第31話 門前払い
1551年8月
下野国の南部に4000の兵を逗留させてから2週間が経った。
すぐに駆けつけると思っていた北条軍がなかなか現れない。どうしたものかと途方に暮れていた矢先、ついに北条家の軍が姿を確認できた時にはなんだか複雑な気持ちに包まれた。
来て欲しかったが、来て欲しくもなかった。
唐沢山城から西北西の方角からこちらへ向けて進んでいる辺り、恐らく今春の山内上杉攻め、平井城を落としながら北進した軍の一部が割かれたのだろう。
それになんか、黄色い旗がはちらほら見える。
「黄色い旗というと、北条綱成か.....?」
北条家最強の猛将が出てきたと知るや否や、なんだか恐ろしくなってきた。
1年後、長尾景虎が関東に乗り込んでくるまで待つべきだったか。いや、自分たちで守らねば関東に平和は訪れない。この時代、強者が正義なんだ。俺たちが強者にならねばならんのだ。
「兵の数はそれほど多くないように見えますな」
「確かに」
佐野泰綱が手を伸ばして指をさすがどこを言っているのか俺には分からない。恐らく最後尾を見ているのだろう。なるほど確かに、多いとは思うが思ったほどではない。
「どのくらいの兵数だろうか?」
「5000か6000でしょうな。多くても7000」
戦力差は倍。後詰めも来るかもしれない。いや、粘れば粘るほど確実に後詰めが来るだろう。あまり数を気にしすぎるのはやめた方が良いだろう。籠城するのだから接敵する数はたかが知れている。俺たちは如何に賢く、寡兵で戦うかだ。
「資材はどうだ?」
「はい。大砲に矢に諸々。益子殿から届いております」
「それは良かった」
「それにしても、若様は本当にここにおられるおつもりですか?」
芳賀高定から戦場に出るなと言われていたが、俺は唐沢山城に居座っていた。佐野と皆川の前で大演説をしておきながら、じゃ後はよろしく、で前線が戦ってくれる訳がない。これは成り行きだ。
「ああ。迷惑をかける」
高定に激怒される未来がよく見える。考えるのはよそう。
*****
「伊勢寿丸様、北条家から遣いが来ました」
「分かった」
佐野の家臣に連れられて歩いて行くと.....おいおいどこまで行くんだ。西側の大手門の外まで出てしまったが。なるほど、城の中は見せないということか。徹底しているんだな。
門の外にはぐったりとした様子の、身なりの良い兵が数人居た。
「くそ....下野国の野侍めっっ....使者をかような場所で待たせるなど。礼儀も知らぬやつらめ......」
などとブツブツと文句を言っている。これから一戦交えると言うのに、中に通す訳にも行かないだろう。それにしても使者というのも大変だな。ようやく登頂したと思ったら、すぐに下山しなければならないのだから。
「ようこそお越しくださいました。何用でございましょう?」
「ふざけおって。小僧には用はない!!我らは北条家、綱成様からの使者だ。佐野家に降伏勧告をしに参った。佐野泰綱殿を呼んでこい!いや、我らを中に通せ!!」
こうも頭ごなしに命令されると悪いことを考えてしまう。ただ、品良くな、品良く。
「生憎、泰綱様でございますが、城内で急速に広がっている流行り病で伏せっておられます。あと7日間ほどお時間をいただけませんでしょうか。開城したとて使者様や北条綱成様にご迷惑が掛かるかと思いまして、門を閉じさせていただいている次第です」
「な、なに?そんなに具合いが悪いのか?」
「はい、それはもう。口まわりは爛れ、高熱でうなされ、全身にイボができる奇病にございます......。死者も出ており、大変危険です」
「そ、そうか......うむ、分かった。綱成様に一度そのように伝える。養生せいとお伝えくだされ」
「はい......」
使者たちは顔を顰めながら踵を返し、下山して行った。周りにいた佐野兵も途中から空気を呼んで演技をしていたが、彼らが見えなくなると噴き出した。
「はははははっっ!」
「大殿様、こいつは傑作ですな!」
「まさか本当に信じるとは!」
「馬鹿正直に取り合うことはない。嘘や方便なんて北条家の常套手段だ。頭を使って時間を稼がないとな」
───嘘や方便なんて神奈川県民の常套手段だ
以前の俺ならそう言っていただろうなと思い自嘲した。お雪に諌められてからというもの、なんだか憑き物が落ちたような感じがする。俺はどうしてあんなに他県民への偏見に満ちていたのか、今となっては分からない。
まあそれは良い。いずれにせよあと1年後、長尾景虎が関東管領を相続して北条に奪われた山内上杉家の領地を奪還しにくる。北条の勢いはその時に止まるだろう。古河公方うんぬんどころではなくなるはずだ。それまで我々が北条家を食い止め、強敵に勝ったという実績が欲しい。
関東の自立と平和はここから始まるんだ。
*****
「なに?城内で流行り病だと?」
「はっ!口は爛れ、全身にイボができ、高熱にうなされて伏せっていると」
北条軍の陣内で、綱成は使者からの報告を受けていた。
綱成は武勇に優れた猛将だが、戦の駆け引きは家臣の意見をよく聞くことが多かった。事実、それで今までうまくいっていたし、それが問題だとは思ったこともなかった。
「ふむ........どう見る?」
「事実ならば様子を見た方がいいでしょう。綱成様まで流行り病に罹られたら当家にとって大きな損失にございます。できる仕置きもできなくなります」
「嘘の可能性もあるのではないか?」
「佐野殿が嘘を吐く利があまり思い浮かびませぬが.....それでしたらこうされては如何でしょう」
「ふむ、申せ」
「我が軍は上野国の戦場を駆け回ってきており、そろそろ休息が必要です。それに加えて糧米も減ってきております。今は8月、収穫が終わって農民は肥えておるでしょうから、この時を利用して村々から収奪をするのです」
家臣の策に、綱成は顎に手を当てて思案した。
「なるほど。佐野に1の利があっても、我らが2の利を積めば良いということだな」
「左様にございます」
献策した家臣の自信に満ちた表情。そして綱成自身も、その策には何も問題ないように思えた。
「他の者はどう思うか?」
「妙案かと存じます」
「某も同じことを考えておりました」
「概ねそれで宜しいかと」
異を唱える者もいない。ならば決だ。
「よし。ならばしばしの休息を設ける。佐野の村々をまわり、米や食料を集めてまいれ」
「「「ははっ!!!」」」
軍議の陣幕から家臣たちが出て行った後、綱成は東にそびえる唐沢山に目をやった。
標高247メートルの山は、山としてはさほど大きな部類ではない。しかし平地から見上げればとにかく巨大だ。何度も登ることにならなければ良いがな、と呟いて陣内の指揮を再開した。
関東見取図





