第8話 栃木の日常
ここ暫く、農民たちと農作業をする時間が増えた。
こんな当主で良いのか不安になるが、俺が剣術なんか覚えても国力が倍増する訳でもない。かといって必要な勉強もないし、甘える親も居ない。
とりあえず美味いものが食いたいから農業のテコ入れをしているが、どこまでやるかだなぁ。なにせ今は目の前の頭痛の種で頭がいっぱいだ。
───〜〜〜〜〜♪ 〜〜〜〜♪
なんとなく俺が口ずさんでいた曲を完コピしてしまったようで、真岡の農民がマイナー洋楽を歌うようになってしまった。アメリカの黒人奴隷もビックリだわ。栃木の農家はそんなに不満がたまってるのだろうか?
まあ完コピに関しては、そもそもこの時代の農民は頭が良い者が隠れててもおかしくはない。役職が世襲化されてしまって、才能がある者でも活かしにくい構造だから。これも追々なんとかしなければならないことだろう。
「学問を奨励するとか、能力があるやつは取り立てるとかしないとな....ただでさえ人材不足なんだから」
少し改良してやった農具で生産性は上がってるはずなんだけども....。よくよく見ると余った労働力は楽器の演奏に費やされているらしく、畑の周りでズンズンチャ!ズンズンチャ!と囃し立ててるヤツが居る。
───Wow Wow Yeah Yeah ♪
ああ、頭が痛い。高定が戻ってきたら何て説明しよう。豊穣祈願の歌とでも誤魔化すか。芳賀家の領民を魔改造してしまって、確実に怒られるわ。
*****
「報告致します。結城軍3000が壬生城を無事に占拠し、その一部が、芳賀様の手勢500と共に宇都宮城へ進発したとのことにございます」
「そうか、成ったか!」
伝令が朗報をもたらすと、留守番部隊である俺や文官たちがワッと沸いた。なにせ宇都宮城の陥落から2ヶ月も経っていない。反転攻勢としては電撃的と言って良い。
「壬生城攻略は結城軍が主力となり、功を競うように突入し、ついには壬生城城代であった壬生綱雄を討ち取ったとのことです」
「そうか。徳雪斎は居なかったのか?」
「はい。首級の報告には上がっておりません」
すると徳雪斎は宇都宮城か鹿沼城か。恐らく宇都宮城で東進指揮を執っていたのだろうな。あの壬生家の軍師は早く始末しておきたかったがやむを得ない。
「若様は徳雪斎殿のこともご存知であったか」
「まさしくそうだ。あやつの首級は千金にも値しますぞ」
「若様を神童と呼ばずして誰をそう呼ぶのか....」
俺を褒め称える文官たちの声が恥ずかしくて瞑目して思考する。その姿に不安を覚えたのか、目を開けると伝令が萎縮してしまっていた。
「いやなに、ご苦労であった。他になければ下がって良いぞ」
「ははっ!!」
とはいえ戦線は順調そのものと言える。
指揮の一切は高定に任せているが、恐らく壬生方面と鬼怒川方面からの挟み撃ちで、1万に迫る軍勢が宇都宮城を取り囲むだろう。優勢と見れば諸将も駆けつけるだろうし、間違いがなければ恐らく勝てる。
俺はタンポポコーヒーを啜りながら、未だ登城したことのない宇都宮城の姿に想いを馳せた。
*****
「母さん!タンポポ採ってきたよ!!」
畑仕事をしていると、息子たちが籠いっぱいにタンポポを積んで戻ってきた。
「あらまあ、たくさん採れたでねえの。ちょっと見してみろ」
自慢げに籠を見せる息子。小さな籠だが、2升くらいにはなりそうな量だ。しかしよく見れば綿が付いているものが幾つか見えた。
「おー、良いでねえの。したら役場さ持ってきんしゃい」
「はーい」
「はーーーい」
有難いことにタンポポを集めれば銭を支払うという御触れが出た。こんなことは未だかつて聞いたことがない。大抵は働いた分を税として取り上げられるだけだと言うのに。
(一体どうなっちまったんだかね)
何やら御領主様の屋敷の近辺で仕事があるとかで、男衆は出払ってしまっている。数日に一度は戻ってくるが、何をしているかは教えてくれない。口外するなとの命令らしい。
それにも給金が支払われているらしく、文句の言いようがない。先月に比べれば家計を預かる夫の羽振りが良くなったのか、食事もいくらか贅沢になっていた。
-- 子供を奉公に出さねえで済むならそれに越したこたあねえっぺよ
最近の夫の口癖にも反論する気が起きない。腹一杯食えて子供が元気ならそれに越したことはないのだ。懸念と言えば、いつまでこの生活が続けられるかだ。
(ずっと続けば良いんだけどもよ)
恒久的な平和は暫く訪れない。
誰もがそう分かっているからこそ、日々向上していく生活がいつまでも続くようにと、祈らざるを得なかった。
関東見取図