第23話 渦巻く野心
皆川城。
下野国の南方に位置し、宇都宮家と古河公方に挟まれた微妙な位置を支配する皆川家。西の佐野家と並んで、お家存続のために難しい舵取りに苦しんだ家々の1つである。
先代当主であった皆川成勝は宇都宮家に属して槍を振るい、宇都宮家のお家騒動に振り回されつつも、その動向はあくまで宇都宮家の中にあった。
しかしその先代も病に伏せて長く、家督を継いだ皆川俊宗の代になると、何やらきな臭い動きを見せ始めるのである。
「やはり納得がいかぬ....」
これまでの皆川家は良くも悪くも壬生家とともにあった。巨大な壬生家を恐れては宇都宮家に臣従し、壬生家が形勢不利と見れば壬生に槍を向ける。
しかしその壬生家が没してしまった。伊勢寿丸の代になってからの壬生討伐には漏れなく参陣したが、その功を思った以上には認めて貰えない。それに加えていつの間にやら壬生城には結城家が収まっているとくれば、どうにもやりきれない。
「西の佐野家も、南の小山家も古河公方だ。東の壬生には結城が収まった。これも古河公方だ。周りは敵だらけ。ここが宇都宮家の最前線だというのに、この扱いは酷いだろう....」
伊勢寿丸が皆川を重用していないのにも理由がある。なぜなら古河公方うんぬんは関係なしに、史実で宇都宮家から離反し、北条方に寝返っているからだ。しかしそんな理由、宗俊が知る由もない。
全ては大国に挟まれた地理的背景、領地の不幸が生んだこと....。なんともやりきれない気持ちになりながら視線を落とすと、北条家と古河公方から届いた書状が目に留まった。
「父が存命のうちに宇都宮と手切れして良いものだろうか。しかしこんな好条件が次にいつ来るか......」
宇都宮家はまだ磐石ではない。
その証拠に皆川家当主の心はぐらぐらと揺れていた。
*****
皆川俊宗が悩んでいる頃。
皆川城下のとある茶屋で、俊宗の家臣たちが立ち茶をしていた。いずれかの家に転がり込んで一杯やりたいところだったが、子供が産まれたばかりの者に、嫁と喧嘩中の者、独身ゴミ屋敷などなど、具合いが宜しくない者たちばかりであった。
「見たか?あの書状の山。どうすんだろうな」
「さあね。南を選ぶなら安泰では?」
「どうだか。落ち目だぞ、あそこは」
「そういや主はおナスを丸っと飲み込んだらしいな」
「らしいらしい。勢いや十分。なのに鞍替えなんて正気かね」
路上で一杯やるなら注意せねばなるまいと、初めのうちは気を遣っていたものの、酔えば酔うほど隠語のていは崩れていった。
「宇都宮では火を噴く龍を飼ってるとか聞いたが」
「そんな馬鹿な。龍などおるかよ」
「いやそれが城下には咆哮を聴いたってのが沢山おるぞ」
「おやおや、面白そうな話をしておりますな」
そんな噂話をする皆川家臣たちに、気さくな若者が声をかけてきた。風貌から見ると流れの浪人のようにも見える。
ガバガバの皆川家臣たちであったが、見知らぬ相手を前にしてベラベラと喋るのも忍びなかったため、互いに顔を見合わせて眉をひそめた。
「そう警戒なさるな。なに私はしがない流れの商人でしてね、ここは何かの縁てことで私に払わせてくださいよ。店主!焼き餅も人数分持ってきてくれ!ささ、どんどん飲んで食べてくださいな」
「お、話せる商人さんだね」
「おい」
「良いじゃねえの。噂だよ、うわさ」
「まあそうだな。よく考えたら大した話じゃねえ」
皆川家臣たちは日が暮れるまで呑みに呑み、そのまま路上で寝てしまった。怪しい風貌の自称・商人が、いつの間にやら立ち去っていることも知らずに。
*****
「若様、お時間になります」
「ああ、わかった。ありがとう、今行くよ」
今日は就活面接だ。当たり前だが俺がどこかに出仕する訳ではない。少しでも有能な家臣を揃えるのに、学問に秀でたものを探すための登用試験を開催しているのだ。
最上級の能力を叩き出した候補者だけは俺が直接見るようにしているが、今まで候補に上がった者は居ない。それが出たと聞いてワクワクしていた。
「算術、論理、儀礼のどれもがほぼ満点にございます。更に用兵論においても秀でたるものありと感じております」
この時代には体系だった数学や論理学はない。そこは俺が見るとして、儀礼や戦術論的な内容は、足利学校に行ったことがあると言う家臣に任せていた。問題を見させて貰ったが俺にはサッパリだった。
「それは楽しみだな」
どこかで冷遇されている家臣が来た可能性もある。まあ、名前を聞けば素性もわかろう。この時代、不遇の将なんて山ほどいるからな。人間性にダメなところがないなら引き抜いてでも仕えさせたい。
そんなことを考えながら客間に入ると、少し太めで体格の良い男が座していた。一応、脇には七井勝忠も控えている。これがその秀才か、どんなやつなのやら。
「私が宇都宮家当主、伊勢寿丸です。貴殿は?」
「いやすまぬ。某は流浪の身にありますれば、今はどこにも仕える気はございませぬ。何やら宇都宮家は人材登用に熱心だと聞きまして、試験とやらを受けてみた次第」
飄々と答える男に、俺は面食らった。しかし俺の隣にやっていた勝忠は、男の無礼にカチンと来たのか、片足を立ててイキリ叫んだ。
「なんだと貴様!!名乗りもせずに!!」
「よせ勝忠。そうですか......当家に来て頂けないのは残念ですね。まあ、縁があればその際はよろしく頼みます」
冷やかしか。頭ごなしに仕える気はないと言われて少しムカっとはしたが、もう終わりだというなら予定が空いて儲けものだ。ものは考えよう、平常心、平常心。
俺が立ち上がり客間を出ようとすると、浪人が口を開いた。
「ときに伊勢寿様は.....未来が見えますかな?」
浪人の突然の問いかけに俺の身体は固まった。
な、なに....?
こいつは何を言っている。何かを知っているのか?
それとも俺を試しているのか?
背を向けたまま硬直している俺に、男は続けた。
「俺には見えるのですよ。くくくく.....」
なんだ物狂いか。良かった良かった。てっきり俺と同じ転生者が他にもいるのかと思ってしまった。
「生憎と俺は天に愛されておりましてな。分かるのですよ、何をどうやれば物事が上手く行くかがね。こうして伊勢寿丸様にお会いできたのもその1つ」
大した自信だ。一体、何者なのか気になってくる。
「それで、伊勢寿丸様は那須を平定されたと聞きますが、次は古河公方ですかな?先代の尚綱殿も小山や結城に熱心に侵攻しておりましたからな」
「何が言いたいんだ?」
俺は振り向いて男を見据えた。馬鹿馬鹿しいと思いながらも、男の読みは当たっている。ただ軽い気持ちで、どんな顔をしながら言っているのか気になったのだ。
男は俺の目をジッと見ると、笑いながら言った。
「はははは。やはり正解ですか、こりゃ大変だ。朝廷に弓引く臣など、はたして周辺国主が黙っておりますかな?何やら火を噴く龍を飼っているとかいないとか噂になっておりますが、その龍に何を喰らわせるおつもりなのやら」
「そんなものは飼ってないさ。市井の噂話を信じるのは勝手だが、あまりにも思い込みが激しいと恥を掻くぞ」
「左様でございますかな?煙のないところに火は立たずと申しますが、城下の東に警備の厚い一角がございますな?外から見ると火事のように煙がもくもくと立ち上がって、なんとも妖しげだ」
なんだ....?
「まあなに、言い難いことなら無理に話す必要はございませぬよ。出入りしている者は知っておりましょうからな。ははははは」
こいつ間者じゃないのか?捕らえるか?違和感がビリビリとする。危険な匂いしかしない。いっそ斬るか?どんな理由で?いや、理由は何でも良い。斬ろう。
「勝忠───
「某はああああっっ!!」
突然に声を張り上げる男。
「某は足利晴氏の家臣、佐野泰綱が次男、小太郎と申します。此度の無礼、大変失礼致した。当代随一と噂にきいた宇都宮家の当主に一度お会いしたかっただけにございまする。大変光栄にござった!御免っ!」
「くっ.....」
座を正して礼をした小太郎は、顔を上げて一瞬だけニヤリと笑った。すぐにずずと後ろに引いては立ち上がり、反転して居室を出ていった。まさに嵐のような珍客。残ったのは無言の俺と勝忠だけ。
やられた。名乗られて機を逸した。何もできなかった。縁を結ぶことも、斬ることも。
佐野泰綱の次男、小太郎。それは佐野家次期当主、佐野昌綱に他ならなかった。あの軍神・上杉謙信の大軍に幾度も攻められながら、唐沢山城を一度も落とさなかった名将だ。押し引きの天才で、右に出るものはいない。
味方であれば頼もしく、敵であれば.....。
「まさに紙一重の妙技とやらを見せつけられた気がするな....未来が見えると嘯くのも頷ける。天与の何かを持っているのだろう、実に危険な奴だ」
「若様.....手の者に斬らせますか?」
「いや、一人旅ではないだろうし、訳もなく佐野家の血縁を斬ったとなれば何が起こるかわからない。やめておけ」
「はっ」
勝忠を連れて城内を歩きながら、俺は佐野のことを考えていた。佐野に手を出すのはまずい。ましてや佐野領の向こう側は北条か山内上杉、どちらも大国だ。針を突いてどうなるか分かったもんじゃない。御せぬならば放っておくのも選択肢の1つ。
しかし下野国を掌握するなら唐沢山城を落とさなければならない。上杉謙信に落とせなかった関東一の山城。俺に落とせるのだろうか。
関東見取図





