第2話 真岡城に落ち延びて
真岡御前城。
現代の栃木県は南東に位置する、芳賀高定の居城である。決して堅牢とは言えない平城だが、一通りの備えは揃っており、さらに城下から視線を滑らせると、遠くには広大な水田が目に入る。
南北に流れる鬼怒川から水を引き込み、肥沃な水田を保有する真岡城下は、宇都宮家を強固に支える芳賀一族の地盤の硬さを物語るものであった。
「すげえじゃん。意外としっかりしてるというか」
夜が明け、居室から眺められる古き栃木県を一望、全く素晴らしいな。田舎に旅行に来た時のような、じんわりと沁みいるものがある。くっ....郷土愛が止まらないわ。
「この先どうするか.....」
戦国転生といったら硝石量産と鉄砲導入で近隣領地を次々切り取り、有力武将をバンバン登用して俺ツエーするんだろうけど、そもそも下野国には港湾交易路もないから鉄砲も大量入手できないだろうし、全国にその名が轟くような有力武将もいない。
「そういや今川が織田に敗れてから今川家臣が関東に流浪してたな。今が1549年だから、ふふ....10年以上は後か。話にならないな、全く」
ここから天下獲りというルートがあるとは到底思えない。ましてや宇都宮家は血みどろの抗争中。
正史だと宇都宮家は1600年くらいまで存続するが、西の強敵にイジメられ続けて心労でハゲそうな未来だ。のんびりと土いじりして暮らすというのも無理だろう。
この時代の関東は、地獄の釜の底だな。
そんなことを考えていると襖の向こうに人の気配がした。
「若様、お目覚めになられましたか」
「あ」
振り返ると芳賀高定がいた。俺の命を救ってくれた忠臣であり、今後の北関東の命運を握るスーパーヒーロー。彼はどう考えても重用したい家臣の1人だが、俺の心がズキッと痛むのはなぜだろうか。
「若様?」
「いや、なんでもない。昨晩は大義であった。高定のような忠臣に恵まれ、父の無念も少しは晴れるだろう。その方は怪我はなかったか?」
「.................」
なんだ?高定が口を開けてパクパクさせてるが。
「どうした?」
「い、いや.....いえ、若様に殿が乗り移ったかのようで」
しまった。この身体は5歳児だった。ペラペラと口上を述べたら変だったか....しかしやりづらいな。元服まで何もできないのでは暇すぎて仕方がない。
「父上が討たれたのだ。俺がしっかりしなくてどうする。」
「は、ははっっ!!」
適当に誤魔化すと、慌てて平伏する高定。
そんなことしなくて良いんだが。しかしアレだ、5歳児というのも都合が良いかもしれん。麒麟児っぽくて俺の知識を案外受け入れてくれる可能性も。
「それと高定に頼みがある。俺は元服前だが、今は宇都宮家の一大事だ。評定には参加させて欲しいのだが」
「評定にですか?それは、いえ.....承知しました」
子供に政や謀が分かるのだろうかとでも言うかのように怪訝な顔をする高定。
いずれにせよ宇都宮家存亡の危機には間違いない。
これから高定は宇都宮城奪還に向けて動くのだろうが、俺にとっても他人事ではない。とりあえず評定に出ながら、今後どうするか決めよう。
*****
真岡城、評定の間。
「ええい、綱房め。殿の仇をとるどころか、留守の隙に宇都宮本城を奪うなど....!!!恥を知れ、恥を!!」
「そうだそうだ!!!壬生の山猿畜生めにはもう我慢ならん!!」
本心なのか、上座に座る主君の子に忠義を見せつけるためかは分からない。評定開始の声をあげる間もなく、若武者たちが口々に叫び始めた。
荒れそうだな。どうなることやら。関東史に残る最大級の下剋上が起こったんだ、無理もないか。
「兄上、なにか妙案ありますか」
「多くはないが....」
七井勝忠が高定に問うと、高定は頷きながら答えた。
「さすが下野随一の知恵者と呼ばれた高定様!」
「まこと!」
「是非ともお聞かせ願いたい!」
ざわざわと騒がしくなる評定。
「壬生綱房も宇都宮城を前線から目と鼻の先にはすまい。当然、飛山城、刑部城あたりに駒を進めるとみる。機が来るまではここを守り切らねばならん」
「機....でございますか」
「刑部城を抜かれたら.....」
「おい....」
後ろ向きの言葉を呟いた芳賀高定の家臣が、両脇から肘で小突かれた。刑部城が落ちたらこの城が最前線だ、無理もない。
確かに正史の壬生綱房は、祖母井城、八ツ木城と攻め落としながら東進したっけな。宇都宮家の主力である芳賀と益子を分断するかのように.....。
「なに、守りに徹すればどちらもそうそう落ちる城ではない。それよりも攻め手だ。外からの援軍が要る。佐竹殿のところへは私が赴こう」
「兄上が?ここの采配は誰が?」
「勝忠が取り仕切れ」
「俺か.....分かり申した」
佐竹義昭への援軍要請は失敗するだろう。何年も後に、北条家経由でようやく援軍が出たくらいだ。今の高定はそれを知らない。
その後もやんややんやと議論してはいるが、後世に伝わる結果論から考えると無駄の多さが目に余る。放っておいても8年後には高定が宇都宮城を奪還してくれるだろうが、あの少し疲れた様子の顔を見ていると助け舟を出してやりたくなる。
瞑目して眉間に皺を寄せていると、気がつけば家臣が、正確には芳賀高定の家臣たちが俺の方を見ていた。
「若様。我らが命に代えてでも、大殿様の無念を必ずや晴らして見せまする。ご安心くださいますよう」
高定が頭を下げると、家臣たちも合わせて平伏した。中には嗚咽混じりの純粋な奴も居るようだ。俺はこのまま傍観者で良いものだろうか。少しくらいは.....。
「高定。守り手は紀清両党を主力とし、鬼怒川を盾に飛山城あたりを防衛線とするのが良いだろう。その位置ならば守るに易し、さらに鬼怒川を下らせ氏家から糟谷も出陣できる」
「....はっ?!」
「ひょ?!」
「ほわっ?!!」
「わ、若様。どこでそんな知識を得られました....?!」
驚く高定に、俺は少し笑みを浮かべて答える。
「なに、栃木県民の嗜みよ」
「ケンミンの嗜み....?」
「トチギとはなんだ....?」
「わ、若様が何を申されているのか分かりませぬ.....」
分からぬなら、分からぬで良いよ、ホトトギス。
「次いで攻め手だ。高定の言うとおり、那須はもちろん結城は論外。しがらみの少ない佐竹殿が適任だ。しかし佐竹を動かすには北条ーー」
「も、申し上げまする!!お方様が若様をお呼びでございまする!!突然にも御身体の具合いが!!」
女中が土下座をしながら軍議評定の間に滑り込んできた。母の危篤と聞いては評定中断もやむなしだ。俺は急いで立ち上がり、駆けた。
呆けていた高定と勝忠も遅れて立ち上がったが、他の家臣たちは朗々と用兵を喋る5歳児を見た衝撃に、未だ身体を硬直させていた。
関東見取図