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二―二―  作者: LULU
2つのプロローグ
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プロローグ(2)

 シンが先のプロローグを書いてからもう何年も経っている。僕らは依然として、中学時代の話をしたがっている。だけど僕らはその方法についてお互いに意見が異なっている。

「だけどもう今日で七月じゃん」

 右の方からそう意見が飛ぶ。僕はこいつが何という人格なのか分からない。

「誰も書かなかったらもうどうせ今年もそのまま終わるだろうし、お前が書きたいなら書けば良いんじゃね?」

 有難い話しなはずなのに、僕は言葉に窮してしまった。シンが中学校3年生の時に吃音になった時、これよりもっと酷かったのかもしれない。

「……僕が好きなの、回想形式の、エッセイ的な手法なんだ。だけど、現在を描写する形の手法で書くって決めたし、特に冒頭は写実的に書いて、僕らの人格同士の問題とかはユギが目を覚ました頃のエピソードまで後回しにするって……」

 同じ脳の電気信号同士として、僕は上記の台詞をはっきりと言った訳ではなかった。だけどこの台詞は、読者の方々が僕らの体験記から何か教訓を得てもらう為に、まず読んでもらう必要があること、それにはエンターテイメントとして出来る限り様々なことを明解に描写しなければならないという考えの元、僕なりに文字化してみたものだ。(そしてこれは後からこいつから言われたことだが、僕が憧れている様式はシンのプロローグで用いられている「意識の流れ」という手法であり、シンは主人格として意識が記憶のあちこちに移ろいやすい故に自然とこの手法を用いているけど、本人としては書き手としてコンプレックスに思っている部分でもあるらしい)。

「でもあいつら書こうとしないじゃん。折角こんなに話題があるのに。実際色んな人に聞いてもらったけど、皆凄いビックリしてたし」

 そう言えばふと、一応、こいつも中学時代には既に存在していた人格だったことを思い出した。こいつの目を通して中学時代の思い出を見てみると、修学旅行で同じ版の女子と遊園地を回っている時の情景や、図書委員会で仲が良かった5人と楽しそうに笑っている様子が映し出される。主に2・3年生の時の記憶だ。

「ほら、俺って女の子同士の王子様ポジションに憧れていた時に派生した人格だから。結果はこの様だけど。お前の方が王子様気質だしな」

 王子様気質と言うのは、きっと僕が比較的大人しくて他人の感情を優先させるところから出た言葉だろう。(だけどなんだか優しさを男性名詞で表されるのは性差別的であまり好きではない。僕らは女性だ。シンが僕にずっと言い聞かせてきたことが徐々に浸透してきたみたいだ)。それよりも、通りでこいつの目を通じて見た時に、男子たちの姿が見えない訳だ。こいつ視点で書かれたエッセイは、中学生の幼さをにこやかに楽しむ作品になるかもしれない。だけど結局こいつも僕らと地続きだから、もしかしたら僕らの記憶がしみ込んで、「何か時々、話すことが怖い」って言われるのかもしれない。何せ中学の時から既にそう言われてきたのだから。

「良いよ、とりあえずプロローグぐらいはお前が好きなように書きなって」

 そう言ってもらえたので、僕は今昨日書き留めた自分の文章の上に、今こうやって序論になり得るよう文章を書き足している。

「あ、この『僕らは中学時代の話を~』の部分、前のファイルのやつからそのまま使うんだ」

 そいつはまだ僕の隣に居たようだ。ただ、今は左側から聞こえる。僕が視線をやると、そいつは不採用になったバージョンの序論は、僕らの場合の多重人格がどうなっているのか説明ばかりで、物語が停滞している書き方になっているからダメだと言った。その序論も、僕が書いたものだ。

「俺らの認識としては正しいかもしれないけどさ。でも読者から見て、スピノザの神の話されても分からんだろ。俺らが教わった説明も異論が出てくるかもしれないのに。ビリー・ミリガンももう半世紀前の人じゃん」

「ビリー・ミリガンの多重人格がどういう仕組みなのかは説明していたよ。ほらここ」

 僕はそう言ってつい先ほどファイルを開いてみせた。そして件の文章を示してみせる。

――ビリー・ミリガンの多重人格のシステムを聞いたことがある? 彼の中では24人の人格がそれぞれ独立していて、頭の中には薄暗い部屋があって、その中のスポットと呼ばれる明かりのついた部分に個々の人格が立つことで、その人格がその間体をコントロール出来るんだって。僕らの場合も似たような感じはあるけど、でも僕らの場合はスピノザの神と似たような原理なんじゃないかなって思う。本質は1つだけで、その時々で違う形で現れるっていうやつ。

 そいつは僕の文章を読みながら「ふーんっ」と息を吐いた。

「記憶で読んだ時よりも、めっちゃ話言葉で書かれてんのな。普段誰か他の人と話したりすんの? あ、お前が買い物任されてるの見たことあったわ。ユギやシンの話し相手、っていうかユギの子守だと思っていたけど」

 シンは僕ら長治詩奈の主人格で、ユギはインナーチャイルドに当たる人格のことだ。僕ら人格同士を色相環に準えるなら、2人は赤とオレンジ程近く、さらに僕は朱色のように2人に挟まれているような感じがする。

「……君こそ、対外向けって感じだと思っていたけど、僕に話しかけるの珍しいね」

「だってマジで進まねーじゃん。今のところやる気なのお前しかいないみたいだし。小説が出来たら読むの楽しみにしていますね、って5人くらいから言われてるのに、永遠に待たせるみたいで悪いじゃん。それに俺らの話から誰かが教訓が得られるように一番願っているのはユギだろ?」

ユギの名前を出されると僕は弱い。もう一度、自分が昨日書いた文章を読み返してみる。



 僕らの記憶は、いつどんな時にふとした拍子に思い出すかも分からない。例えば、僕たちはついさっきまで、モソ人の文化圏で生きることを選んだ中国系シンガポール人の女性の旅行記を読んでいた。その中で、僕らは「あなたが道先で棘を踏むことがないように」といった祈願文に出くわす。棘と言うのが薔薇やブーゲンビリアを連想させるので、僕はユギに「可愛い表現だね」と言った。するとユギは「だけどこの人達にとっては、それが当たり前なのかもしれないよ」と答えた。確かに、今では「帯にもたすきにもならない」と言う慣用表現はその人の教養や語彙力の豊かさを感じさせるだけだが、江戸時代では他に言いようがないくらい実感を伴っていた表現だったのかもしれない。「草履」と言う漢字も、昔は草を材料としていたからこその名称なのだ。シャラポワのような甲高い声を上げた、と言われたら僕は身をすくませるが、僕らの下の世代には何のことか分からないだろう。

 そして僕自身の別の実例として、ユギが貝殻に関する記憶を取り上げる。今日のような夏日が常しえに続くあの島での話だ。小学生時代、僕らは海の中に入る時ですら島ゾウリを履いていた。父さんからそう言われたわけじゃない。僕らが自主的にそうしたのだ。島ゾウリの浮力で足だけが不格好に浮き、そのゾウリが足から離れて波で遠ざかって取りに行かなくてはならなくなっても。寧ろそれはあの時の僕らにとって、単なる海水浴では持て余していた体力と時間を潰せる絶好の遊びとなっていた。そしてその遊び以外にも、海の中にまでゾウリを履くのには実用的な理由があった。

 僕らの記憶が沖縄本島の中学校の教室に変わる。シンが首を傾げながらニコリと口角を上げて幸せそうにこう言う。

「だって、貝殻を踏んだら大変じゃん」

 シンがそう言った時、僕らの頭の中には割れてしまって先端の尖った貝殻が思い浮かんでいたはずだ。それにあの島に住んでいたころ、僕らは学校に貼られた海水浴に関する注意喚起のポスターを日常的に目にしていた為、イモガイやオコゼやミノカサゴと言った魚を知らず知らずの内に足で踏んでしまっているのも怖かった。だけどシンがゾウリを履いて海に入る理由に挙げたのは毒を持つ海洋生物ではなく、貝殻なのだ。

 シンが言葉を発した相手は崇登だった。彼は感極まったように、僕らに抱き着いてきた。これは中学1年生の記憶だが、僕が完全に派生するまでに後三か月くらい掛かるくらいの頃の出来事だ。僕は他の記憶から紡ぎ合わせてその感覚を頭の中で再現してみたけど、許可した訳でもないし、身動きを奪われたようで窮屈に思った。記憶の中のシンも流石に少しはビックリしたようではあったけど、すぐに顔がほころび笑っていた。

 これはシンにとって幸せな思い出なのだ。

 パソコンに向かう僕の隣にユギが現れる。「いつもは僕より大人なのに、文章が子どもみたいだね」と言われる。その通りだ。僕もなんだか、ユギに自分の年齢が吸い取られているのかのように、ユギの方が大人に感じる。僕ら人格同士と言うのは、それくらい脆いバランスの間柄なのだ。今僕が自分を幼く感じてしまうのは、まさに今現在目にしている僕の語彙力の問題なのかもしれない。それとも、スタイルの問題なのか。英語でも日本語でも、一人称が多い文章は拙いと言われる。僕の書き言葉に一人称が多いという自覚はある。だけどこの前、論文のアブストラクトを添削してもらった時にリチャード先生だって言っていたじゃないか。日本人の研究者は一人称を使うべきところでおかしな受け身構文を使うって。リチャード先生とのやり取りを書く前に、ユギに「書いてみる?」と聞いてみた。悪いことをしてしまった。ユギが文章を書くことは殆どない。書けない訳ではないことも知ってはいるけど。ユギが首を振って遠ざかる。

 先ほどの一言のお陰で今ではユギと同じ年齢差に戻っている。それでも、なんだか12歳くらいの時のあの心もとない感覚が付きまとっている。


「おっ、最後、良い感じに12歳の感覚になってんじゃん」。文章を読み終えてそいつが言う。「中学の時のことを書き始めるのにぴったりじゃん。沖縄に居た頃の方がまだ涼しいって感じはするけど、今日みたいに空が高いと思いだしやすいだろ」

 確かに、今現在、外の景色は僕らが中学の頃に一年を通じてずっと見ていた景色と同じくらい、しなやかな木々が太陽の光を受けて美しい緑の光を反射している。

 僕がシンの視点で書き始めたら、そのうちシンも協力してくれるかもしれない。それに、この序論を書く前に、物語の冒頭自体はシンがもう書き留めているのだ。シンが書くのを躊躇うのなら、僕の方こそ、シンの視線を借りてユギの願いを叶えれば良い。


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