6. 2回目の社会の授業
第6話。失敗した。今現在、僕は先に第5話として投稿した「黒板けしの罠」の間に、2つ話を挿入する羽目になっている。
シンとの約束で、1年生の話を終えるまで僕は出来る限りこの小説を時系列順に書くよう努めている。だけど僕はどうしても「黒板けしのトラップ」の後の「顔」と言う話が書きたかったので、今回の「2回目の社会のテスト」と次の「実力テストの結果」を入れ込むのをすっかり忘れてしまっていた。正直、もっと後の話だと思っていた。やっぱり情報を整理する為の創作手帳を作っておいた方が良いかもしれない。といっても、僕は悪筆だから、シンにメモを書くのをお願いするべきかな。実際には僕らに筆跡の違いなんてないんだけど、何故か集中力の度合いが違うんだ。だから同じ筆跡でも完成度が少し違って、そのせいで見栄えも変わる。
そんなことより、今回の2回目の社会の授業の話はユギがとても重要だと思っている。その本題に入る前に、別の奴から頼まれている話を入れ込むから少し長くなりそうだけど。しかもそいつがこの話の中で出てきてしまった。どう表記していいのか分からないから、ここでも本文でも名前は書かないけど。とりあえず、早く書かなくては。
僕たちの中学校の一日は小学校の時と同じく、四限目が終わったら給食を食べ、その後清掃をしてから昼休みに入ると言う段取りだった。そして僕の中学校初めての掃除場所は、前に書いた通り女子トイレの清掃だった。最初こそその割り当て方法に不満を抱いていたものの、実力テストを終えた解放感の中、暑い沖縄県の4月にトイレ掃除を言い訳に水遊びが出来るのは正直有難かった。僕は制服の下にホットパンツを着用していたので、制服のスカートを脱いで、率先して便器やタイルに洗剤を巻いてごしごし泡立て洗っていった。僕の姿に、光と秋穂がクスクス笑っていた。
と、後ろでガラリと戸が開く。
「副委員長でーす。掃除をちゃんとしているのか見回りに来ましたー」
真鶴がそう挨拶したので、僕はホースから水を放出しながら、個室から出て、「はーい、ちゃんとやってまーす」と答えた。すると光と秋穂が「えっ」と僕の姿を隠すように真鶴の前に立った。真鶴の方も僕の姿を見てギョッとしたのか、「エー⁉ 何でパンツ一丁で掃除しているばー⁉」と顔を真っ赤にしながら叫んだ。そしてそのまま「アハハ、面白さよ(うむっさよ)!」と言って出て行ったが、どう見ても真鶴が本当に笑っているとは思えなかった。それにしても、真鶴はホットパンツの存在を知らないのだ。第一、クラス委員の権限で見回りが行われているのなら、何故長堂さんが来ないのだろうか。もしかしたら副委員長と委員長で担当が違うのかもしれない。
そう言えば僕は真鶴が言った「うむっさよ」の意味が分からなかった。誰か知っている子がいれば聞いてみようと、昼休みに僕は別のクラスになった前川の同級生達を訪ねて回った。だけど驚いたことに、なんだかもう既に皆、古謝小の子達と友達になっている様子だった。僕と言えば古謝小出身の真鶴やトウマとは確かに喋るけど、他の女の子たちとは結局未だにあまり喋っていない。(高良もよくうちのクラスに来ているみたいだけど、入学式の日に殴られたこともあり、崇登の心配もあって僕は高良が来たらそっとクラスを抜けていた)。思えば、昔から友達を自分から作ったことが殆どなかった。古謝小の子達と仲良くなるには、もっと積極的になるべきなのかもしれない。
と、クラスの方に戻ってみたら、長堂さんがピロティで僕らのクラスの女の子と何かの雑誌を読んでいた。僕はこれはチャンスだと思った。
「ねぇ、何を読んでいるの? 一緒に見て良い?」
僕は挨拶する時や人に話しかける時はニコニコ笑顔で話しかけると言う躾を実践しながら、長堂さん達に声を掛けた。
しかし、長堂さんともう一人の女の子の反応は、僕が予想していたものと全く違っていた。長堂さんは僕の方をしげしげ見た後、「行こう」とプイと向きを変え、廊下端の階段へと歩いて行った。相手の女の子も少し驚いた様子だったけど、「気にしないで良いからね」と言って長堂さんを追いかけていった。僕は友達作りの出鼻を挫かれ、徐々に羞恥心も湧き上がって周りを見て見た。すると思った以上に人の目があり、真鶴や航平の姿が視界に入る。特に、僕は小学生の頃からずっと航平の前では格好良く振る舞っていた節があるため、今度の件を見られてさらに自分が無様に思えた。僕は久しぶりに赤面症の症状を自覚する。そんな僕を見て、真鶴が言う。
「馬鹿だなぁ。スケベーな雑誌持ってる時に話かけたら、そりゃ逃げるに決まってるじゃん」
僕はさらに面を喰らってしまった。
「え、ここ、学校……! えーっ⁉」
「ははは、こーずー、エロ本だもんなー」
そう言った後に、パタパタ階段を上る音が聞こえ、長堂さんが「普通のファッション雑誌!」と僕らの方を睨みつけるのだった。
翌日に学校に来ると、航平がクラスに飾る為と言ってお花を持ってきていた。僕は入ってすぐの自分の席で荷物の整理をしながら航平の様子を眺めていると、航平はその内の一本を僕に持ってきて、「これ、詩奈に一本あげるよ」と差し出してくれた。お礼を言う前から昨日に引き続き僕はまた顔がぽっと熱くなったのを感じたけど、今度は恥ずかしいと言うよりまた別の感情だったので、今回のは赤面症の症状とは言えなかった。
「あ、これ、あれしたら良いかもしれない。何だっけ?」
「え、あぁ、小学校の時に教えたやつ? なら、大きな本借りて来ようか」
僕らがそう言ってピロティの方へ出ると、学校に到着したばかりの真鶴がそこに居て、僕らは挨拶をした後通り過ぎようとしていたけど、真鶴は僕らの会話を聞いていたようだった。
「図書室? 開いてないはずよ。何でね?」
「押し花作りたいから、大きな本が要るってば。これ、航平から貰ったから栞にする」
僕はそう言って赤いポピーを真鶴の前に見せた。僕は図書室に行く道中で、航平に小学三年生の時にポピーの絵を描いて地元の花の絵コンテストで大賞を貰ったことを話そうと考えていた。
「はぁ⁉ そんなのある⁉ お前たち、理科の教科書のキャラクターかよ!」
真鶴がそう驚きながら笑い出した時、僕達の方こそ驚いてしまった。今までに聞いたことの無いタイプのツッコミだったし、丘一つ隔てた前川と古謝小でこんなに押し花に対する見方が違うとは思ってなかった。真鶴が鞄を置きに教室の中へと入ったので、僕と航平は若い野良猫が人間を立ち去ったのを見送ってササっとその場を離れるように図書館へと向かった。しかし実際、真鶴が言った通り図書室はまだ開いてなかったので、後の休み時間に僕らはそれを実行した。真鶴の反応から見るに、僕はトウマも同じ反応をするだろうと予測は出来ていたけど、同じ前川出身でも盛が不思議そうに僕達を眺めていたのが意外だった。
僕らがこの押し花の製造を終えた後、3時間目は2回目になる社会の時間だった。詳しいことは端折ってしまったが、僕らは昨日までに中学最初となる実力テストを済ませており、始まるや否や先生は昨日のうちに採点を済ませた答案用紙を僕らに返してくれた。まずは男子から出席番号順に始まり、次に女子が呼ばれる。社会科の岡山先生は僕の答案を手渡しながら、「詩奈はテスト自体も頑張ったけど、他の所も頑張ったな」と言った。もしかしたら先生は呆れていたのかもしれないけど、僕はこれを素直に誉め言葉として受け取ることにした。一方、真鶴が先生の言葉が気になったらしく、自分の席に戻らず僕の答案を覗き込む。点数自体は悪くなかった。漢字の書き間違えさえなければ僕は100点を取れていたのに。真鶴の方もそちらに気を取られていたようだけど、その内氏名欄に書かれた「長治詩奈」の文字が、レタリングの技術で装飾されているのに気付いたらしい。小学校卒業前に、前川の女子の間で流行っていた遊びだった。
「あはは、お前何やってんの⁉ 馬鹿じゃん!」
僕はそれを言われてすぐにムッと口を軽く膨らませた。だけどすぐに、テストは僕が思っているよりもずっと神聖なもので、なのにこんな風に遊んでしまったから咎められたのかもしれないとも思った。するとすぐに後ろから「詩奈がこのクラスで一番点数が高かったから、馬鹿とか言える立場じゃないだろ」と教壇から先生の声が飛ぶ。だけど先生がそこまで強く怒るほど、真鶴が僕のことを本気で馬鹿にしたとも思えなかった。その証拠に、真鶴は僕の答案用紙が気に入ったらしく、「あんまり間違えてないし、貰っていっても大丈夫でしょ?」と尋ねてそれを自分の席に持ち帰った。確かに僕はその解答用紙が無くともその後特に問題が無く、先生が答案用紙を配り終えた後の誤答ノート作りの時間は自分の漢字ミスを書いただけで暇だった。
誤答ノート作りも、授業終了の5分前には切り上げになり、まだ終わらない人は放課後に提出するように、とのことだった。そして岡山先生は前回同様、一枚のポスターを黒板に張り付けた。それが何年版の物かは分からなかったけど、桜の開花予想図だった。僕は何を聞かれるんだろうかと、集中してこの地図を見ながら先生の言葉を待った。
「前回に引き続き、皆にこれを見てほしい。これについて、誰か何か気付く人ー?」
先生がそう言った時、僕は前回の真鶴を思い出しながら、ハッとして地図を見ていた。
「分かった、沖縄が地図上に無い」
僕がそう言ったのも束の間、真鶴が立ち上がって言う。
「馬鹿だな、お前、これ開花予想図って言うべきところじゃん」
するとすぐさまクラスの反対側の方から笑い声が起きた。僕は元からハの字の眉毛をさらに下げ、真鶴の言葉に驚いて何も返すことが出来なかった。先生が一度僕の方を見たのが分かった。だけど僕が何も言わずに肩を強張らせるばかりだったせいか、すぐに真鶴の方に言った。
「詩奈が正しい。この開花予想図は内閣政府が毎年利用するにも関わらず、不完全な日本地図として持って来たんだ」
先生の言葉に、クラスが水を打ったようにシンと静まり返った。先生がすぐに「真鶴、謝りなさい」と言ったので、真鶴は気まずそうに僕に向かって「ごめん」と言った。だけど僕は動揺が強すぎたのか、口を開こうにも上手くいかず、それがさらに羞恥心に拍車を掛け、涙を抑えることしか出来なかった。
と、ここで人格が少しだけ入れ替わる。
僕があまりにも酷い困り顔で固まっていたので、大ごとになっては大変だと判断して出てきてくれたのだ。だけど表情こそ和らいだけど、僕らは喋ることが出来なかった。もしかしたら、この沈黙は意図的なものだったのかもしれない。それでもすぐに鐘が鳴ったので、先生も少し引っかかりはあるみたいだったけど、別の学年の準備をしに職員室に戻らなければならないからと言って慌てた様子で僕らクラスを後にした。頭の中で声がする。
「しーな、大丈夫だよ。航平と作った栞のこと考えよ? 大丈夫、大丈夫」
僕はその言葉を聞きながら、教科書類を次の英語の物と入れ替えると、立ち上がって休み時間中はクラスを出て行った。次の4時間目もアルファベットを覚える傍ら、僕は頭の中で10時15分頃に本の中に挟んだ花のことをずっと思い続けていた。
花のことを思っていたら、小学生の時の花壇の映像が見えてくる。転校前の学校だ。小規模な学校だったから、廊下にコンクリートの庇があっても屋内の形状は成していない。だから教室から出れば廊下を挟んですぐに花壇の花に触れる。あの時だって、同じようなことを言われてたじゃないか。いや、もっと酷い。それに今日の件はその場で先生がすぐに気にかけてくれたじゃないか。あれに比べたらなんてことない。大丈夫、大丈夫、大丈夫。
給食の時間になり、僕達出席番号冒頭組は給食当番を任されていることもあって一階に降りて給食一式を取りに行かなければならなかった。だけどまだ少し時間に余裕があったので、僕は教室の後ろの自分の棚に、机に入りきれない教科書を置きに行った。棚は向かって左端から男子の出席番号から始まり、その後に続く形でちょうど教室の半分くらいに出席番号が女子の一番の僕の棚があった。僕が教科書を入れ終わって立ち上がろうとすると、ベランダ側の少し離れたところで真鶴が右ひじを棚の天板に乗せてしげしげこちらを見ていた。僕は少し怖いと言う気持ちもあったけど、頭の中で人の気配を感じていたので、落ち着いて真鶴を見ることが出来た。一方、真鶴は僕を見下ろしている形だったけど、何だか落ち着かないという様子だった。僕は出来るだけ真鶴の緊張を解そうと口調を選ぶ。
「何ね?」
「いや、社会科の件、仲直りしようかなーって思って……」
その時には僕はもう真鶴が言っていることがよく分からなかった。
「? なんか喧嘩していたっけ?」
すると今度は真鶴の方が僕の言葉を飲み込めず、驚いた反動で声を上げる。
「はぁ⁉ 皮肉通り越して嫌味ジラーかよ! お前、さっきの社会の時間に俺から言われた言葉で目ぇウルウルさせてたやっし!」
「え?」
僕の方も驚いて少し身が強張る。
「それをずっと気にしていたばぁ? 真鶴、わざわざ謝りに来るって、優しいな」
「? 何ね、しーなぁさっき授業中返事しなかったし、目ぇウルウルさせてたさー? 俺が言ったことが嫌だったからそんなーしたんじゃないばぁ⁉」
「え? 真鶴、心配性キニサーだな? てか、目ぇの良さよ。よく見えたね。しーなもすぐ涙ぐんで(ナキジーして)ごめんな、ビックリしたでしょ? しーな泣き虫ナキムサーだから気にしないで」
僕は出来る限り、真鶴を安心させようと笑顔を作ることに努めた。だけど真鶴はいよいよ混乱してきたと言わんばかりだ。
「何がよ⁉ すぐ涙ぐむ(ナキジーする)ってことは嫌なことが多いって事じゃないばぁ⁉」
そう言って真鶴が声を上げてすぐ、ピロティの方から「しーなぁ、給食取りに行こう!」と崇登の声がする。振り返ると既に後ろのドアの方で航平と崇登がこちらを見て立っている。航平が崇登を呼びに行ってくれたのかもしれない。僕は正直、このタイミングが嬉しかった。前川の同級生の子達に、僕が嫌なことにあっていることなんてあったっけ、なんて思われたくなんてなかった。
「うん、ちょっと待って。真鶴ごめん、しーな給食当番だから、ちょっと行ってこようね」
僕がそう言って立ち上がると、真鶴が「待って!」と声を上げ、「仲直りの握手しよう!」と手を差し出してきた。僕はきっとこれは善いことなんだろうと思って、「うん、良いよ」と言って真鶴に右手を差し出す。真鶴の手は思ったよりも力が入ってなかった。代わりに、「詩奈、あの……」と言って真鶴はもう片方の手でも僕の右手を包む。
「大丈夫?」
「? 何がね? しゅーとーと航平心配させるから、もう行こうねー」
僕はそう言って真鶴に背中を向けると、「お待たせ」と言って二人と合流し、色んな子達と行き交いながら廊下の奥の方へと歩いていく。皆今日の放課後から本格的に部活の体験入学が始まるせいか、その興奮や情報交換で三階全体が騒がしかった。そんな中でも、崇登にとっても真鶴と僕との握手は印象に残ったらしい。
「さっきの握手、何ね?」
「あぁ、仲直り、だって」
「あぁ、あの社会の時間のやつだろ」
「? 何かあったの?」
僕は言うか言わないかほんの少しだけ考えた。だけど謝ってもらって水に流したことじゃないか。僕は「ううん、真鶴優しいから大丈夫、心配しないで」と首を小さく振って微笑んだ。その間も僕は他のクラスの様子を注意深く観察している。崇登も航平も、「そっか」「ふーん……」と述べただけで、別段追及するようなことはなかった。僕はそれより2人はそれぞれ小学校の時と同じ部活に入るのかと尋ねた。
放課後、僕は光や秋穂も誘ってバレー部の見学に行ってみて、存外2人が楽しそうにしているのを満足しながら家に帰った。そして6時半を過ぎてもまだ体力が有り余っていたので、近所の子ども達と日が暮れるまで外で遊び続けた。そして日が沈む直前、今日の夕空は稀に見るくらいに真っ赤に染まっていた。僕らはその光景に「わーっ」と声を上げて興奮を抑えきれずに居たが、一方で僕の頭の中では正午からずっと、真鶴の「大丈夫?」という言葉がこびりついて離れずにいた。