エピローグ
服も脱がずにベッドへ倒れ込んだ。途端に襲い掛かってきた睡魔に一瞬負けそうになるも、慌てて体を起こす。服を脱ぎ、皺にならないようにハンガーにかけ、急いで風呂場へ向かった。
髪にタオルを巻き付けたまま、コンビニで買ってきた弁当を電子レンジの中へ。一人暮らしのために、せっかくお母さんに料理を教えてもらったにもかかわらず、ここ最近は休日でも適当に外食で済ませてしまっている。罪悪感に苛まれながらも、忙しいからしょうがないよね、と心の中で呟いた。
右手には箸を、左手には一枚の紙を持っている。端がよれてボロボロだし、何かもわからないシミが至るところに付いている。黙々と箸を動かしながら、目だけで内容を追っていく。何度も何度も見返した紙。明日に向けた最終確認のために取り出しただけで、内容は完全に暗記していた。
あの日ルシエラさんが残してくれたこの紙には、向こうの世界の言語がいくつか書き込まれている。挨拶の言葉と、異世界転移という現象について。それから、すぐに穴の方へ引き返してくれという文章まで。わざわざ発音まで覚えなくてもこれを見せれば済む話ではあるが、それでも私は覚えることにした。言葉が通じたほうが向こうも安心するだろうし、それにきっと『すごいわね』って、あの人ならそう言ってくれると思うから。
歯を磨きながら、洗面所に映った自分を眺める。あの日から変わったところといえば、少しだけ伸びた身長と、短くなった前髪くらいか。それ以外はほとんど、着ていたパジャマですら変わらずそのままだった。あれから自分は成長できてるのかな、不安はあるけど大丈夫。あの人が褒めてくれた私だから、きっと大丈夫。
薄暗い部屋の中、ベッドに寝転がってスマホの画面をタップした。通知には浜崎さんからのメッセージ。仕事についてかと少し身構えたけど、お昼何食べるかの話しか書いてなかった。一緒に働くようになってわかったけど、彼女はほんとはすごく適当な人だったみたい。
あの日から、明日でちょうど六年が経つ。今でも思い出すのは、あの人の優しい笑顔と、懐かしい胸の痛み。後悔はしてないけど、時々取り出しては一人でにやけてる。それぐらい私にとっては、大切な思い出。
気が付くと私は、色とりどりの花が咲く一面の花畑の真ん中に、一人立っていた。もう見慣れた景色に、これが夢であることを自覚した私は、いつものようにその場に座って彼を待った。背後から足音が聞こえて、振り返る。手に白い花を一輪持ったまま、あの日のように優しい笑顔で、彼はそこに立っていた。私は立ち上がって微笑みを返す。儚げに、ほんの少しだけ香る甘い匂いが、私の鼻をくすぐる。彼の手の中で五枚の花弁を風に揺らしながら、その小さな花は嬉しそうに咲き誇っていた。




