1 終わったが残されたことが一つ
心当たりは一つだけ。それは会ったこともない、当然行ったこともないがシュウセンが二人によく語り聞かせていたこと。
雲の遥か上に住む存在、雨人。雲を作り出し、力を貸してくれたのだ。
「サカナシはいつも雲の上にいたから、嫌われてたのかもな。あそこは雨人の住まう場所だ。龍も行っていい場所じゃない」
「そうだね」
仙人ではないが、人でもない。当然神でもない。不思議な存在だが、シュウセンは口を酸っぱくして言っていた。天上界の雲の上には行ってはいけないと。老龍であるシュウセンがそう言うのだから、とても尊い存在なのだろう。崇める存在というよりは敬意を払うべき相手といったところか。或いは畏怖か。
「で、はっきりさせておきたいことって何?」
「本来ならサカナシや玉、何のために誰が作ったかなんて興味ないからほっとくんだけど。思い出したんだ、シュウセン様が昔言ってたこと。お前はその時寝てたから知らないと思うんだけど」
空を手に入れようとした大馬鹿者の仙人がいた。結局様々な者たちから罰を受けて消えてしまった。面倒臭いものを撒き散らしていった。
「おそらくサカナシらを作り出したのはこの大馬鹿者の仙人とやらだ。空とは昼と夜がある、陰陽二つ揃っている。空を手に入れるという事はこの世のすべてを手に入れることに等しい」
「様々な罰を受けたっていうのは、他の仙人たちから討伐されたってことか。そいつを倒して名を上げたのが今の三家、とか?」
「多分それが大当たりだ。仙人の血が濃い、純潔の三家。本当はもっといたんだろうな、他の純潔の家系。そいつらを滅ぼして三つしか残らなかったってだけで。まあ大昔のゴタゴタは本当に興味がないからどうでもいい。気をつけなきゃいけないのはこっちだ、『めんどくさいものを撒き散らして行った』ってやつな」
「うわ、他にもあるのかよ。とんでもない呪具が」
「ああ。空を手に入れようとしたなら陰陽両方の呪具があるはずだ」
つまりこの世のどこかに必ず「陰」の呪具が存在するということだ。
「陽であるサカナシたちと拮抗しない対策までしてやがる。死に際に撒き散らすなんて、ろくな狙いじゃない」
自分の命が尽きるとわかったら、どんなことでもやってやろうと思うはずだ。正義、悪、そんな事はどうでもいい。自分を滅ぼそうとしている者たちへとびきりの罰を。この世に生きている者全てに絶望を。
「陰陽の拮抗が崩れればこの世の生者と死者の行く道が無茶苦茶だ。この世に死者がはびこって生者は死者の国に行っちまう。その仕掛けがサカナシたちだった。シュウセン様のおかげでその仕掛けが本領発揮せず先延ばしになっていた。クソ三家は悦に浸って気づかなかったんだ」
シュウセンのおかげでこの世がかき乱されずにいたというのに。無能のクソ野郎ども、とチョウカは吐き捨てるように言った。誰か一人でも頭の回るものがいれば違ったのだろうが。結局力と権力に溺れて自分たちの好きなようにやっているだけだ。偉そうな態度だと思っていたが、本当に偉そうというだけだった。
「戦ばかりする地上を見下しているが。よっぽど悪質で卑怯な戦歴そのものを消してしまっているあいつらの方がタチが悪い。これで本当に、もう上に行く用事がなくなった」
どうせたいして荷物などない。大切なものなど置いておくはずもない。大切なものは己の友のみだ。
「はてさて、この先一体どうなるのか。このことに気づいた上の連中が残りの呪具欲しさに奔走するのか。それともまったく気づかずに放っておいて、大変なことになるのか」
自分たちは神ではないし他人のために何かをしてやるほど酔狂ではない。弱いものほどそれをやりたがる、自分の力量もわからぬまま。だから戦が起きて多くの人が死に、力に縋ってわけのわからないものを作りたがる。
「それにしても、たった一人であんなとんでもないものを作った大馬鹿野郎の仙人っていうのは一体何だったんだ。天才だったのは間違いないけど。龍まで作るか普通?」
「そういえば、サカナシが落ちていく時変なこと言ってたっけ」
ラオの言葉にチョウカは驚いた。
「え、何か言ってか?」
「そっか、お前には聞こえなかったか」
「耳はお前の方がいいし」
「龍は舌や顎の動きで言葉を紡がないからな。伝えようとする思いが気流に乗るだけだから、俺にしか聞こえなかったんだろう。こう言ったんだ。たす、アマツ様」
「……たす、は助けて、だろ」
「あ」
"助けてください、アマツ様"
「呪具の自覚はなくとも、仕える相手は明確だったか。それに、助けてください? 相手が今この世にいなけりゃ言わねえだろ」
はは、とチョウカの乾いた笑いが響く。ラオも盛大にため息をついた
「神に祈りを捧げるみたいに、いない相手に縋りついたってことにしておこう今は。いろいろありすぎて頭が弾け飛びそうだ」
「俺も。まあいいさ」
空から大量に舞い降りてくる仙人たち。普段地上は汚らわしいと鼻で笑って絶対に降りないというのに。ここぞとばかりにわらわらと降ってくる。蹴散らしたゴミのようで笑える。
「実は死んでないのか、生まれ変わっているのか、復活しているのか知らんが。いずれにせよ何かやるなら、初手はあいつらの皆殺しだ。俺らには関係ないね」
行こうぜ、と促されラオはサカナシとは反対方向に低く飛び去る。どうせ誰もチョウカとラオには興味がない。