特.「10」 ~サッカー界を超えた英雄~
先日、ペレさんがお亡くなりになりました。82歳でした。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
ペレさんと言えば「10」、17歳でW杯にデビューしハットトリックを記録、ブラジルの初優勝に貢献しました。
ペレさんが居たブラジル代表は3度の優勝(58、62、70)を果たしますが、その時の背番号が「10」で、それまではあまり意味を持たなかった「10」が特別な意味を持つようになりました。
また、1950年にブラジルがW杯を自国開催した際、決勝で敗れ(→マラカナンの悲劇(※1))嘆き悲しむ父に9歳のペレ少年が
「いつか僕がブラジルを優勝させるから、そんなに悲しまないで」
と勇気づけたのは、有名な逸話です。
悲しみに暮れるブラジルの人たちの願いを実現して、希望を与える……
この偉業を達成したペレさんは、サッカーの1スター選手ではなく、国の英雄、ブラジルの英雄として尊敬を集めるようになります。
またマラドーナさんも、86W杯でフォークランド紛争で敗れた相手に1点目は”神の手”ゴールで、2点目は史上最高のゴールで打ち負かし、
アルゼンチンに2度目の優勝をもたらす事によって、ペレさんと同様に、国の英雄、アルゼンチンの英雄になりました。
ペレさんやマラドーナさんが、今なお、サッカー選手の枠を超えて愛されるのは、悲しい時代背景を見事にのりこえて希望を与えたからであり、
これは望んだから出来るというものではありません。
ですから、史上最高の1選手である彼がこのお二人を超えたなんて、不毛な議論はおやめ下さい。
お二人を貶めます。
また、A代表のW杯優勝を彼1人の手柄であるかのように、彼をもて囃すのもおやめ下さい。
A代表を貶めます。
そして私は、彼が史上最高の1選手であるのかも疑問を持ち始めました。
以下に、彼のA代表の戦績を簡単に紹介します。
彼は21年にコパ・アメリカで初優勝、フル代表にデビューしたのが06年ですから実に十数年費やしたことになります。
そして、14W杯から3大会連続(15、16はコパ)で決勝敗退し、今大会も危うく決勝で敗退するところでした。
ペレさんのプレイは、私も殆ど知りませんし、皆様もそうでしょう。
よって、戦績のみでの比較になりますが、あれあれ(笑)、私もペレさんの方が上に感じます。
ですので、ペレさんが史上最高の選手説を提唱いたします(笑)
冗談はさておき、ペレさんの戦績等が素晴しすぎて、羨ましささえ感じます。
特に初優勝した時の年齢や逸話などは文句のつけようがありません。
彼は希望どころか3大会連続で決勝敗退し、応援している者を失意のどん底へと叩き落としているので、その時点で落第です……
やはり、本物の選手は違います。
W杯の決勝を見られたペレさんは、エムバペ選手の活躍にサッカー界の明るい未来を感じられたそうです。
本物は本物を知る。
残念ながら1つの時代は終わりを告げましたが、次の時代はもう訪れているようです。
※1『2022W杯 日本代表の軌跡』の「クロアチア戦の所感 & 悲願という名の呪縛はもういい」で
マラカナンの悲劇についてふれています。よろしければお読み下さい。