第十章
「無い……っスね」
ノートパソコンとにらめっこをしていた浜崎が呟いた。
「似ても似つかない顔ばっかりね」
「名前も、特にピンとくるものは無いかな」
背後から覗き込んでいたルシエラとブライも、揃って首を振っている。
「うーん、当てが外れたっスねぇ……」
「せっかく作ってもらったのに、悪いね」
「いい考えだと思ったんスけどねぇ……」
机の上に突っ伏し、浜崎は残念そうにため息をついた。
「聞き取りの方はもういいんだ?」
「昨日であらかた聞かせてもらったんで大丈夫っス。それに、穴の観測の準備で向こうも忙しいっスから」
「そっかぁ、もう明日には帰っちゃうんですね」
窓の外は朝からそぞろ雨だった。
「だったらみなさん、今日は暇ですよね! よかったら一緒にゲームでもしませんか?」
しんみりとした空気を吹き飛ばすように、詩織は立ち上がった。
「げぇむ? 翻訳が効いてないみたいね、なんのこと?」
「ああ、あっちにはそういうの無かったしね。なんて言ったらいいんだろうなぁ」
不思議そうに聞き返すルシエラと、腕を組み考えるブライ。
「あれ? ブライさん、ゲームのことは覚えてるんですか?」
「覚えてる……っていうより、思い出したって感じかな。名前を聞いたらパッと頭の中に浮かんでくるっていうか」
「ほぇー。だったら、昔ブライさんがやってたゲームとかがあれば、何か思い出せるかもしれませんね!」
詩織は勉強机の上に置いてあったコントローラーを手に取り、ゲーム機の電源を入れた。
「あれ無いんスか、『アリカー』! ウチあれが好きなんスけど」
「あー、浜崎さん得意そうですよね……すみません、私レースゲーム苦手で……」
ブライはモニターに映し出された、いくつものゲームタイトルを眺めている。
「……ん、みんな何やってんだ?」
「さぁ。異世界のものはさっぱりよ」
壁際で寝転がっていたマシャドが目を覚ました。
「五人で遊ぶならこれですかね。格闘ゲームですけど……」
「ルシエラさんとか、人生初ゲームで格ゲーはキツイと思うっス。あれはどうっスか? なんちゃらパーティー」
「それなら最新作持ってます! っと、ブライさんはどうです? なにか思い出せそうな……?」
ふと詩織がブライの顔を見ると、彼は眉間に皺を寄せながら、ひどく驚いた表情をしていた。
「こ、これ、知ってる……! 見たことあるよ!」
「えっ!? ど、どれですか!?」
慌てて画面を指差すブライの指先、詩織はそこに表示されていたゲームを選択し、タイトル画面を表示させた。読み込みが終わり、画面上に映し出されたのは『ドラゴンファンタジー』というタイトルだった。
「ど、ドラファンじゃないですか!? えっでも最初会ったとき、わからないって……!」
「どらふぁん……? でぃーえふじゃなくて……?」
「あっ、そっちの略し方だったんだ……」
ユーザー間の細かな文化の違いに、詩織は打ちひしがれていた。
「これならウチも知ってるっス。すごい売れたやつっスよね?」
「そうなんです! 聖なる竜に選ばれし勇者として魔王と戦うっていう王道のストーリーが人気で中でも革命をテーマとしたこの六作目はそれまでのシステムから一新して全く新しい戦闘システムを使ってるんです! その爽快感あふれるバトルは後々のあらゆるゲームに影響を与えてると言われるほど完成度の高い作品なんですよ!」
「そ、そうなんスか……」
詩織の圧力に面食らう浜崎。当の詩織は恥じらうことなく、堂々とした顔をしていた。
「そうだこれだよ! 僕を襲ったゴブリンに見覚えがあったのは、このゲームで散々戦ったからなんだ! 騎士団や剣士に憧れたのだって、ゲームのキャラみたいでかっこよかったからだ! このゲームの主人公みたいにかっこいい勇者になりたかったからなんだ!」
ブライは膝立ちになり、興奮気味にモニターを見つめながら捲し立てた。
「なんだか楽しそうね、記憶は全部戻ったの?」
「あっ、いや、思い出したのはこのゲームの内容だけかな……すごくおもしろくて、やってて楽しかったのは覚えてるんだけど……」
「そうだ! ブライさん! あれはどうしました!? 最後の選択!」
同志を見つけたオタク特有のテンションでブライに詰め寄る詩織。
「最後の選択……? 何かあったかな……」
「ほら、あれですよ! 魔王を倒したあと! 二人のヒロインからどっちかを選んで結婚するってなったじゃないですか!」
詩織の問いかけに、ブライは首を捻りながら考える。
「結婚……? あったかな、そんなの……ていうか僕、魔王倒したっけ……」
「あ、あれ? もしかして未クリアでしたか……? ね、ネタバレしちゃった……!?」
一転して絶望したかのような表情で、詩織は頭を抱える。
「いやぁ、魔王城まで行ったような気はするんだけど……。確かそこでセーブして、次の日学校から帰って……続きをやろうとテレビを……」
ブライの表情が徐々に曇っていく。
「……お母さんに呼ばれて……車に乗って……! なぜか山の中に……!」
「ど、どうしました……?」
「ブライ……!?」
心配そうに声をかけるルシエラと詩織。残りの二人も不安そうに見つめるなか、ブライは頭を抱えたままうずくまる。
「あ……あぁ……! 思い出した……! 全部……!!」
頭を掻きむしり、呻き声をあげながら、彼は苦しみ悶えていた。
「うぁ……! なんで……!! お母さん……!」
激しい頭痛に苛まれながらも、その脳裏には過去の記憶が一気に溢れ出し、ほんの一瞬のうちに彼は自らの全てを取り戻した。そして最後に思い出したのは、気味の悪い薄ら笑いを浮かべながら、落ちていく自分を見つめ続ける母親の姿だった。
お母さんが新しいお父さんを連れてきた。その人は前のお父さんと違って叩いたり蹴ったりしないけど、僕に話しかけてもこないし、たまに僕をじっとにらんでるときがあったから、怖くて苦手だった。お母さんはずっと新しいお父さんの側にいて、僕の方を向いてくれなくなった。二人とも帰ってこない日もあった。ちょっと寂しかったけど、ゲームをしたりお菓子を食べたりして我慢してた。
その日、お母さんと一緒に車に乗ってドライブをした。二人きりで話ができるのは久しぶりだったから、嬉しくていろんなことを話した。学校のこと、ゲームのこと、たくさん話をしたけど、お母さんは運転で忙しいみたいで、あんまり聞いてなかったと思う。
車が止まって、お母さんが降りた。道がグネグネしてたせいで気持ち悪くて、吐きそうになってたけど、お母さんに怒られて慌てて降りた。
「お母さんね、お父さんに怒られちゃった」
ガードレールの向こう側は崖みたいになってて、お母さんはその下を見てた。木がいっぱい生えてて、ずっと下の方に川が流れてた。
「あの人、ほんとは子供嫌いなんだって。最初は全然気にしないよって言ってたのに」
そう言って僕の後ろに立ったお母さんは、僕の肩の上に手を置いた。やっぱりお父さん、僕のこと嫌いだったんだ。
「あーあ、子供なんて産むんじゃなかったなぁ」
そっか。やっぱり、お母さんも僕のことが嫌いだったんだ。
「あの人に聞いたの。この山ね、神隠しで有名なんだって。子供が一人で山に入ると、もう二度と戻って来れないんだって!」
お母さんがいつもみたいに怒ってる。謝らないと、またおなかを蹴られちゃうかもしれない。
「あんたさえいなくなれば! きっとあの人も戻ってきてくれるよね!?」
なのに何回謝っても、今日のお母さんは許してくれなかった。
「だから、ごめんね。ばいばい、勇太」
お母さんが僕の背中を押した。足を置くところが無くて、そのままゆっくり落ちていった。落ちながら、体が回ってお母さんの顔が見えた。なんでお母さんは笑ってるんだろう。なんで僕は怒られたんだろう。どうして許してもらえなかったんだろう。どうして――。
みんなには悪いけど、少しだけ一人にしてもらった。壁に背を預け、エアコンの風の音と、パラパラという雨音を聞きながら、ぼーっと天井を眺めていた。
「ブライ、大丈夫……?」
ふすまの向こうから、ルシエラの声がする。ごめんね、返事をする気力も無いや。
「……ふぅ……入るわよ」
彼女は一つ深呼吸をしてから部屋の中に入ってきた。つかつかと僕の隣まで来るとゆっくり腰を下ろし、膝を抱えた。そうしてしばらくの間、僕は彼女の息遣いを聞いていた。
「……ありがとう、もう大丈夫だよ」
見上げたまま声をかける。
「いろいろ思い出しちゃってさ、ちょっとびっくりしただけなんだ。心配かけて――」
「嘘。そんなのに騙されるほどバカじゃないわ」
僕の言葉を遮り、彼女はキッパリと言い切った。
「ただまあ、誰にだって言いたくないことの一つや二つ、あるものよね。ましてやそれが、思い出すのも辛いほどの記憶ともなれば尚更ね」
彼女の淡々とした口振りを聞いていると、何もかも見透かされているような気持ちになる。
「あたしが気に入らないのは、そんなに辛いのに一人で抱え込んでることよ。あたしに対してはあんなにズケズケと踏み込んできたくせに、いざ自分のこととなれば一人にしてほしいだなんて、虫の良い話じゃない」
少しずつ、彼女の口調に熱がこもっていく。
「ぶつけなさいよ、あたしに。あんたが辛ければあたしが支えるの。それがあんたのいう、仲間ってやつなんでしょ?」
そう言い放った彼女の声は、少しだけ震えていた気がした。
「そっか、そうだよね。ごめん」
顔を伏せ、ため息をついた。
「……どうやら僕は、母親に見捨てられてしまったらしい。産むんじゃなかったって、そう言われたよ」
彼女の息を呑む音が聞こえた。
「今ごろ、あの人の隣で幸せに暮らしてるんだろうな。邪魔者の僕が消え去って、清々しただろうし」
思い出すたび胸が軋む。自分は愛されてなんてなかったんだと、記憶の中で微笑む母親が教えてくれた。
「でももう、いいんだ。あの日の僕はあそこで死んだ。何もかもに見捨てられた可哀想な少年は、もういないんだ」
辛くないと言えば嘘になる。だけどもう、過ぎたことだ。忘れてしまえばまた元通り、僕はブライとして生きていけるから。
「……あんたは、それでいいのね?」
「うん。だからもう大丈夫。ありがとう、ルシエラ」
そう言い切って、やっと見れた彼女の目元は、涙で濡れていた。
「ならいいわ。忘れちゃいなさい、そんな記憶。それに母親なんて居なくたって……」
ふと、彼女が何かを思い出したかのように顔を上げた。
「もう一人いるじゃない。あんたをちゃんと愛して育ててくれた、立派な母親が」
その瞬間、僕の脳裏に浮かんだその人は、いつもみたいに柔らかな笑顔で笑っていた。
「アレット……!」
土砂降りだった空が一気に晴れ渡っていくように、僕の心の中は瞬く間に明るくなっていった。
「……あんたには内緒だって言われたけど、この際だから伝えておくわね。王国を出る前、彼女と二人きりで食事をしたの。その日あの人は珍しく酔っ払ってた。いつもと同じようにあなたのことばかり話してたけど、最後に一つだけ、自分の夢を語ってくれたわ」
ルシエラは僕の目をじっと見つめ、真剣な表情で言った。
「あの人は、あんたの母親になりたがってる。詳しくは話してくれなかったけど、あんたが彼女に救われたように、彼女はあなたに救われたんだと、そう言ってたわ」
思い出すのはあの日、真っ暗な部屋の中でうずくまって、何かに怯えるように泣いていた彼女の姿。
「……アレットも、そうだったんだ……」
初めはただの成り行きだったのかもしれない。ひとりぼっちで可哀想な僕を、ただほっとけなかっただけなのかもしれない。それでも彼女は、何もわからない心細さから僕を救い出してくれた。僕を優しく抱きしめて、何度も何度も頭を撫でてくれた。時に優しく、時に厳しく、彼女は僕の面倒を見続けてくれた。
そんな彼女のことを、僕はいつしか母親のように思うようになっていた。いつだって僕を温かく見守ってくれていた、彼女のことを。
結局のところ、僕らは二人とも同じ気持ちだったんだ。彼女が僕を想う気持ちも、僕が彼女に抱いていた想いも、そこには何の違いもなかったんだ。
うちへ帰らなきゃ、きっとアレットも心配してるはず。帰ってきちんと話をしよう。こっちの世界のこと、それから、本当の僕のことも。長くなるかもしれないけど、聞いてくれるかな、僕の『母さん』。
「……行かなきゃ。みんな心配してるよね」
「当たり前でしょ。特にあの子なんか、今にも消えてなくなっちゃいそうな顔してたわよ」
「おっと、それは大変だ」
笑って、僕は立ち上がった。居間へ向かう足取りは軽く、心は晴れやかなものだった。ふと目を向けた窓の外、雨はいつの間にか止んでいた。
玄関から居間、二階への階段を挟んで奥の部屋までを繋ぐ片廊下。居間で祖父母が見ているテレビの音が、少しだけ漏れ聞こえている。
「……心配すんな。すぐにケロッとした顔で出てくるさ」
階段に腰を掛けたマシャドが、窓に背を預けたまま座り込んでいる詩織を気遣うように声をかけた。隣では浜崎が、彼女を心配そうに見下ろしている。
「それにあいつも……っと、噂をすれば」
ふすまが開き、ブライが姿を見せた。
「あれ? みんな、そんなところにいたんだ」
平然とした顔でブライは言った。それを見た三人は皆、変わった反応を見せる。
「ハッ! やっぱりな! 心配して損したぜ!」
マシャドは勢いよく立ち上がり、ブライとハイタッチを交わしながら、そのまま部屋へと入っていった。
「ブライさん、もういいんスか……?」
困惑気味に問いかける浜崎。ブライは微笑みながらも、申し訳なさそうに口を開いた。
「あー、ごめん。突然記憶が戻ったからびっくりしちゃってね。ちょっと落ち着きたくて」
首筋をさすりながら、ブライはそう言った。訝しげに彼を見る浜崎が何かを言おうとしたとき、目の前で詩織が力無く立ち上がった。フラフラと覚束ない足取りでブライの前に立つと、ガバッと音が鳴るほどの勢いで頭を下げた。
「ごめ、ごめんなさい……! わ、わたしのせいで……!」
体を小刻みに震わせながら、彼女は必死に謝り続ける。
「私が……! 余計なこと……したから……!」
「落ち着いて、詩織。大丈夫だから」
身を屈め、ブライは彼女の肩に優しく触れた。
「心配させてごめん。でももう大丈夫だよ。中には嫌な記憶もあったけど、それも含めて僕なんだ。やっと取り戻すことができたんだよ」
優しく諭すように、ブライは詩織に言い聞かせる。
「それに、おかげで大切なことにも気付けたんだ。だから詩織、顔をあげて?」
ゆっくりと頭を上げた詩織に合わせ、ブライも姿勢を正す。そして彼女の潤んだ瞳をじっと見つめながら、軽く微笑んだ。
「キミのおかげなんだ。本当にありがとう」
そう言って彼は詩織の頭を優しく、ポンポンと叩いた。
「うっ……うぅ……! うぐぅ……!」
詩織は顔を歪めながら必死に泣くのを我慢していたが、いつの間にか隣にいた浜崎に抱きしめられると、途端に泣き崩れてしまった。
浜崎の胸に顔を押し付け、咽び泣く詩織。それを見たブライは困ったように眉を下げ、しかし口元には笑みを浮かべながら、彼女が泣き止むのを気長に待っていた。
「おばあちゃーん! ペチってスイカ食べても大丈夫ー!?」
詩織は縁側に腰かけたまま体を捻り、居間に向かって声をかけた。それに気付いた祖母が、彼女に向かって親指を立てた。
「な、なんでサムズアップなの……」
戸惑う詩織の足元では、ペチがちぎれそうなほどに尻尾を振りまくっている。
「良かったねペチ。食べていいって」
詩織の右隣に座るブライが、スイカを片手に身を屈めてペチに声をかけた。
「種はある程度取ってあげたほうがよさそうっスね」
左隣では浜崎が、種を一つずつ指でつまんで皿へと落としている。
「こっちの世界のは甘くて食べやすいな」
「……あんたもしかして、種ごと食べてる?」
ブライの隣に座るルシエラが、横のマシャドの手元を怪訝そうな顔で見ていた。
「スイカに塩かけて食べるのって、しょっぱくて逆に気持ち悪くなんないっスか?」
「あっわかります! いちおう試してみたんですけど、よくわかんなかったんですよね」
詩織は浜崎から一口大のスイカを受け取り、手の上に乗せてペチの前へ。
「塩? なんでそんなものかけるわけ?」
「甘くなるんだってさ。僕もやったことはないけど」
不思議そうに訊ねるルシエラに、ブライが答えた。
「なんか、食べ物を甘くする魔法とかないんスか?」
軽くのけぞりながら、浜崎はルシエラに問いかける。
「無いわね。成分を変化させなきゃいけないだろうし、手間と見合ってないわ。……ていうか、甘くしたいなら砂糖かければいいんじゃないの?」
「た、たしかに……」
「身も蓋もないっス……」
冷ややかなルシエラの態度に、詩織と浜崎はしょんぼりと肩を落とす。間に挟まれたブライが失笑を溢し、マシャドはお構いなしにスイカの皮に齧り付いていた。
元の世界へ帰るまで、あと十数時間。他愛のない会話を交わす五人の間には、ゆったりとした時間が流れていた。




