第三章
ガラガラと、何かが崩れる音が聞こえる。まぶたの向こう側がふっと明るくなると同時に、身体に掛かっていた重さが消え、全身の痛みが和らいだ。
「ここにいたか……。大丈夫か? ルシエラ」
マシャドが私を呼んでいる。まぶたを開くと逆光の中に彼の姿が見えた。
「大丈夫よ……なんとか……」
体の隅々に魔力を循環させ、肉体の損傷具合を確認する。幸い、骨や臓器に損傷はない。打撲や裂傷による痛みを、歯を食いしばって耐えながら立ち上がる。
「……っ! ブライは!?」
慌ててマシャドを見るが、なんとも言えない表情のまま目線を逸らされる。最悪の想像が頭をよぎり、頭を振ってなんとか追い出そうとする。
「そこら中探してみたんだが……」
周囲の魔素に干渉し意識を部屋全体へと移す。自分と、マシャドの魔力。それ以外は誰もいない。
「嘘……! 嘘よ、そんな……!」
涙が滲み、視界が歪む。ガクガクと足が震え、膝から崩れ落ちそうになる。
「まだあいつが死んだと決まったわけじゃないだろ! しっかりしろ! それに、あれを見てみろ」
マシャドが指差す方に目を向けると、部屋の中央に異様な光景が広がっていた
「空間に、亀裂……?」
魔王とブライ、二人が最後にいた場所を中心に、景色が大きくひび割れていた。なにもないはずの空間に走る無数の亀裂。中央部は特に亀裂が密集しており、一部が欠落したように穴が開いている。そこだけ黒く、塗りつぶされているようにも見える。
「あれ、どうなってんだ?ヒビ割れが浮いてるように見えるぜ」
膨大な魔力の発散、空間に生じる亀裂。魔術研究院時代に読んだ文献が正しければこれは……。
「空間穿孔……」
「くうかん……なんだって?」
「せんこう、よ。空間のある一点において許容量以上の衝撃が発生した際、隣接空間との隔壁が破壊され、異なる世界との接合が発生する……言ってしまえば、別の世界へ繋がる穴ね」
ある程度要約はしてみたものの、彼が理解できるとは思っていない。案の定、大口を開けぽかんとしたまま固まっている。
「個人で実証できるような規模の現象ではないと思っていたけど、まさか魔王の肉体一つで発生させることができるなんて……」
私たちが住むこの世界とは別に、魔界や天界といった異なる世界が存在するかもしれない。そういった、いわゆるおとぎ話に対して、正面から大真面目に研究しようという学問がある。中央聖王国の魔術研究院では実用的な魔法や技術に対しての学問が優先的に研究されているため、それを専門とする者は在籍していない。そのため私は文献でしか見たことはないが、所詮は机上の空論、という印象を持っていた。
「『異世界論』……。もう少しきちんと目を通しておくべきだったかしら……」
元々はおよそ六百年前、国家統一戦争において複数の魔術師による攻撃魔法が衝突した際、爆心地に発生した謎の亀裂と、その付近において行方不明者が多数発生したことによって提唱された理論だ。その後数百年、何度も再現実験が行われたが成果はなかった。ここにきて突然実物を目にすることになるなんて……。
「……なんだかよくわからんが、つまりあの穴はやっぱり、どっかに通じてるってことなんだよな!? だったらブライはそこにいるってことだろ! 迎えに行こうぜ!」
「そう、ね。ただ……」
私の返事も聞かず穴へ向かって走るマシャド。確かに理論が正しければ、あの穴はどこか別の世界に通じているだろう。穴の前に立ち尽くすマシャドに対して声をかける。
「この大きさじゃ、どうやっても通れないわ……」
ヒビ割れの中心部に空いた歪な形の穴は大きいところでも人の頭ほどの大きさしかなく、とても通れそうにない。
「……クソ! だったら広げてやるぜ!」
そう言って彼は、手に持った戦斧を穴の縁に向かって振り下ろす。ガキン! と、大きな金属音が響いた。
「だ、めだ、こりゃ……。硬すぎるぜ……」
「当たり前でしょ? あの規模の爆発でやっと開くほどの穴よ。あなた一人の力でどうにかなるんなら、異世界論も絵空事とは言われなかったでしょうね」
「穴の周りぐるぐる回ってばっかのヤツにそんなことを言われるとは……」
「こういうのは力でどうにかなるようなもんじゃないのよ」
分析のため行っていた、周辺への魔力散布を止める。亀裂の周辺では景色がズレたり、歪んだりといった奇妙な現象が起きていた。
「爆発の衝撃で空間が押し縮められたようね……。そこから生じたひずみによって空間そのものが破断した……ってところかしら」
硬い金属ですら圧力を加え続ければヒビが入ったり、割れてしまったりするように。爆発の衝撃で押しつぶされた空間が限界を迎え、亀裂が入って割れてしまう。それが空間穿孔の原理のようだ。
「自分で言ってても信じられない……。ほんと、なんでもありなのね……」
ありとあらゆるものに干渉できる性質を持つ、魔素という物質の恐ろしさを改めて認識する。
「それに、時間経過による自己修復性もあるみたい。グズグズしてると塞がっちゃうわね……」
穴は先ほどよりも一回り小さくなっていた。亀裂の範囲も縮小してきており、このままではやがて何事もなかったかのように、この景色は消えてしまうだろう。
「なんとかなりそうか?」
「……ふんっ! 国立魔術研究院始まって以来の天才魔術師を、舐めないでちょうだい!」
鼻を鳴らし、胸を張って答えてみせたが、正直なところ自信はなかった。研究不足の分野に、情報不足な状況。それでもやるしかない。
「結界術を基本に……。でもそれだと前提条件が満たせない……。根底にするなら拡張性の高い領域魔法を……。クソっ! 概念関与なんて簡単にできるもんじゃないのよ……! 足りない分は拡散した魔王の魔力を使うとして……。亀裂と穴の境界に仮想の楔を……」
穴から顔を覗かせる闇の向こうに待ち受けるのは、異形の生物が住む禍々しき炎の大地か、あるいは翼を持つ人々が暮らす、神々しき雲の大地か。どこだっていい、ブライを助けるためならどこまでだって行ってやる。
「行くわよマシャド!! 準備はいい!?」
「よっしゃあ!! ドンと来い!!」
「……待ってなさいよブライ……! 『開け』!!」
詠唱と同時に、穴の中から飛び出した闇が私たちを包み込み、目の前が真っ暗になった。不思議な浮遊感のあと、ゆっくりと闇の中へと落ちていった。
バシャン。水の音が響く。鼻の中に水が入り込み、鼻の奥を突き刺すような痛みが走った。皮膚に痛みはないため、落ちたのが酸や毒の沼ではないことが分かり、少し安堵する。幸いにも水底に手が届いた。思いきり突っ張って体を持ち上げる。
「ぶはぁっ!! ゲホッゲホッ!! ハァハァ……。もう、最悪……! ゲホッ! なんだってのよ……」
「はは、大丈夫か? 災難だったな」
バシャバシャと波立てながら、マシャドがこちらへ向かって歩いてきた。差し出された手を取り立ち上がる。
「見ろよ、ありゃ帰るのに苦労しそうだぜ」
彼は上空を指差す。見上げてみると、すぐ上の方に亀裂が広がっている。手の届くような高さではないため、空でも飛ばないと穴に触れることすらできないだろう。それに……。
「……やっぱり、楔が砕けてる……。これじゃすぐにも塞がっちゃうわね」
これ以上穴が閉じないようにと念のため魔法で処置を施しておいたが、どうやら無駄だったようだ。ゆっくりと、亀裂が末端から消えつつあるのが見て取れる。
「マジかよ。ってことは……帰りは歩きか。どれくらいかかるだろうなぁ」
別の世界へ繋がるって言ったはずなんだけど……。まあ、この人の脳が筋肉でできてるのは元からだし、無視して現状の把握に努めよう。
「帰る方法はブライを探しながら考えるとして、ここはどこかしら」
周囲には木々が生い茂っており、頭上からは木漏れ日が差し込んでいる。気温が高く、湿度もそこそこあるため快適な環境とまでは言い難い。それよりも、先程からなぜか耳鳴りが激しい。
「それにしてもうるせぇな……。なんの鳴き声だこりゃ?」
「鳴き声……? 耳鳴りじゃないのね……」
ジリジリジリジリ……。頭の芯に響く不快な音が、大音量で辺りを埋め尽くしている。
「東方の島で戦った、気持ちわりい魔物がこんな鳴き声じゃなかったか?」
「ああ、あの足が六本の……。もっと大きくてキンキンとした声だった気もするけど……。なんて名前だったかしら」
「忘れた。っつーことはここは王国の東の方か?」
……いや、ここは別の世界。きっとそう。じゃないと異世界論の真相が、長距離を移動可能な便利な穴を作り出すための理論、ということになってしまう。それじゃあまりにも夢が無い、亡くなった先人たちも浮かばれないだろう。だからここは別の世界。そう、きっと、たぶん……。
「……ま、どこだっていいわ。魔物に注意して、ブライを探しましょう」
ブライ捜索のため、魔力探知をしようと手を広げたところで、異変に気付く。
「なあ、ルシエラ……。なんだか息苦しくねえか……?」
「……魔力伝播率が異様に高い……? それに、息苦しさ……。まさか……!?」
魔力を目に集中させ視覚を強化する。ありえない。そう思って何度もあたりを見渡すが、見えるはずのものはどれだけ目を凝らしても、見えないままだった。
「魔素が……無い……!」
「……は? なんだって……!?」
魔素。この世界に遍く存在する不思議な物質。空気の中にも、水の中にも含まれている。私たち人間や動物たちにとって、生きていくためには必要不可欠な存在。魔物の肉体を形作るものであり、魔術師が魔法を行使する際に使用される物質だ。呼吸や食事によって生物の体内に取り込まれると魔力となり、血管を通して肉体の隅々に行き渡り、生きるための活力となる。
「何度見ても空気中に魔素が見当たらないのよ……! どうして……!?」
魔力欠乏症という病気がある。魔術師と認められる前の、魔法使いと呼ばれる駆け出しの者たちがよく発症する病だ。自分自身の魔力量がまだ十分に把握できていない状態で連続して魔法を使うなど、魔力を使いすぎた際に引き起こされる。症状が軽いうちは呼吸量の増加に伴い体内に取り入れる魔素が増えるため、安静にしているだけですぐに回復する。それでも無理やり魔法を使うなどして体内の魔力量が減っていくにつれ、目眩や倦怠感などの症状が見られる。最終的には意識を失う恐れもあるが、それとともに魔力の消費も抑えられるため現在までに死亡例は確認されていない。……ではもし、呼吸によって体内に取り入れられるはずの魔素の量が、ゼロだったら……?
「……すぐにここを離れましょう」
「離れるって、どこへ?」
「ここ以外のどこかよ! このままじゃあなた……!」
私や他の魔術師たちは体内に魔力を貯蔵できるよう『魔力経路』と呼ばれる器官を、魔法によって体内に構築している。魔王との戦いで消費したとはいえ、私は魔素の補給無しでも数ヶ月は活動できるだろう。しかし、魔法使いでもないため魔力経路の無い彼は……。
「……そうか。なら、急がねえとな。ブライもきっと、気付いて移動してるはずだ」
私の顔をじっと見て何かを察したのか、彼はそう言った。
「……大丈夫、これだけ自然が豊かな森なんだから、別の場所では魔素もきっと……!」
太陽の光を浴びた植物は、その熱量を魔素に変え放出していると言われている。『これだけ自然が豊か』なのにも関わらず、魔素が全く無いという異常さに、気付かないフリをしたまま私は歩き始めた。
「危ねぇ! ルシエラ!!」
突然、背後から大声と共に突き飛ばされる。地面に倒れ込み、うつ伏せのまま顔を上げ後ろを見ると、毛むくじゃらの何かが掲げた腕をマシャドに向かって振り下ろそうとしていた。
「クソ! なんだこいつは!!」
マシャドは背負っていた戦斧を構え、振り下ろされた爪をすんでのところで受け止める。
「ま、魔物……!? こんな環境で動けるわけ――」
「離れてろ!!」
なんとか押し返し、相対するマシャドと何か。私の倍ほどもあるその体は茶色い毛で覆われている。剥き出しの爪は鋭く、十分な殺傷能力を持っているであろうことが容易に分かる。両腕を下ろし、四足歩行の状態でフッフッと荒く鼻息をたてながら、マシャドの隙を窺っているようだ。
「でけぇな……。毛色が違うが、『灰毛獣』の仲間か?」
王国領内の森林地帯にも生息している、大型の魔物だ。その腕力は凄まじく、十分に発達した個体が放つ一撃は、盾すらも砕くほどの威力を誇ると言われている。その大きな爪と牙は、人の肉などまるで紙を裂くように簡単に引き裂いてしまうだろう。
「オレたちゃ急いでんだ。悪いが一撃で終わらせてもらうぜ……!」
マシャドへ向かって飛びかかってきたそいつが、右腕を振り下ろす。体を引き、紙一重のところで躱したところへすかさず、今度は左腕が振り下ろされる。その一撃に合わせ、マシャドは懐へと飛び込む。と同時に、そいつの左肩から右脇腹へかけて金色の刃が滑るように通り抜けた。血が噴き出し、痛みで地響きのような唸り声を上げると、そいつは一目散に森の奥へと逃げていった。
「……チッ! 逃したか……。真っ二つにするつもりだったが、あれじゃ骨にすら届いてねえだろう……。まさか魔力不足がここまで体に響くもんだとはな。……ルシエラ、怪我はないか? ……ルシエラ?」
「……居るわよ、ここに」
自らにかけた魔法を解除し、彼の前に姿を現す。
「うわぁ!! び、びっくりした……。急に出てくるなよ……。ていうか、どこから出てきたんだ!?」
「……ずっとここにいたわよ。体の表面に魔力の膜を張って、光の屈折率を……。……要は透明化の魔法よ」
「ほー、そんな便利な魔法が……」
実際のところ、まったくもって便利ではない。光の反射、屈折を操作し、あたかも透明になったように見せかけているだけで、実際に消えてしまえるわけではない。もちろん触れることもできるし、激しく動けば自分の周囲だけ景色が歪むため、見破るのは容易だろう。まだ幼かったとはいえ、こんな稚拙な魔法を開発して喜んでいた自分を思い出し、いたたまれなくなる。
「咄嗟に使ってみたけど、もしさっきのあいつが鼻が利く奴だったら、見た目だけ隠れたところで……」
「まあ、それでも気休めにはなるだろ。というか、なんで攻撃しなかったんだ?」
「……あー、そうね。今のあたしは、隠れることしかできない役立たずだと思っておいて」
困惑した表情で、マシャドは首を傾げる。彼には説明を省くが、いわゆる攻撃魔法(火の玉を飛ばしたり、氷の刃で敵を切り裂いたりといった、対象に危害を加えるための魔法)の類は、魔術師自身の魔力に加えて周囲の魔素を反応させることで発動するものが多い。空気中に魔素が存在しない以上、大半の魔法は発動することすらできないだろう。それに、魔素の補給が見込めない間は少しでも魔力の消費を抑えたほうがいいかもしれない。
「んー、わかった。なら、なおさらさっきの魔法、使っておいてくれ。さっきみたいなヤツが出てもすぐに隠れられるように」
「……まあ、いいけど。じゃああたし、ぴったり後ろを歩くから」
透明化の魔法は魔力の消費も微々たるものだ。当面の間、消えっぱなしのままでも大した負担にはならないだろう。彼の後ろへ回り込みながら、再び魔法を展開する。
「おおー! すげえ、完全に見えなくなった!」
「……いいから、とっとと行くわよ」
あれからどれだけ歩いただろう。マシャドは先ほどから一言も喋らず、ぜえぜえと肩で息をしながら森の中を進み続けている。
「……マシャド、大丈夫……?」
「……ははっ、心配すんな。……お前こそ、足は疲れてないか……?」
声に力は無く、こちらを振り返りもせず彼は言う。先ほどから足がふらつきだしているため目眩がしているのかもしれない。危険な状態だ。なんとか魔素を補給させないと……。そう思いながら歩いていると、不意に彼の足が止まった。
「……マシャド? どうしたの!? 大丈夫!?」
「ああ、大丈夫だ……。あれを見てみろ」
彼が指差す先は崖のようになっていた。その傾斜の先に見えたのは、綺麗に整備された道だった。
「やっと街道に出たのね……! さすがに街まで行けばなんとかなるはず……! もう少しよ! マシャド!」
「そうだな、もう少し……。よっと」
大人二人分はあろうかという高さの崖を、彼は躊躇なく飛び降りる。真下を覗き込んでみたが、あまりの高さに足が竦み喉の奥から空気が漏れる。
「心配すんな……。受け止めてやるから……」
ふらつきながら両手を広げ、マシャドは私を待ち構えている。
「こ、これぐらいどうってことないわよ! 邪魔だからどいてなさい!」
この程度の高さが何だ。深呼吸のあと思い切って崖下へ飛び降りる。落下の瞬間、こみ上げてきた恐怖に打ち勝つため目を閉じたが、そのせいで着地のタイミングが分からず盛大に地面に叩きつけられた。
「いだっ!! ……この道、石造りじゃない……!」
幸いにも透明化のために張り巡らせていた魔力の膜が緩衝材となり、怪我はなかった。ただ、衝撃で魔法が解けてしまったみたいだ。
「……ああ、そっちか。平気か……? 無茶するなぁ……」
そう言って笑う彼の笑顔にも元気がない。ここまで消耗したマシャドを見るのは初めてだ。差し伸べてくれた手を取ることに、一瞬だけ躊躇った。その時、道の向こうから耳をつんざくような、誰かの悲鳴が聞こえた。
「うおっ!? な、なんだぁ!?」
「あっ!! ちょ、ちょっと!! 待っ……! ……行っちゃった……」
街道を走り去っていく誰かの後ろ姿を、二人呆然と見つめていた。
「な、なんで逃げたんだ!? オレたちなにも……」
「……あー、きっとそれね」
そう言って私は、彼の真っ赤に染まった戦斧を指差す。
「道に倒れた、か弱い女性の前に立つ、血まみれの武器を背負った大柄な男……。そりゃ逃げるわよねぇ……」
「……か弱い?」
「ぶっ飛ばすわよ」
立ち上がり、さっきの人が逃げ去った方へと歩き出す。
「とにかく追いかけるわよ。あっちに逃げたってことは、街もそっちにあるってことでしょ。……頑張って、マシャド」
「……ああ、ありがとう」
「思ったより大きな街みたいね」
住居だろうか。向こうの方に珍しい形の建物が、道を挟んで左右にいくつも立ち並んでいる。構造は同じなようだが、それぞれ少しずつ外見が違っている。さっきまでの道路といい建物といい、ずいぶんと整備が行き届いているようだ。思ったよりも規模が大きく、文化水準も高そうな街だ。
「でもダメ……ここも魔素が見当たらないわ……」
「そうか……」
マシャドは依然苦しそうに肩で息をしている。
「……もしかしたら、この辺りの人たちは食事だけで魔素の補給が十分なのかも。どこかで分けてもらえるといいんだけど……」
彼に肩を貸しながら、街の中へ足を踏み入れる。入ってすぐのところに小さな広場があった。
「立っているのもやっとでしょう? 何か、魔力が補給できそうなものを探してくるから、あなたはそこで待ってて」
「ああ、すまん。頼んだ……」
広場に設置されていた長椅子に彼を座らせ、向こうに見える建物へと向かう。正面に続く道は果てしなく、地平線の彼方まで続くような長さだ。その道の左右全てにびっしりと建物が並んでいるように見える。中央聖王国以外に、ここまで栄えている街があったとは。
「すみません! 誰かいませんか!?」
扉を拳でドンドンと叩き、声を張る。何度か繰り返してみたが、返事はない。留守だろうか。諦めて隣の家に向かおうとした時、遠くの方から何かが聞こえてきた。
「なんの音……?」
魔物の鳴き声だろうか。低音と高音を規則的に繰り返す、奇妙な音。
「こっちに近付いてきてる……!?」
街の外から聞こえるその音は、どんどん大きく、鮮明になってくる。不安を煽るかのようなその音色に、私の鼓動も急かされていく。
「念のため、隠れたほうが良さそうね……」
再び自らの周囲に魔力の膜を貼り、光の屈折率を変動させた。
「自分ひとりじゃ上手く消えてるか確認し辛いのが難点ね……」
そう呟き、塀の影から顔を出す。依然鳴り続ける謎の音の方を見ると、マシャドがいる広場の前に奇妙な物体が出現していた。上半分が白く、下半分が黒い。上部には赤い飾りが付いている。車輪のようなものが付いているところを見ると、荷車か何かだろうか。
「さっきの音はあれから……?」
いつの間にか音は鳴り止んでいた。見る限り、危険はなさそうだ。安心して透明化を解除しようと思ったそのとき、広場からマシャドが姿を表した。変わった服装の男二人に両脇を抱えられ、引きずられるようにして運ばれている。
「マシャド……! 魔力切れで動けないんだわ……!」
男たちはそのまま荷車らしきものの扉を開け、マシャドを中へ押し込むと、自分たちも中へと入っていった。ここからでは中の様子は見えそうにない。声をかけようとしたが、万が一盗賊やごろつきの類だと、攻撃魔法が使えない以上私まで身ぐるみを剥がされる可能性がある。透明化の魔法は展開したまま、ゆっくりと荷車へと近付いていく。
「クソ……これだから欠陥魔法だって言われるのよ……!」
のろのろとした足取りで近付いていく。じれったいが仕方ない、後少し……。そう思った瞬間、またあの音が周囲に鳴り響いた。
「ぐわっ! ちょ、ちょっと、また!?」
耳をつんざくような音量で、けたたましく鳴り響く。たまらずしゃがみ込み、耳を塞いだ。すると荷車は誰も牽いていないにも関わらず、ひとりでに動き始めた。
「……は!? どうやって!?」
一度広場へ入ったかと思うと、荷車はそのまま街の外へと向かっていった。魔力の痕跡が見えないため、魔法で動かしたわけではなさそうだ。じゃあ一体どうやって……?
「……もう、なんなのよ……」
地面にへたり込んだまま、街の外へ向かって走り去っていく荷車を、呆然と見つめていた。




