【4.首を突っ込むな】
リーアンナは険しい顔でそそくさと帰っていったブローデを呆気に取られて見ていた。
「振り返らずに去っていったわね。よっぽどの急用だったのかしら」
「さあねえ。でもセレステ、真面目そうなやつじゃん」
何となくブローデの素性を聞き及んでいたウォーレスだったが、リーアンナとセレステの前ではおくびにも出さずに言う。
ブローデを軽く見送ってから戻ってきたセレステは、婚約者の変な態度に首を傾げながらも、一応ウォーレスに、
「ありがと」
と答えた。
ウォーレスは少し興味ありそうに聞いた。
「いつ結婚すんの?」
「まだ分からないわ。うちの姉が結婚してからだから、もう少し待たないといけないかもしれないわね」
とセレステが言うので、リーアンナとバートレットが「ああ……」と気の毒そうな顔になった。
ウォーレスが首を傾げる。
「何?」
リーアンナはちらりとセレステを見てから、そっと言った。
「セレステのお姉さん、婚約者がいるんだけど、その婚約者が嫌すぎて、結婚から逃げ回ってるの。だからちっとも話が進まないのよね……」
セレステも盛大にため息をついた。
「そう。ま、実は姉の結婚待たなきゃいけないってだけでもないんだけど。でも、ま、姉の件もネックだわね。一応ブローデ様は待っててくれてるけど、このまま1年も話が進展しなかったらさすがに私もフラれるかもしれないわね。何でか知らないけど、ブローデ様は早く結婚したがってるみたいだし。私との結婚を待ちきれずに思ってくれてるだけならいいけど、もし結婚そのものを急ぐ理由があるなら、私じゃなくてもいいやってなるでしょうね……」
すると、すかさずウォーレスが声を上げた。
「じゃあ、バートレット、おまえがセレステもらってやれよ!」
バートレットは突然の発言に驚いて目を上げた。
「は?」
ウォーレスはにこにこしている。
「いいじゃん。むしろそういう話は1ミリも出なかったわけ? おまえらの中で」
セレステは真っ赤になった。
「で、出ないわよ、別に! バートレットとはそういう関係じゃないし」
バートレットも気持ち赤くなって焦っている。
「そ、そうだ。仲はいいが、それと結婚は別の話だろ」
そんな二人を呆れるように眺めて、ウォーレスはそっとため息をついた。
「そうかな。僕はできれば仲が良くて――ってゆか、好きな子と結婚したいよ」
そして、リーアンナをちらっと見る。
「な、何?」
と鈍感リーアンナが聞くと、ウォーレスはもう一度「はあっ」とため息をついた。
届かないか、僕の想いは――。
それからウォーレスは真面目な顔になって、下を向きながらぶっきらぼうに説明し出した。
「あのさ。エルンスト殿は婚約者がいるから、セレステもリーアンナには好き勝手はさせないと思ってるけどさ。僕とバートレット、今度エルンスト殿の邸宅に呼ばれた。たぶん何かに巻き込まれることになると思うけど――。でも、エルンスト殿は婚約者がいるからな。リーアンナとエルンスト殿をくっつけようとか絶対しないから。期待すんなよ」
「期待なんか最初っからしてません! でも、さっきもブローデ様に言ってたわね。エルンスト様の邸宅に招待されたって」
リーアンナは、それが何のためかを聞きたくて、じっとウォーレスの顔を見た。
ウォーレスは俄然興味津々のリーアンナの様子に不機嫌そうになった。そして少し意地悪く言ってやった。
「なんだ? 羨ましいか、リーアンナ」
「ばか! でも何かに巻き込まれるのはやめてね。エルンスト様はともかくとして、あなたたちまで何か怪我するようなことがあったら」
とリーアンナがウォーレスの意地悪にムキになって答えると、ウォーレスは少し意外そうな顔をして、
「心配してくれるの? ま、何とかなるよ。バートレットもいるし。こいつ鍛えてるから大丈夫」
とバートレットの逞しい腕を指差した。
バートレットがすかさず横から口を挟む。
「おまえも鍛えてるだろ。ってゆか、おまえ隣国で何をやってた? 本当に政治システムを学びに行っただけか? 身のこなしがもう……」
「なんのことやら。ねえ、大人の話は難しいでちゅね、ココちゃん」
ウォーレスはすっとぼけて話をイチ抜けし、膝を屈めて足元にいたココちゃんをガシガシっと撫でた。ついでにキスしようとして嫌がられる。
話を無視されたバートレットは、小さくため息をついてからリーアンナに近づいて小声で言った。
「リーアンナ。ウォーレスは何か軽い口調で言ってるけどな。エルンスト殿の件、厄介なことに巻き込まれそうなのは確かだ」
「そうね。だって、自分で背中を刺すとか変だもの」
「それは、ウォーレスの嘘だ」
「え?」
「俺もウォーレスもエルンスト殿からちゃんと話を聞いたよ。今は誰にも言えないからウォーレスはああやって嘘を。にしてもバレバレな嘘を敢えてついてるってことは何か思惑があるのかもしれないけど」
バートレットは鋭い目をウォーレスに投げかけてから、困った顔でふうっと息を吐いた。
リーアンナはそのバートレットの様子にどんどん心配になる。
「誰にも言えないって? そんな大事になりそうなことなの?」
リーアンナが縋るような目でバートレットを見るので、バートレットは「こっちにも問題が」とばかりに頭を掻き、それから真面目な顔でリーアンナを諭した。
「少しね。でも、リーアンナ。おまえは口を出すな。エルンスト殿が好きなんだろ? エルンスト殿には婚約者がいるんだ、おまえが下心を持ってしゃしゃり出てくると、後々いろいろ問題になる」
「下心なんか!」
「ないと言えるか? ずっとエルンスト殿を目で追っかけてるじゃないか。どんなに隠そうとしても俺やセレステの目は騙されない。そんなリーアンナがエルンスト殿の事件に積極的に関わったらさ、エルンスト殿の婚約者のイェレナ嬢が黙ってないよ。今回の事件は少し繊細なんだ。イェレナ嬢に『女が婚約者を誑かしに来た』だのなんだのギャーギャー言われると相当面倒なことになる」
バートレットは淡々と説明する。
リーアンナはバートレットの言葉にずきっとしたが、
「でも心配なんですもの。エルンスト様の事件の解決に私ができることがあるなら、手伝いたいと思うわ」
と絞り出すように言った。
バートレットはリーアンナの切実そうな声に困った顔をしたが、心を鬼にして冷たく言い放った。
「それは俺らがやる。そもそもリーアンナはエルンスト殿と何の関わりもないってこと自覚しておいてよ。それに、前提として、リーアンナは王太子様と聖女ルシルダとも敵対している」
「敵対しているわけじゃ!」
リーアンナが不本意とばかりに叫んだが、バートレットは異論は認めないと首を大きく横に振った。
「王宮中がリーアンナと王太子様の婚約破棄のことは知ってる。その原因が聖女ルシルダで、彼女がリーアンナをよく思っていないことも。だから、リーアンナが出てくると、エルンスト殿の実家のリンブリック公爵家が警戒する。リーアンナにそのつもりはなくても、聖女法で守られたルシルダを敵に回すのは誰だって及び腰になるんだから」
リーアンナにとっては、あまり王太子との婚約破棄は話題にされたくないことだった。
だからリーアンナは一気におとなしくなった。
「う、うん、分かったわ。私にそれを言いたかったのね、バートレット」
「そう。首を突っ込もうとするなって、釘を刺しに」
バートレットが言葉とは裏腹の優しい声で言う。
その優しさにリーアンナは余計に胸が苦しくなった。みんなが自分を気遣ってくれる。
「分かったわ……」
「いい子だね、リーアンナ」
バートレットは微笑んだ。
しかし、バートレットは胸の中では別のことも考えていた。
別のこと――、それは、エルンストに心を砕くリーアンナをウォーレスは見たくないだろうということだった。
バートレットがエルンストが倒れているのを見つけたとき、とにかく彼を助けねばと必死だったが、同時に頭の片隅にリーアンナの顔が浮かんだ。何かリーアンナとエルンストの懸け橋になるようなことをと老婆心ながら一瞬思ったのも事実だ。
だが、人を呼びに行ってウォーレスの顔を見た瞬間、その老婆心は吹き飛んだ。
ウォーレスは、子どもの頃からリーアンナのことが好きだったから。
ウォーレスのリーアンナへの気持ちをぽつりぽつりと聞かされていたバートレットは、ウォーレスの顔を見て我に返った。
そして冷静に自分に言い聞かせた。
エルンストには婚約者がいる。リーアンナの想いは筋が通らない。
もしかしてエルンストを助けることで自分はエルンストと縁ができるかもしれないが、リーアンナはエルンストから遠ざけておかなければならない。
リーアンナを支えるのは、エルンストではなく、ウォーレスの方が現時点では絶対に相応しいのだ。
リーアンナに伝えたいことを言ったバートレットがリーアンナから少し離れると、ウォーレスが突き刺すような目でバートレットに近づいてきて聞いた。
「おいバートレット。リーアンナと何を話してた?」
「あ? 気になるか?」
「気になるね」
「リーアンナに聞けよ」
とバートレットは突き放すように言ったが、ウォーレスは動じなかった。
「おまえに聞いてるんだよ」
バートレットはしげしげとウォーレスの頑なな態度を眺めて、それからため息をついた。
「……。おまえ、隣国行って少し変わったな。ま、いいや。別にー。エルンスト殿の件には首ツッコむなってリーアンナに釘を刺しただけ」
「……のわりには長いこと話してたじゃん」
ウォーレスが疑り深く呟くと、バートレットは苦笑した。
「ずっと見てたのかよ。きも」
「……」
きも、と言われて少し恥ずかしくなりウォーレスがポリポリと頭を掻くと、バートレットはふっと笑った。
「まあな。おまえは昔っからリーアンナのことばっかりだ。なんでリーアンナは気付かねーんだろうな。今もどうせエルンストのことでアタマいっぱいさ、あいつ」
「!」
ウォーレスの目が険しく光った。
バートレットはそんなウォーレスを窘める。
「そんな目するくらいなら、告白でも何でもしろよ。今のままじゃ気付かねーぞ、リーアンナ」
しかしウォーレスは唇を尖らせた。
「僕が今告白したって振られるだけだろ。リーアンナはエルンストがいいんだから」
「だな。エルンストが結婚するまで待つしかねーな」
「はあ、待つしかねーのか。だる」
「じゃ諦めれば」
「諦めれねーよ……」
とウォーレスがしゅんとしながら気弱に言うので、バートレットは何とかウォーレスを元気づけたくなった。
「じゃ、あんま褒められた方法じゃないけど、リーアンナを手に入れる方法、教えてやろうか?」
「は?」
ウォーレスは驚いてバートレットの顔を真正面から見つめた。
バートレットは少し迷ったが、意を決してがしっとウォーレスと肩を組むと、『褒められない方法』で伝授し始めた。