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【5.あの日の婚約破棄と新たな恋・前編】

 さて、セレステの(やしき)から帰ってきて、リーアンナは自室用の服に着替えもせずに自分のお気に入りの長椅子に倒れこんだ。


 片手で侍女にお茶だけ頼むと、また長椅子に沈み込んで深く考えを巡らせる。

 リーアンナが気になっていたのは、バートレットの言葉だった。


 エルンスト様が背中を刺された。誰かに。

 でも真実を隠し、酔って自分で自分の背中を刺したことになっている。

 何のためにこんな()えてバレる嘘をついたのか。


 バートレットの言い方だとエルンスト様は状況を分かっているような口ぶりだった。もしかしたら犯人そのものか、犯人の手がかりも(すで)に分かっているのかもしれない。

 そしてそのこともウォーレスとバートレットには伝えている、たぶん。だからウォーレスはあんな嘘をついたのだろう。


 そして、ウォーレスとバートレットは今度エルンスト様の(やしき)に招待されたらしい。

 バートレットは教えてくれなかったけど、恐らく事件に関わる相談だろうと思われる。


 犯人が何となく分かっているならさっさと捕まえたらいい。

 なのに嘘までついて、何かを(たくら)んでいる。ということは、エルンスト様が刺された事件は、犯人がよほどの人物なのか、それとも、裏には何か大きな陰謀でもあるのだろうか。


 とにかく、エルンスト様とウォーレスとバートレットは、これから何かしようとしているに違いない。


 それはいったい何――?


 そこまで思ったとき、リーアンナはうっすらと嫌な予感が頭に入り込むのを感じた。


 いや、本当は、最初っから何となく分かっていたのだ。

 刺された人物がエルンスト様だという時点で。


 これはウォーレスにもバートレットにも言ってはいないことだが、リーアンナは実は知っていた。

 エルンスト様が誰と対立しているかということを。


 リーアンナはふうっとため息をついた。


 そのとき、足音がしたのでリーアンナはハッと我に返った。

 侍女が(うやうや)しくお茶を持ってくる音だった。

 よく(わきま)えた侍女は、リーアンナのお気に入りのカップでお茶を入れ、長椅子横のサイドテーブルにそっと置いた。


 リーアンナは少し上体を起こし、お茶に手を伸ばした。


 ――お茶。

 そうこのお茶。


 王太子様と最後のお茶をした時もこのお茶だった。

 二年前くらいの話。

 婚約破棄の直前のお茶会。


 そのときまでは、自分から望んだ婚約ではなかったが、自分は王太子様と結婚するのだと思っていた。誰にもガッカリされないように勉学も励んだし、貴族との社交も頑張った。あちこちの茶会や夜会に顔を出し、挨拶回りは欠かさなかった。


 特に王太子妃候補として受けた教育はなかなかしんどくて、他の令嬢が優雅に過ごしていた間、国のしきたりや伝統、式典、礼儀作法などに加え、国の現状を把握するため社会情勢を示すあらゆる数字を覚えていった。妃教育に関わる老講師たちは少しも甘くなく、できないことがあると(なま)けていると厳しくリーアンナを(しか)った。特別頭が良いわけではないリーアンナは、高すぎる老講師たちの要求に涙を()いてついて行ったのだ。


 しかし、不意(ふい)に『聖女』が現れた。


 南部の大神殿が「間違いなく今世紀の大聖女です」と太鼓判(たいこばん)を押し、中央神殿がそれに(なら)った。

 王宮はてんやわんやになった。


 聖女はいつどのタイミングで誰が覚醒するか分からない。歴史ある『聖女法』が定めるには、『聖女が覚醒した(あかつき)には漏れなく国王または王太子などの王位を継承する者の正当な伴侶となるべし』とある。


 つまり、聖女不在の王都ではリーアンナが王太子候補として立っていたが、『聖女』が現れた今、リーアンナはその席を聖女に譲らなければならなかった。


 国の大法律家が5人も連れ立ってリーアンナのグルーバー公爵家を訪れ、ぶ厚い本を何冊もリーアンナとグルーバー公爵の前に積み上げて、ひどく堅苦しい言葉で婚約破棄の必要性を説明した。


 リーアンナも『聖女法』というのがあることは聞きかじっていたので、グルーバー公爵家としてはこの要求を粛々(しゅくしゅく)を受け入れた。


 法律に(のっと)り、婚約辞退はリーアンナ側から申し出ることになっていたので、グルーバー公爵家から(つつし)んで婚約を辞退した。

 王宮側はそれを事務的に受理し、呆気(あっけ)なく、本当に呆気(あっけ)なく、リーアンナと王太子の婚約は破棄された。


 これまで頑張ってきたことが全て無になるというのはリーアンナとしては少し残念ではあったが、駄々(だだ)をこねるところではなかった。

 王太子のことは未来の夫だと認識していたし尊敬してはいたが、心から慕ってはいたわけでもなかたし。

 まあ、『聖女』が現れたのだから、そんなものかと思っていた。


 だが一つ、リーアンナは気になることがあった。


 それは王太子の態度だった。

 王太子側はリーアンナからの婚約辞退の申し出を受け入れるのみで、返事を寄越すことはなかったからだった。


 だがリーアンナは、仮にも10歳を超えた頃くらいから数年婚約者をやってきた自分に対し、王太子様はこの婚約破棄をどう考えているのだろうと思った。


 例えば、望み過ぎなのかもしれないが、「これまで王太子妃候補として頑張ってきてくれてありがとう」とか、もはや「残念だけど婚約は終わりだね」の一言だけでもいいから、彼の声を聴きたいと思った。


 もちろん、そんなことは期待し過ぎだということも分かっていた。

 リーアンナは家などの都合で選ばれただけの婚約者だったのだから。


 でも、王宮の舞踏会やちょっとした王宮でのサロンでばったり顔を合わせたときにでも、そう、ほんの一言でも、彼の気持ちを聞ける機会があればよかったのだ。


 だから、リーアンナはしばらく王太子様の出席しそうな場に自分も顔を出すようにした。

 言葉を交わす機会はないかと期待して。


 でなければ、自分の王宮に縛られていたあの年月はどうなるのか。無駄だったの一言で終わらすのは、あまりに自分が可哀(かわい)そうに思えた。別に自分だって望んで王太子の婚約者になったわけではないのに!

『聖女』が現れました、ですからあなたのこの数年間は無駄でした、それだけで終わらせられるなんてあまりにも……!


 一言でいい、別れの言葉が欲しい。それだけなのに。


 しかし、王太子様はリーアンナと顔を突き合わせても、隣にべったりと居座(いすわ)る『聖女ルシルダ』に配慮してか、リーアンナと目を合わそうともしなかった。


 そんなことが続き、ついにリーアンナがしびれを切らして、失礼を承知で「あの……」と王太子に話しかけようとしたら、ルシルダに噛みつかんばかりに追い払われた。


 そのときからルシルダは、リーアンナを王太子のストーカーと認識したらしかった。

 もともと『元婚約者の女』というのは気に入らなかったのだろうけど、未練ったらしく話しかけてくる女は危険、そう思われたに違いなかった。


 そして『聖女ルシルダ』はリーアンナを敵認定し、あることないことリーアンナの悪口を吹聴(ふいちょう)して回った。

 挙句(あげく)、リーアンナを「聖女の自分を認めていない」「聖女が現れることはリーアンナにとって不利なことなのでできるだけ隠蔽(いんぺい)しようとした」などと言いがかりをつけ、犯罪者にまで仕立て上げようとしたのである。


 もちろん証拠はなかったし、この国ではリーアンナの実家のグルーバー公爵家の力も大変強いものだったので、リーアンナが犯罪者になることはなかった。


 しかし、完全に『聖女ルシルダ』と敵対する構図は王宮中に知れることとなり、リーアンナはそれ以上王太子に近づくことは難しくなった。


 それでリーアンナは『()()()()』を決意したのだった。


 自分が王太子の別れの一言に(こだわ)り過ぎていたのはよくなかったと認める。

 他の令嬢たちが優雅に楽しく過ごしていた時間、リーアンナは見た目だけは優雅だが内容は過酷な、優雅とは程遠い妃教育を受けていた。だからといって、別に愛してもいなかった男性なのだ、婚約破棄を喜んで受け入れて、さっさと忘れてしまえばいいのだ。


 だが、本音ではそうは思えなかった! そう思えたら、どんなに気が楽だったことか!

 今でも元婚約者の(ねぎら)いの言葉を欲しがる自分は(おろ)かですか?


 『()()()()』などで王宮をこっそりと訪ねることは、非常に失礼で、仮にも公爵令嬢として相応(ふさわ)しくない行為だということは分かっていた。

 

 しかし、リーアンナは、王太子の婚約者として拘束された日々や、それを呆気(あっけ)なく無かったことにされたことや、婚約者だった人が別れの一言も寄越さないこと、『聖女』とやらに犯罪者まがいの扱いをされたことなどに、だいぶ憤慨(ふんがい)していたのだった。


 それに、(かたく)なに自分に言葉をかけることを避けるというのも変な話ではないか?


 自分がこんな手段を取ってでも王太子様に会う、というのはとても(いや)しく苦しい気持ちだった。

 しかし、そうでもしなければ、さすがにこれまでの自分が報われなさすぎる!

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【短編】 「婚約者が浮気していたので流れで仕返ししたら、なんだか新恋人ができました」 (作品は こちら

幌あきら様
イラスト: 砂臥 環
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