでいる。
「……ったく、わかったよ……。あー、そうだな。うちの予算も年々減らされてるし、もし間中さんのご実家でお三方を引き受けてくれるんなら、多少の経費節約にもなるかもなぁ……。ブライさんは、どっちがいい? 間中さんの家と、そこそこの――」
「もちろん、シオリの家です!」
ベッドが軋み、音を立てるほどの勢いで立ち上がり、ブライさんが答える。キリッとした表情で、まっすぐ私を見つめてくれている。ふぅっと、大きく息を吐いた松島さんが、私の方を向いた。
「ということで間中さん、君さえ良ければ、ご実家の方にご連絡いただきたいんだけど……いいかな?」
「ぐすっ……。ほ、ほんとに、いいん、ですか……? ひっぐ……」
「今回は特例だ、責任は私が取るよ」
松島さんの顔がにっこりと、温かい笑顔に変わる。だんだんと、目の前の景色が滲んでいく。
「よかった……よかったっスね、詩織ちゃん……!」
「シオリ! 短い間だけど、これからもよろしく!」
「ゔぅ……! あ、ありがどう……ございばず……! うぐぅ……! うぁ……うわあああん!!」
堪えきれず溢れ出した、声と涙。人前で泣いちゃったのは、いつぶりだろう。恥ずかしさはあるけど、心の中から流れ出てくるものが止められない。ふと、誰かに抱きしめられる感触。きっと、浜崎さんだ。ふわりと香る、シャンプーの匂い。優しく背中を撫でる、手のひらの温かさ。私の泣き声に隠れるように、耳元で何度か、鼻をすする音が聞こえた気がした。
「すー……ふー……。すみません、ありがとうございます……」
「……落ち着いたっスか?」
膝の上でティッシュ箱を抱えたまま、大きく深呼吸をする詩織。隣にしゃがみ込んだ浜崎が、彼女の様子を気遣う素振りを見せる。
「はい、もう、大丈夫、です」
「んじゃ、悪いんだけど……」
「連絡、ですよね。ここって、電話してもいいんでしょうか?」
「ああ、個室だから大丈夫。やりづらければ、外のホールの方でも……」
「あっ、大丈夫です。それじゃあ、えっと、かけますね」
松島の言葉を遮り、詩織は返答する。その後彼女は、肩掛けの小さなバッグからスマホを取り出し、画面を操作したあと耳に当てた。
「……もしもし、おじいちゃん? ……うん、大丈夫、ちゃんと着いたよ。……面会? あー、えと、そっちの方も大丈夫だから。それでね、おばあちゃんは近くにいる? ……うん、ちょっと代わってもらってもいい? ……うん、お願い。……あ、もしもし、おばあちゃん? ……そう、市内の方まで来てて……。……大丈夫だよ、心配しないで。あのね、ちょっとお願いがあるんだけど……。えっとね、ブライさん……今朝のお兄さんがね、お友達と無事に合流できたんだけど、泊まるところがなくて困ってるの。それでねみんなが帰るまで、三日ぐらいなんだけど……え? えと、三人――」
突然、浜崎が立ち上がり、詩織の目の前に右手を突き出した。親指だけを折り曲げ、その他の指はピンと立っている。
「あっ、四人、かな。……そう、うん、えっ? いいの? わ、わかった! じゃあ、また帰る前に連絡するね……! ……うん、はーい、うん、じゃあ、うん、……わかったって、はい、切るよ? はーい、ばいばーい」
耳元から離したスマホの画面を、不思議そうに眺める詩織。
「えと、オッケー、です。なんか、にぎやかになりそうで楽しみだって喜んでました……」
「あ、そう……。そりゃよかった。ってか、浜崎。お前は別に泊まり込む必要は――」
「嫌っスよ! ウチだけ仲間外れみたいじゃないっスか! いいっスよね!? 詩織ちゃん!」
「あっ、はい。えと、せっかくなら、浜崎さんも一緒にって、思ってたので……」
「詩織ちゃぁん……!」
詩織に抱きつき、頬ずりするかのように顔を近付けて喜ぶ浜崎。詩織は照れくさそうな笑顔を浮かべている。
「んじゃ、そういうことで……。口止めは任せたぞ」
「はいっス!」
詩織に抱きついたまま、浜崎は機嫌良く返事をする。
「あーあと、お前、今金持ってるか?」
「なんスか? カツアゲっスか?」
「アホか。三日も世話になるんだから、それ相応の御礼が必要だろ」
「あー、そっスね。いくら入ってたかなーっと」
浜崎はズボンのポケットから、小さめの二つ折り財布を取り出し、中を改め始めた。
「あっ、そんな、わ、悪いですよ、お金なんて……!」
「いえいえ、経費で落ちるんで大丈夫ですよ。まあ、直接現金でっていうのも気が引けると思うんで、行きがけに食材でも買って帰ってくださいな。少ないながらもきちんと予算は出てますんでね、お金の心配はしなくても大丈夫ですよ」
「……えへへ、松さぁん。ちょっちお金貸してくんないっスかぁ……?」
財布を逆さに持ち、振って見せる浜崎。中からパラパラとホコリが落ちた。
「なんだてめぇ? カツアゲか?」
松島が取り出したのは、分厚い革製の財布。中から紙幣をごっそりと抜き取ると、浜崎へと手渡した。
「へへ……あざっス……。すいやせぇん……」
「ちゃんと返せよ、コソ泥野郎」
松島から受け取った札の束を浜崎はそそくさと財布へ突っ込み、おどけた様子でペコペコと、しきりに頭を下げる。
「さて、と……。とりあえずは、そんなもんかな。まだまだお聞きしたいことはたくさんあるんですが……朝から歩き回ってばかりで、みなさん疲れてるでしょう。今日のところはこの辺で解散ということで……」
詩織とブライ、二人の方を交互に見ながら、松島は言った。
「もういいんですか?」
「ええ。ですが、まだまだお聞きしたいことはたくさんあります。明日また、聴き取りの場を設けさせていただきますんで、覚悟しておいてくださいね?」
松島は怪しいニヤけ顔を、ブライへ向けた。
「あは、いいですよ! 望むところです!」
負けじと、ブライは得意げな表情を返す。
「あ、そうだ。詩織ちゃん、ご実家の方に、駐車場はあるっスかね?」
「駐車場……。えっと、庭が広いのでたぶん、さっきの車でも置けると思います」
「了解っス。んじゃ松さん、引き続き車借りるっス!」
そう言って病室をあとにする浜崎。一拍遅れて何かに気付いた松島が呼び止めようとするが、彼女の姿はもうそこにはない。
「……しまった、あいつ三日間借りっぱなしのつもりじゃねぇか、クソ……」
「あ、あれって、松島さんの車だったんですね……」
「そうなんだよ……。普段からあいつに運転手させてるから、キー渡したままなんだよな……。といってもあいつの車じゃ、小さくて全員は乗れないから、そうするしかないかぁ……」
肩を落とし、とぼとぼと扉の方へ向かう松島。見かねた詩織がおずおずと声をかける。
「あ、あの、お車、ありがとうございます……! 汚さないようにしますので……」
「はは、お気遣いありがとうね。……さて、私らも車の方へ向かうとしますか。人通りの少ない裏の出口の方から出ますが、一応目立たないようにだけ注意してくださいね。ブライさん、お二人にもご説明お願いします」
「わかりました」
扉を開け、松島が一足先に病室から出る。ブライが二人の仲間へと伝えている間、詩織は扉の前で足を止めて待っていた。