第3話 弔いの狼煙
真岡御前城、客間。
結論から言うと、いま、母が死んだ。目の前にいる若い女性が母である実感は殆どなかったが、伊勢寿丸の身体は覚えているようで胸が苦しかった。
「も、申し訳ございませぬ。夜明けから懸命に手当てしたのですが....」
傍には看病していた薬師が土下座をしている。
「よい。頭を上げよ。死に目に立ち会えただけ幸せというものよ」
「若様。お方様をお守りきれず申し訳ございませぬ」
薬師に釣られたのか、こんどは後ろに控えていた芳賀高定が謝罪を漏らす。
「高定のせいでもない。全ては謀反人の壬生がしでかしたことよ」
その言葉を最後に、母の遺体を前にして沈黙が訪れる。
─伊勢寿丸、父上の仇を討とうなど思われませぬように
─母の縁戚、結城の庇護下に入ってでも生き延びてください
─末長く、健やかに
こんな二、三言が、母との最後の会話とは。戦国時代ってやつは本当に命が軽いものだ。それでも子供なら、親が死んだら啜り泣くくらいするのだろうか。
数日のうちに両親を失う5歳児か。壮絶な人生すぎて、それらしく年相応に振る舞える自信が全くないな。ならば開き直り、目の前の仕事を1つずつしていこうか。
「高定」
「はっ」
「俺は.......結城に行く」
「わ、若様.....それは.....ぐうっ......」
高定は言葉に詰まっているようだった。
母の遺言通りに結城の庇護下に入る、という選択をしたとでも思ったのか。もしその場合、壬生を討ち、宇都宮城を奪還しようとする高定の構想と真逆なのだから、この反応も頷ける。
というか、そもそも結城の庇護下に入るなんて冗談じゃない。くっせーーード田舎の茨城県になんて住んでられるか。俺にそんな気はサラサラない。
「勘違いするな」
「は?!」
「結城の庇護下に入るのではない。結城への援軍要請だ」
「は、はあああ、そんな.....。この高定、理屈が見えませぬ....先程は若様も、結城ではなく佐竹に支持取り付けをと申しておられたではありませぬか.....」
おやおや、諸手を宙で掴むようにふわふわとさせて。5歳児に翻弄される稀代の知将というのも可愛いものがあるな。
「高定よ。使うのは仁義と野心よ。結城は俺が動かす」
およそ5歳児の言葉とは思えない台詞を吐いたのが原因か、高定は目をぐるぐる回して泡を噴いて倒れてしまった。よかったな高定、薬師がすぐそばに居て。
***** 芳賀高定の視点
壬生は以前からおかしかった。
同じ宇都宮家の家臣でありながら、ことあるごとにワシらの邪魔ばかりしてきたのだ。大殿様の宇都宮城を占拠したのも、さほど驚くほどのことではない。
しかし大胆なことよ。何がそうさせるのか、裏には上杉か武田....北条あたりが支援しているのか、調べねばならぬ。
いずれにせよ、宇都宮城を奪還せねば亡き大殿様に顔向けできぬ。芳賀と益子の紀清両党のほかに、忠義に厚い諸勢力がいくつか味方すればなんとか勝てるだろう。
それよりもだ。
それよりも、真岡に戻ってから若様の様子がおかしい。
以前はワシを見るなり怯えるようにビクビクとしていた若様が、今はまるで大殿様が乗り移ったかのような気迫を持っておられる。
何が起きたのだ。全く解せぬ。
数え五つの童など、言葉を喋れて充分というものであろう。
それがなんだあれは。
まるで雲の上から下野国を見下ろしながら差配しているような、そんな思いすらよぎってしまう。
なぜ五つの童に、城と河川の位置が分かるのだ?
分からぬ......。
挙句の果てに、結城から援軍を引き出すと?
この数十年、宇都宮家と結城家がどれほど衝突を繰り返してきたか、若様がご存知のはずがない。
しかし、どこかそれを知っている風なのが恐ろしい。
それどころか、既に策を見出しているような様子であった。
それが更に恐ろしい。
もしやあるのか?策が、本当に。
五つで既にワシを超えているとでも言うのだろうか。
信じられん。
***** 宇都宮広綱の視点
いよいよ俺は歴史に介入してしまった。もう後戻りはできないだろう。
10年間黙っていれば芳賀高定が宇都宮城を奪還し、勝手に宇都宮家を復興してくれたのだが、俺が口を出してシナリオが大きく変わってしまった。
芳賀高定の疲れた顔に憐れみを感じたのか
栃木県から争いを早くなくしたかったのか
さいきょうのとちぎけんを目指したかったのか
「茨城に逃げ延びよ」という母の遺言への反発か
分からない。なぜ介入してしまったのか自分でもよく分からない。恐らく全部が少しずつ当てはまる感じなのだろう。
いずれにせよ走り出してから急停止しては死もあり得る。もう止まることはできない。
ええい、とにかくやるしかない!!!
栃木県に栄光あれッッッッ!!!