第37話 乾坤一擲
「毘沙門天が.....長尾景虎が来てくれた!!」
俺は自分の目を疑いながらも何度も叫んだ。
何がどうなっているのか全く分からない。長尾景虎が上野国に侵攻開始するのは7月のはずだ。史実より3ヶ月も早い。いや佐野領に来るのなんて更に後だろう。
わけがわからない。俺は何の書状も送っていないのだ。何故こんなところに駆けつけて、今まさに北条軍を切り裂かんとしているのか。
それとも俺はとうとう狂ってしまって、自分の都合の良い白昼夢を見ているのだろうか。しかし背後から佐野親子の声も続いたことで、幻覚ではないことがハッキリした。
「おおおおお!!!騎馬隊が敵本陣に!!!」
「長尾......?なぜ長尾家が?!」
長尾家の騎馬隊が綺麗に並び駆け、北条綱成の陣に迫っていく。
肉薄すると、速度こそ落としたものの、まるで絹に指を絡めるように自然に陣に突入し、そのまま駆け抜けた。
大きな砂塵が舞う。
北条軍がどうなったかは分からなくなった。しかしこの機を逃してはならない。兵の鼓舞だ。何をどうしたって、今は踏ん張らねばならない時だ。
俺は力一杯に叫んだ。
「援軍が来たっ!皆、叫べっ!!援軍が敵本陣強襲!!」
それに呼応して次々に叫び声が上がる。
「援軍だ!!!!敵将討ち取ったぞ!!」
「北条綱成敗れたり!!!我らの勝利だ!!!」
「敵を押し返せ!!勝ったと叫べ!!!」
佐野親子は互いに目を合わせると頷いた。2人は槍を手に持ち、西の大手門に走っていった。自ら戦ってでも支える気だろう。
俺は声を出すことしかできない。そうだ、東側にも伝えなければ。もつれそうになる足を叩きながら、俺は懸命に走った。
*****
大手門を抜かんと槍を振るっていた北条兵も、佐野兵の豹変ぶりにはすぐに気が付いた。先程とはどこか違う、勝った勝ったと叫びながら押し返してくるのだ。
堪らず距離を取る北条兵。
「何がどうなってんだ、おい!!何か気づいたら教えろ!!」
「お、おい......あれ.....」
西を指差す味方の兵。
唐沢山城の大手門は真西を向いている。大手門から離れて西方を見下ろせば、味方の陣が見えるはずだった。
「う、うそだろう......??」
先刻まであった自陣が無くなっている。旗は倒され、幕は地を這っていた。何が起きたのか分からないが、まずいことだけは理解できた。
「た、退却だよな?」
後ろを見ると、既に事態に気が付いた者が多いのか、山道は我先にと逃げ始める味方兵で溢れていた。
「退却だーーーーーー!!!!」
残っていた兵も背を向けて逃げ出した。早く逃げなければ残党狩りに遭う。甲冑を脱ぎ捨てて浮浪者に身をやつしても逃げなければならない。とにかく一目散に逃げ出した。
*****
二の丸にぞろぞろと兵たちが集まってきた。勝った勝ったと叫びまくった佐野兵と宇都宮兵たちの喉は、陽が沈む頃には既にガラガラ声になっていた。
「アアアアアもう声がデネエ」
「お前の声、酷すぎるナ。ドンダケ叫んだんだ」
「いやお前の方が酷いワ」
声が枯れて裏返ってることですら面白く、ゲラゲラと笑いあった。去年までは敵同士であったのに、半年間の死線を経て、既になくてはならぬ友となっていた。
そんな喧騒も佐野泰綱と伊勢寿丸が本丸に姿を現すと、さすがの兵たちも黙った。皆、二の丸から主君を見上げている。
佐野泰綱が喋り始めた。
「よしお前ら、だいぶ集まったな?あー、ごほん!此度、我らは東西に分けて戦っていたからな。今一度、皆で勝ち鬨を上げるために集まってもらったものである!皆の者、北条綱成、旗下1万5000の兵を相手に1年間よく耐え切った!!勝ち鬨を上げる。えい!!えい!!」
「「「応ッッ!!!!」」」
守備兵数百人の声が揃い、唐沢山に鬨の声が響いた。
「大殿様からの好意で酒を一杯だけ出す。夜の番の者は明朝二杯出すから今夜は我慢してくれ。ほどほどにして休むように」
「「「おおおーーー」」」
兵たちは勝利の歌を歌い、勝利の酒に酔った。
肩を抱きあって大勝利を叫んだ。
最後の1人が眠るまで、その宴は延々と続いた。
俺は佐野親子と飲み明かした。
あの様子だと北条家はもう攻めてこないだろう。長尾景虎がどうしてここに来たのか分からないが、北条家も同様、訳が分からないはずだ。恐らく家中は大騒ぎ。もはや古河公方どころではない。
「訓示は良かったのですかな?かような大勝利で某に全部任せるなど」
「良いんだよ。俺は1人の兵も斬ってないからな」
「ですが、勝てました。もう駄目かと思いましたが。伊勢寿丸様は長尾家の援軍を知ってらしたので?」
「まさか、もう駄目だと思ったさ」
「では、天運に恵まれてるということですな」
「どうだろうなあ」
俺に天運などあろうはずがない。
これまでの幸運に見えるような戦果も、知っていた未来を利用しただけだ。凡人も凡人。そうであればこんなギリギリの戦いをしていなかった。先見があれば開戦を半年は遅らせただろうし、鬼才があれば北条綱成の軍を壊滅させられたはずだ。
「たまたま運が良かっただけ。たった一度だけ嬉しい誤算があっただけだ」
「そうですか」
「これで平和な世は来ますかな?」
奇跡はそう何度も起きないだろう。泰綱の問いに、胸を張って応と言える自信はもうカケラもなかった。これからどうするべきか。
戦を止めるには、まずは関東の右半分をまとめる交渉だろうか。先には未踏の未来が待っているの。不安で吐きそうになる。しかしやるしかない。
「ああ」
俺は小さく呟き、酒を煽った。





