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幕間

 土を踏み締め歩く、二頭の馬の蹄の音。街道の先にはまだ、王国の姿は見えない。


「団長、左目のご様子は……」


 背後からの問いかけに私は、振り返ることなく応答する。


「大丈夫。もう痛みは無いよ」


 眼帯の上から左目を押さえる。あの疼くような痛みは、もう消えていた。


「……では、視力の方は……」


 治療の魔法のおかげで、頰まで伸びた大きな傷は残らずに済んだが、未だに視力は戻らず、視界の左半分は闇に閉ざされたままだった。瞼に残った傷痕も、人から見れば生々しく、痛ましいものだろうと思い、今は眼帯を着けて隠している。


「この程度、大したことないって」


 そう言って、手綱を持ち直す。彼女を庇ってできた傷だとしても、それを自分のせいだと、抱え込んでもらいたくはない。


「だから、顔を上げて? フェム」


 後ろを見なくてもわかる。きっと俯いたまま、しょぼくれた顔をしているんだろう。ほら、いつもみたいに、背筋をピンと伸ばして?


「……すみません、気を付けます」


 フェムの声に張りが戻った。そう、それでいいんだ。副団長として、五番隊隊長として、立派に戦ってきた君だから私は、この騎士団を任せられると思ったんだ。私のすぐ傍で、まっすぐひたむきに、生真面目に立ち続けていた君だから……。


「さ、王国までもう少し……?」


 そよ風が耳を撫でる音。揺れる葉の擦れる音。鳥の囀りや、馬の蹄音。それに混じって、何かが聞こえた。


「……フェム、今の聞こえた?」


「今、ですか……? いえ、特に何も……」


 じっと耳を澄ます。確かに聞こえた、誰かの、悲鳴のような……!


「あっちだ、先に行くよ!」


「だ、団長!?」


 言うや否や、私は手綱を緩め、前傾姿勢を取った。この子は賢い馬だから、たったそれだけで私の意図を読み取ってくれる。すぐさま加速を始めて、一気に最高速度へ。


「近いね、もう少し……!」


 間違いない、誰かが叫んでる。それにもう一つ、耳障りな声もする。特徴的な甲高い鳴き声……。おそらく誰かが襲われている。馬に速度を維持させたまま、右の腰から剣を引き抜いた。


「ギャギャギャギャ!!」


 前方に捉えた二つの姿。見慣れない服装でこちらに背を向け、叫びながら走り続ける子供と、棍棒を振り上げその後を追う緑色の魔物。そのとき、子供が枝に足を引っ掛け地面に倒れ込んだ。ここぞとばかりに歓喜の声を上げながら、魔物が襲いかかる。


「この距離なら……!」


 そう言って私は馬から飛び降りる。そして着地と同時に自らの魔力を脚に集中させ、思い切り地面を蹴った。


「ギャガァ!!」


「やらせはしない!!」


 瞬時に魔物の懐まで飛び込んだ私は、右下段に構えた剣を、渾身の力を込めて振り抜いた。大した手応えもなく、刃が魔物の体の中を滑るように通り抜けていく。


「グギャア!!?」


 聞くに堪えない、不快な断末魔を上げたあと、魔物の体はボロボロと、瞬く間に崩れ去っていった。叫びの主の側に立ち、剣に付いた血を振り払う。


「怪我はないかい?」


 地面に倒れたままの子供に声をかけた。どうやら男の子のようだ。恐々と上げたその顔立ちはまだ幼く、年は十代前半から半ばといったところか。先ほどの転倒のせいか、顔面は土に塗れ、片鼻からは血が垂れている。目元は涙で潤み、今にも泣き出しそうな顔でこちらを見上げていた。


「……怖い思いをしたね、立てるかな?」


 落ち着かせるため、優しく声をかけながら手を伸ばした。よほどの恐怖だったのだろう、体をガタガタと震わせながら、荒い呼吸を繰り返している。……マズイな、少し息が荒すぎる。それにこの震え方、痙攣しているのか……この症状は……!


「だ、大丈夫か!?」


 慌てて剣を収めてしゃがみ込み、少年の体を抱きかかえながら声をかけるが、返事は無い。ダラリと、彼の手足が力無く落ちた。


「気を失ったか……」


 おそらく、過呼吸を起こしたんだろう。魔物の被害者にはよくあることだ。彼の胸に手を当てて鼓動を確かめてみると、ドンドンと力強く、私の手のひらを押し返してくる。これなら一時間もすれば目が覚めるだろう。とは言え、心に傷が残らなければいいが……。


「団長! その子は……?」


 追いついたフェムが、傍らに私の馬を連れながら、馬上から声をかけてくる。


「心配ない、気絶してるだけだよ。周囲の状況は?」


「他には誰も。魔物の気配もありません」


 馬から下り、私の正面に回り込んだフェムが、しゃがんで少年の顔を覗き込む。この場は救護班上がりの彼女のほうが適任だろう。そう思って、その場に少年の体を寝かせ――。


「団長……? 手に血が……」


 左の手のひら、ちょうど彼の後頭部を支えていた部分に、少量の血が付着していた。


「きっとこの子のだ。見てあげて」


 覆いかぶさるように肩を抱えて、少年の体を横向きに寝かせる。フェムが彼の後頭部に手を当て、髪をかき分け様子を見る。


「……傷が、深いですね……」


 深刻な顔つきで、彼女はさらに続ける。


「ですが、出血は止まりつつあるようです。これが原因で意識を?」


「いや、違う。意識を失ったのは、魔物に襲われた恐怖のせいだと思うよ。私が見たときには、走って逃げられるぐらいは元気だったみたいだし」


「そうですか……。とにかく、手当ては必要かと。この時間ならまだ、魔術院に治療師が残っているはずです」


 フェムが少年を抱えて立ち上がった。


「そうだね、王国に急ごう。私が運ぶから、フェムは先に行って治療の準備を」


 私もそう言って、馬上へ飛び乗る。フェムから少年の体を受け取り、抱きしめるようにして前に乗せた。右手で背中を押さえながら、左手で手綱を持つ。


「鎧が固くて痛いかも。悪いけどちょっとだけ我慢してね……」


 胸の中で眠る少年へ声をかけ、先を走るフェムの背中を追いかけた。




 新兵たちが訓練を続ける横を抜け、医務室の前へ。扉の前で待っていたフェムが、私に声をかける。


「お疲れ様です、その子は私が。団長は当初の予定通り、陛下へのご報告を」


「……わかった。じゃあ、そうするよ」


 少年の体をフェムの元へ。彼女の背後には、治療師の証である白い外套を着た男が一人。


「後のことは、任せたよ」


 フェムの目を見つめながら、私は言った。そのまま、返事を聞く前に馬を歩かせる、また新兵たちの横を通って、今度は厩舎の方へ。馬から下り、担当の団員に手綱を任せ、私は王宮へと向かった。




「此度の遠征、討伐自体は成功したものの、代償として四人の隊長を含め、十一人もの団員を失いました。このような結果を招いたのは、私自身の力不足によるものであり、私の責任であると自覚しております。その責任を取り、今後は一線を退かせていただきたく存じます」


 陛下の前に跪き、顔を伏せたまま、用意していた台詞を一息に吐き出した。周囲からは、宰相たちのどよめきが聞こえてくる。


「な……なんだと!? 四魔将の一角を落とした女傑がなにを言う!」


 普段であれば、玉座にどっしりと構えたまま、威風堂々と我々に接せられるはずの陛下が、珍しく慌てふためいている。無理もない。魔王直属の部下とも言われている四魔将の一人を倒し、人類の反撃はこれからだというところで、その張本人が一線を退くと言い出したのだから。


 陛下の言う通り、この勢いのまま進攻を進めるべきだろう。魔王を倒し、世界に平和を取り戻すための戦い。その先頭に立ち、皆を導くのは、人類最強の戦士と謳われた私こそが適任だ。そう、言われ続けてきた。


 ……私は、そんな立派な人間じゃなかったんだ。


「我が国の、ひいては人類の安寧のため、戦い続けるべきではないのか! それに、かの西方将軍を征伐したことを思えば、尊い犠牲ではないか!?」


 尊い犠牲。その言葉を聞いた瞬間、私は全身が総毛立つのを感じた。怒号が喉の奥から飛び出そうとするのを、歯を食いしばって止めた。


「……申し訳ありません、報告は以上です。失礼させていただきます」


 そう言い放ち、さっさと立ち上がって踵を返す。悪いのは私だ、何もかもをほったらかして逃げ出そうというのだから。せめて、陛下の前で無礼な姿を晒さぬうちに帰ろう。


「あっ! おい待て! 話はまだ終わっておらぬぞ!!」


 冷たい鉄製の扉を自らの手で開き、叫び声を背に受けながら、逃げるように玉座の間をあとにした。




 王宮と本部を繋ぐ、長い廊下。コツコツと、私の足音だけが反響している。これでいいんだ、どれだけ自分にそう言い聞かせても、足取りは重いままだった。残された団員たちや、守るべき人々への負い目が、私の背に重くのしかかっていた。


 それでも私は、このまま団長を続けるわけにはいかなかった。どうしても、自分自身が許せなかった。そもそも初めから、こんな最低な人間には、団長なんて立派な役職、相応しくなかったんだ。


 ……これからどうしよう。団長を、騎士団を辞めて私は、何をすればいいんだろうか。そういえばここ数日、辞めることしか考えてなかったな。もう、いっそのことこのまま――。


「団長」


 顔を上げると、こちらへ向かって歩いてくる、フェムの姿が目に入った。


「……ああ、フェム。えっと、あの子の様子は?」


 いつもの私を取り繕って、彼女に笑顔を見せる。もう私は、団長でも何でもないのに。


「大丈夫です。治療は成功しました。傷も消え、今は医務室でぐっすり眠っています。それよりも……」


 目の前で立ち止まり、じっと私の目を見つめながら、彼女はまた口を開いた


「……何か、私に隠し事をしていませんか」


 彼女には何も伝えていない。辞めると決めたあの日、せめてみんなの前では、最後まで立派な団長であり続けようと、そう思って今日まで隠し続けてきた。できるだけ、暗い表情は見せないよう、誰にも悟られないように過ごしてきた、はずだったのに。


「どうして、そう思ったの?」


「……確信したのは、つい先ほど。医務室の前で話したとき、私の後ろには治療師が、団長の後ろには何人もの新兵がいました。にもかかわらず、砕けた口調で話されていましたので」


 参ったな、気を付けてたつもりだったんだけど……。それに、あんな少しの会話で気付くなんて。


「それは……疲れててつい、そうなっちゃっただけだよ」


「いえ。団長はどんな時でも、上に立つ者として威厳ある振舞いを心がけていました。疲れたからといって、そこを間違えるような方ではありません」


「……買いかぶり過ぎだよ」


「それに、あのときの団長は明らかに様子が変でした。どこか思いつめたような表情で、そそくさと逃げるように王宮へ向かいましたね」


 ……よく見てるなぁ、かなわないや。


「気のせいだよ、少し考え事を……」


「それだけではありません。あの日から、団長はずっと……」


 彼女が言葉に詰まる。無理もない。思い出したくもない、悪夢のようなあの日の記憶。きっといつまでも、脳裏にこびりついたまま、消えることはないだろう。


「……たとえ、騎士団が我々二人になろうと私は、団長の隣で戦い続けます。だから、私にだけは、隠し事はしないでいただけませんか?」


 力強く、私の目を見つめる彼女の視線に、私は耐えられず、顔を背けてしまった。


「……だん、ちょう……?」


 声を震わせながら、彼女が私を呼ぶ。ごめん、フェム。もう、決めたことなんだ。理由を言えばきっと……いや、言わなくたって君は私を引き留めるだろう。だから何も言わず、黙って彼女の横を通り抜けた。反響する足音に混じって。彼女が私を呼ぶ声が聞こえる。逃げるように、私はその場をあとにした。




 着替えを済ませた私は、早々に団長室を立ち去った。もう、私に鎧は必要ない。団長たちに代々受け継がれてきた聖剣とともに、このままここに置いていこう。




「団長、お疲れ様です。もう戻られてたんですね」


 遠征から帰る道中、支援してくれた町々への報告のため、私とフェムは帰還が数日遅れたが、それ以外の団員たちは皆、怪我人の搬送のため先に帰還させていた。声をかけてきた彼は重傷者の一人で、腕の立つ素晴らしい騎士だった。今は頭に包帯を巻き、右腕は……肩から先が無くなっている……。


「あ、ああ……。すまない、私のせいで……」


「謝る必要はないですよ。団長は立派に討伐を成功させてくれたじゃないですか。……それに団長も、失ったものは俺なんかよりずっと……」


 俯き、肩を押さえたまま、彼は言葉に詰まってしまった。


「痛むのか?」


「あっ、いえ、もう大丈夫です。治療のおかげですっかり痛みも取れました。包帯も、頭を怪我したってわかるように巻かれただけの、ただ目印ですし、心配ないですよ。なんたってうちの国の治療師は優秀ですからね、いずれは無くなった腕も生やせるようになるんじゃないですかね、ハハハ」


 彼はそう言って、おどけたように笑う。私に気を遣ってくれているんだろう。


「そういえば団長の普段着、久しぶりに見ますね。今日はもう帰られるんですか?」


「……ああ。あの家も、長い間家主が不在で寂しかったろうからな、たまには帰ってやらないと」


 彼の厚意に、精一杯の冗談で返す。


「ハハ! そうですね、ぜひそうしてあげてください」


「では、失礼するよ」


「ええ、それでは!」




 彼の姿を見て、私は思い出したように医務室へ向かった。寝台の上に横たわるのは、同じく頭に包帯を巻いた、先ほどの少年。傍らには団員が一人、椅子に座ったままウトウトと、頭を上下させていた。肩を叩き、声をかける。


「……寝不足か?」


「はぇ? ……だ、団長!? すすす、すみません! つい……!」


「いや、いいんだ。それより、この子の様子は?」


「あっ、えと、副長の話では、意識が戻るまで寝かせておけば大丈夫だと……。目が覚めたときのために一応、見守っておいてほしいと言われまして……」


「そうか、あとは私が見よう。君は眠気覚ましに、訓練に戻るといい」


「わ、わかりました……すみません……」


 立ち上がった彼は肩を落とし、申し訳なさそうに俯きながらも、駆け足で部屋を出る。私は椅子に腰かけ、なんとなく目を閉じた。訓練場から、剣がぶつかり合う音が聞こえてくる。……生まれたときから聞いてきたこの金属音も、今となっては嫌な記憶を呼び起こすだけの、忌々しい音になってしまった。


 項垂れ、眉間に手を当て、気持ちが沈んでいくのに耐えていると、寝台の方から物音がした。顔を上げると、目覚めた少年が不思議そうに辺りを見回している。怖がらせないよう、なんとか笑顔を作って彼に声をかけた。


「……おはよう、気分はどう?」


 こちらを向いた彼は、眠そうな目で私のことを眺めている。起き上がった拍子にズレたのか、頭の包帯が緩んでいた。傷は消えたと聞いたが、念のため直してあげたほうがいいだろう。手を伸ばし彼の頭に触れる。


「痛みはない?」


 強く触れないよう、注意してズレを直す。傷があったのは後頭部だったか。強く打ったのであれば、脳への影響が気になるところだ。治療魔法自体はずいぶん改良が進んだが、脳や血液、一部の臓器など、まだ及ばない部分も多いらしい。しばらく様子を見てあげたほうがいいかもしれない。


 その時、くすぐったそうに呟いた、彼の言葉がなぜか上手く聞き取れなかった。


「これは、どこの言語かな……?」


 およそ千年前に言語が統一されて以来、我々は同じ言語を用いて会話をしてきた。地域によっては、会話が困難なほど訛りのキツかった場所もあったが、少なくとも私が知る限りでは、全ての国で意思の疎通は取れていたはずだ。だが、この子の言葉はどこかの方言、というわけでもなさそうだ。根本的に、何かが違うような気がする。


 それにこの子は一体、どこからやって来たんだ? あの街道から、子供の足で歩いて行ける町となると相当限られてくるが……。あるいは旅の集団から逸れたのか? フェムの話では近くに人の気配は無かったようだが。


 考えていてもわからない、この子から直接話を……いや、言葉が通じないんだった。困ったな、手詰まりだ。どうしよう……。


「……市場にでも行ってみようか」


 そう呟き、立ち上がる。行商人や、旅人との交流が盛んなあそこなら、この子の服装や顔付きから、何かがわかる人がいるかもしれない。さて、身振り手振りならある程度は伝わるだろうか。とりあえず彼に向かって手招きをしてみる。言葉が通じないというのがこんなに不便だとは、そう思いながら彼の様子を――。


「ど、どうした!?」


 少年が突然声を上げた。私は慌てて駆け寄り、彼の顔を覗き込む。瞳孔も、瞳の動きも特に異常はなさそうだ。右手で首元を押さえ、脈を取るがこれも問題なし。左手で後頭部に触れてみたが、傷が開いたというわけでもないようだ。


 彼が微笑みながら何かを呟くが、少し表情が硬い。こんなとき魔法が使えれば、痛みの原因も簡単にわかるんだろうが……まあ顔色も良くなったことだし、大丈夫だろう。できるだけ負担をかけないようにしてあげないと……。


「無理はしないでね……?」


 靴を履き、立ち上がった彼の顔を、しゃがんで覗き込む。言葉は通じないというのに、つい声をかけてしまうのはなぜだろうか。そんなくだらないことを考えていたら、なんと彼が頷いてくれた。偶然か、はたまた私の思いが伝わったのか。真相はわからないが、それでも私は嬉しくて、顔が勝手に笑顔を作っていた。




 団員に合わずに出られたのは幸いだった。これ以上、下手な言い訳をせずに済む。もう来ることはない本部の建物に背中越しに別れを告げ、沈んだ心を表に出さぬよう、感情を押し込めた。私の心なんかよりも今は、彼に不安を感じさせないことのほうが重要だろう。


 こまめに後ろを振り返り、彼の様子を見る。その足取りはしっかりとしていて、好奇心に満ちた目で周囲を見渡しながらも、私の後ろをぴったりついて来ていた。その姿を見ていると、なぜか自然と笑顔になってしまう。弟や妹がいるというのは、こんな感じなんだろうか。……弟、というにはいささか年が離れすぎているような気もするが。


「こんにちは、少しいいかな」


「あいよ! ……お? おお! アレットちゃんじゃないか! 帰ってきてたんだねぇ!」


「やあ、どうも。……ちゃん付けはやめてほしいな」


 市場の重鎮である、八百屋の店主に声をかけた。彼女は私が、騎士団に入る前からここで商売をやっている。


「なんだい! あたしゃアレットちゃんがこーんなちっちゃかったころから知ってんだよ!」


 ……このやり取りも何度目だろうか。


「そうは言っても、私ももういい年――」


「いくつになったんだっけねぇ! あたしも最近忘れっぽくなっちまって! 困っちまうよ!」


「ああ、えと、今年で三十――」


「うそぉ! もうそんなになったの! そりゃあたしも年取るはずだわ!」


 言葉を遮られるのも今に始まった話ではない。これくらい強引でないと、商売というのはやっていけないのだ、たぶん。


「おっと! 団長さんじゃねぇか! その左目はどうしたんだい!」


「なんだぁ! 帰ってきてたんだねぇ、団長ちゃん!」


「おかえり団長! これ、持って行きな!」


 そうこうしているうちに、近くの露店の店主たちや街の人に囲まれてしまった。……早いとこ本題に入ったほうがよさそうだ。貰った包みを小脇に抱え、声を上げる。


「そ、それで! 聞きたいことがあるんだが……!」


「あら! いいわよぉ! あたしにわかることならなんでも!」


「ありがとう、実は……」


 そう言って私は、少年の背を軽く押した。


「さっき街道沿いで、この子が一人でいたところを見つけて、保護した――」


「あら! かわいい子ね! 珍しい格好だけどどこの子かしら!」


「それがわからないんだ。なぜか言葉も通じないみたいで、直接話を聞くこともできずに困っ――」


「言葉も! それは大変ねぇ! 誰かわかる人いないかしら!」


 店主が声を張り上げ、その場の皆の視線が少年に集まる。


「服装は東の方っぽいが、それにしては上手いこと仕立てられてるなぁ」


「言葉が通じないってことは、この辺の子じゃなさそうね」


「この前来た行商の一団は? どこの国だっけ」


「ありゃ北のモンだ。それに子供は連れて来ないだろう」


 口々に騒ぎ立て始めた彼らに驚いたのか、少年の体がビクッと強張る。怖がらせないように背中を撫でつつ、周囲の意見に耳を傾けるが……特に有益な情報は無さそうか。


「向こうの通りに北の商団が来てるから! そっちでも聞いてみて!」


「わかった。ありがとう、そうするよ」




 市場の端まで来たが、手掛かりは一つも得られず、私は途方に暮れていた。隣で少年が、不安そうに私の方を見つめている。疲れてはいないだろうか、様子を窺おうと屈んで彼の顔を覗き込むが、目を逸らされてしまった。無理もないか。知らない土地で言葉も通じず一人きり、その心細さは計り知れないだろう。……私がなんとかしてあげなければ。その思いでなんとか笑顔を作る。大丈夫、心配いらないよ。君を一人にはしないから。


 沈みゆく夕日を浴びながら、街のはずれを目指して歩く。今日のところは、これくらいにしておこう。彼もきっと歩き回って疲れているし、なにより怪我人なんだ。無理をさせるのは良くない。続きはまた明日。そうして辿り着いたのは、久々に見る我が家。といっても、普段は団長室で寝泊まりをしていたせいか、これといって思い出はないが。




 杯を二つと、中から取り出した水差しを手に食卓へ。少年の分を注いで座り、自分の分も。一息ついて喉を潤した。彼の方を見ると、勢いよく杯を傾けて一気に飲み干していた。良い飲みっぷりだ。


「美味しいかい?」


 私がそう声をかけると、彼は頷いた。たとえ言葉が通じなくても、気持ちは通じるんだ。それに気付き、少し嬉しくなる。好きなだけ飲むといい、そう思いながら彼の杯にまた、水を注ぎ込んだ。


 彼、少年と呼んできたが、ふと思いつく。人の名前は、どんな言語であろうとも同じ呼び方ではないか、と。この水差しは、彼の言語では全く別の発音で呼ぶのだろうが、私のことはどんな言語であろうと、アレットと呼ぶだろう。そうと決まれば早速、自分の顔を指差しながら……。


「アレット」


 と、自らの名前を口に出した。彼は私の方を見つめ、少し首を傾げながら不思議そうに口を開く。


「アレット……?」


 そう、それが私の名前だよ。心の中でそう呟きながら頷く。念のため、もう一度。


「アレット。私は、アレット」


「アレット……」


 わかってくれたかな? それじゃあ、今度は君の番だよ。


「君の名前は?」


 そう言って彼を指差す。この子はどんな名前なんだろう、楽しみだな。期待に胸を弾ませながら待っていたが、なんだか彼の様子がおかしい。


「……どうかした?」


 狼狽えるように、落ち着かない様子で目を泳がせている。頭を小刻みに左右に振って、何かを思い出そうとしているような……。


 そして呻くように声を発したかと思うと、彼の呼吸がどんどん荒くなっていく。頭を抱え、眉間に皺を寄せながらぎゅっと目を瞑り、苦しそうに歯を食いしばっている。頭を押さえているところを見ると、頭痛が起きているのだろうか……。傷は消えたはずだが、やはり脳にもなんらかの影響が……?


「だ、大丈夫か!?」


 とにかく何とかしてあげないと……。急いで立ち上がって彼のそばへ。頭の包帯に異変はない。傷は大丈夫そうだが、やはり脳に……? 歩き回っている間の振動や衝撃は問題なかったみたいだが……。


「落ち着いて。ゆっくり、ゆっくり息をするんだ。大丈夫、大丈夫だから……」


 まずは落ち着かせないと、昼間のように過呼吸を起こすと厄介だ。彼の体を抱きしめ、頭を優しく撫でてやる。乱れた呼吸は少しずつ、泣き声に変わっていった。泣きじゃくる彼を慰めるように、抱き寄せながら考える。


 彼の頭痛が脳に損傷を受けたためとすると、なぜ今だったのか。二人で市場にいたときは逐一様子を見ていたが、特に苦しそうな素振りは見られなかった。今回、彼が苦しみだしたのは、確か私が彼の名前を聞いて、彼が答えようと……自分の名前を、思い出そうとしてからだ。この症状、記憶障害を引き起こしているのかもしれない。後頭部に負傷、名前を思い出せない、頭痛に襲われる……断言はできないが可能性は高いだろう。……この子が置かれている状況は、私が思っているより何倍も辛く、厳しいものなのかもしれない。




 ハンカチを少年に手渡し、明かりを付けようと立ち上がった。天井に吊り下げられた光源に手をかざすと、私の魔力を認識した照明がゆっくりと光を放つ。不思議そうに照明を眺める彼を尻目に、私は厨房へと向かった。


 市場で貰った包みを開くと、中から大きな塊肉が姿を現した。ちょうどよかった、疲れたときは肉を食うに限る。彼もきっと、これを食べれば元気になるだろう。




 食事を済ませ、一息。ふと、少年が眠そうな目をしているのに気付いた。無理もないか。今日はごたごたといろいろあり過ぎたからな。もう休ませてあげたほうがいいだろう。といっても、うちに寝床は一つ。二階の私の寝室だけだ。一緒に……はさすがに恥ずかしがるだろうか。まあ、私はその辺で適当に寝ればいい。そう思いながら立ち上がり、廊下を出て手招きをした。




 洗い物を済ませた私は、長椅子に掛けたままだった毛布を手に取り、明かりを消して座り込む。その瞬間に、どっと疲れが出てきた。あの子のためにずっと気を張っていたからだろう。大きく息を吐き、背もたれに体を預けて目を閉じる。今日あったことが、次々と頭の中に浮かび上がってきた。


 街道で出会った一人の男の子。彼は聞いたこともない言葉を話し、黒く澄んだ瞳で私を見つめてくる。どこから来たのか、何者なのか。どこを探してもわからない、不思議な少年だった。


 どうして私は、あの子にここまで執着しているんだろう。初めはただ、ひとりぼっちだった彼を不憫に思っていただけだった。医務室を連れ出して市場を歩き回ったのは、早く知り合いを見つけて安心させてあげたかったからだ。弱者を守る騎士として、当たり前のことをしただけだった。


 なんの手がかりも得られず焦る私を、彼は不安そうに見つめていた。今にも泣きだしてしまいそうなその目を見て、はっと息をのんだ。一人にしないでと泣き叫んでいた『あの日』の私も、きっとこんな顔だったんだろう、そう気付いたからだ。そして同時に、この子を一人にするわけにはいかないと、そう思ったんだ。


 名前を呼んでくれたときは、本当に嬉しかった。言葉が通じなくとも、心を通じ合わせることができるんだと、彼は教えてくれた。だからあのとき、私の胸の中で涙を流す彼の泣き声を聞いて、その心細さが痛いほどわかったんだ。どうにかして気持ちを楽にしてあげたいと、そう思いながら、彼を抱きしめていたんだ。


 私はどこかで、彼を『あの日』の私と重ね合わせているんだろう。一人取り残されたあの悲しさから救ってあげたいと思っているんだろう。そんな資格なんて、私には無いのに。


 今更何をやってるんだろう。哀れな子供に手を差し伸べて、救ってやった気になって、必死に自分を正当化しようとしている。そんなことをしたって、自分の罪が消えるわけじゃないのに。私のせいで命を落とした、『彼ら』が戻ってくるわけじゃないのに。


 『自分が許せない』、そんな理由で団員たちを、フェムを裏切ってまで、私は一体何がしたかったんだ。こんなことをしている暇があるなら、最前線に立って皆を導き、奴らと戦い続けるべきじゃないのか。暗闇から現れた『私』が、私に怒号を浴びせている。いつの間にか、足元に血溜まりが広がっていた。ズブズブと、音を立てて足が沈んでいく。中は突き刺すような冷たさで、慌てて抜け出そうともがいた手足を、『誰か』が掴んだ。闇の中から伸びてきた無数の手によって、私の体がどんどん引きずり込まれていく。助けを呼ぼうにも、喉の奥が引っ付いてしまったかのように、息ができなかった。どれだけ必死に体を捩っても逃げられない。ゆっくり、私の全身が飲み込まれていくのを、暗闇から『私』が蔑むような目で見下ろしていた。




 ドタンッという音とともに目が覚め、慌てて大きく息を吸い込んだ。長椅子からずり落ちてしまったようだ。今までの光景は夢だったんだと、気付いてもなお恐怖で体の震えが止まらない。寒気が酷いのに全身汗だくで、体中にまだ、何かに掴まれていたような感触が残っている。息苦しさに喘ぎながら、自分の体をきつく抱きしめた。


 あの子の声が聞こえる。よりにもよって、こんなときに起きてくるだなんて。こんな情けない姿、見せたくなかったのに。きっと幻滅させちゃっただろうな。ごめんね……。本当の私は、犯した罪を背負っていく勇気もない、自分勝手で最低な人間なんだ。今の私は、罪の重さで簡単に圧し潰されてしまうほど、頼りない人間なんだ。


「ごめんね……ごめん……ごめんなさいっ……!」


 弱くて、ごめんなさい。不甲斐なくて、ごめんなさい。意気地なしで、ごめんなさい……。


 そんなどうしようもない私を、彼がそっと抱きしめてくれた。こんなにか細い腕なのに、思っていたよりもずっと力強く、私を抱き寄せてくれた。何度も何度も、優しく頭を撫でてくれた。彼の体温が私へと移り、心までがだんだんと温められていく。声にならない声を上げながら、彼の胸の中でただじっと泣き続けていた。




 髪を撫でつける彼の手の優しさが、抱きしめる体の温もりが、私の心を励まそうとしてくれている。『大丈夫だよ』と、心の中に直接語り掛けられているように、彼の思いが沁み込んでいく。私なんかよりもずっと、この子のほうが辛いはずなのに。弱り切った私を元気付けようと、一生懸命慰めてくれている。ありがとう、きみはとっても優しいんだね。心の中で呟いて、彼に笑顔を見せたときには、震えと涙はすでに止まっていた。




そして私は決意した。全てを懸けてこの子の力になろうと。どんなことがあっても、私がこの子を守るんだ、と。

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