変わり者と変わり者
ねぶるように炎が蜷局を巻く。
「違う。やり直し」
ピンと背筋を伸ばしてしまいそうになるような声でシラゼタがラルエルを指導していた。
魔法を酷使したことで疲労により膝が痙攣する。彼等の訓練は朝早くから行われていた。
流れる汗をそのままに荒れる呼吸を整えるため、大きく息を吸いながらラルエルは思った。スパルタ過ぎて泡吹きそう。
水魔法の習得。
これが如何に難しいか。さらりとやってのけているシラゼタが前代未聞なのである。
昨日まで海で暮らしていた魚が超進化して陸地に生息地を移す位には非常識だ。
炎魔法に適応しきった身体に水魔法を捻じ込めと言われた時、天を仰いだラルエルの瞳は完全に瞳孔がかっぴらいてきた。
座学に真っ向から喧嘩を売っている訓練が開始された瞬間である。
まずは炎の温度を冷水のように冷たくすることから始まったのだがもう既につまづいていた。
ぬるま湯までにはなったのだがそこからなかなか下がらないのである。
コツを聞けば概念にとらわれず想像しろとシラゼタは言うのだがどんな過程を辿れば炎が冷たくなって水になるのか。ラルエルにはさっぱりである。
「今日はここまでにしておこう。次、三日後までに冷たく出来るようにしておくこと」
ふんわりとした笑顔でありながら口からでている内容ほなかなかに容赦が無い。
いくら兄弟とはいえ、君に出来たことが俺にも出来ると思わないで欲しい。
いや、向こうはこのことを知らないから無理なんだけど、でもそう思わずにはいられない。
「師匠はどうやって出来るようになったんですか? やっぱり相当想像力を鍛えてみたいな感じ?」
「んー。そうだな、頭に血がのぼっていた時期に感情が肉体を凌駕して出来た気がする。一歩間違えていたら悪鬼に堕ちていたかもしれないから、私のやり方はあまりお勧め出来ないかな」
「そ、そっかー」
ラエルの目があからさまに泳ぎ始める。幾分か顔色も悪くなり聞かなければよかったというのがありありと伝わってくる。
「君の素性が不明な以上自分の存在価値を上げておくことはとても大切なことだ。利用価値が高ければ高い程生かそうという考えに傾くからね」
私は君に生きて欲しい
ラエルの表情が驚きに染まる。
まるであり得ないとでもいうような反応に今度はシラゼタが面食らった。
情が移ったからには面倒を見ると決めたのだから当然だろうと呆けるラエルの額を小突く。
「才能を育てるほど有意義なことはない」
「…よかった俺天才で」
「調子のいい奴だな、そのおちゃらけた性分はどうにかならないのかい?」
戯れのように笑われてもラエルは何も答えなかった。
変わりに頬を膨らませていじけてみせる。ついでに腕も組んでやった。
「お茶目な方が愛嬌があって良いと思うな。俺は」
「はいはい」
タオルで顔を拭かれる。最近シラゼタが世話焼きになってきた。優しい。
しかし出された課題は全然優しくない。
魔法は想像の具現化だ。それは分かっている。多くの場合、理屈の具現化になってしまっていることも。
ラエルも例に漏れず後者であり、その枷を外すためにシラゼタが難題をふっかけてきたのだろうがどうしたものかと頭を抱える。
試せることは全部試してみるかと水と一心同体になるために湖での生活を送り始めたら危うく溺れかけた。水中で眠る練習をしていたのだが水死体と勘違いされてちょっとした騒ぎになってしまったのだ。この一件から目を合わせてくれる人がぐっと減ってしまった。当たり前である。
ラエルにも奇行をしている自覚はあるけれど、普通のことをしていては到底水魔法の習得など実現不可能だ。
だからって命を張りすぎだろとシラゼタは大笑いしていた。大笑いである。
楽しそうに腹を抱えていたし、当主は当主で自由にしなさいと口角を上げていたから絶対に面白がっているに違いない。
余所余所しく距離を置かれてだよなと頷きはすれど、興味を持ったと言って面と向かって友達になろうと言われたら多少なりとも動揺するのは仕方無いだろう。
「だめかな。僕、あんたと仲良くなりたいと思ったんだけど…」
残念そうに眉尻を下げる姿は年相応で、ラエルとそう大差なくあどけなさがうかがえる。
限りなく黒に近い濃紺の髪に鮮やかなエメラルドグリーンの瞳が溌剌とした印象を与える。
「別にだめじゃないけど」
ラエルが片眉を上げながら言った途端ぱっと咲いた笑顔に、意味も無くうっと小骨が喉に刺さったかのような呻き声が漏れそうになった。
それだけ純粋な好意に慣れていないのである。
「俺みたいな得たいの知れない余所者と仲良くしようなんて変わってるね」
照れ隠しにしてはあからさま過ぎる咳払いをひとつ。
レオムと名乗った少年はそんなラエルのことをにこにこと見ている。
「そうだね、確かに僕は変わり者かもしれない。あまり皆の中に混ざれないし友達と言える子もいないしね」
「大人っぽいせいじゃない? なんとなくだけど君、声をかけにくい雰囲気してるし」
「馬鹿は嫌いなんだ」
ん?
ラエルは改めてレオムとしっかり目を合わせた。
柔和で甘い顔立ちはシラゼタと少し似ているかもしれない。向こうは春を思わせる暖かみのある感じなのにあの異様にギラついた目付きのせいで台無しになってしまっているが、レオムもレオムで傲慢そうというか、人を見下している姿がよく似合いそうではある。絶対腹黒いに違いない。
「…多分、性格のせいだと思う」
ここで思ったことを伝えるのがラエルである。
しかしレオムは気分を害した風もなく、「僕もそう思う」と同意までした。
「だからラエルが初めての友達だよ。これからよろしくね」
「よろしく」
差し出された手にこちらも伸ばして握手する。
ついさっきまで雪を触っていたのかというくらい冷たい手だった。
「それで、最近面白いことばかりしているけどどうしたの
?」
説明するとぶっ飛び過ぎではと笑われた。そうだろうか。
「明日までに出来そう?」
「いや無理だけどなんとかし、なきゃ…」
ラエルの瞳が真ん丸に開く。
「できる」
「閃いた?」
「君のおかげで」
「それは良かった」
はて何かしただろうかとレオムが首を傾げるより早くラエルが彼の手を掴んだ。
「これだよこれ!ありがとう!」
「どういたしまして」
「今度一緒に飯でも食おう! またな!」
走り去っていく背中を見送りながらやはり自分の目に狂いはなかったとレオムは満足そうに目を細めた。
まだろくに立てもしない頃から友達は選べと口煩く言われてきたのだ。求める理想像が高くて当然である。
あと、単純に彼と一緒にいたら楽しそうというのが大きな本音だ。だから仲良くなりたいし、今こうして関わりを持てたことが嬉しい。
レオムは気分よく足下に転がる小石を蹴り上げた。