2話
どのゲームにも、世界観やら何やらを説明してくれたり、チュートリアルをしてくれるお助けキャラというものが存在する。
勿論マイナーゲームである愛憎の棘にも存在している。
…ただ、攻略対象たちと同様に彼らもなかなかに癖が強い。
(シナリオ通りに進むなら、面識がある方が役に立つかも知れないし。)
オリエンテーションが終わり、フェイシラから寮についての手紙を受け取ってすぐにアネモネは裏庭に向かっていた。
探している彼らはよく裏庭でくつろいでいたから。
「あたしは兎も角、トレがAクラスじゃないなんて納得いかないよー!!」
「…うるさいよモア。」
やっぱり。
探していた名前を呼ぶ声が聞こえて、アネモネはニヤリと笑った。
「ねぇ、少しいいかしら。」
わざとよろめきながら2人に近づくと、女の子が声を荒げてアネモネの体を支えてくれた。
焦ったのか大きく空いた口から覗く八重歯が可愛らしい。
「危ない!大丈夫?」
「ええ。急にごめんなさい。寮に向かっていたのだけど、迷ってしまって。」
「寮の方向は反対だよ!?」
男の子の方も本を閉じて近づいてきて、警戒するようにアネモネを睨む。
一方女の子の方はアネモネのことを本気で心配してくれる。
(…モアが釣れたら作戦成功よ。)
愛憎の棘のお助けキャラことモア・ベリロとトレ・ベリロ。
双子の姉弟で、攻略対象が霞んでしまうほどキャラが濃く、容姿端麗なキャラクター。
人懐っこいモアに対してトレは警戒心が強く、姉に近づく人間全員に敵意を向けている。
だからアネモネは方向音痴のフリをして2人に近づいて、優しいモアの興味を引く作戦を立てたのだ。
予想通りモアはアネモネを心配して寮まで案内しようとしてくれている。
「あ!自己紹介するね。あたしはモア!この子はトレ。君は?」
「…私はアネモネ。よろしくね。」
「うん!ここで会えたのも何かの縁ってやつだもん。仲良くしてね!」
トレはまだアネモネを警戒しているのか、一言も発さない。ただ無言でモアの手を握る。
「そう言えば君、あたしのクラスにはいなかったよね。あたしたちはBクラスなんだけど、君は?」
「……どう見てもAクラスの人でしょ。ピンの色が違う。」
アネモネのリボンについたピンを指差して、トレがぶっきらぼうに言った。
確かにアネモネのピンは赤色の小さい宝石が埋め込まれていて、2人がネクタイとリボンそれぞれにつけているピンは青色の宝石。
真逆このピンにクラス識別の意味があったとは。
「トレって物知りなのね。知らなかったわ。」
「あたしも今知ったよ!トレこんなに賢いのにAクラスに入れないなんて、Aクラスはどんだけハイレベルな集団なの?」
「変わった子が多い印象ね。」
そう言うと、モアが大きく口を開けて笑った。
「確かに!モネちゃんはすっごい方向音痴だしね!」
「もね…?」
「失礼だろモア。」
小突かれたモアはごめんねとすぐに謝ってくれた。
正直方向音痴は嘘だからいじられてもダメージはないのだが…。
(モネちゃんってもしかして私のこと?)
人生で一度も呼ばれたことのないあだ名に戸惑っていると、名付け親から補足が入る。
「あたしがモアだから、モネちゃんってなんか響き似てるし可愛いじゃん?」
「…要は適当につけたあだ名ってこと。」
補足の補足を聞いて苦笑いを浮かべた。
「そういえば、寮はふたつあるけどモネちゃんはどっちだったの?」
ふたつ?
ゲームでは学校生活に焦点を当てていたから、日常生活までは知らなかった。
未開封のままの手紙を開けると、そこには何も描いていない真っ白の紙が入っていた。
「その紙に触るんだ。」
促されるままアネモネは人差し指を白紙に当てた。
すると触れた場所から黒いインクが滲むように広がり、白い紙はすぐに黒く染まる。
「これ、どういうこと?」
「わ、わー!?モネちゃん悪魔寮なの!?」
「悪魔寮?」
何がなんだかわからないのに、モアが顔を青ざめて焦っているから、なんだか不吉なことなのではないかとアネモネも不安になってくる。
そんな2人を見かねてか、トレが冷静にこの紙について教えてくれた。
「この紙は魔力に反応して色が変わるんだ。魔力が強かったり、攻撃性が高い魔法を扱えたりすると紙が黒くなる。黒い紙は悪魔寮、白い紙は天使寮になる。」
「へぇ。ということは私は悪魔寮なのね。」
「まあ、そういうのは建前で悪魔寮は問題児を集めた寮だよ。」
「え!?」
問題児…と呼ばれるほど自分は悪いことをしていないはずだけど。
モアが気遣って「あくまで噂だから!」と励ましてくれる。
(…私、一応ヒロインなのに問題児扱いなの…?)
「…っていうか少し気になったんだけど、アンタ学校のこと全然知らないんだな。」
「そう?」
「寮の情報は普通入試前までの家庭教師が教えてくれただろ?」
「家庭教師?私はいなかったけれど。」
2人がおかしな顔をする。
どうやらこの学校に入学できるレベルの生徒は、家庭教師を取るのが普通らしく、ほとんど独学で主席入学したアネモネは相当異端らしい。
(家庭教師を雇えるほどのお金もなかったし、入る気もなかったし。)
Aクラスになりたかったと言うほど意欲のある彼らにそんなことを言えるわけないが。
「モネちゃんはすごく天才肌なんだね。」
「そう?」
「でもでも、中間試験では抜いちゃうからね!トレが!!」
「俺かよ。」
わいわい話していると、校舎から離れて寮が見えてきた。
色とりどりの花が咲く花壇に囲まれた暖かい雰囲気の大きな建物がおそらく天使寮。
隣の高い気に囲まれて光の当たらないジメジメした空気の漂う小さな建物が悪魔寮。
「ここが寮だよ。もう流石に迷子にはならないよね?」
「ええ。ここまで案内してくれてありがとう。」
「こちらこそ!じゃああたしたちはあっちだからまたね!」
騒がしい2人と分かれて一気に静寂が訪れる。
木の隙間から吹く風が不気味な音を立て、カサカサと葉が擦れる音は虫を連想させる。
(私の家よりはずっとマシよ。)
普通の少女であれば躊躇う場所を、アネモネは平然と通り抜けた。
◇
「あらぁ♡久しぶりに女の子が入寮するって聞いて楽しみにしていたのぉ。」
「わぶっ」
年季の入った寮の扉を開けると、いきなり柔らかいなにかに包まれた。
顔を上げてようやくそれが女性のたわわなそれだと気づいたアネモネは勢いよく体を逸らせて離れた。
「驚かせちゃってごめんなさい。私はカメリア。ここの寮母をしているわぁ。」
出迎えてくれたのはふわふわとした雰囲気の可愛らしい女性。
見惚れてしまうほど愛らしい微笑みを浮かべる彼女の顔を見て、アネモネは顔を引き攣らせる。
「あの…頬に赤い何かがついてますけど…。」
「あらぁ!本当ねぇ。さっきおいたした新入生の子を叱ったから、その時についたのかしらぁ…。」
(…顔に血がつくほど叱られるってどんな問題児なのよ。)
「あら!噂をすればロゼくんじゃない!」
まさか知り合いだとは。
口端にガーゼをつけたロゼが不満そうな顔で階段を降りてきた。
既に制服からルームウェアに着替えていて、校内で見た時よりも逞しく見える。
「入学早々先生に目をつけられて、寮母さんにも叱られるなんて、貴方ってトラブルメーカーなの?」
「……いや…まあ…そうかもな。」
歯切れが悪い上、否定しないロゼにアネモネは目を見開く。
教室で放っていた、俺に構うなオーラも今はあまり感じないし、アネモネが辿り着くまでに寮でいったい何があったというのか。
「ふふふ、2人は知り合いだったのねぇ。楽しい年になりそうで嬉しいわぁ!」
カメリアが笑うとロゼがわずかに肩を振るわせた。
(…何があったかはわからないけれど、カメリアさんを怒らせない方がいいことだけはわかったわ。)
部屋の場所や寮の設備を聞いたアネモネは、そそくさと自室に戻っていった。
_____________________
翌日、入学式典後初めての授業はグループワークだ。
これから地域ボランティアを行うにあたり、チームのメンバーや魔法属性、得意魔法を資料にまとめなければいけないらしい。
これを元に、最も依頼に適したチームを選んで派遣するのだとか。
「結構本格的なことをするのね。」
「めんどくせぇ…。」
頬杖をついて文句を垂れるロゼを放って、資料について話しあう。
資料をまとめるのは、字を書くのが得意なシオンに任せた。
「シオンちゃんのはもう書いてあるんだ。」
「僕のを先に書いた方が効率が良いかなと思って。」
話を聞いて紙を覗き込むと、綺麗な字でシオンのプロフィールが書かれていた。
(属性は水…得意魔法は防衛魔法。)
ドロップもアネモネと同じように頭の中で読み上げたのか、シオンさんすごいと声をだす。
「防衛魔法というと、防御力を上げたりとかシールドを張ったりとかするの?」
「そうだね。でも、完璧に攻撃を防げるほど高度な魔法は使えないよ。」
「それでもすごいです!周りの人を守れる力があるなんて、シオンさんカッコいいなぁ。」
「はは…。」
シオンは苦笑いを浮かべたあと、目を伏せた。
しかしすぐにいつもの人当たりのいい笑顔に変わり、話題を切り替える。
「ドロップくんの方が、回復魔法が使えてすごいと思うよ。」
「そんなことないです。ボクは所詮事後処理しかできません。皆さんが傷つくことを防げない程度の力ですし…。」
ドロップは光属性で回復魔法の使い手。
回復魔法を扱える人間は稀有で、常に重宝される。
しかも彼は傷跡と痛みを完全に消せるほど高度な魔法が使えるらしいから、進路は選び放題だろう。
(本人が自分の力の凄さをあまり理解していないことが問題だけれど。)
「オレは雷属性で、サポート魔法が得意!アネモネちゃんはアタッカーでしょ?オレがいっぱいサポートするよ。」
「それはありがとう。」
「オレに冷たくない?」
「シオン、私は風属性で攻撃魔法が得意よ。」
「ひどい!!」
チャラついた男はお断り。
泣き真似を続けるシレネを無視して、周りの視線がロゼに集まった。
「俺は炎属性。攻撃魔法が得意だ。」
意外なことに、ロゼは急かされる前に素直に答えた。
ロゼも心境の変化があったのかと感心したけれど、近くでフェイシラが鋭い目でこちらを見つめていることに気づいて撤回する。
「そういえば口元に傷がないわね。昨日怪我をしたんでしょ?」
「そこの小さいのが治した。」
「ドロップが?」
「とても痛そうだったので…やっぱり迷惑でしたかね?」
ロゼは何も言わずに顔を背けた。
自分より小さくか弱そうな存在との接し方が、わからないのだろうか。
アネモネはロゼを憐れみつつ、彼とはこう接するのだと教えるようにドロップの柔らかい髪を撫でた。
「アネモネさんとロゼくん、天使寮で見当たらなかったからもしかしてって思ったけど悪魔寮なんだね。」
「そう。ロゼったら初日から何かやらかして寮母さんに叱られていたのよ。」
「わ、わぁ…そういうことだったんだ。」
怪我の経緯を知ったドロップは青ざめた顔で体をびくりと震わせる。
「こうしてまとめてみると、僕たちグループはバランスがいいみたいだね。」
「そうだね。危険な森にフィールドワークに行くっていう年もあったらしいし、みんながいるなら課題も心配ないかも…!」
シオンとドロップは相性がいいらしく、珍しくドロップは穏やかな表情を浮かべている。
シレネもコミュニケーションはとれるし、置物と化しているロゼにさえ目をつむれば、何とかやっていけそうだ。
(この人たちと近づきすぎず、遠すぎずの関係を保ってグッドエンドを目指すのよ…!)
机の下でこぶしをグッと握りしめる。
「アネモネさん、うつむいているけど体調でも悪いのかな?」
「い、いえ。ちょっとぼーっとしてしまっただけよ。」
突然頭上に伸ばされた腕に驚いたアネモネは、反射的に払いのけてしまった。
乾いた音がシンと静まり返った教室に響き、クラスメイトの視線が集まる。
自分がやらかしてしまったと気づくことに時間はかからなかった。
「シオン様、大丈夫ですか!?」
一人の女子がそう叫んで近づいてきたことをきっかけに、シオンのもとへクラス中の女子が集まってきた。
やがて、シオンの左手が少し赤くなっていることに気づいた女子たちは、今度はアネモネに近づいて睨みつけてくる。
「あなたみたいな人が、高貴なシオン様に怪我をさせるなんて!」
「やっぱりこんな庶民が集まるグループなんてシオン様によくありませんわ!私たちと組みましょう。」
「なによ!?抜け駆け?私たちのグループのほうがきっといいですよ!」
反論する間もなくクラスメイト同士で喧嘩が始まり、どうすることもできずにただ傍観していると、シオンが割って入ってくる。
「みんな喧嘩しちゃだめだよ。それに突然レディに触れようとした僕が悪いんだから。」
彼の声にも納得がいっていないようで、数人の女子がアネモネをにらみつけてくる。
「……まだみんな納得していないみたいだね。じゃあ……」
シオンが席から立ちあがり、「すこし触るね」と今度は事前にアネモネに声をかけて彼女の細い手首をつかむ。
「謝罪の代わりとしてアネモネさんに手当してもらおうかな。」
「あ、シオン様!」
授業の終わりを告げるベルが鳴り、同時に教室の扉を潜り抜ける。
ほかのクラスの生徒の声にシオンの取り巻きたちの声がかき消され、走って荒くなるお互いの呼吸音だけが聞こえる。
(…真逆この人本気で走っているの!?)
どこまで行くつもりなのか、手は離さないのか、いろいろ聞きたいことはあるが、ついていくことに精いっぱいで声が出ない。
やがて物置と化している教室にたどり着くと、シオンはようやく立ち止まって振り向いた。
「あはは、全力で走るのって楽しいね!」
「……体力お化け.….…楽しいわけないじゃない!」
シオンは教室の中に入ると、椅子を引いてアネモネに座るよう促した。
今更紳士的なふるまいをしたところで、レディに無理をさせたという事実は変わらないというのに。
「少し髪が乱れてしまったね。髪に触れてもいい?僕が直すよ。」
黙ってうなずくと、シオンは嬉しそうに笑ってアネモネの髪のリボンを解いた。
(彼は、子供のように笑う人なのね。)
教室で女子グループに囲まれていた時は、こんな無邪気に笑っていなかったのに。
「できたよ。」
「鏡がないからどうなっているかわからないわ。」
「はは、それもそうだね。」
触って確かめると、どうやら編み込みしたらしい。乱れた髪を直す程度でこんな凝った髪型にしなくてもいいのに、とじっとシオンを見つめると、似合っているよ、と女子グループに囲まれていた時と同じ顔で微笑んできた。
「……ところで、どうして私をこんな場所まで連れてきたの?本当に手当てをさせるつもりではなかったんでしょ。」
「うん。あの時アネモネさん、本当に顔色が悪かったから、あの場にとどまるべきじゃないって思ったから。」
「どんな顔をしていたの?」
「なにかにおびえている顔。」
シオンに突然手を伸ばされたとき、たしかに驚いたけれどおびえるほど怖かったわけではない。
勘違いではないかと首をかしげると、シオンは真剣な声色でうそじゃないよといった。
「.…わざわざ気を使ってくれてありがとう。」
「僕のせいみたいなものだし、謝らないで。」
アネモネが話すのをやめると、シオンも話しかけてこない。
静かで少し薄暗い教室はとても居心地がよく感じた。
だんだん眠くなってきて、小さく欠伸をする。
「眠いなら寝てても大丈夫だよ。昼休みが終わるころに起こすから。」
「……ん。ありがとう.….…。」
だんだん眠気で脱力していき、シオンに寄りかかって眠りにつく。
アネモネが完全に寝入ったことを確認したシオンは、彼女を起こさないように体を倒して膝の上に寝かせる。
赤子のようにすやすやと眠る様子に、シオンは息を荒くして彼女に語り掛けた。
「ふふ.…僕のお膝で安心して寝ちゃうなんて可愛いなぁ。大丈夫だよ。お兄ちゃんが守ってあげるからね。」
彼の眼はほんのり赤く光っていたことに、ぐっすり眠ているアネモネは気づかない。