第39話 戦が終わり
1551年7月
小山城。
俺は元服し、宇都宮広綱となった。数え8つで元服するなんてと愚痴を言うと、芳賀高定にはそれはもう怒られた。
──その数え8つで初陣する童がどこにいますか!!
──若様には早う世継ぎを作って貰いますぞ!!
8歳で子作り出来る訳ないだろとは言えなかったが、北条との一戦は仕方がないじゃないかと反論した。古河公方に手を出せば北条が乗り込んでくるだろうことは、高定とも議論済みだったからだ。
──そうは言っても兵と一緒に籠城するなど聞いておりませぬ!!悪戯に御身を危険に晒すのはおやめ下され!!
とまあ、こんな具合に高定は折れなかった。頑固親父だ。俺はもう抗弁するのを諦めた。いっそ元服してしまえば文句も言えないだろうと、最後にはこのイベントに乗り気ですらあった。
──われの烏帽子親、光栄に思うが良いぞ
ううん.....なんだか思い出したくないことを思い出してしまった。でもまあ、烏帽子親に相応しい格式ある知り合いが周りに居なかったのも事実だ。足利藤氏か、長尾景虎か。
そう言えば、長尾景虎には結局会えていない。
颯爽と現れては北条軍を切り裂き、何処かへ去ってしまった。今思い出しても夢みたいな出来事であまり実感がない。とりあえず感謝の意を込めた書状を送ったが返事もまだだ。転戦していて手元に届いていないのかもしれない。
「広綱様、大変お似合いですぞ」
俺の居室に入ってきた高定が、俺の頭の方を見ながら茶化してきた。みんな髷を結ってるだろうに、お似合いもクソもあるか。
「お、それは主君への侮辱かな?」
「ははは、その調子ですぞ。それで例の件ですが」
「どの件だ。色々ありすぎて分からん」
高定は頭に手をやりながら申し開く。
「いや失礼。歳を取るとどうも言葉が出てこずですな.....宇都宮家、佐竹家、里見家との三家会談の件です」
「そこまでの歳でもないだろうに。それで、返答あったか?」
「色々注文はございましたが、宗慶がうまくまとめてくれました。両者とも了だそうで。日取りも来月早々に古河城で、と決まりました」
「良い報せだな。それはご苦労だった」
北条家に対抗するために、一刻も早く東関東の勢力をまとめなければならない。まずはその一手だ。俺の構想に相手が乗ってくれるかは全く分からない。しかしやってみなければ可能性はゼロだ。やればゼロではない。
「他には何かあるか?」
「いえ、後はご指示通りに。特に佐野城に資材を運んだり、皆川城を改修したりと、事は進んでおります」
「そうか」
平和を目指す。家臣たちに誓った以上、これからは守りが最重要となる。民の犠牲を減らし、平和な関東を作り上げるために内政と外交を重視していかなくてはならない。
派兵して大砲をぶっ放す攻め手は簡単だ。しかし守りはそうはいかない。巧く人を使わなければ手が回らないだろう。
「前にも言ったが.....」
「はっ」
「これから暫く、当家の攻め手はない予定だ。軍や城の編成、整備は高定に任せる。家臣たちを巧く動かしてくれ。俺は口を出さん」
「承知しました」
敵は北条家だけではない。俺の晩年には北条家が暗躍して日光僧兵が宇都宮城を強襲してくるはずだ。寄進を増やすとかして日光勢も固めておく必要がある。
全く同様に伊達家も....だ。先々の戦が起こらぬようにする調略を進めなければ。
戦にどう勝つか。戦をどう起こらなくするか。この世に迷い込んでから、そんなことばかり考えている。さすがに気が滅入る。
何年か前は美味いものを食いたいと言っていたが、結局そんなものを口にする前に、戦だらけになってしまった。これからは食にも拘ろう。なに、外交でも役に立つだろうし、食が潤えば民も幸せになるだろう。
「いい加減、餃子が食いたいな.....」
「人を使うことを覚えられたと思ったら、また食い物ですか。この忙しい時期にまた海草を買ってこいなど、言わんでくだされよ」
高定は本当に物を知らんな。餃子に海草なんて入れるわけがないだろうが。いや、待てよ....むしろアリなのでは?
そんな馬鹿なことを考えながら、高定を連れて居室を出た。もう聞き耳を気にするような大した話はしていないと思ったからだ。くだらない話をしながら、夏の匂いを堪能しつつ小山城の城内を歩く。
小山城は良い。全体に指示を出すとしたら小山城辺りが一番しっくりくる。未来でも小山は鉄道の重要中継地だった。南北に走る宇都宮線が東京と宇都宮を繋ぎ、東西に走る両毛線と水戸線が群馬と茨城を繋ぐ。交通の便はかなり良い。
だから俺は、唐沢山城の決戦後もここに居座っていた。まあいずれ宇都宮城に戻ると思うが。
「当家の戦果は、広く伝わっているか?」
「予想以上ではありませんが、周辺国の耳には届いているようです」
「そうか。我らが攻めて北条領を切り取った訳ではないからな。そんなものか」
俺たちが勝ったことを周辺国が知るだけで十分だ。抑止力にさえなれば良いのだから。
「あ!!!」
「なんだよ......急に大きな声を出すな.....」
「大事な話を忘れておりました。下野国守護の件にございます」
「ああ.....」
いつの間にやら足利藤氏が騒いでた件だ。古河城を取り戻した献身さに加え、北条軍を退けた宇都宮家の勇猛ぶりに感激した藤氏が、俺に下野国守護の職をくれると言っていた件だ。
「一応、宇都宮家も8代あたりが守護を任ぜられて相続してるはずだと思うんだが、今更すぎないか?なんの意味があるんだ?上杉家も小山家も下野国守護だし」
「基本的に変わりませぬが、相続と当代では周囲の見る目は全く違いましょうな。長尾殿などにも同じことが言えましょう」
そうか、貰えるものなら貰っておけば良いか。
「そういえばいつの間にか下野国を平定してたんだよな。全く気が付かなかった」
「宇都宮家の長年の夢でございましたから、先祖英霊もさぞお喜びでございましょう。ならば盆は盛大に飲み明かさねばなりませんぞ」
「ははは.....高定は酒ばかりだな」
ようやく下野国を平定した。とにかく長い道のりだったように感じる。しかしこれが、多大な犠牲の上に成り立っていることを俺は知っている。あの唐沢山城に篭っていたのだから。
佐野兵に死傷者も出た。皆川兵も同様だ。北条兵なんて何千人が犠牲になったかわからない。
───宇都宮家とは.....あの場で偶然にも敵として相対しただけのこと。人の生き死には敬意を払ってしかるべきだと考えております
ふと、いつぞや聞いた、伊王野のセリフを思い出した。伊王野が建立した、父・宇都宮尚綱の慰霊碑のこと。
俺もきっと見習わなければならない。北条家が憎くて北条の兵を屠ったわけではない。俺が作ろうとしているのは、怨みが連鎖する世ではないのだから。
「高定、唐沢山に慰霊碑を建立できないだろうか」
「慰霊碑ですか.....。なるほど」
「なるべく立派なものを拵えて欲しい。それと、佐野と皆川の死傷者とその家族にも十分な面倒をみてやりたい」
高定は暫く考え込んだ後、ハァと溜め息を吐いた。色々な我儘を押し付けている自覚はある。慰霊碑や家族の手当てなど、あってもなくても宇都宮家は全く困らないものだ。これは俺のわがままに過ぎない。
「やれやれ、分かりました。若様も人使いが荒い」
「すまんな」
「ですが、今までで一番真っ当な我儘ですな。であれば、某が巧くやっておきましょう」
小山城下を眺めながら、俺と高定は夏の風を存分に浴びていた。唐沢山城に居た時とは、まるで比べ物にならない穏やかな時間。そしてようやく見えてきた平和の兆し。
どうにか壊さないようにしなければならない。その決意を胸にこめながら暫くその風景を眺めていた。





