【2.聖女ルシルダ】
妙な気配を感じてリーアンナやウォーレスが振り返ると、そこにはものすごく着飾ってお高くとまった女性がいた。
美人ではあるが少々露出が多く、品が良いとは言えない出で立ち。そんな女性がふわっふわの羽根でごてごてと飾り付けた扇を口元に、ぎょろぎょろした敵対心まみれの目をリーアンナに向けていた。
「ルシルダ様……」
リーアンナは、その気迫に一歩後退りした。
ウォーレスはリーアンナが気後れしている様子を横で感じ、庇うように一歩踏み出しながら、
「どうかなさいましたか、ルシルダ様」
と語調強めに聞いた。
「犯罪者がいるべきところじゃないって忠告しに来たのよ」
ルシルダがリーアンナを下に睨みつけながら言う。
「わ、私は犯罪者じゃありません……」
リーアンナは真っすぐの悪意に震えながら、それでも気丈に言い返した。
すぐにウォーレスが助けに入った。
「そうです、リーアンナは犯罪者ではありません。もう二年も前のことですよ、本当に犯罪者なんだったらとっくに立件されているはずです。しかし、されていないということはリーアンナは無実です」
ウォーレスは労わるような目をさっとリーアンナに投げかける。
リーアンナは救われた気持ちになった。
しかし、その二人のやり取りがルシルダには気に入らなかったようだ。目を吊り上げて扇をウォーレスの方に突き出した。
「誰よあなた。この国で、私ではなくリーアンナの味方をするってことは、分かってるんでしょうね?私はこの国唯一の大聖女で王太子の婚約者なのよ!」
「ですね。だから僕もあなたとは揉めたくないです。行こう、リーアンナ」
ウォーレスはあまりルシルダと絡むつもりはないようで、ルシルダに最低限のお辞儀だけすると、リーアンナの腕を優しく取ってその場を立ち去ろうとした。
しかし、わざわざ喧嘩を売りに来るくらいだから、ルシルダはこの程度で逃がす気はない。
「お待ちなさいよ、リーアンナ! あなた定例舞踏会とはいえ王宮にのこのこ顔を出すってことは、まだ王太子様に未練があるんじゃないの?」
その挑発にはリーアンナも言い返したくなったようだ。
ウォーレスの腕をちょっと引き、くるりとルシルダの方を振り返ると、勇気を振り絞って叫んだ。
「未練なんてありません! 確かに私は王太子様と婚約していましたが、『聖女』であるあなたが現れ、あなたが正当な王太子様のお相手に認められましたので、私は法に則って粛々と婚約破棄いたしました。それ以上でもそれ以下でもありません!」
リーアンナのきっぱりとした言い草に、ウォーレスとセレステはほっとしたような表情になる。
しかし、完全否定してもらってもルシルダは嬉しそうな顔をしなかった。
余計に虫の居所が悪そうな顔をして、
「ふん、また王太子様に近づこうなんて考えたら許しませんからね。それに、どうやら仲の良い貴族がたくさんいるようだけど、何か私への仕返しを企もうったってそうはいきませんからね」
とぎゃんぎゃん言い続けている。
ウォーレスはうんざりした顔をしてちらりとルシルダを見やると、
「そういうあなたはお仲間はあんまりいらっしゃらないようですね。ま、そもそも仕返しなんて考えちゃいませんが。行こう、リーアンナ、セレステ」
と今度こそ譲らない態度でリーアンナとセレステを伴って大広間から出て行った。
大広間から出たところで3人はふうっと大きく息を吐くと、
「とんだ災難だったね」
とウォーレスが気の毒そうにリーアンナに言った。
横でセレステも大きくうんうん頷いている。
その瞬間、誰かが慌てた様子で足早に駆けてきて、どんっとウォーレスにぶつかった。
ぶつかった人は申し訳なさそうにパッと振り返る。
「ぶつかってすみません……ってウォーレスか! ちょうどよかった、手伝ってくれよ!」
「バートレット! 全然手伝うけど、何? 何かあった?」
知り合いだったのにはほっとしたが、いきなり「手伝って」と言われるのは不審でウォーレスは聞いた。
バートレットは緊迫した顔をずいっとウォーレスに近づけた。
「エルンスト・リンブリック殿が血を流して倒れている。さすがにほっとけないからさ、ちょっと手を貸せ」
それを聞いてリーアンナは真っ青になった。
「なんですって!」
エルンスト・リンブリック――。それはリーアンナがさっき見つめていた男性の名前だ。
リーアンナが取り乱した様子をウォーレスは冷静にちらりと見たが、またバートレットに視線を戻し、
「倒れてるって死んでいるのか?」
と硬い表情で説明を促すように聞いた。
バートレットもウォーレスの冷静さに引き摺られるように落ち着きを取り戻し、
「いや、傷は深そうだが死ぬほどではなさそう。なんとなく」
と答える。
それを聞くと、ウォーレスはほっとしたような表情になった。
「そうか。すぐに主催者の王妃に報告を。すぐに医官を呼んでもらって。僕はリンブリック家に早馬を出そう。王都の警備兵にも連絡――は今はやめておこうか、事情があるかもしれないしな。リンブリック家の判断に任せよう」
それから真っ青になって震えているリーアンナの方を向き、腕を広げて包み込むように優しく肩を抱いてやった。
「あ……」
リーアンナが顔を上げると、ウォーレスの少し困った目にぶつかる。ウォーレスは笑顔を作って柔らかく言った。
「大丈夫だ、エルンスト殿は死なないって」
それからウォーレスは、事態を聞きつけて慌てて寄ってきた身内の従者に、
「リーアンナとセレステを邸まで送ってって! くれぐれも安全に気を付けろよ!」
と命じた。
「え、ウォーレス……」
いきなり帰れと言われて戸惑ったリーアンナが思わずウォーレスに手を差し伸べると、ウォーレスはまた困った顔で弱々しく微笑み、片手でその手を軽く握った。
「僕はこれからエルンストのところへ行く。明日、セレステんちのココちゃん前に集合な。まっすぐ帰れよ」