第35話 膠着
1551年12月
唐沢山は雪景色だった。この2ヶ月間、毎日のように北条軍の攻め手が続いていたが、今日は来ないようだった。山道が雪に埋もれては悪路が更に悪路となり、登るには危険と判断したのだろう。
「若様、久しゅうございます!」
「おお、久しぶり。交代で戻ったのか」
ふと、佐野の家臣の1人が声を掛けてきた。
唐沢山城は完全封鎖された訳ではない。土地の者しか知らない獣道を使い、佐野の兵は20日毎に10日間、皆川領に避難している家族と過ごしている。1年は粘らなければならない戦なのだから、士気を下げない工夫も必要だ。
「家族は息災だったか?」
「ええ、そりゃもう!暴れん坊ばかりでして。ははは!」
そんな他愛もない会話をして屋敷を出ると、ちらちらと雪が降っていた。薄い積雪を踏みながら城内を見回る。
「資材もだいぶ減ったな。開戦前は山のように積まれてたが....」
城内に所狭しと積まれていた弓矢や木材も半分以下、4割ほどにまで減っていた。今頃は山の中腹で苔を生やしていることだろう。
「伊勢寿殿、お散歩ですかな?」
気さくに話しかけてきたのは佐野昌綱だ。昌綱も交代で指揮を取ってくれている。まだ家督を継いでいないとは言っても、20を過ぎて異才の片鱗を十分に見せつけていた。
「ああ、だいぶ資材が減ったと思ってな」
「精一杯補給はしてますが、これ以上は厳しいですなあ」
「そうか」
秘密の補給路も僅かだがある。しかし所詮は獣道程度のもの、消費が補給に間に合っていない。
「しかし伊勢寿丸殿の戦い方は実に興味深い。特に、あの雲丹とやらが面白いですな。無駄の塊なのが実に。」
「巨大兵器は男の浪漫なんだよ」
「よく分からんですが、敵兵もさぞ目を丸くしたでしょうな!はははは!!」
「............」
「やはり資材の減りが気になりますか?」
「資材も減ったが敵も減らせている。.....問題はない」
北条綱成の兵は2000以上減っているはずだ。軽症者を含めると半数に届くくらいにはダメージを与えられている。しかし来年早々に山内上杉が瓦解し、後詰めが来る可能性が高い。
「勝てますかね?」
「勝てるさ」
嘘を言った。このままだとかなり厳しい。俺の勝ち筋は、長尾景虎が北条に攻め入る来年の夏まで持ち堪えること。この調子だと、単純計算でも春には資材は尽きてしまうだろう。
「我が軍には大砲もある」
俺はまだ一度も使っていない木砲の砲身を撫でた。
これはもう最終手段だ。これを使わなければならない場面になったら、10数発分などすぐになくなってしまうだろう。撃ったら終わり、そう言い聞かせて使用を控えている。
「そうですか!いやなんとも頼もしい!こやつが火を噴くのが楽しみですな!!!」
ケラケラ笑う昌綱も、恐らく薄っすらと気が付いている。このままでは不味いことに。ならばもう少し策を練ろう。なんとかしなければ。
*****
北条軍、東の陣。
ここには2500の兵が布陣しており、唐沢山城を東から攻める拠点となっていた。しかし積雪となっては今日の攻め手は休み。見張り以外の兵はゆっくりと休息をとっていた。
「ん.....?おい、そこで何をしている?!」
見張りの兵が、陣の外を歩いている北条兵の集団を見つけて声をかけた。こんな雪の日に外に出るなど信じられない。皆、焚き火に集まったりしているというのに。
「助かった!!昨日滑落して逸れてな!敵に追われながら何とか逃げ出してきたのよ!」
「おお、そうか!無事で何より!」
見張りの兵は、はぐれた北条兵に向けていた槍を立てた。そもそもこんな雪の日に真面目に見張っていたこの兵が稀なだけで、相方の見張りはそもそも声すら上げずに寒さに震えて固まっている。
「寒い中、ご苦労様だよ。俺らは報告してくるぞ」
「ああ、───っ!!!
見張りが答え終わる前に、遭難兵の刃が首筋を滑っていた。相方も一緒に言葉もあげずに崩れ落ち、足元の雪が朱に染まった。
「手筈通りに行くぞ....」
「「「応」」」
こんな寒空で、見張りを気にするやる気のある者など居なかった。いつぞや奪った北条軍の甲冑を身に付けた皆川兵は、誰にも気付かれずに陣内に潜入し、敵を討ち、敵襲だと騒ぎ立て、火を付けて回った。
首尾は上々。少なくない北条兵が死傷した。
そしてこの作戦は、北条綱成の居る西の陣に対しても同時に決行された。チャンスは一度きり、二度同じ手は使えないからだ。
「敵襲だーーーー!!敵襲!!!敵襲!!!」
走り回る兵を、何事かと陣幕から出てきた北条綱成が眺める。首を捻って考える。
敵襲.....?この雪降る中でか?
違和感を感じた綱成は耳を澄ました。するとあることに気がつく。
「敵襲ーーーー!!!」
「おい、お前」
「は───
綱成が刀を振るうと、騒ぎ立てていた兵は声を上げる間もなく崩れ落ちた。周囲にいた家臣やその兵は凍りついた。大将自ら味方を処断するなど何事かと思ったためだ。
「綱成様......これは.......」
「なに、下野の田舎訛りが酷かっただけよ。慌てるな。これは敵の策だ。耳を澄ませて田舎訛りの者を全て切り捨てよ。特に騒いでいる者だ」
「「「ははっ!!!」」」
田舎訛りを殺せ!!と呼びかけ合い、散っていく将兵たち。
綱成の英断で、この騒ぎは見事に鎮圧された。討たれた皆川兵も数人いたが、大部分の兵は策が成らなかったことに歯軋りしながら、ほうほうのていで逃げ出したのだった。
関東見取図





